第155話 胸内に封ぜられし謀書


「おっと、そうだ。こんなことをしてる場合じゃない。ごめんね皆、ちょっと屋上を借りるよ」


 女装の思わぬ副次的効果によって男子の尊厳を傷つけられていたのも束の間。


 計画の第一段階を振り返ったラストはまだ為すべきことが残っていることを思い出して、勢いよく立ち上がった。


 彼の想定に従えば、既に取引は済んでいる以上、いつアヴァルが記録を始めてもおかしくはない。


 ならばこうして落ち込んでいる暇はないと、彼は革靴で床を蹴った。


 高さにしておよそ三階分の距離をひとっ跳びに越えて、開いていた天窓の淵に足をかけながらラストは子供たちに一言断わる。


「屋敷の方を見てくるよ。しばらく降りてこないかもしれないけれど、気にしないでいいからね」


「はーい! ほら、皆はちゃっちゃとお仕事に戻って! まだお兄さんはやることがあるんだから、邪魔しちゃ駄目なんだからね!」


 少女の一人が答えたのを確認してから、ラストはそのまま教会の外側へと移る。


 外壁の僅かな凸凹に爪先を引っ掛けて駆け昇り、出っ張っていた屋根のへりを両手で掴む。


 そこから懸垂の要領で一息に身体を引き上げて、その勢いのままに彼は屋根へと降り立った。


「あまり芳しくない感じだね……教会を貸してくれた恩返しは、ここの修理にさせてもらおうかな」


 適当に腰掛ける場所を見繕おうと辺りを見渡せば、かなり塗装の色褪せが目立っている。


 雨漏り防止のためか数か所に木の板が釘で打ちつけられているが、それもかなり古びており、虫食いが目立っていた。


 オーレリーは転落の危険性を鑑みてか、子供たちに屋根の整備をさせていないようだ。


 とは言えそろそろ修繕しなければならない頃合いであろうし、事態が解決した後にでも提案させてもらおう――そう考えながら、ラストは比較的綺麗な場所に腰を下ろした。


 その眼の先には、相変わらずきらきらと輝く悪趣味な屋敷の姿が覗いている。


「――失礼。見せてもらうよ、アヴァル・ヴェルジネア」


 観察対象から敬称を省いて呼び捨てにして、ラストは瞳を閉じた。 


 瞼の裏で彼の眼球が魔力の熱を帯びる。


 その瞬間、彼のもう一つの視界が広がった。


 魔力のみが映し出される、魔法使いとしての真の視覚。


 太陽の光によってもたらされる通常の視界――今は余計な情報が、彼の意識上から排される。


 眼下には大量の魔力の輝きが息づいている。


 健全な営みを守る一般市民の魂だ。


 そちらから目を外し、ラストはプリミスとして活動した際に把握したヴェルジネア邸の内部構造から、すぐさま屋敷の主の居場所を捉えた。


「……まだ魔剣を眺めてるんだな。よく飽きないよ」


 アヴァルの魂魄体は先ほどと変わらず、執務室の中に腰を落ち着けている。


 手に持った細長い物体を様々な角度から眺めては、小さく感嘆の息を漏らしているようだ。


 現在のラストには、魔力の存在しない物体は捉えられない。


 つまるところ、アヴァルが持っている物はラストの提供した魔剣【雪銀剣アル・グレイシア】だと推測できる。


 彼が屋敷を立ってから四半刻ほど経過したはずだが、未だ彼の心は魔剣に囚われていた。


 だが、対照的にラストはあまり件の魔剣に拘りを持っていなかった。


「あの魔剣ももう役目を終えたことだし、どうしたものかな」


 彼は前回の怪盗アルセーナ……オーレリーの活躍の際のことを思い出す。


 彼女の姉、グレイセスは民に対して害意性のある魔法を行使することになんら躊躇いを持たなかった。


 ならばその父であるアヴァルも、同様に市民へと魔剣を振るう可能性が考えられた。


 それを未然に防ごうとするならば、早い内に破壊しておいた方が良い。


「――【鋳魂魔弾イデア・フライシュッツ】」


 ラストの立てた人差し指の直上に、爪ほどの魔力塊が抽出される。


 輝く光は鏃のように鋭利な形状へと加工され、そこから螺旋状に回転を始めた。


 ――【鋳魂魔弾イデア・フライシュッツ】。


 ただ魔力の固まりを放つのではなく、それに貫通力を与えることで費用対効果及び有効射程距離を高めたラスト独自の技術だ。


 【深淵樹海アビッサル】の中で鍛え上げた彼の魔弾は、教会から屋敷までの彼我の距離ならば雨粒一つだろうと狙い撃つことが出来る。


 それで内部の魔法陣に損傷を与えれば、魔剣はアヴァルの気づかないうちに価値を失ってしまうだろう。


