第133話 向月葵薬の燐光


 青褪めた頬をふるふると震えさせながら、オーレリーはラストに手を引かれるがままにデーツィロスの中に踏み入った。

 彼らの背後で扉の閉まった音が響いた途端、既に店にいた観客がなんとなしに入口の方に視線を集中させる――そして、水を打ったかのように一様に口を閉じた。

 オーレリー・ヴェルジネア。他の領主一族ヴェルジネアとは異色の、平民を見下すことなく、それどころか彼らに倒して積極的に手を差し伸べる青き血の異端児。

 怪盗を褒めそやす程度ならばともかく、その家族の悪口を彼女の目の前で公然と喋り合うことは憚られて、彼らはぼそぼそと話題を無難なものに切り替えて気まずくなった空気を誤魔化した。それと同時に、彼女が現れても動じないラストとその後ろに続く無言のオーレリーの組み合わせにちらちらと好奇心の混じった視線を向ける。


「それでは、こちらのお席へどうぞ。今日も朝から【月の憂雫ルナ・テイア】の回収で疲れてるだろうから、まずはお水を持ってくるよ」


 先ほど退店していった三人組のいた、壁際の座席にオーレリーは案内された。

 ラストが椅子を引くと、それに合わせて彼女は静かに腰を下ろす。黙りこくって彼から目線を逸らしているものの、この店そのものを拒む気はないようだった。

 一度彼女の下を離れ、老婆の所へ小走りに駆けよって一言二言交わしてから、ラストはお盆に水の入ったコップを乗せてオーレリーの下へ戻った。


「はい。林檎酒をひとすくい混ぜてあるから、きっと疲れた体に効くと思うよ」


 そうして極僅かに黄金がかった水を差しだされるや否や、彼女の口元が小さく動いた。


「――風よ。妖精の草笛に身を委ね、鎖された花園に微睡みたまえ。【風花凪園ヴェン・サイレンセス】」


 オーレリーの足元に緑色の魔法陣が花開く。

 同時に、彼女とラストの周囲から音が完全に消え失せた。しかし周囲の人間はなにかを気にした様子を見せずに、同じように駄弁りあっている。

 それに反応を見せたのは。術者である彼女を除いてもう一人。


「遮音結界か。一定の範囲――ちょうど卓一つを囲める領域に大気の膜を敷いて、音の出入りを閉ざす類の……こんな立派なものを拵えるなんて、ずいぶんと気合が入ってるね。そこまでして何が話したいのかな?」


 発動された魔法に対して平然と感想を述べたラストを、オーレリーが責めるようにじろりと睨む。


「……見えるのですね、私の魔法が。魔法の使えないようなそぶりを見せておきながら、その実魔法を使えたとは驚きですわ」

「それについては本当に悪かったと思ってるよ。でも、一度話す機会を失うと、中々言い出せなくて。それよりも君は口で言うわりには驚いたようには見えないけれど、本当は知ってたんじゃないのかな?」

「驚き過ぎて顔の筋肉が追い付いていないだけですわ。ええ、本当に。魔力のまの字も感じられませんのに、魔法の才能を持ち合わせているなんて本当に不思議なこと。貴方のような方がいるなんて、今この時を迎えるまで思ってもみませんでした」


 無表情のまま平坦な声で話す彼女の顔は、どこか白々しいようにも見える。


「まあ、それについては良いでしょう。……ところで、先の約束とやらについてですが。私には思い当たりなどこれっぽっちもないのです。私とラスト君の間で、本当に何らかの約束を交わしたのでしょうか?」


 店の入り口で行われたやり取りの内容について、記憶にないとオーレリーは彼の言葉を否定する。


「ふぅん、僕の気のせいだったかな」

「ええ、きっとそうでしょう。いったいなんのことやらか、まったく心当たりが――」

「君が前に【月の憂雫ルナ・テイア】を回収しにここを訪れた時、最後に確かにちゃんと約束したはずなんだけどね。お金を受け取らなかったシュルマさんとエルマさんになんとかしてお金を渡すために、お客さんのいる時にやってきてくれるって」

「……え? あっ……」


 そう、それはちょうど先月の【怪盗淑女ファントレス】の騒ぎを終えた次の日のことだった。

 アルセーナの落としていったデーツィロス宛ての宝石を、他の困っている人に充ててくれと老夫婦はお金を受け取ることなくオーレリーに渡していた。その後に、彼らに別の形で貢献出来るのではないかとラストが提案した考えを、彼女は苦笑と共に受け入れていた。

 そのことを思い出して、オーレリーはぽかんと小さく口を開けた。


「ようやく思い出してくれたみたいだね。まさか君みたいな真面目な人が誰かとの約束を忘れるなんて、意外だよ」

「申し訳ありません、つい。他のことに気を取られていたものでして……」

「そうなの? 他にもっと重要な約束があったとか、かな。そっちについても気になるけれど……まあ、良いよ。結果として守ってくれたわけだからね」


 慌てて棘のあるような態度を取っていたことを詫びたオーレリーに、ラストは続いてデーツィロスの制服の内側から折り畳まれていた小さな紙を取り出す。


「ところで、そっちはそれで解決として、今度はこれを見てくれるかい?」


 それを机の上に広げると、彼女は驚いたように手に取って描かれていたものを食い入るように眺める。

 そこに記録されていたのは、【怪盗淑女ファントレス】アルセーナの繊細な線画と、至る所に添えられた数値の情報だった。


「これは僕が測定したアルセーナの身体情報なんだけれどね。気のせいじゃなければ、ほとんど君と合致しないかな? 見たところだいぶ近いようだけれど」

「まさか、こんなものをいつの間に……」

「実は昨日、彼女を間近で眺める機会があってね。その時にこっそりと測らせてもらってたんだ。目測とはいえ、かなり正確な数字だと思うよ。目には自信があるんだ、身体の中の傷も分かるくらいにね」

