第157話 譲れないもの
ラストは羽織っていたローブの内側から、新たな封筒を取り出してちらつかせる。
招待状と同じく、安物の茶封筒だ。だが、その中には決して安くはない値千金の情報が収められている。
オーレリーもそれを察したのか、緊張に顔を強張らせながらも自然とその動きを目で追いかける。
うまく興味を引けているようだと確信しながら、ラストは自分の要求を聞いてもらうべく彼女の名を呼んだ。
「オーレリーさん」
「はい」
「僕が、このアヴァル氏の弱点を渡すのに求める対価はね。君がこのヴェルジネアを再生しようとする上で死のうとしないことだ。
家族と同じように追放されるのではなく、君には生き残って今後のこの街を皆と一緒に盛り上げていって欲しい。それを約束してくれるのなら、僕も君の望む情報を差し出すよ」
「……やはり、そうきましたか」
「うん、僕は変わらず君にこれからも生きていて欲しいんだ。いや、生きていかなきゃならないと思ってる。僕一人の満足感のためだけじゃなくて、街の人々のためにもね」
ラストの要求を聞いたオーレリーは、さほど表情に変化を見せなかった。
ただ小さくため息を一つ吐いて、彼女は呆れたような声と共に彼を見返した。
「分かっていますわ。あれだけ熱烈に乞われたのですもの、あの時のことは忘れようと思っても忘れられませんわ」
ラストにデーツィロスで別れを告げた時のことを、オーレリーは鮮明に記憶していた。
頑なに彼女の死を拒もうと強く迫ったラストの言葉は、たとえふいにしたとしても、彼女の頭に強く刻み込まれている。
騎士と主君という上辺だけの関係を捨ててもなお、彼は諦めないだろうと想像するのは彼女にとって難しいことではなかった。
――だからこそ、彼女はここに至るまでに自身の口にすべき答えを既に固めてきていた。
オーレリーは一瞬だけ瞼を閉じ、眉間に深い皺を寄せて、難しい顔で迷う素振りを見せる。
だが、逡巡したのも束の間。
きっと大きく見開いた翡翠の瞳に月の光を鮮烈に映して、彼女は予定通りの返答を紡いだ。
「――分かりました。そのお約束、確かにお受けいたします」
先日の言い争いはなんだったのかと疑るほどに、オーレリーはすんなりとラストの求めに応じた。
「あれ、意外だね。あんなに……僕の命を懸けても突っぱねた君のことだから、てっきりそっちを選ぶにしてももっと迷うと思ってたんだけど」
「ここで貴方の情報に頼らないという手はありませんもの。早く解決すればするだけ人々の感じる苦痛が減るのですから。
その提案に乗らないわけには参りませんわ。私が死にたいと思うのは私の勝手だということは、よく分かっています。それと街の平和を天秤にかけた時、どちらを取るかは自明の理ですわ」
「ふーん……まあ、君らしい答えだと思うよ。ありがとう、オーレリーさん。良く決断してくれたね」
「これで良いのでしょう? 急かすようで申し訳ありませんが、さっそく情報の方をいただいてもよろしいでしょうか」
「そうだね。ほら、どうぞ」
ラストは人差し指と中指の間に挟んでいた手紙を、ぴっと投擲した。
くるくると回転して飛翔した封筒は、ちょうどオーレリーの足元に鋭く突き刺さる。
それを腰をかがめて抜き取りながら、彼女はラストの為した手品に半眼になった目を向けた。
「……このような真似をする必要性はあったのですか?」
「ははっ、せっかくそれらしい雰囲気の場面だから、少しばかりアルセーナの真似をしてみたくなったんだ。傷の方は後できちんと塞いでおくから、不問にしてくれると嬉しいかな」
「いえ、なにも賠償しろとは言っていないのですけれど……。良いでしょう、確認させていただきますね」
オーレリーがかさりと中身を覗く。
ラストは答えを箇条書きで記していた。
一つ、アヴァル・ヴェルジネアの懐に収められている首飾り型の魔道具。
一つ、同人の左の腰ポケットに入っている小指程度の魔道具。
この二つを掛け合わせることで、ヴェルジネア家の裏帳簿を手中に収める真の魔道具が完成する――、と。
「……二つで一つの魔道具、ですか。首飾りに、小指程度の……ああ、確かに父はそのようなものを肌身離さず身につけていましたね」
「ん、姿が分かってるなら話は早い。盗むのにもそう苦労はしないかな」
「ええ。盗もうと思えばいつでも盗み出せるものばかりですわ。なんなら、この間も知っていれば奪取出来ていたでしょう」
ラストの瞳では具体的な光景までは読み取れなかったが、オーレリーは先月の仕事の際に地下の宝物庫前で二人分の魂を地に沈めていた。
その内の片方はアヴァル・ヴェルジネアだった。
倒れてから動く気配がなかったことから、恐らく気絶させられていたのだろうと考えられる。
その間であれば、身ぐるみを剥がすのにもさほど苦労しなかったに違いない。
「それにしても、まさかあれらにそのような効果があるとは思ってもみませんでした。さりげなく触ってみてもうんともすんとも言わないものでしたから、てっきり壊れていたのかと。
父に話を振ってみても、単なるお守りとしか教えてくれませんでしたし、すっかりそれを信じ切っていましたわ。ラスト君はよく分かりましたね」
「運よく似たような機構の魔道具を知ってたからね。ここで見られるとは思ってなかったよ」
「いえ、それもあるのですが。長年父を観察してきた私はともかく、貴方がそれらの存在そのものを見つけ出したことに驚かされているのですわ。
どのように発見したのかについてまでは、教えてくださらないのかしら?
