閑話 虚飾彩る仮面の装いー①
――それは、ラストがエスの打ち立てた新生【英雄】育成計画に段々と順応し始めた頃のことだった。
【
それによって身体を苛む精神と肉体の苦痛を彼が徐々に友人として受け入れられるようになりつつあった、とある日のこと。
朝の基礎鍛錬――柔軟体操に屋敷の周囲の走り込み、素振りと瞑想を終えた所でラストは屋敷内部の講義室にてエスと向き合っていた。
彼女は今日も、普段と変わらぬ一張羅を身に纏っている。黒地の肌に吸い付くようなぴったりとした衣装に、これまた漆黒の長ローブ。
その上から覗く魔の二色眼に見つめながら、ラストはしゃんと背筋を伸ばす。
「本格的な修行を始めて、もう三か月か。そろそろこの生活に慣れたか?」
張り切って顔を引き締めるラストの姿は、無理に背を伸ばして大人に近づこうとする年相応の少年にも見える。その可愛らしい様子を見て、エスは苦笑を溢しながら問うた。
九か月後に控えたシルフィアットとの決戦を見据えて、ラストは彼女の修行に一切音を上げることなく付いてきている。その上で事ある毎に純粋な尊敬の念を向けてくるものだから、彼女は胸の内がくすぐったくてたまらなかった。
なにせ彼女の知る魔族界での師弟関係ときたら、弟子は師匠を殺そうとするのが当たり前だった。知識もろとも師の命すら喰い尽くさんとするのが当然の、血で血を洗うような生々しい教育。
ラストはそれらと比べるべくもないほどに理想的な仲間であり、同士であり、弟子であった。
「はいっ!最近は朝起きた時の筋肉痛も少なくなってきましたから、お姉さんの修行に慣れてきたんだと思います!」
「よしよし。そいつは間違いなく、君の身体が余の与える負荷に慣れてきた証拠だ。身体の壊れる速度に睡眠中の回復速度が追いついたんだ。
うん、だいぶいい知らせだよラスト君。模擬戦でも身体のブレが少なくなってきたし、戦闘方面はこの屋敷を訪れた時と比べると見違えるほどに成長してる」
「本当ですか!?」
「ああ、余は嘘をつかないさ。こいつは誇張虚飾一切なしの誉め言葉だ、素直な弟子は素直に褒めるとも。だから君も素直に受け取れ」
「ありがとうございます! うわぁ、嬉しいなぁ……」
ラストは喜びのあまり、きりっとさせていた顔を緩ませた。
それもまた良しと胸の内側をぽかぽかとさせながら、エスは今日の課題を切り出した。
「というわけで、今日はちょっとばかし趣向を変えるぞ。今の君が乗り越えるべき試練は――これだ!」
ぱちん、と教卓の前に立ったエスが指を鳴らす。
刹那の内に展開された転移魔法陣から、彼女の用意した教材が姿を現わした。
その、山のような勉強道具の数々を見たラストは思わず、目に見えたものを疑るかのように何度か目を瞬かせた。
「――えっと、これは?」
「なんだ、見て分からないのか?」
「いえ、なんなのかは分かりますけど……こんなのがどうして試練になるんですか?」
席を立って、ラストは横一列に連なるように準備された色とりどりの
その正体については疑う余地もなく、彼もよく知っているものだ。
しかし、そこからどうしたら【英雄】に至るための修行が見出されるのか、ラストの頭はすぐに答えを導き出すことが出来なかった。
「ふふん、甘いなラスト君。余は言ったろ、なぜ学ぶべきなのかを考えろってな。頭を働かせろ、知恵を絞れ。
――こいつらが役に立つであろう君の将来を、必死になって頭の中に思い描いてみせろ!」
「いえ、今必死に考えてますよ? 考えてる、んですけど……どうにも、僕の矮小な知見では答えが思いつきそうにないんです。
だって、こんなにもたくさんの女の子の服が、いったい何の役に立つって言うんですかっ?」
そう。エスがラストのためにと準備していたのはなんと、数多の女性服だった。
