第141話 思いがけない休みを迎えて


 ラストがオーレリーから一方的に騎士契約の解除を告げられて、数日。

 彼はそれでも接客業の人間としてなんら変わることなく、あの日以降もデーツィロスを訪れる客を積極的に出迎えていた。水をこぼしたりや注文を聞き間違えるといったこともなく、彼自身普段と変わらない一店員として過ごしていたという自覚があった。

 しかし、心のどこかでは常にオーレリーの顔を思い浮かべていたと言われれば、否定は出来なかった。

 そんな、どこかうわの空で仕事に取り込んでいたラストを、元々領主の屋敷で勤務していたという接客の玄人エルマが見逃すはずもなく。


「――ラスト君、その腑抜けた顔が直るまでお客様の相手をすることは禁止です。なに、若人一人が少し抜けた程度、今の私なら少し頑張ればどうとでもなります。貴方はきちんと皆様のお顔を見られるようになるまで休みなさい、良いですね?」

「……すみません」


 凛とした往年の雰囲気を取り戻していた彼女に言い含められ、かくしてラストは思いもかけない休日を得ることになったのだった。

 心の迷いとは別に目前の仕事に全力を尽くすことについては、【深淵樹海アビッサル】での生活において修めていたつもりだった。少しでも気を抜けば飢えた魔獣が襲い掛かってくる世界の中でも平然と歩くことの出来る精神を身につけたつもりだったが――まだまだ自分には、精進すべきところがあるらしい。

 そう胸の中で自戒しながら適当に街の中を散策していたラストだったが、特にいい気晴らしの方法に心当たりがあるわけでもない。

 特に意味もなく、自然と足の動くがままに成り行きを任せた彼は、いつの間にかオーレリーの経営する孤児院へと赴いていた――。


「――せやぁっ!」

「どぅおりゃあっ!」

「てえぇぇぇっ!」


 光がなく、魔力による視界さえも遮断した完全な暗闇の世界にて。

 じっと身動ぎひとつせず構えを取っていたラストは、耳に届く情報に意識を集中させる。

 前方の一時と十時から、加えて後ろの五時方向から迫る、威勢の良い掛け声たち。

 今まさにラストへと攻撃を仕掛けようとする少年らの気配を聞き分けながら、ラストは何も握っていない手を軽く曲げて刃を形作る。


「――しっ」


 まずは、前方から迫る二人の子供だ。少年アズロとネロの握りしめた模擬剣を、風切り音から長さを推測。狙いを定めた中腹の辺りに素早く手刀を入れて彼らの攻め手を左右に打ち払い、続けて後方から迫るグリージョの胸倉を寸分違わず掴み上げる。


「うわわわっ……うわぁっ!?」


 彼の攻め込んできた勢いを軽く方向を変えて、上の方へ持ち上げる。

 地面から足が離れたことに驚く彼を、そのまま頭上でくるりと縦に一回転させ、前の方へと持ってくる。ちょうど足が再度地面に平行につくように調整して、膝を痛めないように減速をかけながらぴたりと着地させた。


「……は、え?」


 思いもよらない曲芸染みた動きをさせられて攻撃を受け流されたグリージョは、突然身体を襲った宙を舞う感覚に石像のように固まってしまった。

 その丸出しの弱点である彼のつむじを、ラストの中指がぴしりと弾いた。


「痛ぁっ!?」

「相手の前で呑気に立ち止まってたら、やってくれって言ってるようなものだよ。予想外のことが起きても、無事だったならそれで良いと飲み込んで。気持ちを切り替えて、すぐに次の攻撃に繋げようね」

「お、おうっ! 行くぜっ!」


 ラストの指摘を受けて、彼は既に体勢を立て直していた他の二人と目を合わせ、頷く。

 ――じっくりと一人ずつ挑んでいたのでは、多人数対一人の利を生かせない。

 彼に教えられた教訓を学習した彼らは、呼吸を合わせた連携攻撃で再び恩返しの対象へと挑みかかった。


「よし、来るんだ!」


 素直にラストの言葉を吸収する、そんな子供たちの成長を確かめるように、彼は開いた両手を上下に構えて受けの姿勢を取った。

 そうして果敢に挑んだ子供たちの攻撃を、両手を巧みに使って受け流す――彼らがこうした模擬戦を初めてから、およそ一時間が経過していた。

 当初は他の男子たちも今も残っている三人に合わせて仕掛けていたのだが、彼らは既に息を切らせて汗もろくに拭かないままに地面に突っ伏していた。

 額から流れてくる汗を鬱陶しそうに腕で拭いながら、一人の少年が呆れを含めた声で呟いた。


「ぜぇ、はぁっ……なんだよあの体力お化けども……」


 続くように他の少年が首を振る。口の中に入ったしょっぱい味をぺっ、とふき出してから、彼は目前で繰り広げられる激闘――というよりも、ほとんどラストの独壇場になっている光景を半眼にした目でじとりと見つめる。


「そう言ったって、アズロにネロにグリージョは俺たちと同じで汗だらだらだろ……? 本当の体力お化けってのは間違いなく、あの兄ちゃんだぜ……はぁ、はぁっ……なーんで目ん玉どっちも塞いで、俺たち全員で襲い掛かったのに一発も当てられないんだよ……」


