第117話 門番:風斧の双騎士


 視界の果てまで埋め尽くさんとするほどの観客に見守られる中、アルセーナは己の日除け傘で空気を掴みながら木の葉のようにふわふわと舞い降りる。

 その信じられないような光景は、もちろん魔法によるものだ。彼女の足元に展開された魔法陣、上昇気流を生み出す魔法で彼女は自身の身体を支えているのだとラストの瞳は見抜いていた。

 一方、宙を軽やかに舞う怪盗に魔力の見えない一般の見物人は大歓声を上げていた。


「信じられるか!? 人が傘で空を飛ぶなんて!」

「前に見たのはどこだったか、どこでも良いか! 相変わらず信じられねえことを平然とやってのけてるぜ! さすがアルセーナだ!」


 歓迎の声に囲まれながら優雅に参上したアルセーナは、悠然とした微笑をたたえながら、彼らの期待に応えるように周囲へ向けて軽く手を振った。

 同時に、その窓の一つが――ばんっ! と大きな音を立てて開かれた。


「炎よ! 我らが尊き青き血に服従せよ! 我が意に反逆せし愚者を焼却し、万人の見せしめにするがいい! ――【火炎瀑滝フラマ・カタラクタ】!」


 突如窓の中から姿を現したのは、子供たちに馴染み深いオーレリーと同様の琥珀の髪と翡翠の眼を持つ女性だ。ただしその色彩以外は、アズロやローザの知る彼女とは真逆の属性を備えている。

 その正体はオーレリーの姉、グレイセス・ヴェルジネアだ。

 夜空へ向けて伸ばされた、むちむちに膨れあがった腕の先に力強い魔力が渦巻く。陽炎のように揺らめく毒々しい魔力が、詠唱によって彼女の脳の奥から想起された形を成し、輝く文字の円陣を組み上げる。

 ――ごうっ!

 燃え盛る激流のような炎が生まれ、空に駆け上がる龍のようにアルセーナへと一直線に突き進む。


「なっ、なんだよあれっ!?」

「なにって、お姉ちゃんのと同じみたいな魔法に違いないわっ! でもあんなの、アルセーナが燃えちゃう!」


 自分たちの知識の及ばない力に子供たちがアルセーナの無事を心配する中、ラストが静かに解説する。


「いや、落下し続ける物を狙い打つには相応の技量がいるからね。それにあの魔法の軌道は一直線だし、魔法の発動が終わる頃には最初に定めた狙いの位置に彼女はいない――つまり、何も心配しなくて大丈夫だよ」


 グレイセスの魔法陣が完成したと同時に、アルセーナはぱたんと傘を閉じていた。

 空気抵抗が減少し、彼女の落下が加速する。グレイセスの放った炎は空しくも怪盗の頭上を通り過ぎて、目標に掠ることなく夜闇の向こう側に消えていった。


「きぃーっ! あたくしの至高の魔法を避けるとは無礼な!」


 がんがんと落下防止の手すりを叩き、ままならない現状に子供のように駄々をこねるグレイセス。

 一方華麗に着地したアルセーナは、彼女に向けて一礼した後挨拶を交わす。


「お久しぶりですわね、グレイセス様。民の血税を飲み散らかしてぶくぶくと肥え太ったその御姿、まったくお変わりないようでなによりですわ」


 朱を差した美麗な唇からさらりと毒を吐くアルセーナ。

 その態度はチャルヴァートンと相対していた時に比べて、一回り刺々しいように見えた。

 相対しているのが街の窮状の根幹の一人ということもあってか、義賊的な働きをしている彼女はグレイセスを毛嫌いしているらしい。


「うるさいわね、下民のくせに!」

「その下民の言葉を正直に受け取ってくださるところは嫌いではありませんよ? ですが、もう少し品のある言葉遣いを心がけてなさいませ。それでは歴史あるヴェルジネアの名が涙に濡れてしまいますわ」

「その口を閉じなさい! お前如きにあたくしたちのことを語るなんて、とんでもないことです! 炎よ! 我らが尊き青き血に――」

「おっと、御身の魔法を受けるわけには参りませんわ。なんとやらの一つ覚えとは言っても、火力だけは洒落になりませんもの」


 彼女は帽子を押さえながら、ドレス姿で手際よく正面玄関へと駆け寄った。

 しかし、そこには二人の騎士が手に持った長柄の戦斧を交錯させる形で待ち構えていた。

 民衆をせき止める壁としての役割とは違い、門番ともなれば相手を前にしてただ立っているわけにはいかない。

 ラストがじっと目を凝らすと、彼らには【戒罰血釘カズィクル】の魔力の残滓が見受けられなかった。どうやら残っていた無事な騎士たちの一部のようだ。


「覚悟せよっ! 美人と言えど盗人であれば容赦はせぬっ!」

「我ら【嵐斧の双騎士ル・ド・テンペアクス】、二身一体となりてお主を捕らえようぞ!」


 貧しく野蛮な語彙しか持たなかったこれまでの騎士たちとは違い、地に根の這ったような動きで斧を携える二人の騎士。

 彼らが自らを称した二つ名は、特に著しい成果を残した騎士に主から贈られる名誉の証だ。

 それがあるということは、一応は凡騎士とは異なるようだが――。


「おや、かつてヴェルジネアの双嵐と謳われた方々と相まみえることが出来るとは光栄ですわ。これまではお姿を見かけませんでしたが、いったいどちらにいらっしゃったのでしょう?」