「……っ。そう、なのですか。目測……いえ、それならばこれは正しい数値とは言えませんわね。きちんと巻尺などで計測しなければ意味はありませんわ、ラスト君」


 ラストはオーレリーから突き返された紙を片付け直して、ならばと今度は別の紙を彼女に突きつける。


「じゃあ、こっちはどうかな。オーレリーさん、この間約束をした日について覚えてるかな?」

「ええ、覚えていますけれど、それがなにか。こちらはなんですか? ……二人分の、足跡?」

「片方は君が立ち去って行った後に採取したものだよ。そう、今履いているものと同じ靴だね」


 彼が取り出した紙を地面についた彼女の靴から落ちた土埃の傍に置く。

 その両方を比較してみると、ほとんど同じ輪郭であることが分かる。


「それで、もう片方がその日の朝に採取したものさ。朝一番、陽が昇る前に鍛錬に外へ出た時に見つけた新しい足跡。今度はこれと比べてみようか」


 ラストが提出した三枚目の紙に描かれていた足跡を今のオーレリーのものと比べると、これまた誤差があってないような大きさのものであることが分かる。


「靴の大きさ、ですか。しかしそれに何の意味が? 同じような大きさの靴なんていくらでもありふれているでしょうに。朝にデーツィロスを訪れたという謎の足の持ち主と私の足跡が偶然似ているということから、そもそも貴方はなにを仰りたいのですか?」

「分からないかな? 【月の憂雫ルナ・テイア】のあったその日の朝に新しい足跡が刻まれる理由なんて、一つしかないと思うけれど」


 彼の口から漏れた鍵となる言葉に、オーレリーが眉をひそめる。


「怪盗と私の情報を並べ立てて……まさか、その正体が私だと? まさか、たったこれだけのことで?」

「他にもまだあるよ。あの日確認した君の不自然な発言が、僕は未だ気になってるんだ。それ以外にも、怪盗は魔法使いだし、この街にいる魔法使いと言えばヴェルジネア家くらいだろう? その中で怪盗と理念が共通しそうなのは言うまでもなく、そう、君だけだしね」

「確かに、私と怪盗で一致する点が多々あるのは認めましょう。ですが、貴方の言い分はどれも推測を越えないものばかり。その論理を証明できる決定的な証拠がないのに疑うのは、それこそ私の家族のようなものでしてよ」


 オーレリーなりに強い言葉で非難されたラストは、苦笑しながら肩を竦める。

 確かに、彼が今あげつらった疑問点だけでは怪盗とオーレリーを一致させるには足りない。

 完璧な証拠を叩きつけない限りは、彼女は頑として認めないだろう。


「まあ、そうだね。これだけじゃ、君と怪盗を完全に結びつけるには足りない。だから、最後に聞こう――さっきから輝いているその腕はなんなのか、教えてもらえるかな?」


 ラストが指摘した己の腕へ、オーレリーは首を傾げながら目をやった。

 そして、そこに起きていた異変に気付く。

 薄暗い、半分影となった壁際の座席で、彼女の腕がぼんやりと朧気に輝いていた。

 それだけでなく、彼女の身体の至る所が不自然に青白く発光していることに、オーレリーは今更気づかされた。


「……これは!?」

「おや、自分の身体に起きていることなのに分からないのかな? まさか君のような実直な性格の女の子が得体のしれないおしゃれをしているなんて。――でも、安心して良いよ。それは毒じゃない、ただの薬の副作用さ。君の鞄の隙間から覗いてる、【向月銀葵セレアンサス】から作った塗り薬のね」

「あっ……」


 驚く彼女の隙をついて、ラストがオーレリーの鞄の中から一つの小瓶を取り出した。

 その蓋を開けて中身を覗くと、緑色のどろりとした液体が顔を覗かせる。


「【向月銀葵セレアンサス】というのはね、夜に溜め込んだ月光を昼に放射するという特性を持つ花でね。一般的には夜中に咲いて月の動きを追いかける花として有名だけど、潤沢な魔力を浴びて変質したたこの花は摘み取ってもなおその輝きを失わないんだ。太陽の光を感知すれば、薬を拭った後でも数日間はほんのりと青白く輝いてみせる――今みたいにね」


 彼がその中身を軽く指ですくって外気に晒すと、店の外から反射して差し込んできた太陽光に反応して、薬が僅かに蛍火のような燐光を放つ。


「太陽の強い光の中では分からないだろうけど、こうして薄暗い場所でなら分かるんだ。それで、君はどこでこれを手に入れたのかな。この特別な【向月銀葵セレアンサス】の薬は昨晩、僕が偶然出会った【怪盗淑女ファントレス】に火傷の治療に渡したものでね。君が持っているはずもないし、ましてや全身に塗りたくるなんてことはあり得ないと思うんだけれど……どうかな?」


 そう尋ねたラストに、オーレリーは暫く黙って彼の瞳をまっすぐ見つめ返し――そっと諦めたように視線を逸らした。


「……なるほど、これでは言い逃れ出来ませんわね」

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