第116話 舞い降りる怪盗淑女
空高く昇った真月が、夜のヴェルジネアをあまねく照らし出す。
月光を受けて青白く輝く石壁に囲まれた教会の中庭で、ラストは選ばれた二人の子供たちを迎えに来ていた。
青い髪を刈り上げた少年と、左右の上部に赤髪を垂らした少女――アズロとローザだ。
ラストが四蛇騎士から救った彼らが、今宵の【
「準備は良いね? 持っていきたいものは出来るだけ鞄に詰めて両手を開けて、肌も見えないように袖の長い服を着て……うん、大丈夫そうだね」
「なあ、ただ見に行くだけなのになんでこんな窮屈な冬のを着なきゃいけないのさ?」
「それにちょっとくすぐったいし、暑いよお兄ちゃん……」
「ごめんね。でも、これから行くところには人がいっぱいいるんだ。万が一ぶつかったり転んだりしたら怪我しちゃうかもしれないからね。その予防策だよ」
熱狂する人々の渦に巻き込まれては、ラストはともかく子供たちはただで済まない可能性がある。
オーレリーに彼らを無事に帰すと約束した手前、些細な怪我であろうと負わせるつもりはなかった。
「そんなに危ないの?」
「皆怪盗に夢中だからね。周りが意図しなくても事故になるかもしれないんだ。その為に大事な事なんだよ。もちろん、なにも起きないに越したことはないんだけど」
「……分かった。ってかどうせこれ着なきゃ連れてってくれないんだろ? だったら我慢する」
「よく分かったね、その通りさ。ありがとう、アズロ君、ローザちゃん」
ラストが二人の頭を撫でると、彼らはそれまでの文句も忘れて嬉しそうに頬を綻ばせた。
「ふんっ」
「えへへ……」
「よし、行こうか。あまりゆっくりしてると遅れちゃうかもしれないから。――他の皆も、あまり遅くまで起きていないように! 二人からお話を聞きたかったら、明日にするようにね!」
教会の中からじっと口惜しそうに見つめている残りの子供たちに声をかけてから、ラストたちは夜の街の中へ踏み出す。
暗くて細い裏路地には、月の光も直接届かない場所がほとんどだ。
幽かな星明かりを頼りにして、三人は高級街へと向かうためにまずは表通りに出る。
「それにしても君たちが選ばれるとはね、驚いたよ。まさかあの時の二人がちょうど今回も選ばれるなんて」
「僕だってびっくりしたよ。あんな方法で選ぶなんて思ってなかったし……ただ一生懸命お手伝いを頑張っただけなのに」
「でも、それが良かったんじゃない? アズロ、女の子の仕事まで進んで手伝ってたもん」
「ははっ、予想外のやり方でごめんね。でも、あれが一番公平だろう? 僕はいつも君たちの様子を見ているわけじゃないんだから」
既に怪盗を見ようとする人々は今回の予告先に出払ってしまったのか、大通りは閑散としていた。
その静かな街並みを歩きながら、ラストは先ほど子供たちに提示した選び方を思い出す。
――孤児たちの中から最も素行の良い子たちを選び出したのは、他でもない子供たち自身だ。
子供たちを一人ずつ呼び出して、それぞれにこの二週間で良い子だったと自分が思う仲間を二人選んでもらう。そうして最も票数の集まった上位二人の子供を連れていくというのが、今回ラストが考えた選出方法だった。
ラストも【デーツィロス】の仕事が忙しく、孤児院に来られるのは四日に一度の割合だった。
その程度で子供たちの様子を逐一観察することなど、どう考えても不可能だ。
だからこそ、孤児院のことを最もよく見ているであろう彼ら自身に選んでもらうことにしたのだった。
「いつ、だれに見られても良いように常に頑張る。それはとても難しいことなんだよ。その努力に対するご褒美が今日のお出かけなんだ。仕事に区別はないんだから、男の子だって女の子の仕事を手伝ったって問題ないさ」
「……お兄ちゃんを見てて、気づいたんだ。力仕事だけじゃなくって、お料理の後のお皿洗いとかだって一緒にやればいい、やっていいんだって。お姉ちゃんにも言われてたんだけど、なんとなく、やっぱり僕たちと女の子はやる仕事が違うんだって思っちゃってて……」
「男にしか、女にしか出来ない仕事もあることにはあるけどね。大半はどっちでも問題なく出来ることなんだ。女性だって僕たちが思ってるより力が強いし、僕たちだって練習すれば細かくて丁寧な仕事は出来る。仕事は押し付け合ったりするんじゃなくて、助け合ってやらないとね」
「……うん!」
ラストに肯定されて、アズロは笑いながら力強く頷いた。
続いて彼はもう一人の功労者であるローザに語り掛ける。
「ローザは皆の仕事が終わったところでお茶を持って行ったり、汗を拭くための布を渡したりしてたんだよね。聞いたよ、君の気配りのおかげで助かったって」
