第146話 焦燥の父と義憤の娘


 ――オーレリー及び他の家族たちにとって、当主アヴァルが金の亡者にして物欲の権化であるのは周知の事実だった。

 彼にとっては民も家族も、自分以外の存在は等しく金を手に入れるための道具である。そして山ほど溜め込んだ財貨で以て、美術品や宝石を買い漁って蒐集するのだ。

 とはいえ、その振る舞いは家族の目から見ても狂気的だとしても、おこぼれに与る以上は誰も文句は言わなかった。自分たちが贅沢をして暮らしていけるのは、アヴァルの振るう、良くも悪くも金策に特化した敏腕あってこそだからと理解していたからだ。

 しかし、そんな彼らでも、ここ数日のアヴァルの振る舞いには苦言を呈せざるを得なかった。

 妻パルマはベッドの上で毛布にくるまって、大事そうに宝石箱を抱えながら叫んだ。


「――まったく、信じられる!? あの人、突然私の部屋に来たかと思えばありったけの宝石を持っていてしまって――それもなんの断りもなしに!」


 長女グレイセスはいつにも増して山盛りの食事を平らげつつ、がなり立てた。


「――なんで私のものまで!? ドレスに指輪、金のスプーンまで……あれが無いと、鮫卵の塩漬けが美味しく食べられないじゃない!」


 長兄リクオラは相変わらず酒精の導く陶酔に身を委ねながら、こぼす。


「――ああ、僕の大切な乙女たちが何本も失われてしまった……。僕は悲しいよ……。この嘆きを癒すには、そう、呑むしかないのさ……ごくごく」


 そして次兄セルウスは背後に控えさせた下僕の少女たちの顎を撫でながら呟いた。


「――まったく、御父上と来たらせっかく用意させた特注の調教道具まで売り払うとは。いやはや、これでは夜がつまらなくなってしまう。こいつらの悲鳴が聞けないなんて、勃つものも勃たなくなるじゃないか……」


 ――なんだかんだと言いながらも、結局誰もかも平常通りだと思うのは気のせいでしょうか。

 そんな疑問を内心に隠しつつ、オーレリーは家族の垂れ流す文句とも言えない文句を適当に相槌を入れつつ聞き流していた。

 だが、それが三日も連続したとなれば段々と鬱陶しくなってくる。

 ついに彼女は、邪魔な長いドレスの裾をたくし上げて早足で屋敷の廊下を歩くことを決断した。

 向かう先はアヴァルが現在腰を据えている、執務室兼接客室だ。

 三日前、彼女の知らないうちに中庭が季節外れの雪景色に書き換えられてから、突如としていっそう金に執着する様子へと変貌を遂げたアヴァル。

 彼はそれから部屋に篭りっきりで、次から次へと屋敷を訪れる商人たちの相手をしている。

 食事は召使いに部屋へと運ばせ、睡眠も全て備え付けのソファーの上で取るという徹底ぶりだ。


「そこまでして、いったいなにをなさろうというのかしら……?」


 オーレリーにとっては、父の突然の変化などに文句を言うつもりはなかった。

 元より彼女は、自分でしか使えないようなもの以外は貰ったらすぐに売り払って金に換え、【月の憂雫ルナ・テイア】事業の一部に充てている。それ故に、父に奪われるような――元から完全な自分のものだとも思っていなかったため、その表現が適当かはともかく――そのような物などほとんどなく、また回収されたものを惜しむようなこともなかった。

 彼女はただ、家族の非難を押し切って、今までにないほどに金に執着している父の目的を見極めたかった。

 そのために、今まさに屋敷中から取り集めた調度品や芸術品を売り払っている場所へと向かう。


「っ、邪魔な……こんな靴、やはり私には不要ですわ」


 屋敷の中央を貫く螺旋階段を昇りながら、母親から無理やり受け取らされた無駄に踵の高い履物に悪態をつきつつ、彼女は三階の廊下に辿り着く。

 先日アルセーナとして騎士たちを相手どった場所には、アヴァルによって収集された街の商人たちが雁首を揃えて自分の順番を待っている。

 誰も彼も、かつて街に吹いた血の風の中で勝ち抜いたというだけあって、ろくでもない面構えをしている。怪盗アルセーナとしては何度も相手どった者たちだが、その仮面を被っていない今は言葉の一つも交わしたくない。

 彼らから向けられる下卑た目線に無視を決め込んで廊下を進むと、やがてその先から、父アヴァルの狂気交じりの叫ぶような声が木霊する。


「――そら、お前たちアントニオ商会はこれらをいくらで買う!?」

「ルイゼリッタ作『さざめく処女』及びカルメンドール作『竜騎士の慟哭』ですか。でしたら、しめてユースティティア大金貨ニ枚と小金貨三百枚にて買い取らせていただきましょう。よろしいで――」


 ――ダァンッ!

