第159話 風斧を魔にて穿つ


 握り固めた右の拳を腋の下にまで引き絞る。

 素人にも分かる殴打の構えを取って、ラストは騎士の片割れへと肉薄せんと疾走する。

 対して、相手は直剣を自らの目前へ楯のように掲げて防御の姿勢を見せた。

 甲冑を纏った騎士を原始的な手段で打ち据えようと目論むラストの真剣な瞳に、酸いも甘いもかみ分けたと自負する三十年来の騎士は鉄兜の下で失笑を溢した。


「……ふっ、その程度で我が守りを砕けると思うか」


 愚直に顔面へと狙いを定めるラストに合わせるように剣を動かしながら、騎士は一度取った構えを崩そうとしない。――自分たちが、これまでにラストの相手どってきた出来損ないの新人騎士どもとは格が違うのだと示すかのように。

 騎士の誇りたる兜を、剣を。

 たかが籠手も纏わない若人の拳で打ち抜けるわけがないと、騎士は驕る。


 ――彼らは知らない、ラストの拳に魔力の膜が極薄く纏われていることを。


 魔力とは、魂から漏れ出た無色の力だ。

 そこに強靭な意志を通して支配下に置くことが出来れば、髪より細い魔力の糸でさえ山のような金貨を束ねて宙に浮かすことも出来る。

 そして、その強靭な力を拳に纏わせたならば。

 それは、鋼鉄すら砕く破城槌となる。


「――では、まずはお一人」


 相手方の想定していた通り、ラストはまごうことなく正面から敵の刃へと挑んだ。

 彼の拳は解き放たれた剛矢の如く、左に渦を巻きながら射出される。

 間に挟まる空気の壁を貫き、よく研磨された鉄剣の鋭き刃へ。

 接敵。

 ラストの拳頭は刃を恐れることなく、更に勢いを増しながら、敵の刃をめきょりと抉るように凹ま始めた。


「――なっ!?」


 絶句する騎士は、驚きのあまり時間の遅くなった視界の中で、何の細工もないように見える肌色の拳骨が己の自慢の剣を砕き、抉り、凹ませながら進んでくるのを兜の奥から見た。

 そして、迫りくる拳が脅威であることに気づいた騎士が意識の漂白から立ち返り、対策しようとようやく別の構えを取ろうとすると同時に。

 ラストの薄皮一つ破れることのなかった魔拳が、分厚い鉄兜越しに騎士の思考を空の彼方へと殴り飛ばした。


「がっ――あぐっ!?」


 くの字型に変形した兜の下からくぐもった悲鳴を上げて、騎士が頭から地面へと倒され、その勢いのままデーツィロス前の大通りを転がっていく。

 その途中で放り出された鉄剣は、のたうつ蛇のように捩れた上でおおよそ三等分ほどに千切れ、無惨な姿になり果てていた。


「――このっ!」


 何度か頭を打ちつけながら土まみれになっていった相方が無事かどうかを確認するよりも早く、油断を瞬時に捨て去ったもう一人の騎士が牽制代わりに剣をラストへと投げつける。


「どうも――」


 それが単にラストに得物を与えるだけの失策だったとすぐさま気づかされ、舌打ちを一つ。

 気を取り直しながら、彼は背負っていた本来の得物を引き抜く。


「こちらならば今のようにはいかぬぞ! 覚悟するが良い、ラストとやら!」


 己の身長と同等の尺を誇る、肉厚の刃を先端に装着した大斧槍。

 それをなんなく取りまわし、ラストが自分の方へと振り向くよりも早く構えを取ったのは素晴らしい実力を持つ証拠だ――そう、一般的な騎士としては。


「――貸していただきますね」


 ラストは巨大な斧の放つ威圧感に怯えることなく、僅かに身体を反らして半身になることで投擲された凶刃の軌道から外れた。

 加えて、その柄が身体の真横を通り過ぎようとしたところを掴んで臨時の得物とした。瞬時に魔力を薄く全体に馴染ませる。鉄剣の構成要素をより強く結びつけるように働きかけ、同時にその周囲に厚さが蜻蛉の翅にも満たないほどの薄刃を構築。


 顕現させた真の魔刃で以て、ラストは騎士らの代名詞ともいえる巨大な斧槍にまたもや正面から挑み――戦斧部分を真っ二つに両断した。


「――なぁっ!?」


 目の前の信じがたい光景に、騎士はたった一言の驚愕しか漏らすことが出来なかった。

 ラストには、その刹那の叫びにどれほどの感情が、思いが込められていたかを推し量るつもりはない。

 このまま斬りかかれば鎧ごと相手の体まで断ち切ってしまう。いくら営業妨害とは言え相手を黄泉送りにして永遠の沈黙を与えるつもりはなく、ラストは剣を無造作に投げ捨てる。

 そして、彼は代わりとばかりにがらあきになった心臓を覆う胸部装甲へと魔力を纏わせた回し蹴りを叩き込んだ。


「げほっ!?」


 股関節、膝、そして足首。

 関節を段階的に駆動させることで三度加速された極太の肉鞭が、騎士の身体を左側へと強かに打ち据えた。

 足を宙に浮かせ、抵抗をなくした巨体が相方よりもやや強めに表通りを吹き飛ばされる。

 大路の端に寄って遠巻きに様子を見守っていた人々には当たることなく、その身体はデーツィロスから離されていこうとする。

 やがて彼は、ちょうど飛んで行った先に転がっていた相棒に引っ掛かって動きを止めた。

 通りに響く、金属が衝突した甲高い音。

 少しの砂が宙に舞い上って、騎士たちはそれっきり動く様子を見せなかった。


「――え、もう終わりかよ?」


 観客の全員の心を代弁するように、先ほどラストに尻餅を尽かされた男性客が呟く。


「はい、これにて終わりです」


 片や脳震盪で気絶しており、片や全身を鎧の内側に打ち付けて打撲を起こしている。

 起き上がろうにも、これ以上戦いを続けようとすることは難しいに違いないとラストは結論付けていた。


「お二人はしばらくは起き上がれないでしょう。皆様、お騒がせいたしまして大変申し訳ありませんでした。どうぞ次に為すべき日常のお仕事へとお戻りください。お待ちいただいていたお客様はこちらへ。お席へと案内いたします」


 ラストはまるで何事もなかったかのように、食堂の店員としてあるべき姿に戻ろうとする。


「……待ってはくれまいか、強き乙女の騎士よ」


 その背中に、相棒の上に乗っかって天を仰ぐようにして倒れていた方の騎士から声がかけられた。

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