第2話 似たものどうし

 幸子は恐れた。紺色のスリーピースをきちりと着込み、あまつさえ眼鏡(あまりの衝撃に彼女はその場で「眼鏡!」と叫びそうになった)までかけた京の姿は、目の当たりにした全人類が恋に落ちたとしてもなんらふしぎじゃないと思えた。


 始業式を終えたあとの教室は蜂の巣をついたような騒がしさで、今年も担任になった戸部は呆れ顔で早々にホームルームを切り上げていった。今日は授業の予定もなく、あとは帰るだけだというのに誰もかれも教室を出ようとしない。


 初恋からたった一日にして全校生徒、先生までもがライバルになってしまったと机で頭を抱える幸子は、周りで交わされる話題の大半がUFOについてだと気づかない。みんながそろって京について噂しているに違いないと信じこんでいた。


「みーちゃん、正々堂々、勝負しようね」

「なんの話よ」


 背の順と同じ、一つ前の席の美世が眉を寄せてふり向く。


「そりゃあかなどめさんだって、わたしよりみーちゃんみたいに綺麗な子に好かれたほうが嬉しいかもしれないけど……」

「待って。ああ、はい、わかった」


 赤ん坊のころからの付き合いになる美世は、幸子の『理想のヒーロー像』について耳にたこができるほど聞かされていた。壇上に背を向けたまま首だけひねって新任教師を見やった彼女はそこまではっきりと彼の顔を覚えていたわけではなかったが、考えてみればたしかに幼なじみの好みそうな雰囲気だったと思い出す。


「ないから安心して。あたし暗い男は好みじゃない」

「暗い!」


 無情な評価だと思ったが、フォローもできない幸子だった。


「京って、あれでしょ。『かなどめ堂』の人だよね。ゆっこ知り合いだったんだ」

「えっ、みーちゃんもかなどめさんのこと知ってたの! ほ、本とか読まないのに」

「それはお互いさまでしょ。知ってるつか、一回だけ世話になってね」


 椅子ごと幸子のところに身体を寄せて、美世は声をひそめた。


「……ほらうち、パパがさぁ、あれじゃん。たしか去年の夏休みとかだったかな、なんか神さまが宿るとか言って、意味わかんないでっかい壺買ってきてさ。そっからすごかったの。インフルエンザに骨折に車の事故にめちゃくちゃよ。ゆっこの苦労を知れたね」


 そういえば去年の夏休み明け、美世は右腕を包帯で吊っていたと思い出す。彼女の母親が車に轢かれかけたらしいというのも幸子は聞き覚えがあった。


「壺……なにそれ全然聞かなかったよ」

「こういうのなんか、言ったらそのひとまで呪われちゃったりするのあるじゃん。ゆっこただでさえヤバいのに言えないよ」

「みーちゃん……」

「ああそう、それで『かなどめ堂』の話になるんだけど」


 美世の言葉はそこでふつりと途切れた。

 顔を寄せあう二人に、一つ影が差したからだ。


「……『あぶないところだった』」

「やや、その声は!」


 反射的に幸子は席から立ち上がる。


「我が友、早乙女さおとめくんじゃないか!」

「我が友、ゆっこ! 久しぶりだな! しばらく見ないうちに悪しき漆黒の霧が晴れたようで見違えたぞ!」


 学ランの胸もとにじゃらじゃらと銀のネックレスを揺らす少年が、なかでもひときわ大きいロザリオに触れながら旧友に再会したようなおおげさな笑顔を見せた。早乙女レオンはそのまま、高らかに両手を掲げる。そこに幸子も手のひらを叩きつけた。


「ゲキマブ‼︎」


 キャッキャとはしゃぐ彼らを、美世が椅子から呆れた顔で見上げる。


「……あんたら、マジで小学生じゃないんだから」

「え、そうだよ。わたしも早乙女くんも高校生だよ」

「フッ、たしかに俺たちは幼子のように無垢な魂の持ち主ではあるがな。まあそう妬くことはない。ゆっこと俺は今世紀稀に見る大親友だが、彼女が君の大事な幼なじみであることには変わりないのだから」

