第127話 昇る太陽、穿つ魔弾


 脅しでもなんでもなく、グレイセスは彼女の口にした凶行を行動に移すつもりのようだ。

 彼女を正面から見据えるアルセーナは、その理不尽な狂気の欠片を覗かされていた。

 ヴェルジネア令嬢の瞳に浮かぶ、一寸の曇りもない凶光。それが下に密集する民衆へと向けられているのを見て、彼女は血の気の引いた顔で警告を叫ぶ。


「――皆さん、今すぐに逃げてくださいな! 彼女は本気です、怪我をしないうちに早く――っ!」


 その言葉が彼らへ届くよりも先に、グレイセスは己が下僕らへ振るう炎鞭の鋭さを詠い始める。

 星空の下で、悪魔が嗤う。


「おほほっ、間に合うものですか! ――炎よ、我らが尊き青き血に服従せよ。我が意に反逆せし愚者を焼却し、万人の見せしめにするがいい。【火炎瀑滝フラマ・カタラクタ】 ……どうにかできるものならやってみせなさいな!」

「くっ、――風よここに慈母の抱擁を、其は愛謳う護り厄災祓う白梅の花楯っ、【風花聖楯ヴェン・マリアイギス】!」


 グレイセスが指揮棒のように振るった腕の先から、荒れる炎の竜巻が屋敷の外へ向けて突進する。

 それを火の粉一つ漏らすことなく遮きろうと、アルセーナの視線の先で展開された風の楯が迎え撃つ。

 弾けた炎の小さい欠片が、屋敷の外周を囲う鉄柵の一つに当たってどろりと溶かした。

 それを見て第六感に危険を訴えられた民衆が、続けていた雨のような歓声をばたんと止める。


「――逃げてください! 彼女は私だけでなく、貴方たちをも焼き滅ぼすつもりなのです! 巻き込まれたくなければ、今すぐに高級街から自分の家に帰ってくださいまし!」


 そこに、続けて新たな炎が迫り――風の楯と衝突して爆音を響かせた。

 轟く衝撃が、観客たちの肌を揺らした。

 その攻撃が飛んできた先を見上げれば、屋根の上で三日月の如き狂笑を浮かべる悪魔グレイセスの顔が彼らを見下ろしている。

 刹那。


「――逃げろ、逃げるんだぁーっ!」

「アルセーナが俺たちを守ってくれてるうちに、早く行くぞ!」

「嘘でしょ!? まさか私たちに攻撃してくるなんてっ、なんなのよもう!」


 彼らは声を上げながら、わたわたとヴェルジネア邸に背を向けて逃げ出そうとする。

 慌ててこの場から脱出しようとする観客たちだが、避難はすぐには終わらない。

 噂に名高い怪盗につれられてみっちりと隙間なく集結した人々は、それ故に速やかに外へ逃げることが出来ないのだ。

 押し合いへし合いして、遅々としながら離れていく一般の民衆。


「おほほっ、やはり下民はこうでなくては! あたくしの力に恐れおののく――実に見ものですわ!」


 嗜虐心が刺激され、満たされ、魂が昂りをみせる。

 興奮の感情が燃料となる魔力をたっぷりと魂の底から掬い上げ、彼女の魔詩にくべていく。


「おっと、お前もですよ虫けらめ! そうら、踊りなさい! 民の命もお前の命も、全てはあたくしの手の思うがまま! ほほほっ、おーっほっほっほっ! ――見せしめにするが良い、【火炎瀑滝フラマ・カタラクタ】!」

「誰が、貴女のためになど踊るものですかっ!」


 突如として向けられた炎にも、アルセーナは即座に対応してみせる。

 既に穴だらけになった無惨な屋上の足場を自らの身体を投げ出すように跳び、軽く転がって受け身を取りながら、彼女は気概を失うことなくグレイセスへ咎めの眼差しを向け続ける。

 その頬についた煤を見て、グレイセスは自分の脳に甘い蜜が充足されていくような錯覚を抱いた。


「口先だけはよく吠えること、お前にはその化粧がお似合いよ雌犬! ――【火炎瀑滝フラマ・カタラクタ】!」

「風よ――【風花聖楯ヴェン・マリアイギス】! ……げほっ」


 アルセーナへ向ける視線をそのままに、不意を打つかのように眼下へと魔法の火炎が撃ちだされる。

 彼女はそれを見逃すことなく、風の楯を打ち立てた。

 視界の端ではまだまだ民衆が逃げ惑っている。

 彼らが逃げる時間を稼ぐために、アルセーナは相手の一挙一動を冷静に見計らって、心もとない魔力を消費して防御魔法を編み上げる。

 しかし、枯渇しつつある魔力は着実に彼女の身体を蝕んでいた。

 辺り一面に充満した熱に喉を焼かれ、せき込んでしまう。


「愚かなものね、早く楽にしてあげましょうか? ――見せしめにするが良い、【火炎瀑滝フラマ・カタラクタ】!」

「誰がっ――」


 打ち放たれる炎を回避するアルセーナ。だが、そのドレスの裾を僅かに掠めた炎が焼き焦がした。

 それだけでなく、既に彼女の身体の至る所には熱によって炙られた小さな火傷が浮かび上がっていた。

 嗜虐の悦びによって追加の魔力を生み出しているグレイセスに対し、彼女は自らに近づいている魔力切れへの実感から徐々に劣勢になっていることを受け入れつつあり、魔力の回復が見込めない。


