第134話 どうせ暴かれるのなら


 その言葉を口にした途端、オーレリーは強張っていた自分の背中からすぅっと力が抜けていくのを感じた。風船がしぼむように抜けていく緊張に情けなく頬を緩ませながら、身体を椅子の背もたれに預ける。

 一般の酒場には似つかわしくない、柔らかな焦げ茶色の革がそっと少女のたおやかな背中を受け入れた。

 誰の前であろうと常に粛然とした雰囲気を崩さなかった彼女が珍しい姿をさらけ出したまま、ラストに問いかける。


「私の口から真実を語る前に一つだけ、聞かせてくださいまし。――いったいいつから、私のことを疑っていたのですか?」

「いつから、と言うと……」

「あの日、そう、昨晩ではなくて。私の忘れていた約束を交わした日、貴方は別れ際に私の居場所について疑問を投げかけてきました。思えば既に、その時点である程度の疑いをかけていたのではないでしょうか? ほんの僅かな言葉尻を捉え、そこに違和感を抱く程度には。普通なら聞き逃してしまうか、単なる勘違いとして済ませてしまうほどの小さな言い間違い。そこを捉えた切っ掛けはどのようなものなのでしょう?」


 その質問に、ラストは途端に気まずそうに身体を竦めた。


「あー……そうだね。答えておいた方が良いのかな?」


 彼の見せた反応を奇妙に思いながら、オーレリーは大きく頷いた。


「これでも五年近く活動して、誰にも尻尾を掴ませることなく来ましたのよ。それを見破られたとなれば、その理由を知りたくなるのも当たり前だと思いませんか? ――それとも、なにか答えたくない事情でもあるのですか?」

「別に、大した理由はないんだけれど。けれど、ね。……言っておくけれど、これを聞いたら君は驚きとか関心よりも先に憤りを覚えたり、卑怯だと罵りたくなるだろうと思う。それでも聞きたい?」

「黙っておくほうがそれこそ卑怯ですわ。私の秘密を暴こうとしているのに、貴方は自分の秘め事を明かそうとしないなんて」


 友人の言い分に、むしろオーレリーは興味を持ったようにぐいと身を乗り出した。

 一方、ラストはごほんと咳を一つ。視線をうろうろとさせながら、心の整理をつけようとする。

 彼が怪盗の正体を見破った理由には、お話に付き物の探偵や刑事のような鋭い観察眼を持っていたからではない。むしろその逆――推理小説の読み方としては禁じ手に等しい、許されざる手段だ。

 そうとも知らず、自らの仮面を解き明かしてみせた読者ラストの手腕を拝聴しようと、期待の篭った眼で見つめるオーレリー。

 そんな彼女にやがて観念したように目を合わせて、ラストはむしろ断罪される側であるかのように目を瞑りながら種を明かした。


「そうだよね。どうせ君が面倒を見ている孤児院の二人には先に話しちゃったことだし、知られたからと言って困ることもない。怒られるのならば、甘んじて受け入れるよ」

「そんな、決して怒りなんてしませんから。どうか話してくださいな」

「……魔法使いなら魔力をその目に映すことが出来る、これは君も知っての通りだ。でも、僕の眼はもう少し特殊でね。魔力を生み出す人の心――魂を見抜くんだ」

「人の、魂を……ですか?」


 よく分からない、といった風にオーレリーは何度か瞬きする。

 翼を持たない人間には空を飛ぶ感覚というものがすぐには分からない、と言ったように。

 詳細の見えないラストの能力に思考を巡らせる彼女、その頭の中の想像を補強するように、ラストはもう少し細かく説明を続けた。


「見え方としては魔力と同じだよ。ぼんやりと色とりどりに光り輝いていて、それがきゅっと人の身体の枠の中に納まってるんだ。……それで、人の心というのは当たり前だけど、十人十色――まったく同じ魂を持つ人は存在しない。そして、人は外見を簡単に変えられるけれど、本質はそう簡単に変わるものじゃない。つまり……」

「……ラスト君の眼には、オーレリーもアルセーナも同じ存在として見えていたということですか。つまるところ、最初からお見通しでしたのね?」

「うん。その、なんというか……ごめん」


 オーレリーの顔から、称賛の光が消えていく。

 代わりに浮かぶのはラストが想像していた通りの、噴火寸前の火山のような表情だ。

 そして、間もなく心の中で沸騰した岩漿が溶岩となって溢れ出す。


「――なんですかそれは? 貴方の仰ったことはまるで、推理小説で暗躍する犯人の名前だけがこれみよがしな真っ赤な字で表記されているようなものではないですかっ! ズルですっ、反則ですわっ!?」

