第177話 揺らがぬ風に揺らぐ風


「覚悟しろよ? もう、お前を生かしておくような温情など与えるものか。まずはお前を我が剣技であの世へ送り、夜が明ければその随伴者としてあの男も直ちに送りつけてやる。ありがたく思え、この手で直々に葬ってやるんだからな」


 セルウスが握るのは、貴族の子女に相応しき金銀の装飾が施された名剣だ。柄にはヴェルジネア家の家紋を刻んだ翠玉エメラルドが埋め込まれており、魔剣にあらずとも十分に人の目を惹く凝った造りとなっている。


「直接手を下すために配下を自らの判断で切り捨てるような、高貴を自称する方々のお考えは私には理解しかねます。私如きの浅慮など遠く及ばぬ方の剣を我が血で濡らすなど、とてもではありませんが畏れ多いことですわ」


 一方のアルセーナが握るのは、本来は武器になどなり得ない日除け傘。それも、花も恥じらう乙女には似つかわしくない、渋皮色の大人びた生地が張られた地味な一品だ。

 その切っ先と石突きを互いの目線に合わせ、武器を構えた二人は弧を描くようにじりじりと距離を測りながら相手に接敵する機会を窺う。

 彼我の距離は既に魔法ではなく剣の間合いとなっている。相手を一撃で仕留め得るほどの呪文を詠おうとすれば、それが完成するより先に武器が相手の喉元を切り裂くことだろう。剣と並行して魔法を詠唱する技能があれば話は別だが、二人にはそれが備わっていないが故に、自然と剣による一騎打ちの様相を呈することになるのだった。

 運命を己が武器に託して、彼らは先手後手を譲り、奪おうと視線の火花を散らしあい――前哨戦として口撃をぶつけ合う。


「そうかよ。であれば自害すると良い、親父殿の宝物庫には対象を可及的速やかに、なおかつ苦痛を与えない毒薬があったな。それでも飲んでみせたらどうだ?」

「毒薬による自死は御身にこそ相応しいと存じますわ。それか自刎でもしてみませんこと? こちらもまた、高貴なお方がたにはお似合いの結末ですわよ。……もっとも、貴方自身がそれに似合う存在と思っていらっしゃらないのでしたら、それを避けるのも無理のないことですけれどね。ふふっ」

「ほぅ、まるで俺が臆病だと言っているように聞こえるな。こっちの勘違いか?」

「なにか間違いでもありましたかしら? 配下に任せて自分は後ろに引き篭もるばかりの腰抜け様を臆病と評することの、どこに問題があるのでしょう?」

「言ってくれるな。――ならば教えてやるぞ! その身体に、見誤った俺の真の実力を痛みと共に刻み込め!」


 先に静寂を打ち破ったのは、セルウスの方だった。

 彼は剣を上段に掲げ、アルセーナを骨ごと一刀両断に斬り伏せるべく強化魔法を唱える。


「風よ、我が尊き命を拝し殉ぜよ! この身に宿りて権威を振るう一助となれ――【風鳳強化ヴェン・フォルス】!」


 セルウスの背後に魔法陣の輝きが編まれる。魔力を変換した風の疼きが四肢を加速させ、唸る風が五体を覆う鎧と化す強化の魔法だ。

 常人を超えた速度で駆け出したセルウスの体表から、余剰な魔力が噴出してその身体を一際大きく見せる。

 ラストであれば見るに堪えない魔法構成だと評する光景だが、セルウスは逆に魔力の輝きに満たされた自分を見て笑みと自信を深めた。選ばれし高貴な血筋の証拠である魔力が自らを満たすこの姿を、彼は殊更に一般人との格差を示すものとして気に入っていた。


「そら、この剣が腰抜けのものと言うなら受けてみろよ! それとも逃げるか、ええ!?」


 魔力と自信を全身に漲らせて、セルウスが剣を直上から振り下ろす。

 それを同じく強化された瞳で見据えていたアルセーナは、挑発につられることなく冷静に後ろへと三歩ほど下がった。

 それだけで風切り音は彼女の目の先を通り過ぎ、石で出来た床を大きく陥没させるだけに終わってしまった。アルセーナの身体には、かすり傷一つついていない。


「逃げますわよ。私は貴方と違い、まだ打ち倒すべき敵が残っていますから。無駄な力を使わないに越したことはありませんわ」


 標的を見失ったセルウスの剣は、床に半ば嵌ってしまっている。

 そこへ、アルセーナはお返しとばかりに容赦なく傘を閃かせる。

 矢のように傘を構えた腕を身体の後ろへと引き絞り、彼の剣を握る両腕を貫こうとする刹那の二連撃を放つ。骨を砕いてしまえば、強化魔法を使おうとも剣を握ることそのものが出来なくなる。


