第149話 推測する乙女を、夜風が撫でて


 ――アヴァルは兎にも角にも、ユースティティア大金貨を一千枚集めたい。

 ――オーレリーは民から絞り上げた血税が無駄に減らされていくのを看過できない。

 異なる思惑を抱えた二人が連日儲けの機会を狙って集まってきた百戦錬磨の商人達を相手どり始めてから、五日が経過した。

 そして、時刻は深夜。

 時計の長針と短針が頂点で重なり合い、アヴァルがプリミスと約束した九日目の到来が示されたと同時に、ついに彼は目標の金額に到達することが叶ったのだった。


「――おおおっ! ついに、ついに大金貨一千枚分が揃ったぞっ!」


 アヴァルが、たった今オーレリーが交渉していた商人から受け取った金貨を大声と共に奪うように取り上げる。そのまま彼は寝不足からくる千鳥足で傍に積まれていた貨幣の山へとよたよたと向かい、最後の金貨を山の上に恭しく乗せた。

 ついで興奮のあまりに叫んでしまうという醜態を晒した父に、オーレリーは額に手を当ててやれやれと首を振った。


「……もう少しお静かになさいませ、お父様。まだ商人の方がいらっしゃるのですよ?」

「知ったことか! さあ、用が済んだのならば疾く出ていけ! それと残りの商人どもにも告げておけ、此度のお前たちはもう用済みだとな! いつまでも廊下にいられると邪魔だ、さっさと帰るのだ!」

「は、はあ……分かりました。それでは、そのように申し伝えさせていただきます。閣下におかれましては、今後の大いなる発展をお祈りしております」


 機嫌を悪くするどころか、商人は哀れむような目を向けて粛々と去っていった。

 それにも気づかず、アヴァルは小躍りしながら完成した金貨の大山脈を眺めている始末。


「――本当に、頭が痛くて仕方がありませんわ……」


 内に秘めるはずの文句をつい声に出してしまったオーレリーだが、どうせアヴァルは聞いていないに違いない。

 彼女は構うことなく、くったりと背中を壁に預けながら天井を見上げる。作法をきちんと守る普段の彼女からはほど遠い光景だが、それも無理はないと言えよう。

 なにせ、アヴァルは実質的に取引に関わっていたのはオーレリーが参加した初日までなのだから。


「まさか、ここまで役立たず――もとい、ものを見る眼がないとは……。わが父ながら、呆れて声も出ませんわ」


 二日目には寡黙に机の前で腕を組んで取引の成り行きを見送るばかりで、三日目には金貨の山をひたすら端から何度も数え直すという意味のない作業に明け暮れる。

 正直なところ、彼が今なめ回すようにうっとりと眺めている大小の金貨の山のほとんど……実に九割近くが、オーレリーの稼いだ分だった。

 とはいえ、アヴァルが口を出さなかったことについて、オーレリーはさほど文句を言うつもりもなかった。

 この数日で、なんと彼女の父は散々金を浪費した挙句、買い入れたものの価値をあまり理解していなかったことが発覚してしまったからだ。

 【女王の白真珠パトラ・ペアルズ】の件に倣うように、商人の都合のいい与太話をそっくりそのまま受け入れようとする姿を何度も見せられていると、胸の内に交渉には邪魔な感情が湧き立って仕方がなかった。

 部屋の隅でぶつぶつと金の枚数を数えているのもそれなりに鬱陶しかったが、慣れない交渉に口を出されてオーレリーらに都合のいい条件を破談にされるよりかはよほど良い。


「……それで、お父様?」


 この数日はろくに自身の部屋にも祖父の書斎にも帰っておらず、汗も濡れた布で軽く拭う程度だった。じっとりと汗の滲んだ肌が疼いて、もう我慢ならない。一刻も早く熱湯を浴びて垢を落としたいと思いつつ、疲労を伴った声でオーレリーはアヴァルの方を見た。

 そこに存在しているのは、文字通り山のような金貨だ。

 部屋の天井にまで届くほどの大と小の金貨が連綿と連なる大山脈は、見ているだけで目がちかちかとする。


「一つ、お聞きしたいことがあるのですけれど。よろしいでしょうか? これだけ貢献したんですもの、お願いがあるのですけれど――」

「なんだ、もうお前の役目は終わっただろう!? 褒美が欲しいのなら後日また改めて見繕ってやる、だがこれらは渡さんぞ!」


 宝を背にして、両手を広げて覆いかぶさった父の落ちぶれた姿にはもはや、呆れるほかなかった。

 連日の交渉に関わらなかったとはいえ、一応アヴァルは無様な姿を見せるものかとオーレリーと共に起きていた。

 そのせいで相当寝不足が祟っているのか、何故か娘に金を取られると思い込んでしまったようだ。


「……違いますわ。別に、お金が欲しくて交渉役を買って出た訳ではありませんから」


 金の魔力は人を魔物に変えてしまうとはよく言ったものだ。

 まったく、これが普段は金回りについては冴え渡る父から理性を取り払った顔なのかと思うと、涙さえ出てきてしまいそうだった。

 ――それとも、これが正真正銘のアヴァル・ヴェルジネアの本性なのだろうかとさえオーレリーは疑ってしまう。


「ただ、私は教えていただきたいだけなのです。これほどの金貨を集めて、お父様はいったい何をなさるおつもりなのか。それさえ話していただければ、他に求めることなどありませんわ」

