閑話 虚飾彩る仮面の装いー②


「……結局、着ちゃったな」


 理性で納得することと、感情が受け入れることはまた別の話だ。

 胸中に渦巻く抵抗心を誤魔化すように力の抜けた笑みを浮かべながら、ラストは姿見に映った自分ではなくなってしまった自分を観察する。


 上下の繋がった、ワンピース状の黒く染められた服。

 襟元や袖口には白地が差し込まれており、それが着用者にきりりとした印象を与える。その上に汚れ一つない前掛けを重ね、派手さとはほど遠い清貧な装いとなっている。


 頭部には亜麻髪のかつらと、それを抑えるように被られたレース生地で編まれたカチューシャが輝く。


 僅かに覗く肌には薄く化粧が施され、光と影の見え方を操作することで男の子らしい骨格や肉のつき方が姿を隠されていた。


 そして最後に、自嘲気に引き攣った唇にもきちんと薄く紅が差されているのを見て、少年ラストだったもの――今は謎の美少女従者メイドという設定の彼女はうなだれた。


「どう見ても女の子ですよ、僕……」


「ははっ、確かにな。実にお似合いだぞ。だってのに、どうしてそう落ち込むんだ? すごい似合ってるんだから、ちょっとくらい胸を張ったらどうだ? 愛らしい謎の美少女メイドよ」


「エスお姉さんからしたら褒めてくれてるつもりなんでしょうけど、女装が似合うなんて、男の子からしたら普通不名誉なことなんですよ」


「知らんな。だって余、数百年の引きこもりだし? 現代の常識なんてさっぱりだ。それに、昔は男が女の格好をするのもその逆も、よくあったものだ……」


「目が笑ってますよ。どう見ても嘘じゃないですか」


 ラストをからかうエスは、今も様々な方向から彼を観察しては、魔力の触手を何本も巧みに動かして複数の写生を同時に行っている。


 彼女の披露した離れ業と、その努力の無駄遣いに肩を落としながら、ラストは改めて鏡の中の自分を見やる。


 彼自身、我ながら見事に化けてしまったものだと感心するほどの出来栄えだ。


 今こうして変装している本人でさえ、なにも知らずにぱったりと出会くわしたなら、相手が少女であることになんの疑いを持たないかもしれない、とさえ考えてしまうほどに。


 ――これが肌の露出が控えめな女中の姿だからこそ、彼はまだ取り乱さずに冷静に自身を俯瞰していられた。


 もしエスが同時に提示していた他の装いを選んでいたら、羞恥心が理性を上回って錯乱していたかもしれない。

 そんな予感が彼にはあった。


 例えば、肩が丸出しかつ、胸元の大きく開かれたドレス。


 例えば、肌七割服三割と言った、面積の割合が本来の服が果たすべき役割とは逆転している踊り子の衣装。


 それらをエスの勢いのままに適当に選んでしまっていたら、ラストは思わず舌を噛んでいたかもしれない。


「はぁ……」


 自然と漏らしてしまったため息を、エスが頭を撫でながらも鋭く咎めた。


「まあまあ。……ほら、いい加減しゃんとしたらどうだ? メイドの態度ってのはな、ご主人様の格を表わすもんなんだよ。

 今の君は夜のお店の真似事としては百点満点間違いなしだが、変装としては三十点くらいだな」


「っ」


「しかも、それは余の準備した服装やお化粧の点数であって、実質君自身の振る舞いは零点に等しいよ。君は使用人が仕事中にため息を漏らしたのを見たことがあるか?」


「――すみませんでした」


 途中に挟み込まれたやり取りは少々お茶目な混じっていたとはいえ、これは授業なのだ。


 だらけかけていた気持ちを慌てて引き締めて、彼はらしい態度で目の前のもう一人の自分へと向き合った。

 

「そうだ、それでいい。君は基本的な礼節作法はきちんと身につけているからな。仕える者としての作法は後で叩き込むとして、それよりも先に女の子らしくなる自分の見せ方って奴を身につけようか。

