第147話 狸商人と女王の白真珠


 次にアヴァルとの交渉へと臨んだ商人の第一印象は、狸だった。

 豊かさを象徴するように丸々と肥え太った腹、人懐っこく弛んだ贅肉付きの頬。優し気な風貌でのっしのっしと入ってくるなり平身低頭の様相を示した男性商人を見て、アヴァルは少しばかり釣り上げていた頬を緩めた。

 ――自分の方が立場が下であるのだと示すこの商人は分を弁えている、などと考えているのだろう。そう、オーレリーは父の心を推測した。

 実際、自分の方が上なのだと扱われて喜ばない人間はいない。

 ――だからこそ、商人はいくらでも表面上は下手を取り繕う。笑顔は無料なのだから、それで儲かるのならばどれだけでも振りまいてみせる。

 分かっていたとしても、冷徹な心で向き合わなければころりと化かされてしまうだけだ。


「本日はお日柄も良く――」

「前置きはいらん。……で、貴様らはなんという商人だったか?」

「はい、ロゼ・クヌム商会にございます。私は会頭の片割れであるクヌムと申しまする」

「始めて聞く名だ。新興か? まあよかろう、それでクヌムとやら、貴様は何が欲しい?」


 アヴァルが部屋の右手に積まれた金貨の山とは逆の方向を腕で指し示す。

 そちら側には、屋敷中からかき集められた宝たちが所狭しと並べられていた。

 クヌムはその中にざっと目を走らせた後、手前の方に鎮座していた一対の耳飾りに目をつけた。耳に通すための金の細い鉤に、それぞれ巨大な白色の真珠が取り付けられている。

 きらりと輝く乳白色の宝石に、彼は感動からか頬を震わせる。


「おお……私めの目に曇りが無ければ、そちらは【女王の白真珠パトラ・ペアルズ】ではありませぬか? かつて美容のためにと真珠を酢に落としたものを愛飲していた女王が、それだけは決して呑むことなく、目で見て愛したとされる二つの巨大真珠……」

「ふん、長々とした話はいらん。それで、貴様はいくらで買うのだ」


 クヌムのぺらぺらとした語りを一刀両断したアヴァルに、商人は苦笑を交えながら顎に手を当てた。四重顎に指を埋めるようにして、これ見よがしに悩んでみせてから、彼は希望する買い取り価格を告げた。


「そうですな。では、大金貨三枚。それに加えて小金貨六百枚でいかがでしょう」

「ふむ?」

「本来ならば大金貨五枚分はあろうかと思う大きさですが、時間のせいか僅かに表面もくすんでおりまする。色褪せが激しく、これでは大金貨三枚が精々かと。とは言え、卿に出会うことの出来た幸運を考慮しないわけには参りますまい。そこに小金貨六百枚を加えて、どうでしょうか」

「そうか……経年劣化か。であれば、仕方あるまい。それで――」

「お待ちください、お父様」


 クヌムの言葉を鵜吞みにして頷こうとしたアヴァルの言葉を差し止めるように、オーレリーが口を挟んだ。


「そのお値段ならば、売らない方がよろしいかと存じますわ。いくらなんでも、安く見られすぎですもの」

「――なんだと?」


 ぎろり、と自身の決定に異を唱えた娘をアヴァルは睨みつける。

 声に出さずとも、クヌムもまた同様に、突然話に割って入ってきた小娘に一瞬怪訝な眼を向けた。

 しかし、二人の向ける非難の目にも構わず、彼女は自身の方が正しいのだと示すように堂々と意見を述べ始めた。


「【女王の白真珠パトラ・ペアルズ】ならば、およそ大金貨十枚の価値はあると存じております。それを三枚と半分に少しなど……御冗談も大概になさいませ、クヌム様」

「それでは半分にも満たぬではないか――まさか貴様、謀ろうとしたか!」


 不機嫌そうだった顔を更に歪めて、アヴァルは商人を恫喝するような勢いで罵ろうとする。

 その眼光に僅かに顔を固くしながらも、すぐさま体勢を立て直した商人は余裕を持った表情を浮かべながら否定する。


「いえいえ、そのようなことは決して。……失礼ですが、お嬢様。そのお値段はいったいどのようにして算出されたものなのですか。参考までに、教えていただいても?」

「祖父の所有していた、かつて王都で行われたオークションの出品記録に偶然同じものが記録してありましたの。その時の落札額は大金貨十枚、ならば此度も同等と考えるのが自然ではないでしょうか?」