「……いや、まだ早いかな。ここで試し切りなんかされて魔剣が駄目になったのに気づかれると、帳簿をつけるどころじゃなくなるかもしれないし」


 射出準備を整えていた弾丸を体内に戻し、ラストは再びアヴァルを注視し始めた。


 すると、そこでようやく魔剣を愛でることに飽いたようで、彼は席から立ち上がった。 


 アヴァルは丁重に魔剣を机に置いた後、部屋の入口へと向かう。


 プリミスと屋敷で顔を合わせていた時の傲岸不遜な態度は何故かなりを潜めており、彼は背中を丸めながら慎重に部屋の外の様子を窺っている。


 続いて部屋の窓の外側に身を乗り出して誰もいないことを厳重に確認してから、アヴァルの唇が動く。


「風よ。我が貴き血に従え。妖精よ草笛を鳴らせ。花園を鎖し、微睡みの内に我が敵を鎮めよ。――【風花凪園ヴェン・サイレンセス】」


 オーレリーがデーツィロスで展開したものと同種の遮音結界が、執務室に張り巡らされる。


 彼はそれで徹底的な警戒態勢を敷いたつもりのようだが、魔力の揺らぎで声を読み取るラストには関係のないことだ。


 結界を無視するようにラストがアヴァルを見つめ続けていると、彼は自らの懐へと手を伸ばした。


 その動き方からして、服の内側に隠していたものを引きずり出したように見える。


「胸飾りを模した魔道具だね。その効果は……ん?」


 彼の手中に見えるのは、【雪銀剣アル・グレイシア】と同じ刻印型魔法陣だ。


 だが、そこに込められた意味はラストの知識からして、いささか不完全のもののように見えた。


 なんらかの意味を成しているようで、成していない。


 しかし、まさか使えない魔道具を肌身離さず持ち歩いているとは思えなかった。


「あれをどうするつもりなんだろう?」


 首を傾げた彼に応えるように、アヴァルがすかさずもう一つ、小さめの魔道具を取り出した。


 その二つが重ね合わされたことで、ラストはようやく答えを見出すことになる。


 小魔法陣が起動したことで、大魔法陣の内容が書き換わる。


「――なるほど、あれらには鍵と錠前みたいな関係があるのか。これはすごい物を見たな……」


 改めて正しいものに書き換わった大魔法陣の効果が、ラストの見ている前で遺憾なく発揮された。


 一定の空間を指定し、切り取ると同時に圧縮する魔法。


 だが、空間に作用する魔法は一般的な炎や水と言ったものと違い、非常に複雑な構成を有する。


 魔法陣に魔法で干渉するという発想といい、滅多に見られるようなものではない。


 アヴァルが操作しているのは、それこそブレイブス家でも見られなかった、王家が運用するような真に値段をつけることの出来ない魔道具だ。


「……もしかして、【人魔大戦デストラクト】時代の異物とかかな? 一応お姉さんの家にはそれっぽいのがあったし」


 ラストのように、あらかじめ知識を有するものでなければ気づかないであろう存在。


 それほどのものがあるからこそ、アヴァルは大胆な裏切り行為に出ることが出来たのだろうかとラストは彼の心中を推し量ろうとした。


 ――だが、そんな妄想はどうでも良い。


 現実に重要なのは彼が我欲で民と国を裏切った事実そのものであり、その証拠が今まさに姿を現わしているのだ。


 根拠のない話は思考の隅に追いやって、ラストは彼の手元に解放された封印の中身を見つめる。


 アヴァルの手の動きから、魔道具に仕舞われていたのは書類の束のようだ。


 その内の一つを広げたアヴァルが、ペンを握った手をさらさらと動かす。


 ラストの目はその手の刻んだ一言一句を見逃さなかった。


「――見つけた」


 用は済んだ、とラストはアヴァルの魂を視界から外した。


 もはやこれ以上、その魂を見ていたくなかったからだ。


「私欲に塗れた、泥のように澱んだ魂……あんなのをずっと見てたら、目が痛くなってきそうだ」


 目に染みついたアヴァルの毒素を拭うように、彼は少し離れた場所にいるオーレリーの清廉な魂へと目を向ける。


 心が洗われるような輝きを放つ美しい魂だが、その隅には密かに暗い感情が渦巻いていた。


「急がないと。あの闇が、彼女の全てを呑み込んでしまう前に」


 その危険な香りのする輝きを早急に取り除くべく、彼は次の一手を打とうと地面へ飛び降りた。

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