第137話 彼女の父が踏み越えてしまったもの


 オーレリーが話の切り口を探すように、一度視線を宙に彷徨わせる。

 その瞳が下を向いた時、彼女は今の会話が秘匿されていないことに気が付いた。


「ひとまずは、もう一度風を吹かせなければなりませんね。――風よ。妖精の草笛に身を委ね、鎖された花園に微睡みたまえ。【風花凪園ヴェン・サイレンセス】」


 彼らの足元に再び、緑に輝く魔法陣が描かれる。

 指定された空間域の気体の振動を一定に均し、内部と外部の音の伝播を途絶する結界がラストとオーレリーを取り囲んだ。

 魔力を持つ者だけに見える薄緑の天蓋に見下ろされながら、彼女が口を小さく震わせる。


「……そうですわね。なにを話すにしても、まず最初に知ってもらうべきは私の目的なのでしょうね。何故【怪盗淑女ファントレス】という紛い物の英雄を作り上げたのか。わざわざ、迂遠な手法を用いて街の人々にあるべき財貨を還元するのか」


 朱色の唇が、端的に紡ぐ。


「その目的は偏に、堕した我が一族を街から葬り去ること――これに尽きますわ」


 ラストはしばし沈黙してから、その宣言の意味を確認した。


「……ヴェルジネアから今の領主家の影響を根絶したい。そういう理解で良い、んだよね」

「ええ。貴族とは本来ならば街の発展の先鋒として最前線に立ち、この街、ひいては国家の安寧に身を捧げるべき存在。しかしその役割を放棄するばかりか、自らの骨肉を食い尽くそうとする獅子身中の虫と化した存在など、もはや不要でしょう?」


 首肯したオーレリーの言い方は少しばかり物々しい。

 その決意の裏側に秘められた想いの強さを肌で感じ取って、ラストは自然と目を細めた。


「……言いたいことは分かったよ。それで、いったいどうやって君の一族を街から追い払う予定なのかな?」


 そちらを深く問い詰めたくなる気持ちを堪えながら、彼は続けて具体的な方法論の説明をオーレリーに求めた。

 その先に待つ彼女の真意を知りたい気持ちが逸りそうになる。しかし、下手に踏み込めば話がこじれてしまうような気がして、ラストはまずは概要から把握すべきだと舌を彼の思いとは別の方向へ動かした。


「街の支配をしているのはヴェルジネア家でも、その権利は元を辿れば王国の頂点に立つユースティティア家に帰属する。とはいえ、王家としても一度家臣に認めた支配権を簡単に覆したりしてはくれないだろう? 今この地で行われていることをそのまま奏上したところで、黙殺か指導勧告くらいが関の山だ。それとも人気を得た怪盗の名を旗印に革命でも起こすつもりかい?」


 彼のわざとらしい問いかけを、オーレリーはそのまま冗談と受け取って笑って受け流す。


「ふふっ、まさか。そんなことをすれば、無辜の民が大勢血を流すことになってしまうでしょう? 己が罪を他人に雪がせることなかれ、悪果は悪因にこそ帰するべしとは六代前のアルトリウス・ユースティティア先王陛下のお言葉ですわ――血を流すべきは、他ならぬ罪を犯した当事者であらねばならないのです」


 そこで突如、話を切ったオーレリーの表情が変化する。

 ゆらりと周囲に北風の如き魔力を揺蕩わせて、彼女は極冷の瞳でせせら笑う。


「ラスト君はこの街に来て、なにを見てきたのですか?」

「なにって……領主が積み重ねてきた非道の数々について、だよね?」

「その通り。民を食い物にしようと重税を課し、暴力を躊躇なく振るう野蛮な騎士を跋扈させて。親無き子を生み出すことを容認し、果ては守るべき民に力の象徴たる魔法すら振るってみせる。……そのような諸悪の根源たる男が、まさか国家に対してなにもやらかしていないとお思いですか?」