 ――どれ、ここは余がラストちゃんのご主人様役として、それらしく教えてあげようじゃないか」


 瞬きするよりも早くラストの後ろへと回り込んだエスが、彼の両肩にそっと手を乗せる。


 そして、滑らかな動きでその耳元に口を寄せて、甘い吐息で注意を吹き込んだ。


「肩をいからせるな。少し落として……そう、自分を一回り小さくするような感覚だ」


 漂ってくる艶めかしい香りに、ラストがどきんと心臓を震わせる。


 直接身体を触っているのだからエスもその反応は分かりそうなものだが、彼女は構うことなく、そのままつつーっ……と手を下の方へ移動させていく。


「次、お腹周りをもうちょい引き締めろ。体にくびれを作るんだ……うん。胸は詰め物で盛ったし、こっちも矯正下着で無理に締めても良いんだが、あれは胃腸に優しくないからな。自前でなんとかしろ」


「んっ……」


 脇腹をそっと挟み込むように腕を差し込まれて、ラストはぴくんっと身体を跳ねさせた。


 エスが触れたのは服の上からだが、慣れない女性服特有の滑らかな肌触りと相まって、こそばゆいことに変わりはなかった。


 更に、エスはそろそろとラストの輪郭に沿って撫でるように手を降ろしていく。


「よーしよし……後は立ち方、足の構えだな。骨盤を広めに開くような意識で、太腿は逆に内側へ折り畳むんだ」


 リボンで留められた白の絹地靴下、その僅か上にエスの手が滑り込む。


 その艶めかしい感触に、彼は思わず内股をもじもじと擦り合わせてしまいそうになった。


「あっ、っと、んぅっ……男性と女性の骨格の違い、でしたよね?」


「その通りだ。女は子供を産むために、男性よりも腰が大きくなるように出来ている。覚えてるなら話が早い、書き取った骨格を想像しながら、自分の身体をそこに近づけていけ。