「……なんだ、金の見返りに一部を寄こせと言うのではないのか?」

「いいえ、そのようなことは決して。私はただ、お金が無駄になるのが見過ごせなかっただけですわ。神に誓って、私欲のためにお父様に協力したのではございません」


 これらの金貨らも、全て元を辿ればヴェルジネア市民の血税なのだ。

 それを少しでも多く取り戻さんと奮起しただけで、彼女自身が求める利益はなにもない。

 民に還元すべき財産を私欲に費やすことなど、本来はあってはならないことなのだから――と。

 彼女の内心の決意を知らないアヴァルは、ただ素直に安堵した様子を見せる。


「……そ、そうか……」

「なにをそこまで怯えていらっしゃるのでしょうか。私、なにかお父様の前で変なことをしてしまいましたか?」

「怯えてなどっ! ……いや、何でもない。少々疲れていたようだ。すまん、オーレリー……」

「あ、いえ……」


 それにしても、彼女の父親がここまでしおらしくなる姿は本当に珍しかった。

 そこに加えて、まさか普段は金と血への執着に凝り固まったいかれぽんちが、誰かに謝ることが出来たなんて――彼女も寝不足によるせいか、少しばかり理性が空の彼方に飛んでいたようだ。

 多分に失礼な思いを内心に隠しながら、オーレリーはこほんと咳ばらいを一つしてから再度問い直した。


「それで、ユースティティア大金貨を一千枚相当もご用意なされて、今度は何を買い取りになられるつもりですの? これほどの金を揃えなければならない商品なんて、それこそ国宝級の代物でもなければありませんわ。まさかこの、都から遠く離れた王国の辺境の地にそのような話が舞い込んでくるなんて、なにがあったのですか?」

「っ……それは、だな……」


 父親を大いに焦らせた原因の正体、それこそがオーレリーがこの部屋を訪れた本来の目的なのだ。

 しかし、それを訪ねた娘に対し、アヴァルは中々話そうとする様子を見せない。

 彼は口をもごもごと動かすばかりで、話を渋る。


「別に、たかが買い物でしょう? 隠すほどのこととは思えませんが? ……それとも、なにかやましいお話でも裏に隠れているのでしょうか?」

「や、やかましいぞ! 出過ぎたことを申すなオーレリー!」

「出過ぎた、ですか。それは私がここまでの交渉に関わったことも含めて? 私はお姉さまのように暇を持て余しているわけではないのです。貴重な時間をせっかく四日も潰して、お父様のために働かせていただいたのに、なにも知る事さえ許されないのですか……?」

「そうだ!」


 さらりと身内への毒を吐いたことにも構うことなく、アヴァルは大きく頷いた。

 だが、教えられない程度で諦めるオーレリーではない。


「さあ、分かったな! 疲れただろう、特別に今の時間の浴場の使用を許してやるから、たっぷりと湯船に浸かって疲れを癒すと良い!」

「いえ、それには及びませんわ。薪がもったいないですもの」


 父の都合に付き合ったのは自分の勝手だが、それにしたって途中から交渉を完全に一人任せにされたことに対してまったく怨みが沸かないわけではない。

 なぜかアヴァルは自分の都合にあまり踏み込まれたくないようだが、オーレリーは腹いせにそちらを少々踏み荒らしたくなった。


「……関わりがあるとすれば、中庭の冬景色でしょうね。あれが出来た時から、お父様は様子を変えられましたもの」

「なっ、急になにを言い出す!?」


 慌てるアヴァルをよそに、オーレリーは自らの推理を展開していく。


「お父様の手持ちの魔法には、あれだけの出力を誇る氷魔法は存在しません。規模としては中規模なれど、永続効果が段違いですわ」


 中庭をふと見下ろせば、未だに凍り続けている氷柱の数々が月明かりに照らされて神聖な姿を見せている。


「全体的な出力から見れば、上級魔法にも匹敵する氷属性魔法。あのような魔法を手札にお持ちである魔法使いとなれば、自然と相手も限られてきましょう」

「余計なことは考えるな、オーレリー! 静かに、自分の部屋へと帰れ!」

「……氷を司る魔法の使い手、かつ、その上級魔法を行使しうる家系。基本的には【聖女】を奉じる教国の方々が当てはまりますが……」


 まさか、またどこかの国と勝手に通じようとしているのか。そう攻めようとした口を、オーレリーはすぐさま噤んだ。

 表向き、彼女はアヴァルが【剣皇エィンペリヤル】の支配する帝国に内部情報を受け渡して魔剣を入手したことについてまでは知らないことになっている。

 この点で深堀りすると逆にこちらが危険だと、彼女は視点を切り替えた。


「もしくは、高位の貴族のどちらか。……おや、顔色が変わりましたね、お父様」

「っ……貴様っ!」

「この国では、氷魔法はそこまで一般的なものではありません。お父様の通われていた学院でも、教えられるのは風、火、土、水の基本四属性の中級まででしたかしら? ですので、この国の戦場記録を遡れば、氷魔法を持つ家を自然と炙り出せるでしょうね。どのような戦績を残したか、あれには詳細な記録が記されていますもの」


