滅んだ世界に百合が咲くまでの話

壊滅的な扇子

第1話

 世界が終わってからどれだけ経っただろう。ほんの少し前まで世界は精密機械のように規則正しく回っていたのに、今となっては辺り一面、何の機能も果たさないがれきの山だ。


 私と紗季はその山の中からまだ使えそうなものを探していた。


「なにかないかな? 銃とか」


「そんなのが一般家庭の残骸に転がってるわけないでしょ」


 枝毛だらけのぼさぼさのショートヘアをかきながら、紗季はジト目で私を見下ろした。がれきの山の頂点に立つ同級生は、かつて綺麗なロングヘアをしていたけれど、邪魔になるだけだからと、バッサリ切ってしまっていた。


 結構、好きだったんだけどな。


「それじゃあ日本刀」


「あんた剣術でも習ってたの?」


「傘を振り回したことなら……」


 私がそう告げると、紗季は眩しい笑顔でくすりと笑う。真っ白な肌は土埃で汚れてしまっているし、目の下にはひどいクマができているけれど、それでも紗季は綺麗だった。この世界には不似合いだ。


 今、この世界には法律がない。誰も理不尽を取り締まってくれないから、自分の身は自分で守らなければならない。特に、紗季のような美しい人は。環境は人を変える。理性的な人が理性的であれるのは、その理性が最大の利益をもたらしてくれる世の中だったからに過ぎない。


 このがれきだらけの世界で、理性と心中できる人なんてどれくらいいるだろう。


 武器や食料があることを祈りながら、私はひたすらにがれきをかきわける。手袋は付けているけれど、時々混じっているガラスの破片が肌ごと切り裂いてくる。それでも手に入れなければならないのだ。


 紗季をこの世のあらゆる理不尽から、守るために。


 何も見つからなかったのか、紗季は降りてきた。


「ねぇ、何かみつかった?」


「なーんにも。缶詰とか保存の利きそうなものはたまにあったけど、どれも穴が開いてて中身腐ってた。武器もなかったね。刃こぼれした包丁でもいいから、手に入れておきたいんだけど」


「もしも武器になりそうなもの見つけたら、私に使わせてよね」


「なんで」


「あんたに守られてばかりだと情けないでしょ」


 紗季は真剣な表情でそう告げた。まぁ、私たちはもともと気の置けない仲ってわけでもない。世界がまだ精密機械だったころ、私たちはただのクラスメイトでしかなかった。紗季はみんなの中心で、私はそれを眺めるだけの外様。


 だから負い目を感じる気持ちも分かる。でも、私と紗季どちらが戦闘に向いているかと問われれば、当然私だ。紗季は私の肩くらいの背しかない。腕も細いし、仮に武器を持たせたとしても致命傷は与えられないだろう。


「気にしなくていいって。私の方がデカいんだからさ。一応170cmあるし。役割分担ってことで」


「私の役割は何なのよ」


「えっと……。癒し?」


「なによ。癒しって。あんた私に癒されてるの?」


「うん。だって紗季、可愛いでしょ」


 すると紗季は顔を真っ赤にした。紗季くらい綺麗なら言われ慣れてるはずなのに、意外だった。恥ずかしそうにしている紗季はいつも以上に可愛くて、いつまでもみていたくなる。だけど私の視線に気づいたらしい紗季は、ぷいとよそをむいてしまった。残念。


「でも可愛いだけじゃ生き残れないんだよ。今のこの世界は」


 紗季はうつむいて告げる。


「どうして私はあんたみたいに背が大きくないのかな。力も弱いのかな」


「私が守るから大丈夫だって」


「だから! 私があんたを守りたいの! だってあんた、あの時」


「もう終わったことだよ」


 思い出したくなくて言葉を遮る。必要だったとはいえ、気分がいいものでもない。


 人を殺すなんて。


 紗季は不安そうにしていた。自分が何の役にも立っていないのではないか。足を引っ張っているだけなのではないか。私にいつか、見捨てられてしまうのではないか。なんて風にもしも私と同じことを紗季も思っているのなら、間違いだって教えてあげないといけない。


