第140話 切れぬ繋がり、切れる絆


 オーレリーは目を伏せながら、とくとくと己の心情を吐露する。


「どれほど厭おうと、愛想を尽かそうと。一応は血の繋がった家族なのです。それを告発し、死刑台へ送ろうとしている私がのうのうと見送る側に立っているなんて……頭ではそうしなければならないと分かっていても、どうしても心が納得出来ないのですわ」

「……そう、だね。いくら非道な家族と言っても、完全には情を切り離せないよね」


 いくら家族が取り返しのつかない過ちを犯したとはいえ、無慈悲に死刑執行人に引き渡すことが出来るとすれば、それはもはや人間ではない。軽蔑すべき、もっと別のなにかだ――と、ラストは思った。

 オーレリーの抱く罪悪感までもを否定することは、彼には出来ない。


「ええ。あの人たちをヴェルジネアから抹消するという決断は変わりません。それでも親殺し、兄姉殺しの罪はなんと慰められようと私の心を苛むのです。それを贖うにはやはり、私もまた共に命を捧げるしかない……違いますか?」

「……家族を自分の手であの世へ送り出すことの辛さが間違っているだなんて、口が裂けても言えないよ」


 ――それでも、だからといって、ラストは彼女をそのまま同じように天国へ旅立たせるわけには行かなかった。

 相手が家族であろうと罪を公に問うことの出来る、非情にも見える冷血さ。

 絶対的な悪人であろうとも、その相手が抱くであろう苦悩に心を痛められる優しさ。

 矛盾するかに見える熱冷の情を併せ持つ彼女こそ、この先のヴェルジネアに必要なのだから。


「だったら、仕方ないかな」

「――ラスト君……ごめんなさい」


 彼女の主張に抗弁するのを諦めたかのように、ラストは苦笑をこぼした。

 オーレリーとて、彼の行動が彼女を想ってのことだとは理解しているつもりだった。ひたすらに自分を引き留めようとするラストの憂慮をふいにしてしまうことが申し訳なくて、小さく謝罪する。

 だが、彼はまだ諦めたつもりではない。

 ――彼女が自分の命を投げうつのならば、自分もまた相応の物を投げ出す覚悟があるのだと示す。

 オーレリーの揺るぎない覚悟に頬を緩ませたのも刹那の内、彼は先ほどよりも深くきりりと引き締めた顔で彼女を見つめた。


「……それなら僕も、君と同様に死刑台に昇らなきゃならないな」

「――なっ、どうしてそのような結論を!?」


 突然の宣言は、既に話が終わったものだと考えていたオーレリーの頭を引き戻すに十分足りる内容だった。


「私と違って、ラスト君は何らかの罪を犯したわけではないでしょう!? なのに、なぜ……っ」

「騎士たる者、己が剣を預けた主と道を同じくすべし――君も知っての通りの、ユースティティア騎士法第二条だよ。君がどうしても死ぬと言うのなら、僕だってその御供をしないとね。それに、主が自ら誤った道へ進むのを止められないんだ。そんな愚かな騎士の責任の取り方と言えば、自ら死に赴く以外にないだろう?」


 その思いもよらぬラストの反撃に――反撃と呼べるかどうかも分からない自殺紛いの口撃に、今度はオーレリーが苦笑する番だった。

 もっとも、その顔には相手への称賛などではなく、心底苦々しい思いが綴られていたが。


「なんと無茶苦茶な……」


 口では相手を非難しつつも、オーレリーはそれ以上の言葉をすぐには返せなかった。

 彼女自身何度も引き合いに出した騎士法という根拠、そしてラストの彼女へ向ける混じり気の無い信頼の瞳を前にして、反論の方向へ頭が回らない。

 しかたなしに、彼女はぽつりと呟いた。


「……貴方の命をかけられては、どうしようもないではないですか」

「でも、君が言ってるのと大して変わりないよ。君が家族に情を抱くのと同じように、僕だって君のことをそのまま放っておけないんだ」

「それはっ……しかし、本当にそれで良いのですか? 貴方は旅人で、いずれ街を出て向かうべきさきがあるのでしょう? このような場所で命を捨てても、本当に後悔なさらないと?」


 確かめるように問いかけるオーレリーだが、その口調が悔し紛れであることは否めない。

 彼女自身、意識せずとも分かっていた。ラストはこの程度の脅しに屈するような男ではないのだと。そもそも、話の流れとは言え、彼女はそのような志の無い人間を唯一の騎士として任じたようなつもりはない。


「もちろん。かけがえのない君のためのことを思えば、この命をかけることに後悔はないさ」


 そうして彼女の想定通りの言葉を返したラストに、オーレリーはやはりかとドレスの膝に当たる部分を握りしめた。

 こうなればもはや、ラストは彼女が何と言おうと折れやしないだろう。

 だからと言って、自らの大切な友人でもあり騎士もある彼が無益な殉死を受け取ろうとするのを見過ごすわけには行かなかった。自分のような人間に死出の旅への連れ添いは不要だからと、彼女はなんとかしてラストの覚悟を鎮静化させる案はないかと脳味噌を絞る。