 っと、太腿を近づけ過ぎだ。くっつけちゃ駄目だ、つかず離れずの距離を保つように……そこで止め」


 エスが、掴んだラストの膝をほんの少しずつ動かしていく。


 その部位が妙に汗でしっとりとしてしまうと共に、謎の背徳的な熱が心臓を伝って脳に駆け上がってくるのは気のせいだろうか。


 ラストがエスの手に自分を委ねながら悶々としていることも知ってか知らないでか、彼女は弟子の持つ男子的な感覚を余念なく矯正していく。


「これで印象も結構変わったはずだ。さあ、改めて鏡を見てみろ。そこには少し前とは大きく変貌した君が映っているはずだ」


「はっ、はい……」


 頬を僅かに上気させながら、ラストは顔を上げてもう一度自分の姿を直視した。


 ――そこに映る少女は、間違いなく少女そのもの・・・・・・だった。


「……これが、自分なんですか?」


 一回りも二回りもお淑やかになった彼女からしてみれば、先ほどまでのラストの姿は似非少女と呼ぶべきだろう。


 それが、エスによる些細な修正をいくつか受けただけで、頭の二文字が取れてしまった。


 その小さなようで大きな変化に、ラストは目を見開いた。


「どうだ、最初に比べて遥かに女の子らしくなっただろう? ふふん、余の手にかかればこんなものだ。

 初めての女装にて羞恥心を抱く初心な男の娘、それも良し。

 だが、一見して完全な女の子に見えて、その内に実は凶悪なものを秘めていたという状況もまた、こんなにも素晴らしいっ!」


「後半はぶっちゃけなにを言ってるのかさっぱりですが……はい。前半の方の意見は確かにその通りだと思います。まさかが、こんな風になれるなんて――ひゃんっ!?」


 ラストが感心しながら完全な変態を遂げた自分を見やっていると、不意にぐにりとスカートの後ろ側が揉みしだかれた。


 その警戒していなかった感触に変な声を上げてしまった彼は、まなじりを吊り上げながら思わず後ろにいたエスへと振り返る。 


「なにするんですか!?」


「なにって、お仕置きさ。その姿で一人称に僕ってのはないだろう? 言葉遣いの出来ていない配下に愛の鞭を振るうのも、立派なご主人様のお仕事だとも」


 なるほど、確かにエスの語る事には一理あるようにも思えた。


 その顔がにやりと歪んでさえいなければ、だが。


「……栄えあるご主人様におかれましては、あまりそのような品のない振る舞いをなさるべきではないと愚考いたします。

 は、貴女様の品性が損なわれることを憂いておりますゆえに、あえて言わせていただきました」


「うむ、その忠義心は立派なものだ。褒めてやろう。

 ――だが、そんなものは余の知ったことではない! 今の君は余のメイド、この程度は可愛い部下と親睦を深めるための一環に過ぎないさ。

 それにだ、女が女の身体を触って何が悪い!」


 そう公言したエスは、何故か再びはぁはぁと息を荒げ始めている。


 間違っても同性間の軽いお付き合い程度では済みそうにない。


 全身がかき鳴らす警鐘に、ラストは咄嗟に魔力で強化した脚力で逃げようと試みた。


 ――それよりも早く、彼女は電光石火の如き速さでラストの全身をくまなく触り始めた。


「ほらほら、嫌なら逃げてみろ。ただし、女の子らしくだぞ? 男っぽい振る舞いをしたら、そうだな。今度は――」


 部屋の隅に置いてあった銀樹剣ミスリルテを、ラストが反射的に引き寄せる。


 そのまま普段通りの構えを取ってしまった彼が打ち込むよりも早く、彼が剣を握った腕を上段の構えた段階で、エスは既に彼の背中側へと回り込んでいた。


 その腕が、今度は胸元――立派なふくらみを見せる双丘を掴んだ。


「――っ!?」


「ははっ、柔らかいな! さすがは余が三日三晩研究して開発しただけのことはある、良い偽乳だとも! どれ、せっかくだし内側も堪能すると……」


「っく、おいたはほどほどになさいませ主様っ!」


 ラストが振り返りざまに切りかかるが、エスはそれを上半身を反らせることで華麗に避けた。


 更に下半身を跳ね上げることで顎への蹴りを加えようとしてきた彼女を、ラストは木剣を合わせて受けとめ、衝撃を吸収して後ろへと跳ぶ。


「おお、危ないメイドだ。だがちょうどいい。どれ、その調子で動いてみて、まずは女の服装の感触に慣れるんだな。男物とは色々と感触が違うだろう? ――特に、下着とかな」


「――それはっ!」


 慌ててラストは自らのスカートを上から抑えつけた。


 その反応はまさに女子そのもので、それ自体に頷きながら、エスは悪戯な笑みを浮かべる。


「どうだ? 一応は君に合わせたものを用意しておいたんだが、本当に下の方も履き替えてくれたのか――うおっと!」


 遠斬り――刃に纏わせた魔力を攻撃と同時に飛ばす、衝撃の刃。


 それを乱れ撃ちしながら、ラストは精一杯のメイドらしい表情で、今一時の主に応戦する。


「ええい、主様がお戯れるおつもりならば、こちらとて参りましょう! お覚悟なさいませ!」


「ははっ、良いだろう! 今この時から、午後の戦闘訓練へと突入しようか! 余が誘い、君は受けたんだ。それならここから何をされようと、恨んでくれるなよ!」


 勢いよくローブをマントのようにはためかせたエスが、高らかに開戦を告げた。


 いつもの姿ならば、下着を見られる程度どうと言うことはない。


 しかしこの女装と言う慣れない姿に変じている状況が、ラストの羞恥心を著しく掻き立たせていた。


 ーーなんとしてでもスカートの中身を見られるわけには行かない。


 慣れ親しんだ愛剣を握りしめながら、ラストは女性らしい足取りを心得つつ勢いよく飛び出した。


 ――結局、この時のラストは女装と言う不利な条件を背負いながらも、妙に動きが冴え渡っていたおかげで奇跡的に下着の真実だけは死守することが出来たのだった。


 よって、この時の乙女の花園の中身が本当にエスの用意したものであったかどうかは、ラスト以外には分からない永遠の秘密となるのだった。

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