――冥途の手土産として」
さらりと死を暗示した言葉を呟くオーレリーに、ラストはおや、と首を傾げた。
「そんなものは必要ないだろう? だって君は、何事もなければこの先数十年は生きるんだから。約束だって結んだし、今回の一件で死ぬこともないよね?」
「あら、そうでしたかしら?」
月の光に照らされながら、彼女は歪んだ笑顔で嗤ってみせる。
「オーレリーさん?」
「ごめんなさい、ラスト君。でも、私は既に私の欲しいものを手に入れてしまったのです。ほら、この通り。
ならば、もう貴方との約束を守る必然性はどこにもないでしょう?」
オーレリーは笑顔の陰に悲壮感を漂わせながら、以前ラストに別れを告げた時と同種の冷たい声で語る。
「やはり、私は死なねばならない身なのです。どうしてもどちらかを選ばなければならないのであれば、無論街の平和を選ぶでしょう。
ですが、どちらとも取れる状況であるのならば、もちろんその両者を取るつもりでしたの。貴方が絶対に約束を順守させるような魔法をお持ちでしたら、そのまま契約に従っていたかもしれませんが」
彼と彼女の交わした約束に、そのような魔法契約は介在していない。
信頼関係を担保とした単なる口約束に過ぎないものは、破ろうと思えば紙よりも簡単に破り捨てることが出来る。
そしてオーレリーは今まさに、ラストとの約束を破棄すると宣言してみせた。
「……嘘をついた、ってことで良いんだね」
「はい。申し訳ありません、ラスト君。貴方のことですから、強制契約の魔法具にでも持ち出すかと戦々恐々としていましたのですけれど。それも杞憂だったようですね。いえ、それほど私を信頼してくださっていたのでしょうか? ――既に一度前科があるというのに」
「……」
「騎士の約束といい、今回のことといい、大変悪いことをしたとは理解しているつもりですわ。貴方の善意に二度もつけこんで、私の都合で裏切って……ですが、これもこの街のことを思えば、仕方のないことなのです。
謝罪ならばいくらでもいたします。それでも私は、どうしても、この身を滅ぼさずにはいられません」
それっきり、彼女はこれ以上話すことはないと踵を返した。
屋敷の中へ戻って行こうとするオーレリーを、ラストは今度は呼び止めようとはしなかった。
「……まあ、こうなることは分かってたから良いよ」
「え?」
ただし、その唐突な告白に彼女の方から自然と足を止めてしまった。
「いや、良くはないね。君が死ぬことについては、僕は何があろうと認めるつもりがないからさ。
でも、君が約束を守らないだろうことは承知の上だったんだ。だから、文句を言ったりはしないよ。気にしないで、オーレリーさんは自分のやりたいようにやればいい」
「……なにを仰りたいのですか?」
「君がそのつもりなら、僕がやりたいようにやったって文句を言わないでくれってことだよ」
ラストの呟いた不穏な宣告に、背中を向けたままだったオーレリーが振り向く。
彼女の瞳の中に佇むラストは、オーレリーの言い分などものともしないような強い決意を露わにしていた。
「気づかされたんだ。君がたとえ嫌がろうと、僕は全力で君を生き残らせてみせれば良いんだって。
そっちに貫き通したい想いがあるように、僕にだって譲れないものがあるんだ。君のかけがえのない命、素敵な笑顔……それをこの手から取りこぼしたくないって僕の我儘で、君の自殺願望を無理にでも打ち砕く。
今夜の本題は、これを伝えておくことだったんだ。もちろん君が素直に約束を律義に守ってくれたのなら、これを言う必要はなかったんだけどね」
彼は、オーレリーからの答えを待つつもりはなかった。
ただ一方的に、彼女の心へと予告状を送りつける。
「次はまた、君の舞台で会うことになるんじゃないかな。ごきげんよう、オーレリーさん。良い夜を」
■■■
「待ってください、ラスト君――!」
今度はオーレリーがラストの聞き捨てならない言葉に追いすがろうとしたが、それは不可能だった。
風に吹かれた雲が月を覆い隠して、ラストの姿が夜闇にぼやける。
次に光が再び差した瞬間、彼の姿は既に影も形もなく消え失せていた。
「どこへ……? なにも気配が掴めませんでした……」
幻影のように予兆なく出没しては、去り際には霞の如く消え去ってみせる。
【
これまで街の誰にも見抜かれることなく登場と退場を繰り返し、隠形に長けているという自負がオーレリーにはあった。
しかし、それでも彼女にはラストはどのようにして消え失せたのか、その前兆すら掴むことが出来なかった。
また、彼女では見つけられなかったアヴァルの裏帳簿の在り処を早々に突き止めたことといい、ラストの技量はオーレリー自身よりも遥かに高いのではないだろうかとの疑問が頭を過ぎる。
――もしかしたら、ラストは彼女にとって最大の難敵となってしまうのだろうか。
「このままでは本当に、彼の思い通りになってしまう……?」
それがオーレリーを想っての行動だと知っているが故に、彼女の魂は内より出てくる歓喜に湧き立ってしまいそうになる。
だが、彼女はその未練を断ち切るようにぱしんと己の頬を強く打った。
「ですが……それを叶えさせることは致しかねます。このヴェルジネアにかける私の想いは、ぽっとでの貴方に負けるつもりは毛頭ございません。
私は私とこの街のために、絶対に殺されてみせますわ」
ラストの親切にこれ以上甘えてなるものかと、オーレリーもまた次の行動に打って出ようと足早に屋敷内へと戻っていった。
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