「……皆が皆お仕事をこれまで以上に頑張ってたから、その、お手伝いすることも中々見つからなくって。でもそれで皆いつもより疲れてそうだったから、少しでも楽になってくれたらいいなって思ったの」
これまでは避けていた仕事のお手伝いに精を出したアズロとは違い、ローザはラストの出した条件に奮起する仲間たちの補助に目をつけていた。
慣れない頑張りにいっそう疲れを見せていた仲間たちにとって、ささやかな心遣いとは言え、それを与えてくれた彼女に対して抱いていた感謝は大きかったようだ。
「それまでやってなかったことに目をつけるのも凄いことだよ。疲れたら自分で休めばいいかもしれないけれど、それを誰かにやってもらうのは嬉しいよね。自分の仕事を見ていてくれる誰かがいてくれるって、結構大切なことなんだ。頑張ったね、ローザちゃん」
「……うん。私もお兄さんがそう言ってくれると嬉しいな」
ローザが、ぎゅっと繋いでいたラストの手を強く握る。
「本当に二人とも、この二週間お疲れさま。今日はその分、めいっぱい怪盗の活躍を見ようね」
「もちろん!」
「はーい!」
幾年もの歴史によって踏み固められた地面が剝き出しの道から、三人は石畳によってきちんと舗装された道に入る。
貧しい一般の区域から、多くの金に溢れる高級な区画に足を踏み入れた証だ。
その入り口から少し歩けば、まもなく今回の怪盗の活躍を見に来た人々の姿が見えてくる。
「うわぁ、すっごい人だかりだ……!」
「みんなアルセーナのことを見に来てるの!?」
「そうだろうね。だけど、ここまでとは予想外だよ」
まだ怪盗の訪れる目的地ははるか遠くだというのに、一目だけでも怪盗の姿を見ようと既に大勢の観客が詰めかけていた。
以前チャルヴァートンの屋敷を囲っていた人数とは比べ物にならないほどで、彼らの【
「さ、ちょっとここで待とうか。このままあの中に割り込んで前に行こうとすると危ないし、先に来ていた人たちに睨まれちゃうからね」
子供たちを一度止めてから、ラストは観客たちの様子を一度観察する。
やたらと騒がしいが、既に怪盗が出没したのかと思えばそうではないようだ。
軽く跳躍して人垣の奥を覗くと、どうやら民衆は自分たちの前に居並ぶ邪魔者たちに文句を言っているようだ。
「そこ退けよ、アルセーナの活躍がよく見えないだろうが!」
「いっつも邪魔してるくせに、今日も邪魔するの!?」
「最近は静かにしてるかと思えば、なんで今日出てきてるんだよこのでくの坊ども!」
民衆を遮るように立ち塞がっているのは、鉄の鎧を身に纏った騎士たちだ。
ラストは彼らの顔ぶれに見覚えがある――誰もがラストに挑んでは敗北し、その身に【
今日の彼らは何を言われても無反応で、ひたすらに民衆の波をせき止める防波堤の役割に徹しているようだ。
確かに、暴力を振るおうとすれば激痛が走ると言えど、ただ立っているだけならば問題はない。
それに直立不動の姿勢を保っているだけでも威圧には十分らしく、人々は野次を飛ばしても彼らに直接喧嘩を売ろうとはしていなかった。
――そして、その騎士たちが守っているのが今回の【
「……前に見た時からまったく変わってないね。いや、ちょっとだけより悪趣味になってるかな? 屋根の両側に金塗りの竜の彫像なんてなかったはずだし」
夜だろうと構わず輝く、きんきらきんの大屋敷。
外壁に掲げられた大量の松明の光を受けて、風情も何もなく、ただひたすらに存在感だけを示し続ける自己主張の激しい建造物だ。
このような家は、例え世界中を探し回っても中々見られないことは想像に難くない。
そして、屋敷の主の名はこの街と同じ――すなわち、
「ったくよ、領主の野郎! たまには大盤振る舞いしてくれたって罰は当たらねぇぞ!」
ヴェルジネア家。
それこそが、怪盗に今夜の予告状を送りつけられた相手だった。
「……こんなんじゃ見えないよー!」
「せっかく来たのに、見えるのは上の方のちょっとだけなんて……」
相手が相手ということもあってか興奮を加速させる民衆たちの背中に、子供たちは失望を隠せない様子だ。
彼らの身長では空中劇ならともかく、地上における怪盗の活躍が見られないからだ。
「安心して、二人とも。頑張った君たちへのご褒美なんだから、きちんと怪盗を見せてあげないとお姉さんにも怒られちゃうからね。さ、掴まって。もっとよく見えるところに移動しよう」
「どこにそんな場所があるんだよ?」
「見えそうな所なんて、もう全部取られてると思うよ?」
二人は疑いながらも、ラストに言われるがままにその身体にしがみつく。
アズロは背負われ、ローザは胸元に抱かれるようにして彼の身体にぎゅっとくっついた。
彼らを支えるように両手を回して、落ちないかどうかを確かめようとラストは軽く身体を上下させる。
