第2章 シャーベットブルーの花
第1話 少女漫画なら運命
四月のはじまりは満開の桜に彩られた。
春色の雲がふちどる校庭で、幸子は人知れず胸を撫で下ろしていた。知っている町に、ようやく帰ってこられたという気がした。幼稚園や小学校のころから飽きるほど見てきた同級生たちの顔が、これほど懐かしく感じられたことはなかった。登校中の坂道で、家がとなりの
「一年生、あたしらの半分くらいしかいないんじゃない?」
壇上では、昔話に出てくるたぬきのようにずんぐりとした校長がカンペを広げながら新年度の挨拶を読み上げていた。全校生徒は学年ごとに背の順で整列していて、女子列のちょうどまんなかあたり、幸子の前に美世が立っている。
堂々と校長に背を向けて話しかけてきた彼女に、幸子は眉を垂らした。
「みーちゃん、怒られちゃうよ」
「バレないって。カンペにチューしそうだもん」
彼女はよく手入れされた艶のある黒髪をいつも耳の上あたりだけ結って、オーガンジーリボンで飾っている。セーラー襟に通しているお手製のフリル付きリボンも、エナメルがうるうると光る白いローファーも、そこいらの人形が泣き出してしまうほど整った顔立ちをしている彼女にはぴったりと似合っていた。
教師に注意されるたび増やすことにしているらしいネイルのビジューは、いまのところ一つもない。いったい今年はどれだけ増えるだろうかと毎年ひそやかに楽しみにしている幸子である。
「もう廃校だしねぇ」
「あたしらは来年卒業だけど、後輩たちはどっか転校しなきゃなわけじゃん? そう考えるとまあ、集まったほうなんかな。どうせならはなから別んとこ入学するわな」
黙っていれば背景に薔薇が咲く美少女だが、話しかたはざっくばらんとしている。今朝も彼女は、勢いよく抱きつこうとした幸子を「やめろ」の一言でいなしていた。
「でもここなくなったら、一番近くて隣駅だよね」
しかも白希町から最寄り駅までは、バスで山道を三十分ほど登る必要がある。
登下校を想像した幸子と美世の鼻に同時にしわが寄った。
二年生ごしに見やった一年生たちは、美世の言うように二十人ほどもいないようだった。緊張に頬をこわばらせている者、うつむいて目を閉じている者、さっそく前後の生徒と打ち解けてこっそり雑談に興じている者……一年後には離れ離れになってしまうのだと思うと、他人事とはわかっていても幸子はなんだかさみしい気持ちになってしまう。
「みーちゃん、来年もずっと一緒にいてねぇ」
「えー、あたし東京の大学行こうと思ってんだけど」
「ええっ、うそ! みーちゃんこの町出てっちゃうの!」
「当たり前でしょ、こっから通える大学なんてないじゃん。ゆっこも近くんとこ行くなら、シェアハウスしてもいいよ」
襟に垂れる髪を指でもてあそびながらさらりと言われて、幸子は絶句した。
いまだ幸子は大学の名前すらほとんどわからない。東大と、それからつい最近『マーチ』という有名なところがあるらしいと知ったくらいだ。進路など、数学が苦手だから自分は文系だろうとぼんやり思っていたくらいで、具体的に考えたこともなかった。
(なんか、みーちゃんが遠くにいっちゃった気分……ううん、遠くにいっちゃうんだけど)
ほうけてしまった幸子は、ふいに響いた手を叩く音にびくりと肩を揺らす。
「——はいはいちょっと、みんな元気なのはいいけどいまだけ猫かぶって。新しい先生が来てくれたから、ちゃんと自己紹介聞くよ」
いつの間にか校長の姿は見えなくなっていて、壇上には去年幸子たちの担任だった
生徒たちの雑談がやんだあとで、戸部が壇上の中央を空ける。
そこへおもむろに上ってきたスーツの男を見て、幸子のあごは地面まで落っこちそうになった。進路もなにもかも吹き飛んだ頭のなかは、つい昨日の出来事に一ミリの隙間もなく埋め尽くされる。
洋服姿でもにじむ着物の所作、相変わらずにこりともしない表情筋の死んだ鉄仮面。
「初めまして。今年度の国語を担当します、京悠人です」
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