第161話 問いと答え
アヴァルはラストの反応を一切顧みることなく、ぺらぺらと気の赴くがままに舌を走らせる。
「我が屋敷にて警備の任に就き、怪盗が出現したならばいち早く急行し足止めせよ。なに、捕まえられずとも許す。貴様が時さえ稼げば、私が直々にこの崇高なる魔剣【
目の前に膝をついたラストが自身の目論みに従うことを確定事項と見做し、その行動の予定を好き勝手に埋め立てていくアヴァル。
直視せずとも分かる――流暢に話す彼は今、己の魔剣に頬擦りでもしているに違いない。
多大な犠牲を払って手中に収めた魔剣の秘めた強大な力に酔いしれるアヴァルの下で、頭を垂れたラストは忠義や尊敬などとはほど遠い表情を浮かべていた。
「もし怪盗の捕縛に成功したとあれば、そうだな。金貨五十枚の報酬をやろう。嬉しいか? そうだろう。騎士どもには月に三十枚くれてやっている。うまく行けばお前は月の終わりに八十枚もの金貨を手にすることになる。このような古びた、かび臭い場所で地道に汗水垂らして働くことになんの価値がある、ン? 少しでも脳味噌があるのなら、私の下につく利益を理解出来よう?」
つらつらと並べられる重みのない言葉を右から左へ聞き流すラストは、ひたすらに無反応を貫く。
彼の心はアヴァルの語る目先の報酬程度には塵一つ分ほども揺らがない。
アヴァル・ヴェルジネアの配下となることで得られる利益など、ラストの掲げる目標に比べれば風の前の塵に等しい。
むしろ、それは彼の目指すべき未来の前に聳える障害に他ならなかった。
故の無言。
しかし、アヴァルはラストのその態度を、不足している報酬に対する不満の表明として捉えた。
「これでも足りぬというか。まったく贅沢な奴だ、せっかく私が直に出向いて勧誘してやっているのに何様のつもりだ――いや、一度くらいは許してやろう。私は寛大なのでな」
声に不機嫌な響きを交えたアヴァルだが、すぐに訂正する。
魔剣を持ったことによる気持ちの余裕もあってか、どうやら一時の苛立ちよりもラストを
「ならば、オーレリー
ぴくり、とラストが肩を震わせる。
彼の顔を見ることが出来ないアヴァルはそれを好反応だと捉えたようで、その提案を裏付けるような言葉を次から次へと盛っていく。
「口煩い娘で嫁の貰い手も見つからんと思っていたが、あれの騎士となれるならば相性は悪くなかろう。なに、夫を持ち子を孕めばあの生意気な性格も落ち着く。娘の騎士を辞し、夫となれラスなんちゃら。そして私の騎士となるが良い。そこの、一応は優秀と評される騎士どもの不意打ちをなんなくいなし、私の試験を乗り越えたのだ。続けて盗人に罰を与えられるのならば、その程度は許してやろう。我が一族の末席ともなれば、平民の身分では一生手の届かない至上の極楽を味わえるのだ――さあ、来い」
ラストが後に付き従うことを微塵も疑わないような足取りで、アヴァルは来た道を戻ろうとする。
彼は頭を上げず、率直に答えを返した。
「お断りします」
「――なんだと?」
足を止めたアヴァルの位置から、凍り付くような冷気が漂い始める。
【
「僕とオーレリーさんの関わりについては、たとえその御父上であろうと指示される謂れはありません。第一、僕は金や彼女の身体と言った俗物的な報酬が目当てで付き従うことを決めたのではないのですから。そして、ユースティティア騎士法第八条。騎士は二君を抱くべからず。騎士として彼女を仰ぐと一度決めた以上、僕の騎士道が他の誰かに靡くことはあり得ません。たとえ、何があろうとも」
既にオーレリーと言う立派な主を心に定めたが故に、アヴァルに尻尾を振ることは許されない。
法を盾に拒否を示したラストだが、相手はそのような建前に拘るつもりはなかった。
アヴァルにとっては彼の意思こそがこの街の法律であり、それに逆らうことなど絶対にあってはならないことなのだ。
「許すのは一度きりと言ったな。面白いことを……その首と胴が別たれようと、同じ妄言をほざけるか?」
「無論。そして愚問です、アヴァル様。私の想いは首を絶たれた程度では揺るぎません」
こっそりと二人の様子を窺っていた周囲の人間からしてみれば冗談のように聞こえるやり取りだったが、ラストは彼は真実正直に宣言していた。
首を絶たれた程度で、死んだ程度で曲げられるものなら、彼の生はとうの昔に終わりを告げているのだから――。
「では試してやろう……私も、この剣の切れ味を実際に試してみたいと思っていたのだっ!」
生意気な平民を始末しようと、いきり立ったアヴァルが剣を構える。
抜けば玉散る、文字通りの氷の刃が一切の淀みなくラストの首を斬り落とそうと閃いた。
一連の流れを窺っていた人々が、次の光景を予想して悲鳴を上げる。
――訪れたのは、彼らが幻見したものとは真逆の未来だった。
「ぬぐぅぉっ!? ――っ!」
ラストの首と魔剣が接触した部位から、かぁんっ! と透き通った衝突音が響き渡る。
彼は微動だにすることなく、アヴァルの凶刃を生身で弾いたのだった。
そっくりそのまま跳ね返ってきた予想外の衝撃に、アヴァルは咄嗟に痛めてしまった手首を抑える。
「ぐっ……馬鹿なっ。そこらの鈍らならともかく、この魔剣で切れぬだと……?」
アヴァルは驚いているが、魔剣の切れ味そのものは通常の剣と変わりはしない。
切れ味を上昇させる系統の魔法陣を刻んであるならばともかく、ラストが【
魔剣は万能の特殊武具などではなく、人が予め仕込んだ効果を発揮することしか出来ない道具だ。
それを知らないアヴァルは、更に何度もラストを斬り捨てようと剣を振るう。
「このっ! ふざけるなっ! 何故っ!貴様如きっ! 愚民に、我が刃がっ! ――通らぬのだっ!」
だが、何度試そうと氷の刃は虚しく弾かれる。
その防御の正体は、ラストがアヴァルの剣筋が描く影に従って展開する魔力の盾だ。
よほど凝視しなければ視認することの出来ない、微小な魔力の防壁。
それを逐一魔剣の軌道上に張ることで、彼はアヴァルの凶刃を防いでみせていた。
「はぁっ、はぁっ……。この、痴れ者めがっ……」
やがて、アヴァルは疲労と自らに返ってきた衝撃の蓄積によって自ら地面に膝をつく。
見計らったように立ち上がったラストが、その情けない様を氷の魔剣よりも一際冷たい光を放つ瞳で見下ろした。
「――問いに対する答えを示せず、申し訳ありませんでしたアヴァル卿」
暗に剣の腕を嘲笑うラストの言葉に、アヴァルは何一つ返すことが出来なかった。
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