第12話 おやすみ春休み

 幸子にとっては生まれてはじめて、一世一代の告白のつもりだった。


 だが京はそんな彼女の想いを知ってか知らずか、寝癖の跳ね方でも褒められたようななんとも言えない顔をして「どうも」と返した。遠回しにふられてしまったのか、告白だと気づかれなかったのか……その後どうやって着替えをして塩を浴びるにいたったのか、幸子に記憶はない。ひたすら彼の微妙な表情を思い出していた。


(……まだ初対面だし!)


 幸子に触れた塩がまったく色を変えなくなったころ、十数年かけて蓄積された穢れがさっぱり清められた彼女は、経験したことのない晴れやかな気持ちで顔を上げた。


 たった一日で恋に落ちるなど自分じゃあるまいし、とうなずく。常世に棲む鬼ならばともかく、相手は同じ町に住む人間だ。家の場所も知っているのだから、会おうと思えば会いに行ける。悲観することなどなに一つなかったと気づいてにっこり笑う。


 ほとんど鬼と変わらない状態でも人より楽観的なきらいのあった幸子は、穢れのすべてが清められたいま、ようやく彼女本来の突き抜けた明るさをとり戻していた。


(まずは趣味の話とかで盛り上がって、少しずつ仲良くなっていかなくちゃ。かなどめさんはやっぱり、本とかたくさん読むのかな……少女漫画は、読まないかなぁ)


 かなどめ堂を出るころ、町にはすでに夜のとばりがおりていた。なんてすてきな春休みの最終日だったのだろうと、幸子は夜空に瞬く星をめいっぱい瞳に映して思う。


 かたわらを歩く京を見上げれば、胸が勝手にきゅっとしまる。


 家までの道のりなど星が落ちるよりずっと短かった。


「——穢れが落ちたので、厄もおのずと離れていくはずです。とはいえ油断せず、毎日できるだけ欠かさずあの神社に行くようにしなさい。なにかあれば、またうちに」

「な、なにかなくちゃ……行っちゃだめですか」

「ああ、もちろん売りたい本、買いたい本があればぜひ」


 はぐらかされているのか本気なのか、表情から読み取ることは難しい。


 あなたに会いにいってもいいですか、と言葉を重ねることはできなかった。幸子の今日の勇気は、もうすっかり使い果たされてしまっていた。


「送ってくださって、ありがとうございます」


 玄関の前に立って名残惜しく頭を下げたあとで、幸子は地面に視線を落とす。


「送り狼さんも、ありがとう」


 姿はどこにも見えないけれど、死んでしまったわけではないと京は言っていた。送り狼は家まで送り届けるというのが本当ならば、きっと近くにいるはずだと思った。


「おやすみなさい。明日から、良い新学期が送れるといいですね」


 そう言った京が優しげなほほえみを浮かべていた気がして、幸子は暗闇にせいいっぱい目をこらそうとした。だが夜は頑なに彼を隠して、そのうちにすぐ背中が向けられる。


 いよいよこれで春休みがおわって、明日からは新しい学年になる。一年生ほど真新しい気持ちにはなれないはずが、幸子の胸は入学式の前日よりも希望と期待にみちあふれていた。昨日までとは違う、とびきりすてきな日々がはじまるに違いないと確信していた。






『行きはわんわん』完

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