第163話 先手を取るために


 都市ヴェルジネアの核心部、多くの富が集約された豪華な中央街。

 落ち着いた雰囲気の平民街とはまったく異なり、派手派手しい煌びやかな表現が所狭しと自己主張していて、慣れない者は目がくらんでしまうだろう。

 まだ太陽が中天に位置するより、少しばかり早い刻限。

 窓から吹き込む心地よい朝風を堪能しながら、ラストは中央街の更に中央――都市に存在する貧富格差の権化にして、その象徴たる領主の館を堂々と歩いていた。

 プリミスとの交渉を成功に導いた代償として寂しくなった廊下を通りつつ、周囲に誰もいないのを見計らってラストは小さく呟いた。


「……いきなり怪盗の撃退に協力しろだなんて言われた時は正直イラっときたし、断ろうとも思ったけれど。お誘いに形だけでも乗っておいたのは大正解だったね。おかげでこうして屋敷の中を自由に歩き回れるんだから」


 やろうと思えば、ラストはプリミスとして実行したように誰にも気配を悟られることなく屋敷内を気の赴くままに歩き回ることも出来る。

 しかし、どうせならばなんの気兼ねもなく出歩ける方が良いのは言うまでもない。

 その点では、アヴァルとの間に結んだ偽りの契約も役に立っていた。


「どこからともなく現れる怪盗の侵入経路を暴いて、先回りするため……これっぽっちの目的を伝えただけで屋敷を好きに見て回れる許可が貰えるとまでは思ってなかったけれど。案内役って名前の監視をつけられたりもしなかったし……」


 ラストが試しに真上を確認してみても、誰も蜘蛛のように天井に張りついていたりはしない。床下に潜り込んでいる気配もなく、壁の向こう側にも聞き耳を立てている人間はいない。

 これ以上ラストの機嫌を損ねないための、アヴァルからの気遣いだろうか。


「そう言えばさっき挨拶した時もなんでか腰が低かったし、突然訪れたのにやたらと素直に許可を出してくれたし……もしかして、この間のことがまだ響いてるのかな?」


 彼がアヴァルからの攻撃を微動だにせず防ぎ切った挙句、返しに鼻先へご自慢の雪銀剣アル・グレイシアを突き立てたのは三日前のことだ。

 彼としてはあの場面でアヴァルに自分の要求を問答無用に通すことだけが目的だったのだが、それが数日経っても未だ尾を引いているとまでは予想していなかった。

 とはいえ、それも無理のないことなのかもしれない。

 幼い頃から戦いの心得を叩き込まれていたラストには、目と鼻の先に剣を突きつけられた程度で萎縮するような普通の感性は残されていなかったからだ。そこには、幼馴染が顔を見れば斬りかかってくるような人斬り娘だったことも、多少なりとも影響しているかもしれない。


「まあ、変に疑われて難癖をつけられるよりは楽で助かるよ。またあんなやり取りを繰り返したりするよりはずっと良いに違いないからね。さて、色々と見させてもらおうかな……彼女のために」


 もちろん、ラストにはアヴァルらに利益をもたらす類の思惑は微塵も存在しない。

 彼が屋敷の探索を行うのはもちろん、オーレリーの命を守るためだ。


「――今回の舞台は、オーレリーさんにとって一世一代の大勝負だから。そこに介入するのなら、僕だって適当にやるわけにはいかない。そんなのは彼女に失礼だし、もし失敗したらお姉さんに胸を張れないよ。下調べの段階から、入念にしておかなきゃ……」


 歩幅で廊下の幅や長さを計り、階段の数を一つ一つ丁寧に数え、まずは屋敷そのものの構造を詳細に確かめる。

 その上で警備の巡回経路や各部屋の果たしている役割などを確認し、それらの情報を逐一脳内の地図に叩き込んでいく。

 なにせ、オーレリーは次の舞台となるヴェルジネア邸について熟知している。

 彼女は自身の生まれ育った屋敷についてあまり良い感情は抱いていないが、それでもラストに比べれば一日どころでは済まされない長がある。

 オーレリーの思惑を防ごうとするなら、ラストは常に彼女より一手先に動かなければならない。


「彼女も怪盗家業が長いからね。僕も最善をつくすけど、万が一出し抜かれないとも限らない。見事な手際で煙に巻かれてしまったりしないように、全力で挑まないとね」


 そうして彼が油断なく屋敷の内装について目を光らせていると、壁を透かした先に偶然オーレリーの魂を見つけることとなった。

 てっきり今日も外へ人助けに出向いているのかと思っていたため、ラストはついまじまじと彼女のことを見つめてしまった。


「今日は外に出てないのかな? いや、休憩のために戻ってきたと考えた方が自然だよね。……いや、待てよ。おかしいな、あんなところに通じる道なんてあったかな……?」


 彼女の魂が瞬いているのは、先日の怪盗騒ぎでアヴァルともう一人のヴェルジネアが待ち構えていたような地下だ。

 しかし、ラストは既に軽く屋敷の中を一蹴していたが、そこへと繋がる通路を見つけた記憶がなかった。


「そう言えば、この屋敷には地下空間があったんだったね。忘れてた、そちらの方もきちんと把握しておかないと。アヴァル氏からも屋敷を隅から隅までじっくり見て良いって言質を取ったし……そうだ、ついでに彼女にも挨拶していこうかな? ――いや、やっぱり止めておいた方が良いかな」


 地下の部屋へと繋がるであろう隠し通路の入り口になりそうな場所について考えを巡らせながら、ラストはうんうんと頷く。


「次に出会うのは満月の下で。そう、僕の方から約束したんだから。ここで出くわしたりしたら、彼女も拍子抜けしちゃうかもしれないしね」


 彼はそのまま、屋敷の中央を貫く螺旋階段の方から近づいてきた厄介なグレイセスとの邂逅を避けるように、その真逆の方向へと向かうのだった。

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