 商人によるまどろっこしい確認の声を省くように、机の殴られた音が廊下にまで響く。

 拝金主義なのは普段からとは言え、アヴァルの言動にはそれなりの威厳が伴っていた。その貴族の優雅さを失うほどに焦る父の様子を、オーレリーは扉の外から耳を澄ませて窺う。


「構わん、さっさと契約書を寄こせ! ……次だ! 御託は良い、この【力天使の心臓デュナミスハート】と【人魚の青瞳セイレーンアイ】を買うのか買わないのか!」

「はっ、それはもちろん買わせていただきたく存じます。価格は大金貨一枚と小金貨二百枚で……」

「決まりだ! 金はそちらへ積んで置け、契約書は――そら、署名は済ませてやったぞ!」

「ありがとうございます。では、我々は軍資金も尽きましたのでこれにて……」

「御託は良い、用が済んだのならばさっさと立ち去れ!」

「はい、それでは失礼いたします。閣下に置かれましては……」

「出ていけ、というのが分からんかぁっ!」

「――はっ、はいっ!」


 扉が開かれると、先ほどまで交渉とも言えぬ売買契約を交わしていた商人の一団が駆け足気味に中から飛び出してきた。

 彼らの手には厳重に封をした戦利品が抱えられている。

 ――神話において英雄の手で孤島に置き去りにされた戦乙女を描いた、『さざめく処女』。

 目先の愛に溺れて無辜の命を手にかけ、果ては愛したはずの乙女の血で剣を染めた騎士の戯曲を題材にした『竜騎士の慟哭』。

 それら二つの絵画に加えて、心臓大の紅玉ルビーの原石である【力天使の心臓デュナミスハート】に、台座付きの指輪に乗せられた穢れなき碧玉サファイア、【人魚の青瞳セイレーンアイ】。

 本来の貨幣的価値に換算すれば、全て合わせて大金貨七、八枚ほどの値段であろうとオーレリーの知識は導き出していた。

 どう考えても、中で行われていたのは正当な取引とは考えられない。

 とはいえ契約書まで交わしてしまっては、倫理的にはともかく法的には立派な商取引として認められる。公然と掲げることの出来る戦果を持ったほくほく顔の商人たちを出迎えたオーレリーは、じっと冷たい目で彼らを見据える。


「――ごきげんよう、アントニオ商会の皆様」

「おっと、これはこれはオーレリーお嬢様。本日もまた、実に麗しいお姿でいらっしゃいますな」


 彼らの目が自然と胸元に向くのにも構わず、オーレリーは舌を尖らせる。

 さほど言葉を交わすつもりもない――ただ、一言二言忠告するだけだ。


「ええ、貴方がたもお元気そうでなによりです。アントニオ様におかれましては、我が盲目の父のおかげで随分と儲けられたようですね。本来の価値のおよそ半分で買い取ることが出来るとは、さすがと申し上げておきますわ」

「そ、それは……」


 ご機嫌だった彼らの顔色が、一転して青く染まる。


「いえ、契約を撤回させようなどとは露ほども。既に正式な書面でもって取引が済んだ以上、それらは確かに貴方がたのものなのですから。――しかし、一つだけ。あまり相手の無知につけ込んでいるようですと、その肉をもって支払うことになることをお忘れなく。かつて貴方がたが為したように、ね」

