第142話 正しい思いを正すには


 深い吐息を一つ吐き出して、ラストはのそりと地面に腰を下ろした。筋肉には大して乳酸は蓄積しておらず、身体はちょうど少し暖まったように感じる程度だ。

 しかしそれよりも心に溜め込んでいた憂いの感情を見抜かれたことが彼には痛かった。奥に秘めていた数日分の迷いが一気に噴出し、耐えていた分の悩みが鉛のようにのし掛かる。


「ごめんね、本当なら君たちには関わりのないことなんだけど……ちょっとこの間、人と喧嘩しちゃってね。そのまま別れたっきり一言も話せてなくて……それがずっと、心に残ったままなんだ」


 真面目に相談するつもりはこれっぽっちもなかったけれど、自然と口から言葉が零れる。

 ざっくりと悩みの概観を打ち明けたラストだが、重要な名詞については漏らすつもりはなかった。オーレリーとの話の内容は、誰かに知られてはならないものだ。たとえラストの意に反するような行動を彼女が取ったと言っても、彼女アルセーナの秘密は自分の口から明らかにして良いものではない。

 ――単に名もなき人、とあやふやにしておけば子供たちも適当な話として聞き流してくれるだろう。


「もしかして、喧嘩した相手ってお姉ちゃんのこと?」


 だからこそ、次のローザの指摘にラストはもう一度ぎくりとして目を見開くことになった。


「……どうしてそう思ったのかな?」

「だって、昨日来たお姉さんもなんか無理してた感じだったもん。今のお兄さんと同じみたいに。ねえ?」

「そういやそうだったな。俺たちの前じゃなんでもありませんよって言ってたけど、絶対なにかあったよなーって思ったよなー」


 話を振られたネロが、思い出したかのように頷いた。

 それにつられて、彼らの周囲に集まってきていた子供たちもまた次から次へと話し出す。


「確かに、なにかいつもよりも緊張してるみたいな……笑ってるけど、心の中でむっとしてる感じだった」

「そうそう。なんか凄え怒ってる時と同じだったんだよな。あ、兄ちゃんは知らねえだろ? 優しいようにみえて、姉ちゃん怒るとめっちゃ怖いんだぜ? 笑ってるのにしょんべんちびりそうになるし」

「本当に、お姉ちゃんは怒らせると怖いよねー。……それで、お兄ちゃんはなんでお姉ちゃんを怒らせたの?」


 満場一致で昨日孤児院を訪れたというオーレリーは不機嫌だったようだ。

 子供たちの意識が実は怖いお姉さんの笑顔と言う点で一致したところで、話を纏めたローザがどこか責めるような目でラストを見る。

 彼女の中では、ラストが何かをオーレリーに対してやらかしたという印象で固まっているようだ。

 もっとも、孤児院の中で長年に渡って信頼を積み重ねてきたかの令嬢に比べれば、自分の方が立場が弱いのは彼も承知していた。

 それに、実際喧嘩別れとなった話し合いの発端はラストなのだから、彼女の言い換えを訂正しようとはしなかった。


「怒らせた……そうだね。喧嘩と言うより、そっちの言い方が正しいかな。とは言っても、方向性の違いをこじらせただけ……だけ、じゃないか。もっと色々と言い合ったりしたけれど、別に殴りあったとかじゃないよ? そう、なんて言えばいいのかな……」


 あまりに具体的な争いの内容を話すわけにもいかず、ラストは細かい内容を公表するのを差し控えながら記憶を振り返る。

 鮮明に脳裏に残っている彼女とのやり取りを大まかに纏めて、そこから汲み取れた彼女の思惑と、それに対する自分の想いを語り出す。

 繰り返すが、ラストは子供たちに助けを求めているのではない。

 ただ、思えばあの日は少々ムキになっていたことも否めない。今も思い出しただけで、胸の辺りがちりちりと熱くなってしまう。

 それでも誰かに話しているという体を取れば、ある程度冷静に見つめ直すことが出来る――近くにいる誰かに頷きを返してもらうだけで、一人でいるよりもずっと頭の中がすっきりするのだとラストは知っていた。


「君たちも察した通り、今のオーレリーさんは心の中で苦しんでる。だから、なんとかして助けてあげたいんだけど……残念ながら断られちゃったんだ。それでもなんとか出来ないかと思って食い下がろうとしたんだけど、それが裏目に出ちゃってね。逆に彼女に突き放されちゃったんだ」

