第145話 絶冬の対価
手中に納まる麗しき絶冬の輝きに、アヴァルはしばしの間茫然と魅入っていた。
しかし、彼はとある事実に気づいて、ぶるりと首を振って正気を取り戻す。
――そう、魔剣とはただの観賞用の芸術品ではない。その真価はあくまでも、限られた者にのみ扱うことの出来る超常の力を宿すという一点にあるのだから。
「……銘は【
プリミスの返答も待たず、アヴァルはいそいそと壁際の窓へと向かう。掛け金式の窓を左右を大きく開放すると、その向こうには立派な裏庭が見える。色彩豊かな季節の植物たちが規則正しく植えられた、華やかな雰囲気の漂う庭園だ。
しかし、彼はその魔剣に劣らず美しい光景へと向けて、容赦なく切っ先を向ける。
「――それでは、見せてもらうぞ! 我が魔力に従いてその力を存分に示せ、【
内臓された魔法陣を発動させるにはまったく必要のない前置きと共に、アヴァルが高らかに魔剣の名を叫ぶ。
――同時に、魔剣の腹に刻まれた雪結晶を模した魔法陣が、光を発して宙に
その壮大な光景に感動したのも束の間、彼は両手で上段に構えた白銀の剣を眼下へと向けて勢いよく振り下ろした。
「どぅえやりゃぁあっ!」
どうやら剣の扱いには慣れていないようで、へっぴり腰のまま勢い余った彼は窓の縁にまで切り込んでしまう。
しかし、そんな些細な過ちを気にする余裕もなく、アヴァルは自身の剣閃に付き従うように飛翔していった氷の連弾に目を奪われていた。
先端が鋭く尖った槍のような氷が、豪雨のように一直線に中庭へと殺到する。
――青く透き通った流星群が、怒濤のような音を立てて中庭を抉っていく。飾られていた噴水や花壇が無惨に砕かれ、花弁が散り、大理石の欠片が飛び散り、土埃が舞う。
広大な屋敷そのものすら揺るがすような振動が、およそ十秒ほど続いて……それらが収まった頃には、一面が白一色に埋め尽くされた季節違いの銀世界が完成していた。
「はぁっ、はぁっ――これはまた、なんと美しいことか」
庭師の尽くした努力の全てを嘲笑ったことなど気にも留めず、アヴァルはうっとりと自身の手にした魔剣をもう一度眺めた。
見る者を魅了する美しさに加えて、恐ろしい力の象徴でもある魔剣。
それを大層気に入ったようで、魔力をたっぷりと吸われたことによる疲労にも構わず、彼は後ろで様子を窺っていたプリミスに詰め寄った。
「ぜぇ、ぜぇーっ……よかろう、気に入った……ふぅぅ……、ふぅ。是非ともこの魔剣は、私が買い取らせていただこうではないか」
「ありがとうございます、ヴェルジネア卿。まさかこうも早く決断を下していただけるとは、旦那様もお喜びになられることでしょう。さすがは王国の真なる忠臣として謳われるお方です。都で耳にした噂は、まごうことなき真実でしたか」
「ふん、お世辞は良い。それで、こちらはいったい如何ほどの金を支払えばいい? これほどの魔剣ともなれば、喜んで言い値で払おう」
アヴァルが以前手にした風の魔剣は、あくまでも一度振るうたびに初級程度の風の刃が飛んでいくだけの代物だ。
それに比べれば、たった今彼が手にしている【
破壊力、見た目の流麗さ、どの点から取ってしても優れている。
なんとしてでも手に入れたい――その欲望から、力を手にして気分が高揚しているアヴァルは気前のいい言葉を吐いた。
それににっこりと笑いながら、プリミスは彼の要求に従って魔剣の値段を告げた。
「では、ユースティティア大金貨一千枚となります」
「――な」
彼女の告げた言い値に、アヴァルの表情がぴたりと凍り付いた。
「かの恐れを知らぬ下賤な者が要求した金額、それがユースティティア大金貨一千枚なのでございます。いくら高貴なる方々と言えど容易くは集めることの出来ない金額を問題なく支払えると仰るとは、なんと剛毅なお方でしょう」
「……な、なっ……ちょっと待て」
「どうかされましたか?」
途端に現実に引き戻されたかのようなアヴァルが、青い顔になって笑みを引きつらせる。
「大金貨一千枚だと? この一振りの剣が、か?」
「はい、その通りにございます」
「ちょっと待て。待ってくれ……さすがにそれは高すぎるのではないか?」
「――おや、これは不思議なことを。貴方様が今握っていらっしゃるその魔剣は、数百年前の【
「む、むむぅ……確かに、そう言われればその通りだが……」
大金貨とは、一枚あればそれだけで一年は豪遊できる代物だ。
それを千枚も揃えるとなれば、今のヴェルジネア家の懐事情では厳しいものがあった。
これがせめてアルセーナの仕事の前であったなら、とアヴァルは忘れていた怒りを取り戻して顔を歪めた。
「さすがに大金貨を一千枚となると……ううむ……」
「破格の条件とは言え、さしものヴェルジネア家であろうと困難だと仰りますか。……分かりました、それでは他の高貴なる方々の所へ足を運ばせていただきます。お手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」
「なっ、待て――待つのだプリミスとやら!」
隠しきれない失望を顔に覗かせたプリミスが、アヴァルの机に置いた【
しかし、たった今目にした強大な力の輝きを諦めきれない彼は、慌てて剣を守るように腕を突き出した。
「……くっ、分かった! 大金貨一千枚、確かにその価値はあると認める! このアヴァル・ヴェルジネアに二言はない、支払おうではないか!」
その言葉を聞いて、プリミスは一転してぱぁっと花のような笑顔を浮かべた。
「誠にございますか? ありがとうございます、ヴェルジネア卿。貴方様の勇敢なるご決断、我が主に代わって確かに見届けさせていただきました」
「……だが、少しだけ待ってくれ。無論支払えるのは言うまでもないが、大金貨一千枚ともなれば準備に時間がかかる。そうだな、全て揃えるのに二週間ほど待ってはいただけないだろうか」
「二週間! 二週間ですか……」
彼女は少しばかり困ったような目でアヴァルを見る。
「申し訳ありませんが、ちょうど本日より二週間後が支払いの期日なのでございます。せめて、交渉の舞台となる王都に運び入れるまでの期間も踏まえて……一週間では難しいでしょうか」
「一週間か……ならば、九日ではどうだ。乗り継ぎの早馬を中継地点にあらかじめ配置しておけば、それで期日には間に合うのではないか?」
「おお、素晴らしいご提案にございます。それならば主様もお認め下さるでしょう。承知いたしました、それでは約束の九日後に再びお会いできるのを楽しみにしております。――失礼いたしました」
次の瞬間、アヴァルがまばたきをしたと同時に、プリミスは来た時と同様に忽然と姿を消していた。
彼女のみならず、今の今まで机に安置されていた魔剣【
しかし、机の上に降りた僅かな霜が、中庭を飾る銀氷の景色が、彼女の来訪が嘘ではないことを示していた。
「――くそっ、急がねば。なんとしてでも期日までに金を揃えなければならん。……金だ、大金貨だ。我が家にある限りの金を揃えねば……っ!」
先ほどまで己の手にあった冷たくも愛しい感触を何としてでも己が物とすべく、早速アヴァルは慌ただしく動き始めた。
わたわたと滑稽にも見える様子で部屋の中を徘徊し出した彼を、真上からさかしまに観察する二つの瞳が存在していることも知らずに――。
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