第165話 理想的な、つまらない答え
規律の取れた大人のような堅苦しい鉄面皮が剥がれ、途端に年相応の子供のような純朴さを滲みださせたラスト。その予測よりも
「ははっ、その反応からして本当にそうだったとはな! 生粋の聖処女みたいな我が妹の選んだ男だから、ひょっとしたら主従揃って初体験がまだなんじゃないかとふと思ったんだが。まさかそれが正解だったなんてな。こいつは驚いた。けどなぁ、そんなに恥ずかしがらなくたっていいだろ? 男なら猥談の一つや二つくらい、笑って乗るもんだろうに。なあ?」
「……生憎と、そのような物とは無縁の生活を送ってまいりましたものですから。セルウス様のご期待に沿うことが出来ず、申し訳ありません」
ラストとて、エスと共に過ごす中で何度も肌を重ねた経験はある。とはいえ最後まで迎えることは決してなく、それらは文字通り、添い寝をしたり互いに按摩を行う程度のものに過ぎない。
その中で幾度となくわざとらしい誘いをエスが見せつけたこともあったが、ラストはその全てを理性を全集中させて弾き通してきた。
だからこそ、だろうか。
自分とは異なる異性の――それも頂点に位置する美貌をわざとらしく押し付けられたりしたラストの中には、悶々とした解消しようのない想いだけが蓄積されていた。あまりそちらの方面には触れたくなくて、それでも考えずにはいられない。
かと言って、いくら相手が歓迎の意思を示しても、それが好意を持っている相手ならばなおのこと、表に出すことなど出来やしない。それはラストの持つ幼き男としての意地だった。
そうして彼は良くも悪くも師匠のおかげで夜のお誘いに対しては鋼の如き耐性を身につけることが出来たものの、その方面に関する話題については軽々しく話すこともできず、依然として慣れないままだった。
ラストはすぐに無表情の仮面を被り直したものの、頬の朱色まではすぐには隠せない。
精いっぱい意地を払おうとする目の前の少年に、セルウスは意地悪そうな笑みを浮かべて近づく。
その肩を優しく叩きながら、彼は愉しそうな声でラストに語り掛けた。
「いやいや、別に怒ったりとかしてるわけじゃないぜ? そうだな、下手に夜遊びして余計な病気を運んでくるような阿呆よりかはよっぽど良いに決まってる。……だけどな、いくらなんでも何の経験も無いっては年頃の男としてどうかと思うぜ?」
「おい、セルウス。その辺りにしろ。あまり揶揄うな、そやつの機嫌を損ねるつもりか」
「そんなつもりは微塵もないさ、親父殿。俺はこいつのためを思って話してるんだぜ? ――そらお前ら、遠くにいないでもうちょっとこっちへ来い」
セルウスが手招きすると、壁際に控えていた三人の少女が近づいてくる。
その動きは人間と言うよりも機械仕掛けの人形のように見えて、一切の淀みがない。足音一つ立てず傍へ寄った彼女らにその主が手を伸ばして、更にラストの方へと押し付けるように引き寄せた。
ひたりと影のように立つ女中姿の少女が、彼と対面する。
――その青
そこに呑まれかけたラストの頬をぺちぺちと叩いて正気を取り戻させながら、セルウスが機嫌良さそうに鼻を鳴らした。
「ふっ、そんなに気にいったのか? だったらちょうど良い」
彼は名案だとばかりにラストの背中を押して、更に少女たちとの距離をもう一歩だけ縮めさせた。
「人生の先輩からの贈り物だ。――そこにいる奴らの中から一人、好きなのを選んでいいぜ。んで、今日はここに泊まってしっぽりヤッてけよ」
「――はぁっ!?」
「なんだ、実は外で誰かに見られながらってのが良いのか? それならどこかに連れ出すのも結構。だが、虫には気を付けるんだな。もしアソコを噛まれたりでもしたら、大変なことになっちまうからな。腫れて夜も眠れなくなるらしいぞ?」
「いえ、そういうことではありません! ……僕はそのようなことはっ」