「は、ははっ……お嬢様は御冗談がお好きなようで。では、我々はこれにて……」


 すたこらさっさと逃げるように走り去っていくアントニオ商会の連中を一瞥して、オーレリーは他の商人たちよりも先にアヴァルの待つ執務室へと入る。


「失礼します、お父様」

「次は誰だ――何の用だ、オーレリー?」

「随分とお部屋に引き篭もられていたようですが、お元気そうでなによりですわ。先ほどの交渉、廊下にまで響いていましたわ」

「知らんな。それよりも邪魔をするな、今は仕事の最中なのだぞ」

「仕事ですか、このようなものが?」


 彼女は机の上に置かれっぱなしだった、アヴァルとアントニオ商会の名で交わされた契約書を見やる。

 既に契約完了を示す署名が記され、割印がきっちりと押されている。もう一枚は保存用として、先ほどのアントニオが持っているに違いない。

 そして、そこに記されていた盗み聞きした通りの金額を見て、彼女は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた父をよそに額を抑える。

 苛立ちに目の前の相手を罵りたくなる気持ちを懸命に堪えて、オーレリーは先ほどの交渉の不当性を静かに訴える。


「お父様、これらの品々は本来であれば大金貨八枚ほどの価値があるのですよ。それなのに僅か三枚半で売り払うなんて、なにを考えていらっしゃるのですか」

「――なに?」


 その言葉を聞いて、アヴァルがいっそう深く顔を顰める。


「それだけではないようですわね……これも、こちらも、それも……どれも本来であればもっと高く売りつけられるものばかりではありませんか。どうしてわざわざ、そのような損しかない売却を行っていらっしゃるのですか?」

「……なん、だと……?」


 山のような売買契約書を机の上に積み上げておきながら、アヴァルはここまでに売り払った宝の本当の価値と言うものを知らなかったのだろうか――忘れていたのだろうか。

 明らかに購入時の金額よりも低い売却代の数々。正気の沙汰とは思えない。

 アヴァルの目は血走っており、オーレリーらの知らないなにかによって焦っているような印象も見受けられる。

 とはいえ、急いでいることを含めても、ここまで安く買い叩かせるのを許容するのはやはり有り得ない。

 どうやら彼女の父親は、金を稼ぐのと美術品を買い叩くことには才能が有っても、それを売り払う方向においては才能は見出されなかったらしいと彼女はため息を漏らす。

 ――消耗品であるならともかく、芸術品であれば買った時より高く売るのが鉄則だというのに。

 どう考えても買い入れた時よりも桁が減っている値段の数々に、オーレリーは今度は自分の方が机を叩いてしまいそうだった。

 しかし、既にべこべこに凹んでいた執務机を見て、可哀そうになって取り止めた。


「その様子では、特に価格より速度を徹底して重視されていたというわけではないのですね。……お父様、ここからは私も同席させてくださいな。少なくとも、二束三文で買いたたかれる事態だけは避けられるはずですわ」

「なにを勝手なことを――」

「これはお父様にとっても都合の良い話でしょう? なにを思って急いでお金を揃えているかは知りませんが――」


 彼女は部屋の隅に目を向ける。

 そこには、乱雑に積まれた金貨の山があった。いっそのこと湯船に敷き詰めて悪趣味な風呂を楽しむことも出来るほどの量だが、それでもまだアヴァルの求める量には足りないようだ。


「私としても、民の血税を安く買いたたかれるのは性に合わないのです。どうせ売るのならば出来るだけ高く売りつける、この一点に置いて私とお父様の利益が一致していると思いますわ。信じられないようでしたら、まずは次の一件で確認してくださいまし。商人の提示した金額について、私見ですが申し上げさせていただきます。それを聞いた相手の反応から、私の言葉が間違っているか判断なされてはいかがでしょう?」

「……むぅ」


 唸り声をあげたアヴァルの後ろに、オーレリーは控えるように立つ。

 彼女の父親はぴきりと額に血管を浮かべたが、それ以上は何も口にしなかった。

 正常な判断を失っているかに見えても、金になると分かれば使い潰すことに遠慮はないようだ。

 そして、それは彼女自身にとっても都合がいい。

 ここまでアヴァルが振り回されることになった目的を問い詰めるのは後回しにして――まずはなんとしてでも、これ以上の赤字が発生することだけは避けなければならない。


「――次、入ってこい!」


 覚悟を決めて、彼女は新たに入ってきたにこやかな上っ面を張りつけた商人を睨みつけた。

 その裏側に秘められた黒い本心を暴きたてるべく、その瞳に鋭い翠光を覗かせて。

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