「……なにしたの?」

「んーと、ね。――君の命を守るためなら、僕の命もかけるって言ったんだ。そうしたら凄い怒っちゃって……」

「ひゅうっ、かっこいいぜ兄ちゃん!」


 話の前後を知らない一部の子供たちがラストとオーレリーの間で行われたやり取りを勘違いして、口笛を吹くなりなんなりして騒ぎ出す。

 しかし、ローザや先ほど剣を交えていたグリージョと言った鋭い子供たちは、そこに込められていた意味を多少なりとも読み解いたようだ。彼らは反射的に両目を細め、怪訝な表情を露わにする。


「……ふーん、そうなんだ。それで?」

「彼女からしたら、それが物凄いおせっかいと言うか、僕の手を煩わせるほどのことじゃないっていう風に言われて。でも、オーレリーさんのことを手伝うのは別に面倒なんかじゃないんだ。あのお姉さんはほら、いつも誰かのために頑張ってるから」


 話を聞いていた子供たちは表現に差異こそあれども、その言葉には誰もが肯定の意を返した。

 本当に、オーレリーは誰かのために懸命になれる人間なのだ。たとえそれが罪悪感から来る自責的なものだとしても、数年もそれを続けられているのは単純な感情のみに左右された結果ではない。恐らく、彼女は魂の根本からして誰かのためになることを好む性格に違いない。

 ここにいる誰もがオーレリーの善性をきちんと理解している――そのことに喜びを見出しながら、ラストは柔らかさを少し取り戻した顔で続ける。


「それを助けたくなるのに、面倒もなにもないだろう? 彼女が無茶しようとするのなら、僕だって同じ無茶を背負いたくなるんだから。それを後悔することなんてありえない。……それでも、彼女はなんとしてでも僕のことを巻き込みたくないらしくて」


 デーツィロスを去る際のオーレリーの様子が、瞼の裏に蘇る。

 魔剣を握っていた彼女の表情は攻撃を行った者とは思えないほどに暗く沈んでおり、悲しみと嘆きに満ちていた。

 

「僕はオーレリーさんのことを大事に思ってる。彼女の笑顔を取り戻したい。でも、それはあっちも同じで……僕も彼女も、相手のことを助けるためなら進んで危ないことに飛び込む人間なんだ。自分が危険に晒されるのは、大したことじゃない。それよりも、命を張ってでも相手のことを守りたい――それをぶつけ合って言い合いになっちゃった挙句、擦れ違っちゃって……」


 彼女の罅割れていく心を、どうしたら繋ぎとめられるのだろう。

 その光明が未だに見えないまま、ラストはこうしてデーツィロスから追い出されて孤児院にやってきていた。

 最初は深く考えることなく男子たちの模擬戦の誘いに乗って、それが終われば今のように心にしまい込んでいたオーレリーとの間に抱えた問題を吐露して。最初はただ流し聞きしてもらう程度のつもりだったのが――徐々に、言葉に力が籠っていく。


「これ以上行くともう、無理やり引き留めるくらいしか思いつかない。だけど、彼女に僕の考えを一方的に強いるのも嫌なんだ。だって、彼女の誰かを助けたいって想いまでが間違ってるわけじゃないからね。それに、相手に力ずくで言うことを聞かせるのは……良くないことだから。僕はいったい、どうしたら良いんだろうね?」


 スピカ村でルークに半ば無理やり奮起を促した時は、彼がいつまでも悩み続けているのがルーク自身にとって良くないことだと確信していたからだった。

 今回も、オーレリーの自分を生贄に捧げるような在り方については間違っていると断言できる。しかし根底にある他人の幸福を愛する願いはラストの目指す未来と共通する正しいものであって、それ故に、力押しで物事を進めることを躊躇われてしまう。

 ――正しい願いを正すには、どうすればいいのだろう?

 話の最後を問いかける形で締めた彼の顔には、子供たちにとっては初めてとなる苦難の色が見える。

 騎士さえもなんなく倒すことの出来るラストでも、オーレリーを相手どるとなると眉間に皺を寄せざるを得ない。

 話を終わりまで真面目に聞いていたローザたちもまた、その疑問に咄嗟に答えを返すことが出来ず、頭を悩ませる。ラストとオーレリーの交わるようで絶対に交わらない信念の争いを解決させる手段は簡単に見いだせるものではなく、真剣に考えれば考えるほどに深みに嵌っていく。

 そうして彼らがそれぞれ唸りながら己の答えを出しあぐねる中で、


「――んだよ、馬鹿らし。そんなの、簡単じゃねえか?」


 面白半分に話を聞き流していた子供の一人であったネロがふと、ばっさりと先の見えない闇を切り裂くように声を上げた。

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