 ユースティティア王国のみならず、現在の人類世界では、魔法を覚えるのに必要な手順は主に二つとされている。

 覚えたい魔法を決めたら、その魔法陣をひたすら書き取って体に覚え込ませる。そして、それを記憶から引き出す詠唱を繰り返し暗唱する。それらの暗記作業を積み重ねることで、魔法を使えるようになる。

 アヴァルの通っていた学院とは、王城の一部を解放して運営されている次代の英雄を育成するための機関のことだ。そこでは中級までの魔法については教えられるが、上級、もしくはそれ一定以上の魔法ともなれば、何処かの家系や一門の秘奥とされるきらいがある。

 このヴェルジネアにおいては風魔法――【枯風乱嵐ヴェン・テンペスタース】などがそれにあたる。

 とはいえそれらは完全に存在を隠匿されているわけではなく、戦場などで普通に使用されている。

 その記録を辿って行けば、自然と今回の相手が見えてくるだろう……とはいえ、いくら蔵書の多い彼女の祖父の書斎と言えど、そのようなものが置かれているはずもないのだが。

 戦争記録と言えば、国家機密に指定されるような重要な情報だ。

 本来、たかが一令嬢が閲覧できるはずもないのだが――。


「――ま、待て! それ以上の詮索は禁止だ!」


 聞くことが出来ないなら自分で探そうと踵を返すふり・・をしたオーレリーの演技に見事引っ掛かったようで、アヴァルがばたばたと走り寄ってその肩を掴んだ。


「どうしてですの?」

「そ、それはだな。……仕方ない、か。良いか、一度しか言わんからよく聞け。これは相手方の希望なのだ。この一件を他人に周知されるのがあまり好ましく思われないようでな。あまり余計なことをされると、商談そのものが破談になりかねん」

「あら、そうでしたの。でしたら、最初からそう仰ってくださればよかったのに。そうですわね、あれだけの強大なものを持つ家が相手ですと、機嫌を損ねるだけで後々不味いことになりかねませんものね」

「そうだ。分かったか、きちんとした褒美なら後でくれてやる。だから、今は下がっていろ」


 一見納得したかのような素振りを見せたオーレリーに、アヴァルがほっと身体の緊張を解いた。

 しかし、彼が安心するのはまだ早かった。


「……いえ、それでも気になってしまいますわ」

「オーレリー!」


 聞き分けの悪い娘を彼は叱りつけるも、彼女は頭を下げてまでお願いする手に出た。


「お父様、お願いいたします。どうか私にも同席をお許しください」

「駄目だ! 交渉の結果なら後程教えてやれるだろう、それで我慢しろ!」


 それでも頑なに拒否の姿勢を貫こうとするアヴァル。


「……そうですか。それでは、お休みなさいませ。お父様も、良い夢を」


 強情な方ですこと、と心の中で舌打ちしながらオーレリーは仕方なしに退室することにした――それも、表向きはの話だが。

 すっかり更けてしまった夜、蝋燭も消された屋敷においては月の光だけが唯一の明かりだ。

 窓と壁、光と影が交互に差す廊下を歩きながら、オーレリーは思考を巡らせる。


「仕方ありませんわね。聞き届けられないのならば、こっそりとやるまでのことですわ」


 ――こうなれば、執務室のどこかに忍び込んで様子を窺わせていただきましょう。

 アヴァルの部屋は今、集められた品々の余り物によってごった返している。

 どうせ彼自身で片付けることもしないだろうし、あれだけの貨幣が剥き出しなのだから盗みを警戒して使用人だって入れやしないはずだ。

 その一部に潜り込んでしまえば、アヴァルも気づきやしない。


「……正直眠たくて仕方がありませんが、ここまでくれば最後まで見届けたいですからね。それにしても、最近はやたらと変化が多いような気がするのは、気のせいでしょうか?」


 段々と、このヴェルジネアにこれまでとは異なる風が吹き始めている――。

 窓の隙間から吹き込んだ夜風に、ふと彼女がそのような思いを抱いたのは偶然だろうか。

 その誘いに従って、交渉疲れで溜まった頭の熱を冷まそうと窓を開けたところで、オーレリーは不意にびくりと身体を震わせた。


「……?」


 月の下、誰かが夜闇に紛れて彼女のことを窺っているような気がして、彼女は辺りを見回す。

 すると、一羽の鳥がばさばさと翼を広げて飛んで行った。


「勘違いでしたか。……気を張り詰め過ぎていたのかもしれませんね」


 今はとにかく、少しでも多くの仮眠を取って後に備えましょう――ぼんやりと視界が滲んでいくのを我慢しながら、彼女は久々に自分のベッドへと戻っていった。

 ――その疲労困憊にへたれた後ろ髪を、月ともう一つ。

 遥か彼方、平民街の一角から覗く二つの赤い眼が捉えていた。

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