それも、どの服も到底エスの豊満な肢体が収められるような造りではない。着用を想定されている対象は彼女のような立派な女性ではなく、むしろラストと同年代の女子のように見える。
だが、彼がいくら記憶を遡ってみても、この屋敷にはラストとエス以外の住人は存在しない。
――いったい誰の着用を前提として用意されたのか、この服の存在意義はなんなのか。
疑問の目で見つめるラストに対し、エスはしたり顔でちっちっと指を振ってみせる。
今日の彼女はどうしてか、普段よりに比べて浮足立っているように見える。
なぜ修行を始める前から息を荒げているのか……鍛えられた観察眼で彼女の身体の変化までは分かっても、その心情を推測することまでは未だ出来なかった。
「なんの役に立つだって? よろしい、ならばこの親切なお姉さんが手取り足取り教えてあげようじゃないか!」
「手取り足取り、って……どうして今度はこれ見よがしに、手をわきわきとさせてるんですか?」
「――おっと、つい逸り過ぎてしまったか。落ち着くんだ余。無理やり着せるのも興奮するが、それは私の心情に反する、そうだろう? 鎮まれ、鎮まるんだ余の右腕よ……」
「左手は静めなくていいんですか?」
「いいんだよ、こういうのは様式だからな。っと、今度は封印されし別側面の余が出てきてるじゃないか。危ない危ない――こほん。それで、なんだったかな。そう、君が女装する理由だったな」
さらりと修行の内容を暴露したエス。
それを聞き逃さなかったラストは、一瞬でその光景を想像してしまった。
女装――自分が可愛らしいフリルをたっぷりとあしらった服を身に纏って、スカートを履いて、鏡の前で一回転しながらわざとらしく笑顔を浮かべてみせる。そんな、やけに明確な姿をなぜか幻想して、ラストは顔を真っ赤にして声を荒げた。
「ちょっと待ってください! 僕がそれを着るんですか!?」
「そうだとも。なんのために余が数日夜なべして縫ったと思っているんだ?」
「知りませんよ!? というか見るからに二十、いえ三十……五十着近くはあるんですけど!?」
「うむ。余は超頑張った。褒めてくれても良いんだぞ?」
「さすがですね凄いと思います! でも本当に意味が理解できませんっ!」
やりきったとでも言いたげな清々しい顔のエスに一応は感謝を告げてから、ラストは改めて突っ込んだ。
疑問符を頭の上に何個も浮かべたラストに、彼女は即答してみせた。
「意味? そんなの決まってるだろう? そりゃあもちろん、君がより【魔王】エスメラルダ・ルシファリアに並び立てる【英雄】に近づくためさ」
「……女装が、ですか?」
「うむ、そうだとも。余は決して、悪戯に君を女子にして愛でるだけの無駄な時間を過ごすつもりじゃない。まあ聞け、これにはきちんとした理由がある」
「……はい」
しぶしぶと勉強机に戻ったラストに、エスは一転して真面目な顔を向けた。
「君は確かに強くなってる。このまま行けば、シルフィアットとて問題なくころころ出来ちゃうようになるのも時間の問題だとも。
だがな、戦いと言うのは何も暴力だけじゃない。暴力のない戦争も存在するのだ。経済しかり、政治しかりな」
「……それは、確かにそうですね」
女装のことはひとまず置いておいて、彼女の言葉にラストは頷いた。
戦争と言う一つの具体例を見ても、舞台は華々しい戦場だけに限られない。補給や連絡と言った兵站活動に、それを成立させ得るだけの巨額の資金の入手など、単純な暴力だけでは確保することの出来ない要素は大いに存在する。
その事実を、ラストはブレイブス家を訪れる官僚の話などを盗み聞きすることで学んでいた。
「暴力は困難に見えて、単純にして至極明快な策だ。だが、君が目指すのはこれまでの剣や魔法だけでなんとかなるような【英雄】とは違う。
人類を主導する旗印となるためには、そのような陰謀渦巻く世界の荒波をも乗り越えていかなければならない」
「……そこに女装が必要だと?」