「あっ――くぅっ……」

「ほほほっ、おーっほほほほっ! 段々とらしくなってきましたわね、先ほどまでの強気はどこへ行ったのかしら?」


 贅肉のついた頬をたわませながら、グレイセスは小躍りしつつ魔法の炎を連射する。

 またもや自身に向かって飛んできた火炎の大渦を、アルセーナは帽子を押さえながら左に回避する。

 今度は手袋の表面の毛が幽かに燃え、ちりりとした匂いが彼女の鼻腔を焦がす。

 

「ああっ! アルセーナ!」

「あんなになってまで……俺たちのために」

「頑張れっ、負けるなアルセーナ!」


 いつまで立っても前の人混みが退かない現状に苛立つ人々は、仕方なしにアルセーナの活躍を見ていた。

 その眼の先で少しずつ怪我を増やしつつある彼女に、彼らはせめて出来ることをしようと声を送る。

 彼女を見つめる民衆の顔には不安と希望が半分ずつ浮かんでいる。

 その余計な恐れをかき消し、自身への心配から足を止めないよう促すべく、アルセーナは笑顔の仮面に入りかけていた罅を強い信念で取り繕う。


「――この程度の炎なんて、なにするものでしょうか。信念もなにもない薄っぺらな炎など、わたくしにとってはそよ風のようなもの。このような柔な炎になど、誰が負けるものですか!」

「ほほほっ……まだそんなことを言えるのね。大したものだわ。褒めて差し上げましょう。だったら、これはどうかしらね?」


 グレイセスは何度も繰り返していた【火炎瀑滝フラマ・カタラクタ】の詠唱を止め、その手を天高く掲げた。

 そこにつけられた数々の宝石や貴金属が星の光を受けて瞬く中、彼女はこれまでには唱えなかった新たな詠唱を紡ぎ始める。

 ――そして、その魔法の正体にアルセーナは絶句させられることとなる。


「――炎よ、我らが尊き青き血に服従せよ。……日は満ちた」

「なっ、それは……まさか、このような街中でその魔法を使うというのですか!?」


 グレイセスの語り始めた文言に、その知識を持つアルセーナが目を限界まで見開く。

 日は満ちた――その文言から始まる魔法は、彼女も良く知っていた。

 なぜならそれは、街を渡り歩く吟遊詩人たちが必ずと言っていいほど持っている、現【英雄】ライズ・ブレイブスの英雄譚に語られる得意魔法の一つなのだから。


「争いは今こそ終幕に至れり。善悪の一切を灰燼に帰す……」

「本当に放つなんて――そのようなことをさせるものですかっ! 風よっ、ぅげほっ!」


 なにかしらの魔法を撃ってグレイセスの集中を搔き乱そうとするが、そこで運悪く彼女はせき込んでしまった。

 喉元から溢れ出た痰には、煤煙の黒に僅かに赤色が混じっていた。

 それでもなお魔法を唱えて抵抗しようとする彼女を、グレイセスは嗤う。


「無駄よ、この魔法をお前みたいなちゃちな虫が止められるものですか――」


 天に瞬き始めた巨大な魔法陣から、地獄すらなめ尽くさん勢いの炎がふつふつと噴きこぼれ始める。

 そこから零れ落ちた小さな焔が、喝を入れようと自身の胸を叩くアルセーナの足元に落下する。


「きゃあっ――!?」


 直撃こそ避けたものの、猛烈な炎の塊は近くを通っただけでも彼女に火傷を与えた。

 凄まじい放射熱によって、深緑のドレスから覗くアルセーナの白肌が呪いを受けたかのように焼け焦げていく。

 痺れるような激痛に堪える女怪盗を、グレイセスは平然と愉しそうに見つめる。


「貴族の力を知って後悔なさい、あの世で好きなだけ! ――大いなる星の裁きを、今ここに! 爆ぜよ!」


 先の【火炎瀑滝フラマ・カタラクタ】とは比べ物にならないほどの莫大な焔が、球体へと収束する。

 その大きさは英雄譚に謳われるようなもう一つの太陽ほどではない。

 グレイセスの感情から生み出される魔力を以てしても、完全体を形作るには不足しているようだ。

 また、グレイセスが御しきるにはまだ技量が不足していたのか、魔法陣はところどころが欠けており、ほどけかけている。

 しかしそれでも、火球の規模はヴェルジネアの高級街の一角を消滅させるに足るほどの大きさを誇っている。

 突如夜空に顕現した強大な炎の巨塊に、人々は自らの命の危機すら忘れて茫然と空を見上げる。

 その人知を超えた英雄譚の一端に、誰もが天を仰ぎ見るしかない中で――。


 ――君の努力に水を差すようで悪いけれど、これはさすがに手出しさせてもらうよ。


 その、屋敷で聞いた声と共に。


 ――【鋳魂魔弾イデア・フライシュッツ】。


 最後まで諦めきれず、頭を悲鳴を上げるほどに回転させて続けていたアルセーナは見た。

 一つの雨粒のように幽かな光の弾が、流れ星の如くグレイセスの魔法陣を貫いた姿を。


「――【太陽烙印プロメテオラ】!」


 それに気づかない様子で、彼女は思いのままに魔法の発動を今ここに宣言した――。

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