第176話 為すべきことは己の手で為せ
戦場に似つかわしくない、穏やかなラストの口調。それによる衝撃とも言えない衝撃から先に回復したのは、その声の主と親しい側ではなく、大した面識を持たない方だった。
セルウスは構えていた剣をやれやれと腰の鞘に戻しながら、ラストの側へと近づいてその肩を無遠慮に叩いた。
「なんだ、誰かと思えばお前かオーレリーの騎士。親父の肝いりにしてはやたらとやってくるのが遅いんじゃないのか? おかげで俺の部下は実質全滅だが……まあいい。そら、そんな使えないのに餌なんてやってないで、さっさとその腰の剣を抜くがいい。なんで木剣なのかは知らんが、お飾りじゃあないんだろう? 命令だ、そいつでこの女を牽制しとけ。その間に俺が奴を仕留められるだけの魔法を準備するからよ。お前が前衛、俺が後衛だ。親父殿に対怪盗に相応しいと見初められた実力、今度は見せてくれよ?」
さりげなく上下関係を明確に示して、彼はラストの背後に守られる側として立とうとする。
だが、それを受ける側には相手の言葉に無条件に従うだけの理由や、そうしたいと考える心情があるとは限らない。
ラストは抱きかかえたゼロの身体に魔力を通して彼女の魂を安定状態に移行させ、それと並行しておぼつかない口に菓子やポケットの水を差し与える。魔力の枯渇と言う現象について適切な治療法を、彼はその身を以て知っていた。負荷がかかって不安定になった魔力の根源に、身と心の両方から安らぎを与える。その繊細な作業に意識のほとんどを充てて、比重としては九対一、またはそれよりずっと低い割合の脳の働きを彼はセルウスとの会話に割くことにした。
彼が返答を述べるより先に、アルセーナが心からの疑問を発した。
「……おかしなことを。まさか、そこの彼が貴方がたと手を組んだかのような言い草ですね。ですが、嘘も大概になさい。彼がそのような邪道に手を染めるわけがないでしょう?」
彼女はオーレリーとして、ラストがヴェルジネア家の悪行を嫌悪する立場にあることを確信していた。
だからこそ兄の言葉を完全なる嘘と断じたのだが、セルウスはそれを愉快そうに嗤った。
「ほぅ、怪盗様はこいつについてやたらと詳しいみたいだな。だが残念だったな、こいつはとうに俺の親父殿の協力者なのさ。怪盗を捕まえるのに協力する、って約束でな」
「彼については噂話を聞いただけですわ。それでも、そのような馬鹿げたことが起こりうるはずがないと信じるには十分です。……そうなのでしょう?」
一応は
そこではセルウスがもう一度、馴れ馴れしくラストの肩に手を乗せていた。
「あんな反社会的存在に惚れられかけてたなんて、残念だったな。もしこんなことを知ったらオーレリーが悲しむかもな、なあラスト? 自分の男が他の女から手を伸ばされかけてるなんて知ったら、いてもたってもいられまいよ。ま、ここは義兄のよしみとして黙っておいてやるよ。今日の働きぶりが先日とは違って殊勝なものになるのを期待してるぜ」
この面白おかし気に笑う男は、自分を脅しているつもりなのだろうとラストは理解した。
――自分が怪盗と戦って成果を上げなければ、この場の会話をオーレリーに伝えるぞ、と。それも、恐らくはひどく脚色して。
しかし、笑いたくなるのは彼の方だった。
オーレリーとアルセーナ、そしてラストの関係性は、三角形を描くようで実は単なる一本線に過ぎない。それを知ることなく、自分が弄ぶことが出来るのだと勘違いしているセルウスは、未だに自分が場の主導権を握っていると勘違いしている。
それを正すべく、彼は肩に乗せられた嫌な感触を叩いて払いのけた。
「ご心配なく、アルセーナさん。僕には彼らに組みするつもりはまったくありませんので」
「あん?」
不思議そうな顔を浮かべるセルウスに、ラストは自分のことを正しく説明した。
「セルウス様。なにか勘違いされておられるようですが、僕には貴方がたと手を結んだという記憶はありませんよ。僕がこの場に姿を現わしたのは、偏に貴方が自分勝手に使い潰そうとしている彼女たちを助けるためであって、貴方のためではないのです。その点をどうぞ、ご理解していただきたく」
思いがけず
「……なんだと? 俺のためでなく、そいつらのため? ははっ、面白い冗談だ。そんな使えもしない連中の方が、この俺より大事だというのか?」
ラストは一瞬の躊躇いもなく、首を小さく縦に振った。
「ええ。それに、彼女らを道具扱いする点についてはさておき、彼女らが使えないという評価は間違いですよ。正しくは、貴方が彼女たちをうまく扱えなかった、です。そこを履き違えるようだから、貴方は自分の手札を失くしてしまったのですよ……他ならぬ、ご自身の手によって。欠陥品などと言った貴方が彼女らに対して向けている評価は、真実貴方にこそ相応しいということをそろそろ理解なされたらいかがですか」