 一度足を止めて距離を取りながら、再び頭上から降り注ぐグレイセスの魔法の炎を回避しつつ、アルセーナは騎士たちに問う。

 どうやら彼らはこの街で有名な騎士だったようだ。

 彼らは交差させていた斧を構え直し、威嚇のように軽く振り回しながら語りだす。


「……我ら双騎士、一度はお館様に見限られた身」

「されどお主の為したる悪行に心を痛められたかのお方が、我らを呼び戻すことを決断なされた」

「なれば、後は忠義を尽くすのみ」

「一度騎士を辞させられた身と言えど、衰えは無し。再びヴェルジネア家に仕えられる栄誉に応えようぞ!」


 ぶぉんぶぉんと風を切って大きな車輪のように戦斧を回しながら、気合は十分と宣言する。

 しかしアルセーナは、そんな騎士らしい騎士の二人に哀し気な視線を向けるばかりだった。


「お二人とも、ヴェルジネア家に忠義を尽くすのは結構でしょう。しかし、今の・・この家に貴方たちが仕える価値があると本当にお思いなのですか?」

「むっ……」

「……なにを言い出すかと思えば」


 アルセーナの問いに、二人の騎士は痛い所を突かれたとはっきり示す。

 顔を大きく顰めるということは、彼らもまた今の領主に思うところはあるということだ。

 その良心へ向けて、彼女はこのヴェルジネアの現状を改めて訴える。


「先代ヴェルジネアの下で名を馳せた騎士のお二人がたは、この現状になんの憂いも抱かないというのですか。貴方たちが守るべきものは真に、その背中にあるものだと? 下らない貴種の誇りに胡坐をかく者たちを守護することよりも、その先代に下賜された大戦斧を振るうべき大義はあるのでは? 私はそう愚行いたしますわ」

「――お前たち! そんな罪人の言葉に誑かされるつもりなの!? 貴方たちを再び引き立てたのはお父様なのよ、愚か者の言葉に耳を貸している暇があればさっさとその野蛮な武器でそこの売女を挽肉にしてしまいなさい! ――炎よっ!」


