第139話 君の希望と未来を逃さない


 ラストは断固として彼女の計画を受け入れまいと声を震わせる。


「……ええ、貴方ならそう仰ると思っていましたわ、ラスト君。ですが、私はこの結末を変えるつもりはありません。いくら大義のためとはいえ、家族の蛮行を私もまた是としたのですから。それは、決して変えることの出来ない罪なのですわ」


 だが、それと同じように彼女もまた動じる気配を見せない。

 冷然とした笑みをたたえながら、オーレリーは自らが招き入れる死の運命を受け入れようとしている。

 ――そんなこと、させるものか。

 ラストは深く息を吸って呼吸を整えながら、論理で以て彼女を引き留めようと試みる。無理やり意見を押し付けようとしても跳ね退けられてしまうのは、グレイセスとの会話の中で理解しているつもりだ。

 なにより、そのようなやり方は彼にとって最も厭うべきものに他ならない。


「でも、君は自分から積極的に市民を苛めようとしたわけじゃない。その苦労と怒りをしっかり受け止めて、無駄にしないためにと一人背負ってきたんだ。そんな君が他のどうしようもない家族と同じ人間だと思われるだなんて、誰から見たって絶対に間違ってるよ」

「それでも、思惑や過程がどうであれ、為した事柄は同じなのですよ。彼らから理不尽に奪われた財産で生き永らえている私は、いくら綺麗ごとで飾ろうと、その芯はどうしようもなく汚れています」

「その過程の差異というものは決して無視されるべきじゃない、オーレリーさん。裕福な子供がどうせ後で親が払えば文句は言われないと罪悪感なく悪戯に店先から商品を盗むのと、飢えた子供が同じく親のために物をかっぱらうのと、同じだというのかい? ――違うだろう。過程が違うのなら、異なる罰が科されるべきだ。それくらい、普段の聡明な君なら理解しているはずだ」


 自己の快楽のために罪を犯した者と、誰かを助けるために罪を犯した者。

 どちらも等しく、この地域を外敵から守る山脈の名の下となった正義の女神アストレアが掲げる善悪の天秤の前に差し出されるべきだ。

 しかし、その計られる罪の重さまでもが等しいはずがない。苦汁と共に渋々家族と同じ罪を呑んだオーレリーには情状酌量の余地があり、罰は与えられようと究極刑たる死刑は避けられてしかるべきだ、とラストは拳を固く握りしめた。

 ――もし、このヴェルジネアの正義の天秤が不条理に傾いているというのなら、彼はその歪みに対してエスの下で鍛え上げた魂でもって立ち向かうことを躊躇いはしない。


「まだ、これらの私の本当の罪を知ってもなお、貴方はそう言ってくれるのですね。それは本当に嬉しいことですわ。しかし――」


 なおも自分を卑下しようとする彼女の言葉を待たず、ラストは説得を続ける。


「それに、君の為した善行はその死の運命を覆すに足りると僕は思うよ。一人でも多く救おうとして街を奔走して、僕を助けて、親を失った子供たちを助けて……それなら、君だって救われてしかるべきだ。間違いなく、オーレリー・ヴェルジネアの迎えるべき終わり方は他の家族とは違う。誰よりもこの街に尽くしている君が報われずに斬首台の露と消えていくなんて、有り得ない――あってたまるもんか」

「……ラスト君、君の言いたいことが分からないわけではないのです。ですけれど、他ならぬ私自身がその終わり方を良しとしているのですよ? 私も纏めた今のヴェルジネアを侵す病巣が全て絶えれば、きっとこの街も元の澄み渡った青空を、幸せの風を取り戻すことが出来る。その再興に身を捧げることに喜びこそすれ、悲しむことはありませんわ」


 まるでどこかの殉教者のような言葉をあげつらうオーレリー。

 なるほど、彼女であれば無実の罪で火刑台に上げられようと、民のためになるのならば喜んで受け入れるのだろう。

 しかし、彼女はもっと根本的なことを履き違えていることに気が付いていない。

 奇しくもたった今オーレリーが言った言葉が、彼女の勘違いの一つを示していることにラストは気がついた。

 その隙を見逃さず、彼は鋭く噛みついた。


「――それはどうなんだろうね?」

「なにを……?」

「ここの空気を吸い始めて二か月ちょっとの僕にだって、これくらいは分かるよ。もし君が家族と一緒に死んだとしても、ヴェルジネアは決して君の愛したような街には戻らないってね」

「……なにを仰りたいのですか?」


 変わらぬ笑顔を浮かべつつも、それでも心なし低くなった声でオーレリーは彼に聞く耳を持った。


「私たちがいなくなれば、人々は自然と元の営みを取り戻すでしょう。そうすれば、彼らの生活風景も徐々に元の華やかさを取り戻していくはずですわ」


 異論を弾く微笑の仮面に出来た、僅かなとっかかり。そこからまずは彼女の本丸に至る前の心の石垣を崩そうと、ラストはなるべくオーレリーを揺らせそうな言葉を選んで語り掛ける。


「本当に? ――君たちがいなくなったら、次に送り込まれてくる貴族は彼らなりのやり方で街に変革をもたらそうとするだろう。これまでのヴェルジネアの歴史を知らない貴族に、君の祖父の代までと同じような都市の運営が出来ると、本当にそう思っているの?」

「ですが、目先の利益にのみ囚われた父よりはまともな方に委ねられるでしょう。国の方としても、二度続けて民心を失うような領主を据えたりはしないでしょうから。……多少変わってしまうのは仕方がないことです、こぼれた水をまったく同じようにお盆に戻すことができないように。それでも、現状よりは悪くはならないと予想できます」