「なるほど、なるほど……いやあ、たまげましたな。まさかそのような古い記録をお持ちとは……大変な勉強家でいらっしゃる」


 一見して、商人の笑顔は変わらないように見える。

 しかし、口の端がほんの僅かに下に曲がった。思い通りにいかなかったことに対する不満の感情だ。

 クヌムとしては自覚しないほどの変化かもしれないが、それでもオーレリーはもちろんのこと、あらかじめ彼女の言葉を受けて商人の変化を注視していたアヴァルも幽かに気づいていた。


「なるほど、貴女様の仰ることももっともでございます」

「騙そうとしたのか、貴様! だとしたらただでは置かんぞ! 領主を冒涜しようとしたのだ、全財産没収の上で街から永久追放にしてくれよう!」


 騙されかけたというのに、すぐさま嬉々として大声を上げるアヴァル。

 しかし、商人はまだ自分の意見を押し通す余地はあると踏んでいるようで、ゆっくりと首を振って交渉を続けようとする。


「いいえ、そのようなことは決してありませぬ。アヴァル様。確かに数十年前ともなれば、大金貨十枚の価値はあったと認められましょう。その点は認めまする」

「ほう、良い度胸だ。ならばこちらを騙そうとしたという理解で良いのだな?」

「――しかし、あらゆるものは時が減るごとに劣化し、価値を減ずるものなのです。真珠とは数ある宝石の中でも特に劣化が激しいもの。数年も経てば相場が大きく異なってしまうのも、仕方のないことなのです」

「なに?」


 クヌムは動揺を見せない粛々とした態度で真珠について語る。

 それを聞いたアヴァルはオーレリーへと顔を振り向けるが、彼女はその時点では否定を返さなかった。目の前の商人の語る知識は、まだ一般的には間違っていない知識だからだ。

 真珠は正しい環境で保管しなければ、瞬く間に劣化してしまう。太陽光に当てるのはもちろん禁足事項であり、温度や湿度についても気を配らなければ、最悪割れてしまうことさえあり得る。

 今度は口を挟まれなかったことに気を良くしたクヌムは、そのまま彼なりの正当性を今回の商談の主役であるアヴァルへと訴える。


「つまり、真珠とは以前よりも値段が下がってもなんら不思議ではなく、むしろそれが当然なのだと考えていただきたいのです。加えて、これから先、どんどんと劣化は進んでいくでしょう――やがてはただの石ころ同然に。そう考えたならば、今の内に売り払っておくのが最善かと」

「よし、それならば今すぐに――」


 これ以上売却価格が下がる前にと、アヴァルは慌てて契約を交わそうとした。

 しかし、そこまでの語りを放置していたオーレリーが、再びここで父の手の動きを止めた。

 羽根ペンの先を浸そうとしていたインク壺を取り上げ、適当に近くの棚の上に置いてから、彼女はクヌムのしたり顔に笑い返す。


「あら、仰ることはその程度ですか? ふふっ、賢しいお方ですわね。自身に有用な事実だけ並べ立てて、肝心の情報は胸の内に秘めておくだなんて。まだ、この特別な真珠について語るべきことはありますわ。ねえ、クヌム様。――例えばこの真珠の積み重ねてきた時間の不思議について、など」


 その言葉に、同じく契約書をしたためようと懐からペンを取り出そうとしていたクヌムの頬が再びぴくりと下がった。

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