第138話 同族同罪、故なれば


「国家反逆罪……確かにそれなら、偉い人も重い腰を上げざるを得ない。でもそれは、オーレリーさん自身の命をも捧げることになるんじゃないのか。この罪は、単に刑の実行犯一人の命で収められるほど甘いものじゃないはずだよ」


 この長大な歴史の中で興隆し、そして滅亡した国家の大多数において、国そのものに反逆するという行為はえてして最高峰の罪状に数えられるものだ。

 罪を贖うために必要とされる命は本人のみならず、血の繋がる一族郎党の全てに及ぶのがエスの屋敷で学んだ歴史の常。このユースティティアの現行法も例外ではないとラストは予想していたが、彼女の覚悟を決めた顔を見るに、それは真実だったようだ。

 騎士法にも精通するオーレリーのことだから、当然自国の法律など頭に入れて久しいに違いない。


「そうなりますわね」

「そうなりますわね、って……」


 しかし彼女は、それを理解してなおも家族の積み上げた罪に自らの血も含めて終止符を打とうと邁進している。


「しかし、告発しようにも肝心の証拠そのものが中々に見つからないのが問題なのです。父の先の言葉も、兄との内密な会話を偶然扉の前で聞いただけですし、いずれ嫁に出る娘に明かす必要が無いからでしょうね」


 ――命を失うことは、生あるものにとっては真実恐ろしいものに違いない。

 生きている限りは決して見ることの出来ない、死と言う不可逆かつ未知の深淵を人は何よりも恐れるはずだ。

 その先の一端をかつてシルフィアット・リンドベルグとの死闘を経て垣間見たラストとて、もう一度同じ暗闇を覗きたいかと言われれば全力で首を横に振る。

 だというのに、オーレリーは自らの死をさも自然であるかのように受け入れ、次の話に進んでいく。


「ですから、私は【怪盗淑女ファントレス】を演じることに決めたのです。相手の宝を盗む強大な相手が出現したとなれば、父も万が一宝と一緒に悪事の証拠を盗まれるようなことがあってはないと考え、他の特別な場所に隠そうとするでしょうから」

「……待って」

「その動向を屋敷内を自由に出歩くことの出来るオーレリー・ヴェルジネアとしての視点から見定めて、手に入れる……それが私の真の目的なのです。それに、怪盗と言う鬱憤を適度に晴らせる存在がいれば、耐えかねた人々が無理に動いて血を流すような最悪の事態にまでは発展しないと思いましたから。ですから、こちらの意味でも多少大げさな演劇的手法で立ち回る必要があったのですよ」

「……待って、くれないか?」


 徒然と自身の思惑を語り続けるオーレリーの口を、ラストは呻くように差し止めた。


「今の話は一言で流していいものじゃないだろ。どうして君が死ぬことまでが、さも当然のように語られるんだ? ただ家族の罪を贖おうと人々に尽くすのはともかく、何故その首を身体から別つところまで、同じ運命に殉じなきゃならないんだ」

「不思議ですか?」


 何一つ変わらない柔らかな笑顔のままに、オーレリーが首を傾げる。


「当たり前だよ」


 その異常な平常運転の彼女が発する圧力に向き合いながら、ラストはそうだと断じた。

 彼の知る限り、彼女は民草のためにと身を粉にして尽くしてきた。だというのに罪を犯した家族と同じ血が流れているからと言うだけで死刑に処されるのは、あまりに理不尽だ。

 それだけではない――道理が通る通らないの話以前に、目の前の少女はもっと自分の迎える死の足音に怯えてしかるべきなのだ。

 今のようにきょとんと愛らしく首を傾げるだけで済ませるオーレリーの異常性をラストは徐々に認識しつつ、まずはその淵に一歩踏み込んだ。


「僕がこれまで見てきた君は、民に害を為す存在じゃなかった。むしろ、君の家族とは対極に位置する……それなのに死を受け入れなければならないなんて、おかしいだろう。悪果は悪因にこそ帰するべしと言うのなら、君が死ぬべき道理なんてどこにもないはずだ」