彼の正直に過ぎる返答と、それに付随した毒舌にセルウスは歯ぎしりした。
自身の快に繋がらないラストの言葉が、彼には実に耳障りに思えて仕方がなかった。
「――契約を結んだのだろう、我が父上と。オーレリーの騎士は一度交わした約束に背くほど愚かなのか、ええ?」
「言ったでしょう、そのようなことをした覚えはないと。それとも、そのような証拠に心当たりがおありで?」
「心当たりだと? そんなものが必要か――親父殿がそう認識していたはずだ! だからこそお前も悠々自適に我が屋敷を歩いていられたのだろうが!」
「言葉は客観的な証拠にはなり得ません。僕はただ、アヴァル様が都合の良い勘違いをなされていたようなので、それに乗っからせていただいただけですよ。僕は徹頭徹尾、僕自身の目的のために動いています。――貴方がたヴェルジネア家の目的など、僕の知ったことじゃないさ」
「白々しい……っ! さてはお前、最初から怪盗の味方だったのだな!」
ついに敬語を外したラストに、セルウスが余裕の表情を完全にかなぐり捨てた。
「いや、僕はアルセーナの味方じゃないよ。信じられないかもしれないけれど、僕はここから彼女と肩を並べて君と戦うつもりもない。なにせ、この娘や君の元配下を治療しなくちゃならないからね」
一方、ラストはセルウスの怒気をそよ風のように流しながら、腕の中のゼロと、傍に立っていたドゥーゼを見やる。
「セルウス、君がなにかを為したいのなら、それは他ならぬ君自身と、君に心から付き従う誰かの自由意志によってやってくれ。君の撒いた問題の責任は、君一人で取れ。これ以上余計な人を巻き込むことは、僕は認めない。――じゃあ、また後で会いにくるよ。戦いに決着がついた時にでもね」
セルウスの反応を求める必要を認めず、まだ何か文句をつけようとした相手を無視して、ラストは現れた時と同じように刹那の内に彼らに悟られることなく姿を消した。
それと同時に、ゼロもドゥーゼもまた彼と共に視界から消え失せていた。
怒りをぶつける対象を見失ったセルウスは、代わりとばかりに誰もいない空間へ向けて叫ぶ。
「――なんなんだ、あいつは!? 急に姿を見せたかと思えば、わけのわからない言い分で好き勝手していって……自由意志だと!? そんなものを道具に認めてたまるものか! どいつもこいつも、なんだって自分勝手なやり方を俺に押し付けようとする!? いい迷惑だ、偽善がそんなに好きなら自分たちで勝手に満足していれば良いものを!」
「……それは、彼らが貴方に言っているのと同じことですわ。誰かに自分の意思を無理やり押し付け続けてきたこれまでの振る舞いが、今の自分に返ってきているだけなのです。この事態を招いたのは貴方なのです、責任を負えるのも貴方だけ……さあ、もう一度剣を抜いたらどうですか。もう、貴方が責任を転嫁できるものはなにもないのです。その怒りを発散したければ、彼の言った通り、自分でやるしかないのですから」
「くそが――ええい、そこまで言うのならお望み通りやってやろうじゃないか。覚悟しろよアルセーナ。手数が減ったところで楽になったと思わないことだ。お前が相手にしているのが誰なのか、思い出させてやるよ……」
セルウスが感情の赴くままに適当に剣を引き抜こうとする。しかし、その動きが途中で止まった。雑な手つきのせいで刃の何処かを鞘の内側に引っ掛けたのか、がちんと彼の剣が姿を現わす途中で止まった。
「お前もか! このっ……」
中途半端な状態の剣と鞘を丸ごと地面に叩きつけようとして、彼はそれまで捨て去ってしまえばさすがに不利になると悟ったのか、途中で思いとどまった。
そうしてのろのろと剣を構えた彼の姿自体は、先ほどと大して変わらない。
――しかし、アルセーナはそのありさまにもはや脅威を感じなかった。
彼女の父と言い兄と言い、手にしたものの本当の価値を理解出来ぬままに浪費していく。その異常性を憎み、嫌悪し、理解できない恐ろしい敵として恐れていたが、その実、彼らはただ与えられた権力というおもちゃを好き勝手に扱うだけの子供なのではないか?
その権力が通じる相手には決して叶わない強大な相手に見えても、ラストのような権力の通じない相手と一度相対すれば、その化けの皮は簡単にはがれてしまう。力に甘えるだけで全てが済み、内面を成長させる必要を知らなかった彼らの真実の姿は、アルセーナにとって今やとてつもなく小さなものに見えてならなかった。
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