 悪化することはない、すなわち最善ではないということだ。

 ならば、この場における最善とはなんであるのか――それは言うまでもない。


「悪くはならない、か。でも、君には劣る。この街に最も熱意を傾けてきたオーレリーさん、君に街の未来が委ねられることこそ、ヴェルジネアにとって最善なんじゃないのか? 罪を償いたいというのなら、これからの一生を全て街のために費やすことこそが、君の背負うべき十字架として最も相応しい――僕は、そう思うよ」


 そうして彼女に死よりも相応しい刑罰を提案してみせたラストだが、彼女はそれに対して失笑をこぼした。


「……ふふっ、なにを言い出すかと思えば。そのことを想像したことが無いとは言えませんわ。しかし、貴方はあくまでも平民だから知らないのでしょうね。もし私だけ生き延びても、女性では領主にはなれないのですわ。お姉さまも仰っていたでしょう? 民を従えるのは、この世界ではあくまでも男性の役割なのです――」

「嘘をつくのはよくないよ、オーレリーさん」


 さらりと彼の言葉を躱してみせようとしたオーレリーだが、そこに浮かんだ違和感をラストは見逃さず詰めていく。


「本当にそうなのだとしたら、君はこう言うだろう――このユースティティアの法にはれっきとしてそう刻まれているのだと、ね。君の厭う姉の言葉を持ち出して根拠にするなんて、らしくないよ。法律上に定められていないのなら、なんとかすることが出来るかもしれない。ただの慣習を当たり前だと受け入れて諦めるのは、君が死に急ぐ理由には足りないよ」

「……っ」


 自分の言葉を逆に利用されて反撃を返されることに、オーレリーは笑顔を少し崩して眉をしかめた。

 いくら仲の良いラストとは言え、こうも立て続けに否定を投げ返されては理性とは関わりなく気分が悪くならざるを得ないようだ。 


「ラスト君、貴方という人はああ言えばこう言う……どうしてそこまで、私の上っ面だけの美点を信じられるのですか」


 不満の意を込めた吐き捨てるような彼女の言葉が、結界の中に響く。


「そうして、私の澱んだ内面を搔き乱して、本当は綺麗なものなのだと勘違いさせようとする……ここまで来ると、逆に恨めしくなってしまいますわ」


 その言葉尻を額面通りに受け取らず、ラストは彼女の前半の問いに迷わず答えた。 


「なぜかって? それはもちろん、君の内面が本当に綺麗だって信じてるからさ」

「また、そうやってすぐに私を誘惑しようと……」

「勝手に邪な意図があるなんて誤魔化さないで欲しいな。……今みたいな本心を覆い隠す仮面の笑顔じゃなくて、僕は君に心の底から笑って欲しいんだ。その輝きを、この街から失わせたくない」


 このヴェルジネアが曲がりなりにも文化ある都市としての体裁を保って来られたのは、偏に彼女の尽力があってこそだ。

 その彼女の笑顔なくして、ヴェルジネアが本当の笑顔に満ちることはない。

 ラストはその確信があればこそ、オーレリーの終わりへと向かう足を引き留めることが正しいと信じている。


「この想いは、君の死へ向けた覚悟にだって負けるつもりはないよ。――本当の君の希望と未来ヴェルジネアを【怪盗淑女ファントレス】アルセーナが置いていこうとしても、僕は絶対にそれを逃さない!」


 ラストは一際大きく声を震わせ、オーレリーの魂に訴えかける。


「それに、僕だけじゃない。――君が面倒を見ている孤児院の子供たちだって、世話役の君がいなくなったらどうなると思う?」

「……それは」


 オーレリーの仮面が、ついにはっきりと崩れた。

 痛い所を突かれたと言ったように、苦々しい顔を浮かべて彼女は目を逸らそうとする。

 だが、いくら目を逸らしたところでラストの言葉は耳に届く。


「散々世話を焼いてくれて、情を移してくれたお姉さんが国家の法律によって死んでしまう。一度ならず二度までも、彼らから家族が奪われるのを良しとするなんて、それこそ君が嫌うような身勝手なやりかたなんじゃないのか」

「……それは……」

「そこですぐに仕方ないと切り捨てられないのが、君の本音なんじゃないのか!?」


 言い淀む彼女に、ラストは畳み掛けようと言葉を紡いでいく。

 声を張り上げるのではなく、あえて粛々と。

 彼女の心を殴りつけるのでなく、奥底に秘められた想いを優しく呼び覚ますように。


「君はもはや彼らにとっての母親のようなものだと、あの白い髪のセレステって子が教えてくれた。家族としての愛情の繋がり、それを君が与えてくれたから、彼らは孤独に折れることなく真っ直ぐに生きてこられたんだ。そんな彼らから大事な家族が奪われたら、きっと心が荒んでしまうだろうね」

「っ……あの子たちを引き合いに出すなんて卑怯ですよ!」

「卑怯だって? 僕はただ、子供たちの想いを代弁しただけだよ。そちらから目を逸らそうとする君の方がよほど卑怯だよ」


 彼女の抵抗をラストはまたしてもそのままそっくり返す。


「たとえ家族を巻き込んで共倒れする方法しか思いつかないとしても、最後の最後まで君は命を諦めるべきじゃない。オーレリー・ヴェルジネアとしての全身全霊を尽くすべきことは、まだまだ残ってるはずだ。違うかな?」


 そうして、ラストは鋭い眼光で彼女にヴェルジネアの目指すべき本当の未来を見つめてもらおうと問いを投げかけた。

 それを受けたオーレリーは頬をひくつかせながら、しばらく無言を保っていた。

 やがて口を開いた彼女は、打って変わって弱々しい声で呟く。 


「……それでも」

「うん、なにかな?」

「あの人たちは、家族なのです」


 ――と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る