第143話 狙うべきものを見定めて


 重く沈んでいた雰囲気を構うことなくぶった切った黒髪の少年に、その代償としてこの場全ての視線が一挙に集う。突然の針のむしろになったかのような状況に、声の主であるネロは一瞬だけ身じろいでしまいながらも言葉を続けた。


「うおっ……な、なんだよお前ら。だってそうだろ? あーだこーだ言ってもさ、結局兄ちゃんと姉ちゃんのこれって、ただの痴話喧嘩って奴だろ。犬も食わねえ、って言うんだっけ?」


 その言葉には僅かに、この場にそぐわないような呆れを含まれていた。

 なにを言い出すのか思えばと慎重に聞いていれば、あまりに予想を超えた単語が飛び出たことに、ローザが目を剥く。


「痴話っ!? って、何言ってるのネロ! 変なこと言わないで!」

「うるさっ」


 耳元で大声を上げた彼女に咄嗟に耳を抑えて、彼は寝そべっていた地面からのっそりと上体を起こした。


「いや、なぁ……どっちがどっちも大切だとか言って長ったらしく話してたけどよ、要するに兄ちゃんも姉ちゃんも相手を守りたいってだけなんだろ。傷つけたいわけじゃねえんだからよ、だったら無理やりに止めようとしたって良いと思うけどな」

「ネロ君ってば……。さっきの話聞いてたの? お兄さんはそういうのが嫌だって言ってるでしょ」

「なにも殴ったり蹴ったりして止めろなんて言ってねーよ。他にもやり方はあるだろ、なあ? こないだのお前の時みたいにな」

「この間って……まさかっ。そっ、それは関係ないでしょ!? いきなり何を言い出すの!」


 急に同意を求められたローザが、ぶるぶると首を振って気まずそうに目を背けた。


「ん? なにかあったのかい?」

「う、ううん。お兄さんには関係のないことだから、気にしないで」


 ぐぐいと顔を両手で挟んでネロから逸らすように試みる彼女だが、そんな事をしても今度は耳の方が彼へと向いてしまうだけだ。

 そのことに気づいたローザが慌ててラストの両耳を塞ごうとするよりも先に、ネロが彼女の秘密をたれ込んだ。


「ローザのやつ、こないだのアルセーナを見に行くって時に頑張り過ぎて倒れそうになってたんだよ。ってか実際倒れた」

「――ネロぉ!」

「あー、そう言えばそんなこともあったよなあ……」

「……ん。あの時は大変だった。それはもう、色々と」

「みんなまで、ちょっと黙っててちょうだい!」


 既に手遅れになりつつあることを悟りながら、それでも次々に上がる裏付けの声を黙らせようと彼女は手当たり次第に近くの子供たちの口を押さえつけようとする。

 しかし、当の本人であるネロは構わずローザの過去話を詳らかにしていく。


「あん時の俺たちはさ、自分が選ばれるんだって色々と張り切り過ぎて自分から仕事増やしてたんだ。それこそ、いつもはやらないような屋根裏の掃除とかさ。んでも、そうしてると逆に今度は普段やることから気が抜けちゃったりしたんだ。それで、こいつがそうして出来た穴を塞ごうとして余計に張り切っちゃって、倒れちまったんだ」

「……へえ、この間の話の裏にそんなことがあったんだ。みんなに気を配ってたとは聞いてたけれど、そこまでしていたなんて知らなかったな」


 ラストが感心したような目を向けると、ローザはついに諦めたのか、真っ赤になった顔を両手で覆ってしゃがみ込んでしまった。


「あううっ……頑張り過ぎて倒れたなんて恥ずかしいから、言わないでって言ったのに……」

「良いだろ別に。それに、もう言っちまったんだから気にすんなよ。……で、最初はこいつはこいつで点数稼ごうって思ってるんだろって、皆で放っといたんだ。どうせ無理そうだって思ったら自分で止めるだろ、って。でも、そうじゃなかった。結局倒れるまでみんなのためにって助け続けて、熱出してついには風呂掃除してるときに足滑らせて倒れちまって……」


 思い返している内に深刻な表情になったネロが、悔いるような声で吐き出す。


「それでようやく分かったんだよ、無理に頑張ろうとしてたのも悪かったけど、止めずに放っておいたのもまずかったってな」


 半眼の状態から一転して真面目な光を宿した黒目でラストを見つめながら、数日間前の愚かな自分を噛み締めるように呟いた。


「だからさ、止めたきゃなんとかして止めりゃ良いんだよ。この間の俺たちは俺を含めてほとんどの奴が、そこにうずくまってる赤髪を除いて、自分たちのために頑張ってたんだ。そんなアホみたいな理由と違って、兄ちゃんは姉ちゃんのために頑張りたいんだろ? そんで姉ちゃんが自分なりに頑張ろうってしてるんだから、兄ちゃんだって出来ることをやって良いだろ」

「……でも、彼女の誰かのためっていう決意は固いんだ。それを無理に捻じ曲げるのは……」


 諭すような言葉を受けても、ラストの小難しい顔はまだ変わらない。

 そんな彼の考えを、ネロは汗だくの黒髪をがしがしと掻きながら少しずつ訂正する。


「あー、そこじゃなくてさ……俺たちだって、そん時は疲れてたこいつを仕事辞めさせて無理にベッドに寝かせればよかったって滅茶苦茶後悔したんだ。……でもさ、今なら分かるんだよ。そんなことしなくても、もっと楽ちんで良いやり方があるってな。……ただ、仲間内で無理に頑張りあって袖引っ張り合ってたのを早いうちにお互い止めりゃよかったんだ」