 例えば、そう。ラストがオーレリーの言葉を使って返したように、彼との会話の中にこの状況を引っくり返すことの出来る手がかりはないか――と。


「……そうですか」


 ――そして、見つけてしまった。


「そこまで私との繋がりを重んじていただけるのなら、こういたしましょうか」

「っ、分かってくれたのかい、オーレリーさん!」

「はい、分かりましたわ。――ラスト君。今この場を以て、貴方を私の騎士から解任いたします」


 ラストが騎士法を盾に殉死を是とするのなら、前提そのものを覆せばいいのだと。


「……なっ……」


 思わぬ方向からの切り返しに絶句するラストとは対照的に、彼女は今度こそ話の頭に見せていた微笑を取り戻す。


「これで、貴方が私と心中出来る理由は消え失せましたね」

「待つんだ、そんな簡単に騎士の誓いを覆せるわけがないだろう! この結びつきの強さは君なら十分に分かってるはずだ!」

「ええ、確かに騎士の誓いとは軽んじられないものですわ。ですが、冷静に考えてみてください。騎士たる者は常に剣と白梅を胸に誇るべし――覚えていらっしゃいますでしょう、ラスト君。それで、貴方の胸のどこに、騎士の徽章が輝いていますか?」


 オーレリーの白指が、ラストの胸を鋭く突く。


「私が貴方を正式な騎士として認めたという証拠はどこにもないのですよ」

「っ、それはそうだけど……それでも、僕は君のっ」

「私の、なんだと言うのですか? ただ親しき間柄――なにも知らない人たちからしてみれば、そう感じるのが関の山でしょう」


 彼と彼女の立場的な繋がりを示す物的証拠は、何処にもない。

 そのようなものが無くとも、確かに心は通じ合っている――その信頼を逆手に取られたことに、ラストはぎしりと歯を食いしばる。

 彼ら二人で完結した関係性であれば、それで問題はなかった。されど今重要なのは法的な立ち位置だ。たとえラストが彼女の騎士だと主張しても、何も知らない法を司る役人は一笑に付すだけだろう。

 

「貴方といたら、私と言う存在を勘違いしてしまいそうになります。まるでオーレリー・ヴェルジネアという存在が聖女であるかのような、あってはならない妄想が過ぎるのです。心の奥が妙にむずむずとして、騒めくのを抑えられません。――これ以上の馬鹿な女の思い違いを止めるには、きっとこうするのが最善だったのでしょう」


 話は終わったと言わんばかりに、オーレリーは席を立った。

 机の上に置かれっぱなしだった魔法の短剣を手に持って、デーツィロスの外へ向けて歩き出す。


「では、ごきげんようラスト君。貴方と過ごしたこの二か月、短かったですけれど、久々に楽しい気分を味わうことが出来ました。貴方を縛る枷から解き放たれた今、もはやこの街に留まる理由もなくなったはず。どうぞ当初の目的通り、貴方は貴方の目指すヴェルジネアの外へとお進みくださいな」

「――待ってくれ、待つんだオーレリーさん……オーレリー!」


 その別れを惜しむように後ろに靡く琥珀髪の輝きを掴もうと、ラストもまた立ち上がって追いかけようとする。


「いいえ、ここでお別れですわ。――【風迅剣】アウラ!」

 

 振り返ったオーレリーが、決別を示すかのように魔剣を振るってみせる。

 剝き出しのままだった刃に魔力が流れ込み、透明な刃が四方へと放たれた。

 狭いデーツィロスの中、刀身から射出された微細な風の飛刃が舞えば店内が傷つくのは必至だ。


「っ、その程度なら!」


 しかし、ラストはすぐさま魔力を纏わせた手刀で全てを受け流し、窓の外から覗く空の彼方へと追い払ってみせた。

 デーツィロスの備品には、一つたりとも傷がついた様子はない。


「……さすが、姉の魔法を撃ち抜くだけはありますわね。ですが、この凶刃が向かう先は、貴方だけではないかもしれませんよ?」


 その程度の微風では、本来なら彼の脚を止めるには至らない。

 だが、ラストは足を床に縫い付けたかのように止めてしまっていた。

 驚愕の目で見つめる彼を悲し気に一瞥して、オーレリーはそのまま店の外へと去って行ってしまった。

 店の扉ががちゃんと彼女の行く末と彼の視線を遮ってもなお、ラストは動くことが出来なかった。


「……オーレリー、さん……」


 これまでの他者を害さないという意志を歪めてまで、彼を自分から遠ざけようとしたオーレリー。

 その死へと向かう歩みをどうすれば止められるかが分からなくて、ラストは自分の不甲斐なさを心の中で罵らずにはいられなかった――最も報われるべき少女に希望の風を吹かせられない者に、どうして世界が変えられようか。

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