閑話 美しき街に、少女は孤独を抱えて


 デーツィロスを飛び出したオーレリーは、話の勢いのままに作ってしまったラストとの確執について悔やむ時間を持とうとはしなかった。

 なにせ街には【月の憂雫ルナ・テイア】の換金を今か今かと待つ大事な市民がまだまだ残っているからだ。それに、少しほとぼりを冷ます時間を作ったところで、胸の疼きを収められるとは彼女は思えなかった。


「――それでは、こちらが今回のお支払いとなりますわ。どうぞお納めくださいな」


 ヴェルジネアの下町地区に並び立つ、何の変哲もない石造りの家の一つ。

 そこに住まう家族を訪れたオーレリーは、夫婦の差し出した大粒の宝石と指輪の組み合わせと引き換えに、どっさりと貨幣の詰まった小袋を手渡した。

 その後ろからは、決して騒がないようにと両親に言い含められて別の部屋に押し込められた十個の瞳の輝きが覗いている。子供たちが興味を隠し切れずにこそこそと大人のやりとりを見守っている様子は、実に愛らしい。


「ああ、毎度毎度すまないことだ。オーレリー、あんたがいなきゃ、うちはとっくにあの子たちを捨ててたかもしれないんだ」

「そうはいっても、胎を痛めて産んだ子だし、見捨てられるわけないわ……。それであたしたちの半分しか生きていないお嬢様に迷惑を押し付けるのは、本当に申し訳ないと思うけれど……ありがたく、使わせてもらいますよ」


 彼らが苦しむ原因は当然のように、アヴァルの導入した新たな制度だった。

 超過出産税――家族に二人目以降の子供が生まれた場合、その続柄に応じて収入の一部を徴収するという税制だ。ほんの一年前に制定された出来立てほやほやの制度だが、当然のように対象はそれ以前に生まれていた三人目以降の子供たちも含まれる。

 結果、ヴェルジネアの夫婦たちは育ち盛りの子供の養育費に加えて、不意打ちで圧し掛かった税金にも気を払わなければならず、家計のやりくりにおける苦慮を余儀なくさせられていた。


「いえ、どうかお気になさらず。それでは、私は他の方のところへ行かなければならないので、これにて失礼させていただきますわ」

「なに、もう行くのか? せめてお茶くらい飲んでいってもいいだろうに。恩人なんだ、とっておきのを出すからよ」

「お気持ちだけで結構ですわ。急ぎますので」


 感謝に何度も頭を下げながら一時の休みを勧めようとする夫婦との会話を切って、オーレリーは足早に立ち去ろうとする。

 鞄の蓋を閉じる間もなく颯爽と外へ出ようとした彼女を、ふと夫人が呼び止めた。


「あの、オーレリーちゃん。もしかして、なにかあったの?」

「……なにか、とは?」

「いつもと違って、その。物々しい顔だし……誰かと喧嘩でもしたんじゃないかと思ったの。勘違いなら、それで良いんだけれど……?」

「っ、それは……」


 オーレリーはその指摘に、玄関から踏み出しかけていた脚を止めてしまう。

 どうやら、彼女自身も気づかないままに感情が表に出てしまっていたようだ。

 その裏で思い浮かぶのは、先ほど彼女が一方的に縁を切ったばかりのラストの顔だった。


「あ、やっぱりお前もそう思うか? なんだかいつもと違って暗い雰囲気だと思ったんだ。心配なんだけど、俺からはなんかうまく言い出せなくてよ……」

「となると、男の子とのことかしら? もし良かったら、話してみない? 若いあなたに生計を頼るような情けない大人だけど、お話相手くらいにはなれると思うし。話してみれば、それで少しは楽になると思うの」

「……まったく、よく見られていらっしゃいますわね」


 心配そうな声をかける女性に聞こえない程度の声量で、オーレリーはぼそりと呟いた。

 同じことを言われたのは、これで五軒目だった。

 彼女が【月の憂雫ルナ・テイア】を回収するために訪れた先では、誰もが必ずと言っていいほど彼女の異変を感じ取って、こうして声をかけてくれる。

 だからこそ、オーレリーはこの街が好きなのだ。相手の様子を機敏に感じ取り、心配してくれるヴェルジネアの人々が培った人情の暖かみは、やがては街全体の幸福を醸成していく。