 僅かに迷いを見せて斧を止めた彼らに、グレイセスが唾交じりの叱責を飛ばす。

 それを受けて騎士たちはなおさら顔を顰めたものの、彼女の放つ炎魔法を見ながら、再度動き出す。


「――うむ。いかに清廉な言葉を吐こうと、お主はしょせん罪人よ。訴えるべき言葉があるならば、然るべき場所にて語れ」

「我らは騎士、ただ主の名誉に尽くす者なり……」

「……そう、貴方たちはそう考えるのですね」


 アルセーナはグレイセスの言葉を都合よく解釈した目の前の騎士たちを見ていられないと言うように、帽子を深めに被り直した。

 そうして、悲嘆混じりの声で彼らの耳に語りかける。


「それが出来るのならば、とうにそうしていますわ。ですが、貴方がたの言う正当な手続きを経ている間にも誰かが苦しんでいましてよ?」

「うぐっ……」

「目前の大義に目を伏せ、形ばかりの理想に固執するのみ――そのような騎士にもはや用はありませんわ。そこをお退きくださいませ、さもなくば押し通らせていただきます」

「惑わされるな兄者! もはや言葉は無用っ、押し通りたくばやってみよっ!」


 彼女の言葉に逡巡を見せる兄貴分を勢いづけるように、騎士の片割れが斧を手に勢いよく飛び出した。

 今は騎士としての主人への忠義を重視すべきだと、彼は迷いを振り払うように叫びながら斧を振るう。


「かぁぁぁーッ!」


 上段から勢いよく振り下ろされた鈍斧がアルセーナに迫る。

 咄嗟に後方へ跳び退った彼女の足元に敷かれていた石畳が、戦斧の勢いに負けて大きく陥没した。


「これこそが我が戦斧の威力! これを喰らいたくないのであれば、速やかに降参されよ!」

「なるほど、確かに衰えてはいないようですわね。かつて私が目にし、尊敬を抱いた勇猛な斧騎士は健在ということですか。……その外側だけ、というのが名残惜しいですが」

「ほう、かつての我らを知っておられるか。なればその力も知っていよう。降参するならば今の内ぞ」


 油断なくアルセーナに穂先を向けて構えを取り直す騎士。

 しかし、彼女は勧告を跳ね除けるように頑とした眼を返す。


「御冗談を。いかなる番人が待ち構えていようと、怪盗が自ら屈する理由はありませんわ。私は自由の風、それを如何にして捕らえられますか? ――風よ」

「魔法かっ! みすみす詠唱を言わせはせん!」


 名のある騎士といえど魔法を完成させられてはたまったものではないようで、彼はアルセーナの口を黙らせようと駆ける。

 重厚な鎧を纏っているというのに、猪のように疾駆するその姿は実に見事だ――しかし。


「私のことよりも頭上に注意なさってはいかがでしょう?」

「なっ――うおっ!?」


 幽かに微笑んだ彼女の言葉に、騎士は己の上から迫る攻撃の気配に気づいた。

 彼はすぐさま静止をかけ、突進を取りやめる。

 少し遅れて、そのまま彼が突っ込んでいくはずだった場所に荒れ狂う炎の長槍が襲来する。


「――【火炎旋槍フラマ・ランセーラ】!」


 弾けた炎の投槍が、地面に刺さると同時に炸裂する。


「くっ、外れるなんて――」


 そんなグレイセスの舌打ちを打ち消すように勢いよく爆発した炎から、咄嗟に斧の腹を前に持ってくることで騎士は顔を守る。

 その魔法の余波が晴れると同時に彼はアルセーナを探すが、時すでに遅かった。


「集い囁きて、我が身を千尋を駆ける嵐と化したまえ――【風鳳強化ヴェン・フォルス】」

「っ、悪党の魔法如きに屈するわけには――は?」


 土煙の晴れた先で、アルセーナは騎士へ向けて照準を合わせるかの如く真っ直ぐに手を伸ばしていた。

 屋敷の上階から部下がいるのにも構わず魔法を放つ令嬢に文句を言う間もなく、彼は次なる魔法攻撃に耐えようとする。

 しかし、アルセーナが唱えていたのは攻撃系統の魔法ではなく強化魔法だ。

 彼女はすぐさま形だけの攻撃の素振りを取り下げ、その身に従えた風に身を任せて騎士の反応よりも早く彼の真横を駆け抜けた。


「くすっ」


 ささやかな勝利の笑みを残して駆け抜けた女怪盗を、騎士は再び追おうとするが――。


「――見せしめにするが良い! 今度こそ、【火炎瀑滝フラマ・カタラクタ】!」


 長ったらしく忌々しい詠唱が再び聞こえて、不安と共に足を止めた結果、ちょうど彼とアルセーナの間にまたもや炎の濁流が降り注ぐ。

 これでは彼女を負うことなど出来るはずもない。

 とことん頭上の主の愛娘に邪魔されることを腹立たしく思いながらも、彼は足止めを喰らうことになるのだった。

 そして、残るもう一人の門番とアルセーナが相対する。


「っ、通すものかっ!」


 邪魔があったとはいえ、怪盗は弟分をいなしてみせた。

 それを見て、迷いはあれどひとまず怪盗を捕縛しようと彼は戦斧を振るう。


「いいえ、通していただきます。風よ、渦を巻きて敵を穿て。【風矢ヴェン・サギッタ】!」


 今度こそ放たれた渦巻く不可視の風の一矢が、注意散漫だった騎士の頭部を後方から強打した。

 魔法陣を目視できない人間は、どこから魔法が放たれるか分からない。通常は狙いの定めやすい正面から来ると予想するものだが、アルセーナはそれを逆手にとって背後からの不意打ちを狙ったのだった。


「ぬおっ!? なんのこれしき……っ」


 幸いにも、戦闘不能になるほどの威力ではない。

 予想外の衝撃につんのめりかけた兄の騎士はなんとか踏みとどまろうとしたが、


「風よ、爆ぜよ」


 その一瞬の隙はアルセーナが彼の守りをすり抜けるには十分だった。

 足の裏で風を集束、発散した彼女は一段階加速して姿を消したかと見間違うほどの速さで騎士の後ろに潜り込んだ。


「っ、このっ!」


 振り向きざまに騎士が大振りの横薙ぎを繰り出す。

 しかしアルセーナはそれに合わせて既に姿勢を低くしており、騎士の戦斧は守っていたはずの玄関扉を砕くだけで終わってしまった。


「ふふっ、感謝いたしますわ。どうやら鍵がかかっていたようですけれど、これで労せずに通れるようになりましたから。それでは皆さま、しばしの間お別れですわ。――ああ、それと」


 無茶な体勢で斧を振りかぶったせいで、騎士は姿勢を崩し倒れ込んでしまっていた。

 そんな彼が起き上がろうとするよりも先に、アルセーナは一言だけ残して――。


「次に相まみえるまでに、かの下町にいるという真の騎士の爪の垢でも煎じて飲んでいらっしゃいな。さもなくば、貴方がたは一生騎士という汚名・・・・・・・を背負うことになるでしょう」


 そう告げて、彼女は騎士達にそれ以上意識を向けることもなく、屋敷の奥へと堂々と正面から侵入するのだった。

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