 両目を覆う黒帯をたなびかせながら、ラストは孤児院の仲間たちの剣を容易く受けてみせる。

 恐らくは騎士たちが相手でも同じことをやってのけるに違いない――そんな予測が彼らの脳裏に過ぎる。とっくに彼の実力については承知の上のつもりだった少年たちだが、日を追うごとにラストの実力が彼らのものとは遠くかけ離れていることがより明らかになっていく。


「いったいどんな相手ならあの人の全力を引き出せるんだ……?」

「さあ、魔王とかじゃねえの? ――いや、冗談だよ冗談。それよりも、やっぱりアルセーナとかじゃないのか……ほら、あの貴族の魔法に正面から受けて立ったって言ってたし。いくら兄ちゃんでも、怪盗とかなら平気じゃないんじゃないか?」


 意外と正解に近い所に触れていたことにも気づかないまま、少年たちはラストと仲間の三人との鍛錬を観戦する。

 そこから少し離れた場所でオーレリーの持ってきていた絵本を読んでいた女子たちの幾人かも、今はお姫様と王子様の恋よりも、彼らの戦いに気を取られていた。

 その中の一人、膝の上にガラスの靴の絵が載った絵本を置いている赤毛の少女がぼそりと呟く。

 

「……うん、本当にお兄さんはおかしいと思うの」

「こら、おかしいって言うのはひどいんじゃない? かっこいいとかなら分かるけど……あまり失礼なことを言っちゃ駄目だよ? お姉ちゃんにも言われたでしょ」


 傍に座っていた子供が、ラストに辛辣な評価を下した友人――ローザに注意をする。

 しかし、彼女は言葉を訂正するどころか、むしろラストのことをより正確に観察するように促した。


「そうなの? でも、よく見てよリッラ。お兄さん、あれだけ動いてるのに足元が荒れてないでしょ」

「あっ、本当だね。……でも、それがどうかしたの?」


 二人の視線の先に佇むラストの周囲だけは、地面にほとんど足跡がついていない。

 その周りはどこもかしこも男子たちが踏み荒らして凸凹になっているのに、対照的に彼の足元だけは綺麗なままだった。


「男子たちと戦って、一歩も動いてないの。思いっきり殴られても歩かずに避けるなんて、普通は無理なんじゃない? 動かなくても問題ないってことは、つまり、あれでもお兄さんにとってはまだお遊びなんじゃないかな」

「おおー……なるほどね。そういうことなの、凄いわローザ。よく分かったわね。あたしなんかお兄さんが手を踊るみたいに動かすのを見るので精いっぱいで、そんなの気づかなかったわ!」

「そっちはそっちで凄いし、仕方ないよ。私だって、最初の方とか、手が三本とか四本に見えてたもん……」


 彼女はそう言いながら、つくづく規格外という言葉の意味を見せつけてくるラストに肩を竦めた。

 その先では、ついに体力が底をついた三人の男子がどさりと地面に身体を投げ出していた。


「ぷはーっ! やっぱり今日も敵わねえかーっ! くそ、今度こそ当ててやるからなぁー!」

「まだ、喋れるなら動けるはずっ……っ、駄目かぁ……」

「……このっ!」


 ひゅんっ、と苦し紛れに少年の内の一人が倒れたまま木剣を投げ飛ばした。

 くるくると回りながら飛んできたその剣を、ラストは顔からほどいた布帯で軽く絡め取って、そのまま掴んでみせた。

 最後の悪あがきを行って少年は怯えた様子を見せるが、それに対して彼は怒ることなく逆に褒め称えた。


「うん、最後まで諦めないのは良いことだよ。でも、出来ればもう少し相手の隙を見ようね。今回の試合だって、明確な弱点が見えていたのに君たちは攻めなかったよね?」

「弱点……?」

「そんなのあったんですか?」


 首を傾げる男の子たちの代わりに、近づいてきていたローザが答えた。


「……わざとかどうかわからないけれど、お兄さんは足を動かそうとしてなかった。だから、足を狙ってみればよかった、のかも?」

「うん、正解だよローザちゃん。君たちに入ってなかったけれど、これは今日の僕のちょっとした縛りみたいなものだったんだ。だから、ここを突いてみれば猶更良かったかもね」

「ええー? そう言ったって、どうせ当たらないんだろ?」

「ははっ、やってみなくちゃ分からないさ。いや、もちろん当たるつもりもなかったけどね」

「んだよ、やっぱりじゃねえか。目瞑ってんのにそんなことまでするなんて、ほんと出鱈目だぜ……」


 ごくごくと彼女の持ってきていた水を飲み干しながら、黒髪の少年ネロは口の端からこぼれた分を服の裾で拭う。

 他の子供たちもきちんとローザ以外の子が運んできた水を飲んでいるのを確認しながら、ラストは悪態をつくネロを嗜めた。


「まあまあ。君たちもちゃんと成長してるよ。前に比べてキレのいい攻撃も増えてきてたし、ちょっとだけひやりとさせられたかな……」

「嘘こけ、あんだけやって顔色一つ変わってねえってのによ。ちっとくらい焦ってくれると思ったのになー……。今日はなんか調子が悪そうだったし、一発くらいは行けると思ってたのによ」


 そのさりげない一言に、ぎくりと驚いたラストは笑い声を引っ込めてしまった。


「……そうか、君たちにも分かっちゃうくらいなのか」


 ――どうやら、思っていたよりも自分の心の動揺は大きいものであったらしい。

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