「そんなものが当たるかっ!」


 だが、セルウスもそう容易くやられる気はないようで、強化魔法で底上げされた腕力で無理やりに剣を引き抜いて彼女をその傘ごと切り裂こうとする。


「あら、とんだ馬鹿力ですわね」


 掬い上げるような一撃から、アルセーナは無理をすることなく右方へと蝶のようにひらりと回避した。

 それと同時に、今度は再び大振りとなったセルウスの隙である肩を貫こうと画策する。


「やらせるものかよ! ちょこまかと――羽虫のような動きで俺を倒せると思うな!」


 更に身体を力ませて、セルウスは彼女の傘より早く強制的に剣を引き戻した。その動作に巻き込まれることを避けるべく、彼女はまたもやセルウスの斬撃の範囲から飛び退いた。

 ――そこから先は、今のやり取りの繰り返しが何度か繰り返されることになる。

 全てを圧壊するほどの勢いを持つ強化魔法の力に身を任せ、屋敷を破壊しながらに大振りの攻撃を繰り出すセルウス。

 それを舞うような歩調で軽やかに避けながら、隙間を縫う蜂のように執拗に穿とうとするアルセーナ。


「そらそらそらぁっ! いつまでその調子で逃げ続けていられる!? 諦めの悪い女め、いつまで自分が勝利できるという万に一つもない可能性を夢見ているつもりだ!」

「いつまでも、叶い続けるまでに決まっているでしょう。万に一つもないと仰いましたね? ならば一億分の一でも、一兆分の一でも、諦めることなく追い続けるのみですわ。親のお金で叶うような矮小な夢ばかり見ている貴方とは、諦めの悪さが違うのです」

「そうかよ! まったく、いつまでも減らない口だ!」


 先ほどまでの情けない姿はどこへやら、セルウスはすっかり調子を取り戻したようだ。

 彼の圧倒的な力を前に、逃げるばかりに見えるアルセーナ。時折ちょっかいを出そうとするものの、その全てが失敗に終わっている。どう見ても優勢なのは自分であるとの意識が彼の暗い情熱に再び息を吹き返させ、彼女を嘲笑いながら剣を振るう。

 残る無事だった天井を砕き、壁に穴を開け、床を崩す。

 力を示しながら怪盗を翻弄し、追い詰めていることに揺るぎない自信を抱くセルウス。

 ――しかし、アルセーナは一向に傷を負う気配を見せず、絶えない微笑を浮かべ続ける。

 そのことに、彼はまたもや少しずつ苛立ちを募らせ始めた。


「――まだ倒れないか! しぶといものだ……早く倒れるがいい!」


 貴族の男子として王都の英雄育成学校に数年通い、優れた教官の下で魔獣との実戦を積んだという自負。

 男として、女よりも戦いに優れた肉体を生まれながらに持っているという優越心。

 そして、栄えある貴族の血筋に純血として生まれたという自尊心。

 ありとあらゆる要素でアルセーナより勝っているという自覚を持つセルウスは、手駒がいなくとも優勢であらねばならなかった。そうでなければ、彼は自分の冷静さを保つことが出来ない。

 それに対して、現実はどうだろうか。

 一瞬の内にねじ伏せられてしかるべきのアルセーナは未だ己の前に立っている。

 それが彼の自信に、感情に。その魂に、揺らぎを与える。

 ――もしかしたら、自分セルウスこれ女怪盗に負ける可能性もあるのではないだろうか?

