第150話 従者と雪の魔剣、再び


 プリミスと交わした約束の日である、九日後を迎えたヴェルジネア邸の臨時執務室。

 すっかり日は昇ったというのに一向に姿を見せない彼女に、アヴァルは苛立ちを感じながら部屋の中を何度も往復していた。


「……まだか、まだ来ないのかっ!」


 彼もオーレリーを追い出した後に仮眠を取ろうとして思い出したのだが、プリミスとアヴァルは交渉を行う日付までは約束を取り付けていても、具体的な時刻までは詰めていなかったのだ。

 まさか朝日が昇るより前に来るほどの非常識な人間ではあるはずもないとの推測から、辛うじて四時間ほどの休息は取れていた。

 しかし、たったそれだけの睡眠で、彼の身体に積み重なった数日分の疲労を癒すことなど不可能だ。また、眠ろうとするたびに、何度も瞼の裏にプリミスに見せられた【雪銀剣アル・グレイシア】の冷たい輝きが蘇ってしまい、ついにかの冷たい輝きを己が手中に収めることが出来るのだと――そのことに身が震えて、緊張によって寝付けなかったのだ。

 結局寝不足どころか、中途半端な睡眠時間によっていっそう自律神経が乱れた状態で、アヴァルはそわそわ苛々としながらプリミスのことを待ち構えることになるのだった。


「まったく、なにがとある高貴な方からの使いだ……。時間の約束も出来ないなど、従者失格ではないか……その主とやらの程度が知れる……」


 ぶつぶつと、自分も約束の内容を確認していなかったことを棚に上げながら、アヴァルはせわしなく歩き続ける。

 そうでもしなければ、彼は椅子に身体を預けたまま、その心地よさにつられて夢の世界へと旅立ってしまいそうだった。

 従者に目覚ましの飲み物でも持って来させようと思ったが、ふと眠りに落ちた隙にせっかく集めた金貨を盗まれるかもしれない。

 そんな強迫観念がずきずきと痛む頭の奥から響いてきて、彼は隈の浮かんだ虚空をぼんやりと眺めながら、自身に喝を入れるべく唇を噛んだ。


「早く、早く来んか……。なにをしているのだ……、焦っていると言ったのはそちら側の癖に……うむぅ、眠い……っ」


 そうして、立ちながらもうつらうつらと船をこぎかけたアヴァルが、一瞬だけ強く瞼を閉じた直後。


「お久しぶりにございます、アヴァル様」

「うおおっ!?」


 耳に届いた可憐な鈴のような声に、彼の脳が一瞬にして覚醒した。

 どくんと驚きに心臓が跳ねた彼が慌てて乱れた呼吸を治そうとすると、同時にいつの間にか現れていたプリミスの姿が目に入る。

 以前顔を合わせた時と何ら変わらない、幼さを残しつつも凛とした雰囲気の従者服の少女。

 彼女はアヴァルが驚きに姿勢を崩してしまった事にも眉一つ動かさず、丁重にスカートの前に両手を重ねあわせて一礼した。


「ちょうど九日後のお時刻になりましたので、プリミス・ロワイアルス、ここに参上させていただきました。アヴァル・ヴェルジネア様におかれましては、ご壮健のようでなによりにございます」

「う、うむ……。よく参った」


 取り急ぎいそいそとネクタイを締め直したアヴァルが、貴族らしいきっちりとした顔つきで挨拶の言葉を口にした。


「それで、早速だが。例の物は持ってきたのだろうな?」

「もちろん、こちらにございます」


 アヴァルの視線が集中していた、背中の包みをプリミスが外して前に差し出す。

 その中から伝わる冷気に確かな存在を感じ取りながら、彼は興奮と共に執務机前の応接用ソファーに腰掛けるよう勧める。


「おおっ……では、そちらで取引と行こう。従者とは言え主の名代、好きに座ると良い」

「アヴァル様のお慈悲、感激に耐えません。ありがたく、ご厚意に甘えさせていただきたく存じます。――ですが、その前に一つ。明らかにさせていただきとうございます。よろしいでしょうか?」

「む、なんだ? 金のことなら、そら。そこに積んであるだろう」

「いえ、そちらに関しては心配しておりません。私がお聞きしたいのは、そちらに隠れていらっしゃる女性の方のことでございます」

「なに……?」


 プリミスはソファーに腰掛けるより先に、金貨の山とは反対側の宝が鎮座してある一帯へと向かう。

 その中に置かれていたものの一つ、上部に時計の埋め込まれた箪笥大の置物――小型の時計台と言うべき代物の前に彼女は立つ。


「それがどうかしたのか?」

「こちらの中にどなたかいらっしゃいますので、ご挨拶をさせていただきたいのです」


 ちょうど彼女の肩の高さについていた取っ手を後ろに引っ張ると、音を立てて扉が開く。

 その中から、一人の少女が身体を零れ落ちさせるようにして姿を現わした。


「なっ……オーレリー!? お前なぜそのようなところに……いや、いつの間に潜り込んでいたのだ!」


 その本来いるべきではない娘の姿に、アヴァルが瞬く間に激昂する。

 しかし、プリミスより一足先に対面のソファーに腰を下ろしていた彼は、身体に溜まっていた疲労のせいで、すぐに動き出すことが出来なかった。

 その隙をつくようにして、オーレリーが真っ先にプリミスへと頭を下げた。


「まずはこのような形での対面となってしまったことを謝罪いたします。誠に申し訳ございませんでした、プリミス様。私はオーレリー・ヴェルジネアと申します。このヴェルジネア家の次女にございます」

