第151話 紡ぐ魔糸の黄金竜
「それにしても、なんと美しいことか。我がアストレア山脈の頂く雪冠よりもなお白く、神々しい……」
そのようなことを呟くアヴァルは、放っておけばいつまでも魔剣を愛でているに違いなかった。
しかし、この場にいるのは彼だけではない。正面に座るプリミスの無機質な笑顔を見て、彼ははっと我に返った。
残念ながら、未だこの神秘の魔剣の所有権はアヴァルに移譲されていない。
惜しみながら机上に【
「よろしい、確認した。間違いなく先日拝見したものと同じ魔剣である。ならば、次はこちらの番だ。そちらが要求した金額、ユースティティア大金貨一千枚分は確かに用意した。あちらに置かれている故、持っていけ」
あっさりと顎でしゃくってみせたアヴァルに、オーレリーが素早く口を挟んだ。
「お待ちくださいお父様。その前に、プリミスさんにきちんと金額が足りているかを確認していただかなければなりませんわ。万が一不足していたなどという事態になれば、我が家だけでなくお相手にも多大な迷惑をかけてしまいますから」
「む。ならばさっさとやるが良い」
「ありがとうございます、アヴァル様、オーレリー様。僭越ながらプリミス・ロワイアルスが確認させていただきます」
立ち上がったプリミスが、部屋の実に四分の一ほどを占める金貨の山へと近寄っていく。
「オーレリー、お前はその従者と共に作業を見届けろ。言い出したのはお前だ。私はここで待っている」
「はい、もちろんです。お願いします、プリミスさん。量が量ですから、結構なお時間がかかるとは思いますが……全て大金貨でご用意できず、申し訳ありません」
「いえ、問題はございません。――そして、既に拝見させていただきました」
プリミスは軽く一瞥しただけで、金貨の山に手を入れて一部を取り分けた。
そして、それをそのまま待機していたアヴァルの前へと移動させる。
「なんだこれは?」
「こちらの求めた金額分を僅かばかり越えていたようですので、お返しいたします」
「……たった一瞬見ただけでそこまで分かるものか? ……いや、失礼。そういうことならば、喜んで回収させてもらう」
これで不足していると騒がれたのなら、ひと悶着が起きて面倒な事態に発展しかねなかった。
しかし多すぎると言われて返された分には、アヴァルはそこまで深く追求するような真似はしなかった。
元から失うかもしれなかった分を誠実に返却されたというのであれば、彼としても文句をつける必要はない。
「ユースティティア大金貨一千枚分、確認させていただきました。では、これにて取引は終了という形になりますがよろしいでしょうか」
「構わん」
腕を組んでふんぞり返るように背もたれに身体を預けたアヴァルが応じたのを見て、プリミスは再び頭を下げた。
「これにて、我が主の名も傷つかず、家の名声も安泰となるでしょう。ヴェルジネア閣下、今回は急な要求にも関わらず、これほどまでの財貨を用意していただいたことは感謝にたえません。改めて我が主に代わって謝礼を申し上げると共に、この御恩は後日また事態が落ち着いた時に改めてお返しさせていただくことをお約束させていただきします」
「うむ。そちらもどうか大事にならぬようにな」
「ご心配、ありがたく頂戴いたします。では、これにて私は失礼させていただきます」
社交辞令を述べた後、さっそく机の上に置かれていた【
そんな父の姿を尻目に、金貨の下へ戻ったプリミスにぱたぱたと近づいたオーレリーが話しかける。
「あの、プリミスさん。少しよろしいでしょうか?」
「はい、オーレリー様。どうかなされましたか」
「これほどの金貨をどのようにしてお持ち帰りになるのか、お聞きしても構いませんか? その、まさか貴女一人だけで運ぶとは思えませんが……これほどの量ともなると、並大抵の輸送手段では運搬は困難でしょう? もしよろしければ、こちらで馬車などを都合いたしましょうか?」
全ての財を大金貨のみで取引することなど出来ず、オーレリーと商人たちは小金貨を最低単位として交渉を行っていた。それでも、小金貨と大金貨の交換比率は千対一だ。