 その疑問を自覚した途端、彼の強化魔法陣に僅かな綻びが生まれる。


「――ぐぅっ!? 貴様っ、よくも……おおっ!」


 その隙を寸分違わず穿ち、ついにアルセーナの日除け傘がセルウスの頬に傷をつけた。

 薄皮一枚、たった一筋の赤い滲み。

 しかし、その痛みを訴えた箇所を拭うと同時に、彼はいつの間にか自分が膨大な汗をかいていたことに気づいた。僅かな血液の跡と、それを上回るぐっしょりとした染み。

 彼は続いて、自分の身体が大きな疲労を訴えていることに気づき始めた。無茶苦茶な剣の軌道によって痛んだ筋肉と関節、酸素不足で深い呼吸を訴える肺。興奮によって忘れていたそれらを自覚した途端、彼はどっと身体が重くなったように思えた。

 強化魔法ですら隠し切れない肉体の歪み――それを自覚し、焦りが更に心へと圧し掛かれば、セルウスの魔法は更に弱化する。

 より精密に魔法陣を描くほどに、魔法は真の力を発揮する。それに反して感情による魔力の揺らぎが生まれれば、その分だけ陣の形は崩れて魔法の効率が低下する。


「っ、うぐぁっ! この、生意気なっ! 俺の身体に傷をつけるなど、なにを考えて――っ!」

「殺そうとした相手に傷をつけられたくないなど、そのような貴方にだけ都合の良い道理がまかり通ると思いましたか?」


 それを切っ掛けとして、アルセーナはセルウスの身体に幾筋もの傷をつけていく。

 二の腕、太腿、肩、脇腹。側頭部、耳たぶ、足の甲……。

 強化魔法に揺らぎのない彼女の刺突が、薄れた風の防護を突き破り、切り刻む。

 血が全身を染め始めたセルウス――対照的に、彼は相手に未だ一撃も与えられていない。


「くそっ、段々と速く……なにがどうなっている!」

「いいえ。私が加速しているのではありません。貴方が遅くなっているのです」


 セルウスの強化が弱まり、彼の速度こそが通常のものへと近づいている。

 自身の動きを正しく分析出来てていれば、彼もまた自ら気づくことが出来たかもしれない。

 だが、この屈辱的な光景を前にして頭に血が上り、セルウスの判断力は大きく鈍っていた。

 彼女に言われて初めてそのことに気づき、その情けなさによって更に内心の怒りが加速する。


「このっ、痴れ者が――平民の味方などといった下らない偽善にしか己の価値を見出せないお前のような奴に……っ! 俺が――このセルウス・ヴェルジネアが負けるだと?」


 その一言が、かえって彼に冷静さを与えたのかもしれなかった。

 赤く染まっていた頬から、怒りの熱と共に血が引いていく。

 一周回って感情の暴走が鎮まり、正常な思考を疑似的に取り戻したセルウスは自身の置かれている状況を言葉にして正しく認識する。


「そんなことがあってたまるものか……だが、このままでは奴の小手先の技で好きなように料理されるばかりなのではないか……ああ、ふざけるな。面倒な。なんて、生意気な……こうなれば、いっそのこと、究極の一撃で全て粉砕してくれよう……蝶のように舞おうと、蜂のようにしつこかろうと、全て全て、俺の全身全霊の一撃で切り裂いてくれる……!」


 アルセーナの刺突を浴びながら、それを意に介することなく不穏に呟いたセルウスが、この戦いの中で初めて後ろへと下がった。

 それは紛れもなく、これまでの彼の態度とは一貫しない弱者の行為だ。


「あら、逃げるのですか? 先に諦めたのは貴方のようですね。意地の競り合いは私の方に軍配が上がったと判断してもよろしいのですか?」

「はん、誰がお前などを勝たせるものかよ。こうなれば仕方ねえな。――せこいコソ泥如きには相応しくないと思っていたが、そうも言っていられないようだ。これ以上貴様の好きなようにさせてたまるものか。俺の最大最強、ヴェルジネア家に代々伝わる至高の剣技でぶっ飛ばしてやるよ……さあ、覚悟しろ。これは本来お前のような奴にはもったいない、秘伝の技なんだからなあ! もう降参を叫ぼうと知ったことか、完全に粉微塵にしてくれる! 強化、解除――風よ!」

 

 背負っていた強化魔法を解き、セルウスが新たな魔法の詠唱を始める。

 そこに垣間見えたのは、これであれば絶対にアルセーナを仕留められるという迷いのない狂気。

 その発露を元より断つべく、彼女もまたこれまで受け手一筋だった戦法を変えて、セルウスの下へと疾く床を蹴った――。

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