「早乙女うるさ」


 去年の夏休み明けに隣町から引っ越してきた早乙女は、転校初日に幸子と意気投合し、二人はその日のうちに自販機でおごりあったジュースで盃を交わした。個性的なしゃべり方と個性的な外見でクラスでは浮き気味な彼だが、そのあたりは自身も好き放題している美世の気になるところではない。彼が言うように、単純に幼なじみをとられたようでむかつくというのが、彼女が早乙女を苦手に思う理由だった。


「あたしと大事な幼なじみとの時間邪魔するためにわざわざ割り込んできたの?」

「まさか。その、カナドメの話、少し混ぜてもらおうと思ってな」


 早乙女は近くの空いている席を拝借すると、それを幸子たちのもとまでひきずってきて座った。あからさまに美世は迷惑そうな顔をしたが、ため息をついてうなずく。


「いいけど、なに、あんたもゆっこと同じであのセンセーに骨抜きにされたクチ?」

「——早乙女くんでも手加減しないから」


 幸子はすっとファイティングポーズをとったが、早乙女は鷹揚に首を横にふった。


「骨抜きという表現は適切でないな。むしろ骨を抜かれるべきはあの男だ」

「なに言ってんのあんた」

「とりあえずさっきの、『かなどめ堂』の話を俺にも聞かせてくれ」


 面倒そうにしながらも、根の律儀な美世はあらためて壺の話をくり返した。


「あそこ、古本の売り買いのほかに有料でヤバいもん引き取ってお祓い、みたいなこともしてくれるらしくて。そんなんあたしもパパたちもはじめて聞いたんだけど、教えてくれた近所のばあちゃん曰く、年寄りのあいだじゃけっこう有名なことらしいよ。で、じゃお願いするかつって、パパが壺持ってく手伝いであたしも行ったのよ。かなどめ堂」


 はじめは店に入ろうとしたが、壺があまりに大きかったせいで本棚の密林を通れず、裏手の玄関で受け渡しをすることになったのだという。


 壺を引き取ると、京はそれをたたきの隅に寄せたあとで美世の父親に向かって身を清めていくよう声をかけた。言われるままうなずいた彼は、廊下の奥に一人つれていかれたらしい。


 美世はすぐに外に出て父親を待っていたために、京と対面したのはほんの一瞬のことだったという。明かりのない廊下で顔はほとんど見えず、国語の臨時教員が彼だとわかったのもその特徴的な苗字のおかげだった。


「そんでさ。ま、壺がなくなって不幸がおさまったのはいいんだけど、なによりパパがあれから人が変わったようにまともになってさ……あ、早乙女、誤解ないよう言うけど深刻な話じゃなくてね。うちのパパ、いい人なんだけど、恐ろしいほど騙されやすくって。だから正直かなどめ堂の話も最初は詐欺だろって思ってたんだけど」


(塩の間だ)


 美世の父親は、しんしんと塩の降るあの部屋で身体じゅうの穢れを清めたのだろう。自身もそれで視界がひらけたようになった彼女は確信した。それにしてもかなどめ堂がそんな商売をしていたなど知らなかった。もしかしてその壺というのは鬼門の間にあったあれだろうかと、思案に耽る。


「……間違いねぇ」


 おもむろに腕を組んだ早乙女が、頬に挑戦的な笑みを浮かべて言った。


「やっぱりあの男、カナドメは悪魔だ」

「さっきから言ってることへんだよ」


 美世が眉をしかめるが、彼は動じず指をチッチとふった。


「わからないのも仕方ない。うまく人間に擬態しているようだからな。だが、この俺の目は欺けない。この町全体が帯びる禍々しい気配——なかでも特別濃厚なものを、あの男の棲家すみかから感じていた」


 幸子は壁の時計を見ていた。そろそろ帰らなくてはお昼ごはんに間に合わない。


「如月の父親が変わったのも、なにか悪魔的な術を使ったに違いない」

「あたしとしてはそれでも全然いいけどね」

「ゆっこ、気をつけろ。うかつにあれに近づけば喰われてしまうかもしれない」

「えっ、た、食べられちゃう? で、でもわたし、かなどめさんなら……」

「そう悲観するな。お前のマブダチは誰か、忘れたのか?」


 赤くした頬をおさえながら身悶えしている幸子と、目もとにかかる伸び放題の前髪をかきあげながらドヤ顔をしている早乙女を見比べたあとで、美世はため息をついて自身のネイルに目を落とした。男女でありながら彼らがこうも仲がいい理由がなんとなしにわかったが、別に羨ましいものでもなかった。

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