「これはご丁寧に。私はさるお方の従者である、プリミス・ロワイアルスと申します。オーレリー様におかれましては、私めは貴女様方とは違い卑しい身分の人間でございますので、畏れ多いことではございますが、そのような態度を取られることはどうかお止め下さい」


 貴血の人間が格下の者に頭を下げることなどあってはならず、させてはならない。

 すぐさま彼女よりも頭を低くしたプリミスに、オーレリーはしくじったといった様子で背筋を改めて伸ばした。


「そ、そうですわね。ありがとうござ……ありがとう、プリミスさん。それで、失礼を重ねることを承知でお願いさせていただきたいのですが、此度の交渉、私も同席させてはいただけませんか?」

「何を言うかオーレリー! ……申し訳ない、プリミス殿。我が娘は少々好奇心旺盛に過ぎるのだ。直ちに追い払う故、許せ」


 そこでようやく状況に追いついてきたアヴァルがばたばたと駆け寄ってきて強くオーレリーの肩を掴む。

 そのまま彼女の身体を返して部屋の入口の方へ向かわせようとするが、そこでプリミスが呼び止める。


「いえ、アヴァル様。私としてはそちらのお嬢様の同席に異論はございません。むしろ、是非とも席を同じくさせていただきたく」

「は?」

「え……よろしいのですか?」


 予想外の展開に、アヴァルは驚きを隠せなかった。

 同様、オーレリーもまたプリミスの意外な提案に、頼み込んだ身でありながら確かめざるを得なかった。


「はい。僭越ながら、今日この時間に至るまでにこっそりとではございますが、街の様子を窺わせていただいておりました。その中で商人達の話を盗み聞きさせていただいたのですが、此度の一件において、そちらのお嬢様の尽力はそれはそれは大変なものであったとか。そのようなヴェルジネア家の才女と呼ばれる方をお招きすることを光栄に思いこそすれ、厭う理由などありません」


 隠れていたことを責めるどころか、プリミスは逆に絶賛するような言葉をオーレリーへと贈る。

 その滑らかな称賛に、お世辞も多分に混じっているだろうと推測した上で、オーレリーはたまらず顔を赤く染めてしまった。

 なぜか不思議なことに、初対面であるにも関わらず、プリミスの言葉はオーレリーにとって嘘偽りだと疑えなかった。感情が薄い平坦な声だが、真っ直ぐに心に浸み込んでくるような暖かみが感じられて、彼女は素直に目前の従者の誉め言葉を受け取ることが出来た。


「……あ、ありがとうございます」

「お礼を申し上げるべきは私の方にございます。この度は、唐突な申出にも関わらず、ユースティティア大金貨一千枚と言う莫大な財を用意していただき、真にありがとうございました」


 すっかり場の雰囲気がオーレリーの存在を許容してしまったことに、アヴァルはふんと鼻息を鳴らした。

 彼もまた、プリミスの言ったようなオーレリーの功績を認めていないわけではない。

 この席に置いておいて良いと先方が言うのならば、無理をしてまで追い出す必要を彼は認めなかった。


「……仕方あるまい。ただし、これ以上余計なことはするな。それと、これと褒美の件は相殺だ。良いな、オーレリー?」

「構いませんわお父様。同席を許していただき、ありがとうございます」

「では、改めて交渉と参りましょう」


 上座にアヴァルとオーレリー、下座にプリミスを置いた形で話し合いは開始した。


「それでは、まずは申し出たこちらから条件の品を確認していただいてもよろしいでしょうか」

「良かろう。例の物を出せ」

「仰せのままに。――どうぞご確認ください、アヴァル様」

「うむ」


 プリミスが手にしていた包みを、机の上にそっと安置する。

 それを無造作な手つきで解いて、アヴァルが中に秘められていた剣を引き抜いた。

 ――姿を現わした刀身に纏わりつく冷気のせいか、部屋の温度が僅かに下がったようにオーレリーは感じ取った。

 だが、その寒さに震える体を抱きかかえるよりも先に、彼女は父の手にした魔性の剣に意識を集中させた。


「【雪銀剣アル・グレイシア】。……確かに、以前見た時と変わらぬ輝きだ。この処女雪の如き純潔なる光輝にも、なに一つ曇りはない」

「――魔剣。これが、お父様の欲していたもの……なのですか」


 その威容を始めて目の当たりにしたオーレリーは、ごくりと唾を呑む。

 それと同時に、優れた魔法使いでもある彼女はその真価を直に目にするまでもなく悟った。

 ――確かにこの魔剣は大金貨一千枚に負けぬほどの……否、それ以上の価値を有する絶剣であるのだと。

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