重量比から見れば二種類の貨幣の違いは大きなもので、本来ならばアヴァル側はプリミスのことも考えて小金貨は全て大金貨に置換してからこの場に臨むべきだった。
その過失も含めて気まずそうに問う彼女だったが、プリミスは特に表情を変えずに答えた。
「ご心配なく。この程度ならば一人でも差し支えなく運べますので」
「――お一人で、ですか!?」
「はい。聞けば、巷で噂となっている【
「……ご存じだったのですか、彼女のことを」
突然彼女の口からその名が出たことに、オーレリーの笑顔が強張る。
魔剣の美しい姿に陶酔しかけていたアヴァルもまた、ちらりとプリミスの方に目を向けた。
なにせこのヴェルジネア家はつい先日、その盗人に財産の一部を悠々と奪い去られたばかりなのだから。
「はい。出過ぎた真似と存じますが、この街で待機している間は時間が有り余っていましたので。騎士さえも鮮やかに欺くという件の怪盗について、私なりに探らせていただきました。……先々月の一件、そう、チャルヴァートン商会と言いましたか。あのようなことであれば、実に簡単な手品にございます」
あっさりとそう言ってのけた彼女に、オーレリーはむっと顔を顰めたくなるのを堪えながら首を傾げる形を取った。
「簡単、と仰いましたか。しかし、残念なことにこの街では未だ誰もが暴くことが出来ていません。怪盗の見せた魔法のような光景の正体を見破ったのでしたら、是非とも後学のために教えていただけませんか?」
「はい。浅学の身であり、実際にそうであったという証拠はございませんが、そのような推測でもよろしければ。――さしづめ、怪盗が使用したのは土属性系統の魔法にございましょう」
そこに、離れたソファーからアヴァルが座ったまま疑問を唱えた。
「土属性だと? 確かに他の属性に比べて土魔法は頑強なものが多いが、まさか
きちんと顔を彼へ向け直してから、プリミスは首をごく僅かに横に振った。
「いいえ。怪盗は運んだのではなく、地中に沈めただけなのでしょう。金庫が設置されたというチャルヴァートン邸の中庭は石畳ではなく土がむき出しの状態でした。そこに生き埋めの魔法を発動させれば、重量も相まって瞬く間に人の視界から消え失せます。後は、ゆっくりと地面を外から掘り進めて、盗めばいいのです。――怪盗と共に姿を消したのなら、怪盗が一緒に持ち去ったと考えるのが自然でしょう。それ故に、皆様勘違いなされていただけ……なのではないか、と愚考いたします」
そう締めくくった彼女に、オーレリーが小さい拍手を送る。
「なるほど、素晴らしい推測ですわ。しかし、怪盗が土魔法を使ったとよくお気づきになられましたね。その発想は何処から思いつかれたのですか?」
どこか鋭い目を向ける彼女にも構わず、プリミスは素直に答えた。
「遠目にではありますが、芝生の継ぎ目に不自然な避けたような痕跡がございましたので。まず、地面に細工をしたのは間違いないと考えさせていただきました」
「……ほう、流石は高名な家の従者だな。まさかこの短い時間でそこまで見抜いてしまうとは、中々どうして優秀なようだ。どうだ、我が家に仕えんか」
「お父様!? 」
突然無茶ぶりを言い出したアヴァルを、オーレリーが慌てて咎める。
「なぜ今そのようなことを仰るのですか!?」
「ここ数年、我らはあれに心底悩まされていてな。手法が読めるとなれば、捕まえやすくもなろう。無論、その分賃金は弾むぞ?」
娘の忠言に構うことなく誘い込もうとしたアヴァルだが、プリミスは固い表情のまま一切靡く素振りを見せなかった。
「いいえ、私の主は生涯ただ一人だけと決めております。大変ありがたいお申し出ではありますが、辞退させていただく思います」
「ふんっ、そうか。ならばもう用はない。疾く去るが良い」
それだけで興味を失ったように再び【
父の非礼を代わりに詫びたのはオーレリーだった。
「申し訳ありません、父が失礼なことを……。ところで、結局プリミスさんはどのようにしてお運びになるのですか? まさかその、怪盗と同じようにされるわけではないのですよね?」