「それは彼らの話だよ。僕たちには僕たちなりの特等席があるのさ」
「そんなのどこに――」
「まだ秘密だよ。大体の目星は付けたし、今から案内するから口はしっかり閉じててね。じゃないと、舌を噛んじゃうかもしれないから!」
子供たちを掴んだ上で、そこから更に振り落とさないように太めの魔力糸で何重にも縛り付ける。
そうして安全を確かめてから、ラストは方向を変えて道の横へ向かって勢いよく駆け出した。
その先に在るのはもちろん、他の屋敷の外壁だ。
もちろん常人には乗り越えられないような高さのものだが、ラストはそのまま加速していく。
「――っ!?」
「む――っ!?」
子どもたちはそれを見て、このままではぶつかってしまうと恐怖にラストの身体をより強く掴む。
だが、いつまで経っても衝突の衝撃は訪れない。
「……むんっ?」
彼らの身体を襲ったのは、突如これまでに味わったことの無い上昇感だ。
それに驚いてアズロとローザが目を開けると、彼らはなおさら目を見開くことになる。
というのも、ラストは地面からそのまま続けて壁に足をかけて、まっすぐに上空へと駆け昇っていたからだ。
「――むむぅっ!?」
「――むむむーっ!?」
そのまま彼は高さ三階分、屋敷の屋上までを一気に駆け上がると、その縁を蹴って軽く飛び上がった。それから足の指からくるぶし、膝と腰などの関節を挟んで衝撃を吸収しつつ着地する。
更に彼は休む間もなく走り出したかと思えば、幾つかの家の屋根を飛び伝って、出来るだけヴェルジネア家の屋敷に近づいていった。
やがて辿り着いた、今回の目的地が目と鼻の先にある場所に子供たちをゆっくりと下ろす。
「――ぷはっ、なんだよ今の!?」
「壁って、走って登れるものだったんだ……」
「静かにね。この屋敷は無人だけど、下にいる人たちに聞こえちゃうかもしれないから」
ラストにそう言われ、二人は慌てて口を抑えた。
彼は素直な子供たちに苦笑を隠せず、落ち着かせるように肩を軽く叩く。
「小声なら聞こえないから、完全に無言にならなくても良いよ」
「……ねえ、どうやったら壁なんて登れるようになるんだよ? 頑張ったら俺たちにも出来るの?」
「うーん、これは君たちには厳しいかな」
ラストが二人の身体を背負って駆け昇れた理由は、もちろん魔力による強化を施していたからだ。
しかし魔法の使えない子供たちには魔力の光が見えるはずもなく、ラストが完全に身体能力だけで先ほどの超人技を成し遂げたと考えられていた。
さすがに彼らには出来ないことを練習するよう促すわけにはいかず、彼は困り顔で柔らかに否定した。
えー、と肩を落としたアズロにローザが呟く。
「それはそうよ、騎士たちだって壁を走るなんて出来ないもん。お兄ちゃんが特別なのよ、きっと。……それよりも、ここからじゃちょっと見え辛いかも」
「そうだね。こういうこともあろうかと持ってきておいて良かった。二人とも、これを使ってみてくれないかな?」
ラストは懐から取り出した眼鏡を、つるの長さを調整してから子供たちに差し出した。
彼らはそれを受け取って、じろじろと物珍しそうに全体を観察する。
「これは?」
「眼鏡って言うんだけど、見たことないかな? こうして顔につけるんだけど……」
ラストがその手で使い方を説明すると、子供たちはすぐに眼鏡をかけることに成功した。
そして、突然視界が鮮明になって遠くの屋敷の様子まで見えるようになったことに彼らは再び驚いた。
「うわっ、凄いっ。あんな遠くの葉っぱの数まで見えるよ?」
「本当だ、どうしてこんな風になるの?」
「知りたかったらまた今度教えてあげるよ。今は怪盗を見にきたんだから、そっちを見ていようね」
彼らは今夜の目的を思い出し、すぐに屋敷の淵に限界まで近づいてからヴェルジネア家の屋敷を眺め始めた。
無言で食い入るように眺めるあたり、本当に今夜を楽しみにしていたようだ。
「……さて、今夜はどんな活躍劇を見せてくれるのかな?」
ラストもまた、瞳に魔力をたたえながら豪華絢爛な屋敷へと目を向ける。
――すると、ちょうど彼らを待っていたかのように、聞き覚えのある明瞭な声が響き渡る。
「ごきげんよう。お待たせしましたわ、観客の皆様。そして今宵のお相手となる方々も、お久しぶりになりますわね。【
その声の下に、騎士が、人々が、アズロが、ローザが。
そしてラストも、彼らと同じように目を向ける。
美しい満月に重なるようにして、広げた傘に吊り下がりながら宙に浮かぶ令嬢。
春風の如き翠の魔力を従えた【
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