「だよね、これについては僕が悪いし、なにも言えないかな」


 ラストの眼はいわば丹念に積み重ねられた物語を冒涜するような悪魔の所業、そう形容されても文句は言えないものである。

 エスの館に収集されていた娯楽小説を読んでいた彼は、その冒瀆性を深く理解している。そして祖父の書斎にて勉強の合間にその類の本を読み進めてもいた、同好の士とも呼ぶことの出来る彼女に対する重大な裏切り行為であるとも。

 故に彼は、オーレリーから向けられる非難の目線をあえて真正面から受け止めた。

 現実では見る者をあっと驚かせる鮮やかな推理を導き出すよりも、使えるものなら何でも使って真実を掴むことの方が重要なのは二人とも承知の上だ。――しかしそれでも、


「どうせ暴かれるなら……せいぜい華麗に暴かれるのが良いと思っていましたのに。こんなの、あんまりですわ……」


 そう、光を失った瞳で肩を落とすオーレリーに、ラストはなにも言えなかった。


「……ちなみに、子供たちには?」

「魂が見えることは話したけれど、怪盗の正体については教えてないよ。僕だってアルセーナの正体を大衆に知らしめるつもりはないし、なにより彼らの夢をわざわざ壊すつもりはないから」

「そうでしたか。それなら、安心しました……少しだけですけれど」


 また、アズロやローザたちもよく躾けられているとはいえ、まだまだ子供だ。

 彼らの口から万が一漏れるようなことがあっては、オーレリーの長年の努力を裏切ることになる。

 そして、それを子供たちが自覚した時、彼女に恩義を感じているであろう自らの心をも深く傷つけてしまうだろう。

 そのような可能性が無いと知って、彼女は少しだけ元気を取り戻した。

 とはいえ色々と複雑な思いが胸の中を駆け巡っていることには変わりないようで、その疲労を吹き飛ばすように、彼女は机に置かれていた酒精入りの水を勢いよく煽った。


「――ふぅ。まったく、貴方の予想を悪い意味で超えた告白のせいで心臓が今も鳴っています。まさかせっかくの仮装がなんの意味も成していないだなんて、本当に理不尽な瞳ですこと。騎士を簡単になぎ倒す貴方は味方となれば頼もしくとも、敵に回せばどれだけ恐ろしい存在なのか、彼らの覚えた恐怖をちょっとだけ学ばせていただきましたわ」

「ははっ、僕が君の敵に回ることなんてないだろうから、それは杞憂だよ。それに、君の魂は分かりやすかったからね。深く見つめなくたって、一瞬で分かったよ」


 ラストの魔力を宿した瞳が、オーレリーの深層を見据える。

 青空の下に広がる大草原を駆けるような、澄み渡ったそよ風の色を持つ魂。

 それはどのような仮面で隠そうとしても隠し切れない、彼女の持つ爽やかで慈愛に溢れる愛の輝き。


「君の魂は、暗闇の中でも見紛うことの無い気高さと優しさを持ち合わせてる。こんなに綺麗な想いなら、君の好きなルブリスの描く怪盗にだって盗みたくなるに違いない。それほどに魅力的なんだよ、オーレリー・ヴェルジネアの持つ精神はね」


 そう言い切ったラストに、オーレリーは一瞬だけ胸が強く跳ねたように感じた。

 それはここまでに彼に明かされた衝撃の事実による心臓の昂りとは色の異なった、不思議な感触だった。

 ひとりでに再加速を始める胸の鼓動が何故かラストを前にしていると一際恥ずかしいものであるように思えて――これは、彼に見られてはならない。

 直感的にそう察して、彼女はその高鳴りをぎゅっと抑え込みながら昨晩のように冷たく微笑む。


「……また、そのような浮ついたことを。月が見ていないとはいえ、今度は衆目の中で私を手籠めにするおつもりなのですか?」

「だから違うってば。口説くとか、そう言ったつもりはこれっぽっちもないんだってば……」

「どうでしょうね――と、そちらも気になる所ですが、今はそれについて語っている時ではありませんものね」


 オーレリーは続く言葉を口にする前に、軽く周囲へ目を向ける。

 これから語る内容は、絶対に周りには知られてはならないことだから。

 とはいえ、その心配は必要のないことだった――ラストの身体が彼女の口元をデーツィロスの客の誰にも見られないように覆い隠していたからだ。

 音を通さない結界が張られているとはいえ、それを踏まえた上で細やかな気遣いを見せる友人かつ騎士である男の子に感心しながら、彼女は己の秘密を告白する。


「ええ、認めましょう。私こそがこの街を騒がせる【怪盗淑女ファントレス】こと、怪盗アルセーナですわ。それで、わざわざその正体を認めさせたところで、貴方は何を望むのでしょうか?」

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