「ねぇ、紗季。私がどうして今生きていられるか分かる?」


 紗季はじっと私をみつめた。


「こんなひどい世界に無力な体一つで放り出されて、大切な人たちを失ってしまって、明日への希望もなくて、いつ理不尽が訪れるのかただ怯えるだけの毎日。死んだほうがましだって思うのが道理じゃない?」


「……確かにね。私だって、あの日あんたに再会しなければ死んでたと思う」


「分かってるじゃん。私が生きていられるのは紗季がいてくれるから。一人じゃないから。守りたい人がいるから。だから明日を目指して歩けるんだよ」


 紗季は目を見開いて私をみつめていた。かと思えば可愛らしく微笑んだ。


「ふふっ。そんなかっこいいセリフ言える人だったんだ。もっと早く仲良くなりたかった」


「私もそう思う」


 全てが規則正しく回っていた世界で、私は無意識に線を引いてしまっていた。関わってもいい人、関わるべきでない人。紗季は向こう側の人間だった。でもこの世界には、そんなものは存在しない。見えない線なんて、世界ごと破壊されてしまったのだ。


 突然、紗季は私の手を握った。


「あんたは人を殺した。でもそれは私を守るため。だからあんたのこと、少しでも支えたいんだ。少しでも気持ちを楽にさせてあげたいんだ。震えていた血まみれの手を、あの日の私は握ってあげられなかった。でも今なら、きっと」


 背中に腕が回される。紗季の体は小さな癖に、私よりも温かかった。今は冬だ。冷たい風が吹いていくこの世界で、紗季の温もりはまるで春の日差しのようだった。


「ねぇ紗季」


「なに?」


「私、紗季のこと、結構好きだよ」


 紗季は顔を真っ赤にして私を見上げた。だけどすぐに笑ってささやく。


「私も好きだよ。あんたのこと」




 結局その日は、太陽が沈むまでがれきを漁って、使えそうな包丁一つと、缶詰を四つ見つけた。私たちが住んでいたのは片田舎だから、隠れ家になりそうな場所は結構あった。幼いころよく遊びに行った裏山には、目立たない洞穴がある。


 そんなに広くはないけれど女二人で住むのならちょうどいい大きさだった。


 そこで私たちは缶詰を食べながら、これからのことを語る。


 懐中電灯の小さな明かりだけが頼りだった。


「ねぇ。紗季。明日はどこに行ってみる?」


「人が多そうな場所は避けたいね。地下鉄の周辺とかは特に」


「そうだね」


 私たち二人はあの日、偶然地下鉄にいたから助かった。しばらくはみんな理性的に動いていたけれど、ある日、柳田という男が暴力的な方法で生き残った人たちを支配し始めたのだ。理性をかなぐり捨てたあいつらはまるで獣のようだった。


 だから私たちは二人で逃げ出した。紗季に襲い掛かった柳田を刃物で刺し殺してから。


「ねぇ秋」


 紗季が私を名前で呼ぶのは珍しいことだった。


「どうしたの?」


「私たちって明日も生きてるのかなぁ」


「さぁ。私預言者じゃないからわかんない」


 会話は途切れ、私たちは無言で缶詰を食べる。どういうわけか、紗季はさっきからちらちらと私をみてきていた。そんなに私の顔をみたいのなら、じっとみればいいのに。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。