セルウスの勘違いを訂正しつつ、ラストは慌てて少女たちから距離を取った。
咄嗟に部屋の壁に背中を張りつけるほどの遠くに飛び退いた少年を、発案者の青年が呆れた目で見やる。
「未経験も悪くはないがな。あまりに慣れてないと逆に、いざ本番を迎えた時に恥をかいちまうぜ? なにも種馬みてえに何回もバカスカとヤれって言ってるんじゃないんだ。ほんの一回こなしときゃ、オーレリーと熱い夜の抱擁を交わす時も情けねえ面を見せずに済むって話だ。なーに、俺に気を使う必要はないぜ。ぶっちゃけそいつらも使い飽きてきた頃合いだからな、なんなら譲ってやってもいいくらいだ」
本当に惜しげもなさそうな顔を浮かべながら、セルウスは両手を身体の横に広げて肩を竦めた。
「ちなみに避妊具は使うなよ? 豚や羊の小腸なんて、気持ち悪い上に滑りが悪くなっちまう。それに、んなことしたらお前の子種が手に入らないからな」
「……なにをしたい、いえ、なさりたいのですか?」
「簡単だよ。童貞を卒業するのと引き換えに、その優秀な才能をガキの一人分俺にくれってことさ。それくらい安いもんだろ? どうせなにもなきゃゴミ箱に捨てるだけなんだから、ちょっとくらい譲ってくれてもよ。お前は妹との将来に備えられて、俺は力自慢の騎士を簡単にぶっ潰せるような優秀さを持つ未来の配下を手に入れられる。なにもお前本人に主人を変えろって言ってるわけじゃないんだ、これは俺にとってもお前にとっても好都合な取引さ。違うか?」
一人の子供と、色事の初めての経験を交換する――ヴェルジネアの次兄の提案はつまるところ、そういうことだ。
それを理解したラストは、すぐさま返す答えを決めると同時に、既にそれを口に出していた。
「はい。違います」
「……なに?」
ぴくりと眉を怪訝そうに動かしたセルウスは、どうやら断られるとは思っていなかったようだ。
「正気かお前?」
妹にさえ肉欲に素直になれと説く彼の常識においては、据え膳に手を付けないことは考えられもしない選択だった。
自由に手をつけて良いと言われ、貴族のものであるが故に性病を持ち合わせていないことも簡単に想像がつく。そこまでの好条件を揃えられたのならば、迷うことなく全員を抱く。それがセルウスにとっての当然であった。
オーレリーと同種の人間に見えようと、一皮剥けば中身は自分と変わらない雄に違いない。そう思っていた彼の頬を、ラストの発した拒否が全力で殴りつけた。
「私は……僕がお付き合いすると決めている相手は、初夜で手間取ったところで嘲笑うような人ではありません。だというのに、どうして自分の方から相手を裏切るような行為を為すことが出来るでしょうか。僕は僕の決めた彼女ただ一人だけを愛し通します。それ以外の人と交わるようなことは、未来永劫行うつもりはありません」
「……理想的な答えだな。甘い、甘すぎる砂糖菓子のような模範解答だ。耳が痒くなってくる」
セルウスは顔を苦々しく歪めながら、鳥肌の立った二の腕を掻いた。
それでもラストは恥じることなく反駁する。
「そうでしょうか? ――それに、僕に子供の運命を勝手に決める権利なんてありませんから。子供は子供のしたいようにすべきで、親になったのなら時折厳しく接することはあっても、出来る限りその背中を押すことに全力を注ぐべきだと思います。ですので、申し訳ありませんがそのお誘いはお断りさせていただきます」
自分の経験を含め、きっちりと自分の想いを最後まで語り切ったラスト。
彼に思惑を徹底的に外されたセルウスは、先ほどまでの打ち解けたような雰囲気を裏返したかのように顔を歪めた。
「……つまらんなあ、実につまらない男だ」
その見下した呟きを受けても今度は微動だにしなかったラストに、セルウスはいっそう不愛想に目を細めた。
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