 いっそ嘲るような口ぶりで、彼女は己が家族の悪行について打ち明け始めた。 


「私利私欲を満たすために、国庫に納めるべき貨幣や小麦、織物などの租税を過少報告し中抜きすることなど序の口。その他にも色々と国に求められた義務を放棄していますが、どれもさしたる問題ではないのだと敬愛すべきお父様は以前仰っていましたわ。ですが、それは王に対して誓った忠誠を反故にすることです。もし知られたならば、どうなると思いますか?」

「でも、その程度ならまだなんとかなるんじゃないのかな。爵位を下げられたりするか、領地を削られるか……いずれにせよ、地位の返上みたいな支配体制の決定的な破綻まではいかないような気がするけれど」


 貴族としての義務に反する行いをしたとしても、そこまであからさまなものでないのなら国王の寛大な御心でもって許されるだろう。

 一度決定された事項を簡単に覆しては、国王の面子にも関わるからだ。

 その口から発した言葉を簡単に引っくり返すようでは、臣下や周辺国からの信頼は得られない。


「そうですね。残念なことに、お父様の仰る通りその程度であればそこらの貴族の誰しもが行っていることのようですから」

「分かっているなら、他に……」

「――ですが、あの方はそうして王家を見下すあまり、最後の一線を踏み越えてしまったのです」


 なにか決定的な過ちはないのかと問おうとしたラストに、彼女は被せるように懐から一つの布に包まれた長物を取り出した。

 それを机の上で静かに紐解くと、中から一振りの短剣が取り出した。

 しかし、ラストの瞳はその剣が通常の工程を経て作られたものではないことを見抜いていた。


「――これは……魔剣?」

「ええ、かの【剣皇エンブレイド】の帝国に存在する魔剣工房、その熟練鍛冶師謹製の魔剣ですわ」


 刀身の芯材に使われている魔銅オリハルコンと、そこに刻まれた魔法陣が爛々と輝く。

 それに目を囚われていたラストに、オーレリーが一つの問いを投げかけた。 


「ところでラスト君は知っていますか、現状の我が国とかの国の状況を?」

「いえ、詳しくは……ただ、あまり関係はよろしくなかったとは思います。今はどうなのか……」


 彼の記憶によれば、帝国と王国は数年続く戦争に明け暮れていたはずだ。

 とは言え現状についてまでは、今のラストが知る由もない。

 懐かしい話について眉間に皺を寄せて、自分なりの未来予想を考え始める。

 しかし、知らないのであればとオーレリーはすぐさま答えを教えた。


「戦争中です。三十年前の帝座簒奪事件以降、エンブレイド帝国は我が国との戦争を未だに継続しているのです」

「なんだって!? 本当にまだ戦い続けてるのか?」

「今では戦況はだいぶ落ち着いていると聞き及んでいますが、それでも終戦協定は結ばれていません。すなわち、かの国は我がユースティティアの敵国なのです。――そのような国から魔剣を手に入れるには、当然莫大な資金が必要となります。しかし、戦時中の敵とあからさまなお金のやり取りを行うわけには参りません」


 彼女がふと、見せつけるように自らのこめかみをとんとんと指で叩く。


「となれば代わりの、持ち運びが簡易な価値あるものを支払うことになりますわ。目につかず、手に持つ必要なく、人一人いればそれだけで完結する値千金のなにか……」


 それを見て、ラストは瞬時に察した。

 ヴェルジネア家と帝国の間で取引されている、とあるものの正体を。


「情報……密通!? まさか、この国の情報を売ってるって言うのか!?」


 彼の導き出した回答にオーレリーはゆっくりと頷く。


「戦争中という国税の重要性が増す時期の虚偽報告による脱税に、敵国に情報を漏らす外患誘致。ここに今の暗愚政治が揃えば、材料は十分――国家反逆罪に値するとみなされるでしょうね。いかな陛下と言えど、これを放置しておくわけにはいかないと思いますわ」


 翡翠の瞳に、仄暗い光が揺れ動いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る