 私は問いかける。


「どうかしたの?」


「いや、そのさ。あんたは、変なこと聞いてるなって思うかもだけど。その、恋人とかいたことある?」


 恋人。全く私には無縁な言葉が出てきた。恋人どころか、恋バナすらしたことないよ私は。


「昔、夢小説とか書いてたくらいだね」


「なにそれ、夢小説? 小説書いてたの?」


「ああいや。そんな人様に見せるような大層なものじゃなくてですね。まぁ、とにかく恋人なんていなかったよ」


「それじゃあ恋をしたことは?」


「別にないかな」


 思い返せば私は人を好きになったということがなかった。


「やっぱり賢い人は人を好きにはならないのかな」


「いやいや。それは偏見にすぎるよ」


 洞穴の外で、鳥が鳴いた。奇妙な鳴き声の鳥だった。


「多分、私が人を好きにならなかったのは、私が空っぽな人間だったからだと思う」


 紗季は不思議そうな顔をした。


「勉強ができるのに空っぽ?」


「私がそう願ったわけじゃないからね」


「あぁ、何となくわかる。もしかすると秋は私と同じなのかも。私だって人気者になりたくてそうなったわけじゃなかったんだ。なんか勝手にそういうことになってて、気付いたら私自身もそうあることにこだわるようになってた」


 紗季は自嘲的に笑っていた。まだ世界がまともに回っていた頃に、こんなことを言われても自慢だとしか思えなかったのだろうけど、今ならわかる気がする。


 紗季は私のすぐそばまで歩いてきて、隣に腰を下ろした。


「私はさ、自分のことに精一杯だったんだ。周りからどう思われてるのかとか、そればかりでさ。自分が周りの人をどう思ってるのかなんて考える暇もなかったんだよ。秋も同じ感じ?」


「同じ感じ」


「そっか」


 不意に私の手に温もりが触れた。様子を伺うように、ゆっくりと指先が私の指先に絡まってくる。私が何の抵抗もせずにいると、紗季は寄りかかってきた。小さな頭がこつんと肩にあたる。


「本当におかしいよね。世界が終わらない限り、私たちは分かり合えなかったんだよ?」


 懐中電灯の明かりが私たちを照らす。横目で見ると紗季は目を閉じていた。


「こんなの、ひどいよね」


 私は想像をしてみる。同じ教室で同じ授業を受けているのに、言葉を交わさない私たちを。同じ悩みを抱えているはずなのに、永遠に分かり合えない私たちを。


 私はまた紗季の横顔をみつめる。綺麗だなと思った。これまでは気にもしていなかったのに、今は桃色の唇が妙に目につく。私はこれまで誰かを好きになったことなんてなかった。それは自分を取り繕うのに必死で、他人を見る余裕がなかったから。


 でも、今は違う。今の私には、紗季がとても綺麗に見える。


「ねぇ、秋」


 気付けば、寒いはずなのに肌はじっとりと汗ばんでいた。声に呼ばれて顔を向けると、視線がかち合う。紗季は吸い込まれてしまいそうなほど大きな瞳をしていた。


「私、恋愛がしたい」


 そう言って、紗季は目を閉じた。私はその小さな唇にそっと口づけをした。



 

 朝日が差し込み、鳥たちがチュンチュンと鳴く中、私たちは裸で目覚めた。


 寝ぼけていたのか紗季は、私の顔をみるとにこりと微笑んで「おはよう」と笑っていたけれど、自分たちが素っ裸であることに気付くと、すぐさま顔と耳を真っ赤にして私に背中を向けていた。私だって恥ずかしかった。まさか女性とそういうことをするなんて思ってもいなかったし、その相手がましてやあの人気者の紗季だなんて、想像できるはずもない。


 でも、とても幸せだった。


 着衣を直した紗季は、意外にも顔を真っ赤にしながら私に手を絡めてくる。


「恋人なんだから、あれくらい普通じゃないの? ……それとも秋は嫌だった?」


 目をそらしながらそんなことを告げる紗季を私を抱きしめる。


「ううん。とても幸せだよ」


 紗季の体は小さくて、簡単に包み込んでしまえる。その小ささも、紗季の声も、紗季の顔も、紗季の性格も。全てが愛おしくてたまらなかった。だけど、ずっとこうしているわけにもいかない。私たちは生きるために、外へと出ないといけない。


「紗季、そろそろ行かない?」


「そうだね。今日も頑張ろう」


 私たちは今日も、二人でがれきを漁りに行く。


 この過酷な世界を生きるために。


 大切な人をあらゆる理不尽から守るために。

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