この大理石から出来た部屋の床を貫くようなことはないだろうと、推測はつく。
しかし、それならばどのように運搬してみせるのか、オーレリーは純粋に興味が湧いた。
「私であれば、このようにいたします」
プリミスはそっと、自らの白手袋を嵌めた手を金貨に翳した。
その手の先から魔力の光が細く、糸のように搾りだされていく。
それが金貨に触れるか否やと言ったところで、彼女の可憐な桃色の唇がぱっと花開いた。
「ああ、そうでした。こほん――我が真名によりて傅きなさい、かりそめの骸よ。紡がれるは勇志の魔糸。回れ廻れよ糸繰車、かんらからりと絡み舞え。【
プリミスの詠唱に続いて、しゅるしゅると伸びた魔力の細糸が金貨の隙間に侵入を始める。
それだけでは何が起きるのか分からず、オーレリーは起きるであろう変化に期待を寄せて静かに見守る。
――かちゃり、と山の一角が崩れる音が聞こえた。
だが、姿勢を崩した金貨がそのまま雪崩を作るように床に落ちる、ということにはならなかった。
代わりに、他の金貨もまた始まりの音に続けてかちゃかちゃと動き出す。
「なっ……この魔法はいったい?」
金貨と金貨が連鎖するように移動を始め、ゆっくりと山のようだった全貌を変化させ始める。
その異様な光景に、オーレリーは思わず息を呑んだ。
彼女の驚愕にも構わず、金貨は段々と一つの形を成していく。
――雄々しく聳える二つの角。
――雄大にはばたく一対の巨翼。
最後に力強い足を床につけて、ずずんと立ち上がったその姿はまさに――黄金に輝く竜だった。
「なっ、なんだこれは――オーレリー!? なにが起きた!? うおっ!?」
その巨体に窓からの光を遮られて、異変に気付いたアヴァルが元凶となったプリミスへと振り向く。
そして、彼女の傍に控える金貨竜の姿を見て仰天してしまい、手にしていた【
「私も知りませんわ! ……あの、プリミスさん。この竜は、いえ、この金貨はどのようになっていらっしゃるのですか?」
「申し訳ございません。この魔法は我が一族の秘伝の業なれば、他者に詳細をお教えすることは出来かねるのです」
驚く二人をよそに、彼女は寄り添うように立つ竜へとそっと手を伸ばした。
頭を下げた黄金竜の顎に手を添えてそっと口元を撫でると、心地よさそうに竜は身動ぎする。
まるで生きているかのようなその振る舞いに、二人は驚愕のままに目を見開くことしか出来なかった。
「そ……そう、なのですか。それならば、深くはお問いしませんけれど……」
「お分かりいただけたようで何よりにございます。この度は貴重なお時間を頂きまして、ありがとうございました。アヴァル・ヴェルジネア様、オーレリー・ヴェルジネア様。願わくば、お二方の未来に幸あらんことを。――失礼いたします」
三度頭を下げたプリミスに続いて、竜までもが彼女に従うように忠実に礼の姿勢を取った。
彼らはその、アヴァルとオーレリーを大いに驚かせた所業とは裏腹に、丁寧な足取りで扉から部屋の外へと出ていった。
後に残された二人は、唖然とした表情でその姿を見送ることしか出来なかった。
「……いえ、こうしている場合では!」
せめて玄関まで見送りをしなければと、慌ててオーレリーはプリミスたちの後を追おうとする。
しかし、彼女が大股で部屋の外へ出た時には、既に彼らは忽然と姿を消していた。
どこへ行ったのかと周囲を見渡すと、彼女は屋敷の大窓が一つ開かれていることに気が付いた。
まさかとは思ってそこから身を乗り出すと、遠く青空の向こう、雲の隙間に金の残光が瞬いているように見えた。
「……これは本当に、現実の出来事なのでしょうか?」
その想像が真実かどうか確かめるすべを、オーレリーは持っていなかった。
いくらアルセーナとして夜空を舞ってみせたとはいえ、彼女はしょせん傘を使って滑空しているだけだ。魔獣のように雲よりも高く飛行することまでは叶わない。
彼女にはただ、幻のようなプリミスと金貨竜の影を見送ることしか出来ないのだった――。
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