「うん。ローザが寝込んじゃった後、皆で考えたよね。頑張るのは良かったのかもだけど、それで結果的に迷惑かけてたら駄目だよねって」

「ちょっといつもより頑張るなら、ちゃんと相手のことを見て、相手のためにならないと駄目だって分かったよ」


 思い思いに他の子供たちが反省の意を込めて、声を上げる。 


「それに、兄ちゃんの言ってる無理やりって、暴力とかのことなんだろ?」

「あー……浅知恵で悪いけど、うん。その通りだよ。話し合いで解決できないのなら、もう、それくらいしないとオーレリーさんは止まらないのかなって思ったんだ」

「そんなことじゃなくてよ、兄ちゃんにももっといい方法があるんだよ、たぶんな。一番大事な誰かのことを見るってのが出来てるんだからな。例えばで、こいつは実際出来るか分からねえけどさ。姉ちゃんのやろうとしてるの……まずそれがなんなんだか知らねえけど、そもそもそいつの原因をなくしちまうとかさ」


 ネロが自分たちには出来なかったやり方をしてみてはどうか、と提案する。

 その、想像してしまっていたような凝り固まった一つの視点とはまた異なる方法について、ラストは確かめるように復唱する。


「オーレリーさんの無茶の原因を、なくす?」

「やらせたくなきゃ、最初からやれないようにすりゃ良いんだよ。そうすれば、姉ちゃんだってどうしようもなくなる。兄ちゃんだって俺たちが手も足も出ないほど、信じられねえくらい強いんだから、なんとかなんだろ」


 そう信頼の目を向けてくるネロやそのほかの子供たちに囲まれながら、ラストは一度頭の中で考えを振り返ってみる。

 オーレリーの行おうとしている事、それは最終的には自分を含めたヴェルジネア一族を街から消し去ることだ。そして、その過程で必要となるのは当主アヴァルが行ってきた不正の証拠だ。

 その証拠類を手にすれば、彼女はすぐさま国のしかるべき機関にそれらを提出するだろう。

 ――例えば、それらを先にラストが握ってしまったなら。


「……そう、だね。根本的な解決にはならないかもしれないけれど……」


 振るうことの出来る最大の武器を見失ったオーレリーは、動きようがなくなってしまう。

 少なくとも、彼女が自分のものでもあると言い張るヴェルジネア家の罪を誰も問えなくなるはずだ。

 肝心のヴェルジネアそのものの問題を解決するには至らないが、その点についてはまた他の方法を後で考えればいい。今は一刻も早く、彼女の暴走を止める鍵をラストがオーレリーよりも早く入手することが先決だ。


「ありがとう、ネロ、ローザ、それに皆。君たちがいてくれたおかげで、良い案が思いついたよ。これなら彼女を止めることが出来るかもしれない」

「別に、例を言われるようなことじゃねえよ。ぶっちゃけ俺たちは失敗したことだしな」

「私だって、自分の失敗をただ垂れ流されただけだし……」


 そう半ば不貞腐れるような顔になった子供たちの頭を撫でて、ラストは慰める。


「そう暗い顔をしないで。間違えたって分かってるのなら、次からは同じようなことにはならないさ。……さて、その為にもまずは僕がオーレリーさんをうまく助けないとね――よし」


 もう、悩みの迷路に迷い込んでいた時の表情はない。

 オーレリーを助けるための道筋が、完全ではないとはいえ見えた以上、そこへ向けて歩き出すことを決めたラストの表情に迷いはない。

 続いて他の子供たちの背中を押すようにそれぞれ頭を撫でて回りながら、彼はくすぐったそうな顔をする彼らへともう一つ質問を投げかけた。


「それで、さっきの話のついでに教えてもらいたいんだけど良いかな。……この街の古着屋と、それに武器屋はどこにあるんだい?」

「え?」

「――虎穴に入らずんば虎子を得ず。そのためには、仕方ないけど……こうするのが一番だからね。これもオーレリーさんのためだし……念には念を入れないとね――それに、お姉さんのお墨付きだし、これならきっとうまく行く……正直嫌なんだけど、最善を尽くすにはこれくらいしないと……」


 打って変わって苦々しさを浮かべながらぶつぶつと呟くラスト。

 その姿に、子供たちは首を傾げた。その表情もそうだが、なぜオーレリーを助けるという話で服と武器が必要になるのか、彼らは不思議で仕方がなかった。

 とはいえ、この孤児院の子供たちにとっても、オーレリーが危険なことをしようとしているのならば、ラストと同じく止めたいことに変わりはない。


「ええっと、服屋は確かね……」

「武器屋って言ったら、そうだな……あそこだろ? 大通りの向こうにあるっていう――」


 彼の見定めた計画の成功を祈って、孤児の誰もが彼の計画を手伝おうと奮起するのだった――後に知ることになる作戦の全容がたとえ、彼らの度肝を抜くような一見へんてこりんに見えるものであったとしても。

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