 ――しかし、そこに自分が頼るわけにはいかないと彼女は唇をきつく噛み締めた。


「いえ、大丈夫ですわ。お気遣い感謝いたしますが、私にはなんの問題もございませんから」


 人々が生まれ持ち、環境から養った善性を醜く歪めてしまう一族の端くれである自分が、それに甘えることは許されないから。

 それに、歪にしてしまったラストとの関係性について胸の内に燻ぶる想いを自分の口から他人に明かすことは何故か憚られて。


「私のことよりも、ご両親はお子様たちをどうぞ大切になさいませ。子供はこの街の未来を担う、かけがえのない大切な宝なのですから。それでは、ごきげんよう」


 彼らの親切心から目を背けるように、オーレリーはそれ以上の言葉を待つことなく玄関から退散していった。

 今はとにかく、誰とも余計な会話をしたくなかった。視線を地面の方へ寄せたまま、すたすたと通りを歩く。

 長い街の歴史の中で通り過ぎる人々によって踏み均された土がむき出しの道を進んでいると、なんとなく先ほどの夫婦とのやり取りを思い返して、礼を失していた自分の態度に後悔を吐き出す。


「……なんて、情けないのでしょうか」


 一方的に会話を断ち切って飛び出したのだ、それも彼女を心配する声を半ば無視するように。

 普段であれば決して行わないような無礼な立ち振る舞いをしてしまったことに、オーレリーは適当な日陰で立ち止まるや否や、おもむろに空を見上げた。

 澄み渡った蒼天の向こうには、今日も幽かに月が浮かび上がっている。

 きっとあと数時間もすれば、あの月は輪郭を鮮明にして、夜を迎えたヴェルジネアの空に美しく輝くであろう。

 ――しかし、彼女自身の胸中を揺さぶるこの不可思議な感情は、いくら時間が経とうと決して解決しない。そんな予感を、オーレリーはうっすらと抱いていた。


「いつまでも、終わったことをうじうじと。そう、私とラスト君の関係は終わったのです……終わらせた、のですから」


 口で自分の心にそう言い聞かせながら、オーレリーは一つ大きな深呼吸をして、休めていた脚を再び動かして歩き出す。


「まだまだ、怪盗の落とし物を受け取った方々はいらっしゃるのですから。済んだことを憂いて立ち止まることなど、してはならないのですから……」


 そう、何度も頭の中で繰り返しながらオーレリーはぐちゃぐちゃになってしまった胸の苦しみを抱えて街を行く。


「この痛みもまた、私の背負うべき罪。彼のことを勝手に突き放してしまった私への罰。それなら、どうしようもないことなのですわ、きっと。――本当に、私は……」


 ――際限なく心の汚れている、救いようのない人間だと、自己嫌悪にまなじりを潤ませる。

 いくら【怪盗淑女ファントレス】としても持て囃されようと、本物のオーレリー・ヴェルジネアと言う女は空高く輝く高潔な月には遠く及ばないと彼女は自覚している。

 誰かの親切を踏み躙って我儘を押し通そうとするなんて、どれほど嫌な女なのだと彼女は己自身に毒づく。

 この自分の愛する美しき世界に、とことんオーレリーという存在が似つかわしくないように思えて仕方がなくて、彼女はぶるりと身体を震わせた。

 せっかく手に入れたと思った拠り所は、他ならぬ自らの手で捨て去ってしまった。

 状況としては、ラストと知り合うより以前に戻っただけのはずだ。

 それなのに、どうしてだろう。

 かつては耐えられていたはずの孤独が、今はどうしようもなく辛い。


「私は……それでも……」


 おぼつかない精神を己の言葉で律しながら、オーレリーは歩き慣れた道を茶色の革靴で踏みしめる。

 その踵が確かに地面についているのかどうかさえ、この時の彼女には定かではなかった。

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