第160話 羨望故の問い掛けと
当初、ラストは騎士の嘆願を真面目に顧みるつもりはなかった。
「申し訳ございませんが、私は未だ勤務時間内の身でございますので。お客様ではない方々と私事で会話を行うことは了承いたしかねます」
「ああ……こちらは不意打ちを仕掛け、その上で無様を晒した身……貴殿に多大なる迷惑を被らせているのは重々承知の上だ……。だが、そこをなんとか曲げて、頼む。一つだけで良いのだ、我が問いに答えてはくれまいか……ごほっ」
ラストが構わず職務に戻ろうとすると、騎士は続けて懇願するように彼を呼び止める。
なんとも図々しい願いであり、ラストが応じる道理はない。しかし、縋りつくような声で乞われればまるっきり無視を決め込むのも難しかった。
とはいえ今のラストの本分は店員であり、その上では最優先すべき相手は騎士ではない。
騎士たちが本来頭を下げるべきなのは、長時間列を作って待機してまでデーツィロスでの食事に期待を寄せている来客だ。
「それを決められるのは私ではなく、長らくお待ちいただいているお客様方でございます。皆様が今少し貴方がたに時間を与えてくださると仰るのであれば構いませんが……どういたしましょうか?」
巻き添えとなるのを避けるべく身近な建物の影へと退避していた、二人組の女性客に近づく。
彼女らは先ほどまで待機の列の先頭に並んでおり、次に店内に案内される予定だった。
ラストが騎士の扱いを尋ねると、二人は顔を見合わせてから頷く。
「……まあ、少しくらいなら良いんじゃない?」
「思ってたより早く済んじゃったしねー。本当にちょっとだけよ? あたし達だって、お腹ぺこぺこなんだもん」
「お嬢様がたのご厚意に感謝いたします。――それでは騎士様、どうか手短に」
「ああ……済まぬ、名も知らぬ令嬢よ……。そして騎士ラスト、貴殿の――」
「そういうのは結構ですので、お早めに」
客でないどころか営業妨害を目論んだ相手にまで礼儀を尽くすつもりはなかった。
大げさで冗長そうな話の始まりを雑に切って捨て、ラストは騎士の口を急かす。
そもそも彼は既にオーレリーから騎士資格の剝奪を申し渡されており、騎士と呼ばれるいわれはないのだが――その間違いを指摘するのは時間の無駄でしかなく、あえて説明するほどの義理もない。
ラストは特に否定しようとすることもなく、騎士に冷たい目線で質問を促した。
「……貴殿がこうも強く在れるのは、やはり迷うことなく忠義を捧ぐことの出来る主を持つがゆえなのか。教えていただけないか……?」
騎士も負い目を感じているからか、ラストの非礼に文句を言うことはなかった。
求められた通りに兜の下から問うた騎士。
その声には、少なからぬ羨望が混じっているように聞こえた。
対して、ラストは淡々と即答する。
「確かに、オーレリーさんが素晴らしい女性であることに間違いはありませんね」
「ふっ、一切の逡巡なく断言されるか。そのように勇ましく胸を張ることが出来るとは、なんとも羨ましいことよ……。しょせん、仕えるべき主を誤った我らには勝てる道理もなしか……」
騎士が鉛空のように曇った雰囲気を醸しながら、がちゃりと鎧を物憂げに揺らす。
彼らとてアヴァルの傍若無人ぶりに思う所がないわけではないことは、満月の下でアルセーナと交わしていたやり取りから聞き及んでいた。
信念と実際に成す行動の不一致による弱体化は、確かに大きなものだろう。
――だがラストは、騎士の言葉に含まれていた、配下の強さが全て主の在り方次第で左右されるという点まで肯定するつもりはなかった。
「――ですが、完璧な人間などどこにもいません。聖女のような彼女だって、過ちを犯すことはありますよ」
オーレリーが魅力的な精神を持つ女性であることと、それに疑いを持つことなく従順に尽くすことは別の話だ。
ラストは騎士としてならば、彼女と自らの信念が一致する限りにおいて誰よりも忠実に彼女の意に沿うと誓った。
しかし彼女が歩むべき道を間違えたと見れば、決して共に堕ちる所まで堕ちていこうとはしない。たとえ袂を別つ結果になろうとも、オーレリーの過ちを正そうとする――騎士たちには知る由もない、現在の二人の関係のように。
「僕は彼女の間違いを見過ごすつもりはありません。オーレリーさんが進むべきでない道に走ろうとしたなら、それを全力で引き留めます。貴方がたも、仕える主を誤ったと無気力に嘆く余裕があるのでしたら、主の過ちを諫めるべきかと」
ただ主の言うことだからと愚直に従うのは、ラストからしてみれば忠義でもなんでもない。
むしろ引き留めるどころか背中を押すような今の【
「改善を諦め、思考を止めて。現状の流れに身を任せるがままに安易な偽物の忠義を貫こうとすることが己の腕を錆びつかせた……その自覚がお有りなのでしたならば、まだ取り返しはつくと思います。真に貫くべき騎士の誇りを内心に燻ぶらせているのではなく、まずは己の主に叩きつけてみてはいかがでしょうか?」
己が信じる正義から縁遠い行為に走る主を憂うばかりでなく、たとえ逆らうことになろうとも、誤っていると明瞭に示すことが真の騎士たる者の役割ではないのか。
そう、本来の予定を越えて自分なりの回答を表したラストに、騎士はしばし黙して――呟く。
「――それが出来れば苦労はせぬのだよ、少年……」
最後に深い後悔と苦渋を滲ませて、彼はがくんと四肢から力を失わせた。
どうやら気絶したようだ。
ラストは死に至るほどの重傷を与えるつもりはなかったが、身に纏っていた鎧ごと吹き飛ばすような打撃を加えたのだから、脳震盪くらいは起こしていることは間違いなかった。
それに加えて鞭打ちに打撲、骨も折れはせずとも罅が入っていることは推測できた。
本来ならば今のように会話する暇もなく気絶させるつもりだったのだが、相手が意識を保っていられたのはラストが手加減に失敗したからか。それとも、騎士の疑問に迷う現状を乗り越えたいという思いが強かったからだろうか。
いずれにせよ、気絶した彼らを起こしてまで問う議題ではない。
それよりも、とラストは今度こそ店員としての役割を果たすべく、先ほど会話した女性たちの方を向いた。
「大変お待たせいたしました。それでは、お座席の方へ――」
「――ふん、お前がラスなんとやらだな。曲がりなりにも優秀と言われていたこやつらを軽くあしらったその腕前、中々に素晴らしい。良かろう、私に仕えることを許す。精々励むが良い」
「……」
またか、とラストは深いため息を吐きそうになるのをなんとか寸前で堪えた。
そこらの相手であれば、このまま無視を決め込んでも問題はない。
――しかし、この聞き覚えのある無神経な中年男性の声は、立場上聞かなかったことにすることは出来なかった。
ラストが声の方向を向くと同時に、周囲の人間が慌てて地面に平伏した。
彼もまた続くように、一歩遅れて地面に膝をついた。
そうしなければ、この新たな来客は騎士たち以上に面倒な騒ぎを引き起こすであろうことは想像に難くなかったからだ。
頭上から差した影が、ラストに囁く。
「オーレリーの騎士だとは聞いていたが、娘に仕えさせるにはもったいない。実に見込みがある。合格だ、我が騎士となれラスどうとか。そして貴様が、あのコソ泥を討伐せよ」
ラストの都合を一切問うことなく、アヴァル・ヴェルジネアはその肩を【
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