「そうだ。女装、正確に言えば変装術だな。自分ではない自分を形作る業。自身の内面を幾重にも覆い隠し、当たり障りのない偽りの仮面を被る。
さすれば相手は本来の君には見せない隙を晒し、言ってはならないはずの情報を漏らしてくれたりもする。表立って称賛されるような技術ではないが、表あるものには必ず裏も存在する。
ここまで言えば、君もこの技術を会得すべき理由が見えてきたんじゃないかな?」
争いを形作る要素は、暴力だけではない。
力はあくまでも目立つ一側面に過ぎず、それだけは人は簡単には動かない。
人類全体に影響力を及ぼすには、変装術――もとい、それを必要とする社交術もまた身につけるべきだ。
エスの力強い説明を受けて、彼女の口にされた意図をしっかりと飲み込んだラストには、文句を述べるつもりは微塵も残っていなかった。
一度瞼を閉じてから、強く見開いたラストを見てエスは満足そうに手を伸ばす。
「余は、君がこれを拒まないことを知っているよ。それでもあえて聞かせてもらおう。
――さあ、どうする? 決定権は君の手にのみ存在する。余の提案に従って女の子になっちゃうか、男の子のままで正統派の【英雄】様になるか。道は二つに一つだ」
「……その言い方ですと、どっちも選びたくなくなっちゃいますよ」
わざとらしい話し方に真剣な態度を崩されてしまいながらも、彼ははっきりと応えた。
「そんなのは答えるまでもないです、エスお姉さん。――僕に女の子に化けるための術を教えてください。
僕はどんな手を使っても、貴女の隣に並んでみせるって決めたんだ。だから、お姉さんのためなら、羞恥心なんか捨ててみせます!」
「素晴らしい。さすがは余の見込んだ男だ。……羞恥心は捨てなくても良いけどな」
ぼそりと零れた一言の真の意味を、幸か不幸かラストは捉えることはなかった。
「どういうことですか?」
「なんでもないさ、気にするな。こっちの話だから――さあ、それではさっそくお着替えの時間と行こうか!」
話を戻すようにぱちんと手を打ち慣らして、エスは部屋を囲むように出現させていた洋服掛けの中からいくつかの服を引っ張り出した。
「ラスト君はどれを着てみたい? フリル満点のお嬢様ドレスにメイド服、いたって普通の平民娘の装いまでなんでもござれだ。珍しいものだと東方の巫女に、南方の情熱的な踊り子の衣装なんてのも用意してみたんだ」
多種多様な服装を一気に見せつけられ、ラストは即答できずにあわあわと目移りしてしまう。
家の屋敷で見た正統派の女中の装いはまだ分かる。
東方の巫女とやらも聞いたことはないが、白と赤の単調かつ鮮やかな装いは悪くなさそうだ。
――それでも、南方世界の踊り子とやらの、向こう側が透けて見えるほどの衣装は絶対におかしい。
捨て去ったはずの羞恥心が瞬く間に蘇ってきて、彼の混乱を加速させる。
「……え、ええと。えっと、ですね?」
「なあに、どれを着ようと君には似合うとも。それは余が保障しよう。あとは君がなにを選ぶか次第だよ。
最初に君を染める服は大事だからなー、遠慮なく着たいものを選んでくれ。ふふっ、時間を無駄にしている余裕はないんだ。早く選ぶんだ……決定権は、君の手の中だ」
魔力の糸で複数の服を宙に吊り上げ、それらを背後に構えながらエスがにじり寄る。
その全身から漂う異様な威圧感に、ラストはなぜか怯えるように身体を震え上がらせた。
「可愛いなあ、可愛いぞラスト君。さあ、余がこの手で君をもっと可愛らしく仕立ててあげるとしよう――ふふっ、ふははははははっ……!」
まさに恐怖の象徴たる【魔王】のような高笑いをしながら、迫るエス。
その妖しげな光をたたえた瞳に射すくめられながら、彼が恐る恐る選んだのは――。
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