「あら、はたして本当にそうでしょうか? ――よく見てください、ラスト君。貴方の見ているこの女は、貴方の思うような立派な淑女ではないのですよ」


 オーレリーは身に纏うドレスの腕を滑らかな手つきで撫でつけた。

 今日の彼女の装いは、若草色のゆったりとしたワンピースだ。よく晴れたヴェルジネアの青空に似合う、春の草原のような優しい雰囲気を醸し出す服装。

 ラストからしてみれば単に似合っているとしか思わなかったものだが――。


「ほら、例えばこのドレス。これはお父様が私のためにと、国を複数跨いだ地に住まう遊牧民から商人に買い取らせてきた最もきめの細やかな布地を、この身体に合わせて王都の職人に縫い合わせさせたものになります。そこにかけられた血税はおよそ、街の本来の税収の五割ほどでしょうね」

「……確かに、それくらいの価値はありそうだけど」

「あるのですよ。お母さまがそう仰っていましたからね」


 僅かに崩れた彼女の笑顔の向こう側に、非難めいた眼差しが浮かぶ。

 その悲痛に満ちた視線は、今度は彼女の体そのものへと向けられる。

 ドレスの襟に覗く自らの胸元を見下ろしながら、オーレリーは皮肉気に歪んだ笑顔をいっそう深くした。


「それに、私の身体を形作るこの骨肉の一つ一つでさえ、全て民の努力からすくいあげた上澄みから成っているのですわ。父が世界の各地から取り寄せた美食と美味の限りを、私もまた確かにこの口に含んで……嚥下しましたの」


 彼女の手が、その細い喉元へと触れる。

 ――いっそ、早いうちにそのまま自身の首を絞め殺してしまえば、どれほど楽になれただろう。


「出来ることならば拒みたかった。出されたものを叩き返して、家族を大きな声で糾弾したかった。ですけれど、姉程度ならいざ知らず、両親に対してはなにを言っても意味はないのです。父からはこれまでその身体を育てたのはなんだと粛々と説かれ、母からは現実を理解しない愚か者のように見られて――あの方たちは、この先もはや変わらないのだと知ったのです」


 だが、そのまま現状を放置して一人楽になるのは、それこそ唾棄すべき家族と何も変わらない。


「かといって与えられた生活を放棄しては、全て無駄にしてしまいます。余った料理は下賜されることもなく廃棄され、私の体格に寸分違わず調整された服など他の誰にも着られませんから。それならばいっそのこと、全て呑み込んだ方が民に強いた苦労に報いることが出来ます」


 愛すべき祖父のヴェルジネアを守るためならば、オーレリーは家族と同じ罪に塗れてでも、前へと進まなければならないと考えた。

 どちらかと言えば反抗的な彼女とは言え、同じものを身につけ、同じものを喰らえば同じ穴の貉だ。仲間を告発すれば、自分もまた同じ痛みを味わうことになる。同族同罪だからこそ、最終的には下手なことはしないに違いない――そう、家族に錯覚させるために。

 だからこそ、【怪盗淑女ファントレス】という光の裏側で、彼女はヴェルジネア家の一員として目を走らせることが出来る。


「そうして、嫌々とではありますけれど、同じ罪を重ねてきたのは紛れもない事実。であれば、それを拭うのに家族と同じ結末を迎えるのは当然ではないですか?」


 ――月は清廉な女神の化身であると共に、時として崇拝者に狂気の加護を授けるという。

 自死すら街を救済する過程として当然のものだと受け入れるオーレリーの瞳には、ラストがこれまでに抱いていた疑問に対する答えの全てが集約されていた。

 本来の貴族にあるべき義務感を通り越して、どこか病的なまでの強い意志の輝きを孕む、空虚な瞳。

 ――どれほど善行を積もうと、自分はしょせんヴェルジネアなのだから、と。

 自らもまた消えなければ街は救われないのだとの信念に、オーレリーは心の底まで囚われている。

 もはや彼女にとって、彼女もまた街から排除すべき病巣であり、自らの身体に顧みるだけの価値を認めていないのだ。

 その正気を忘却したような正しさへの信念を、それでも何年も孤独に貫き通してきた【怪盗淑女ファントレス】アルセーナ――オーレリーには、例え間違いであったとしても引き留められないと錯覚させるような凄みがあった。

 彼女の誇り高き信念の輝きの前には、並大抵の人間であればその勢いに圧倒されるがままに頷いてしまいそうになるだろう。


「いいや。そんなの、まったく当然じゃないよ」


 だが、それでもなおラストは毅然と彼女を否定する。

 オーレリーに彼女なりの想いがあるのと同様に、彼にもまた、この度で貫き通すべき信念があるのだから。

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