第115話 強さの秘密


 およそ二十人近くの育ち盛りの胃袋を支えられるだけの菜園がおけるほど、この孤児院の役割を果たしている廃教会の敷地は広い。

 その中庭で、食後のお休みとして壁際で絵本を読んだりおままごとをして涼んでいる女の子たちに囲まれながら、その中央で思い思いに棒切れを構えた男の子たちの元気な掛け声が響く。


「今度こそっ、てやぁあああっ!」

「俺たちも行くぜ、グリージョに負けんなっ!」

「先に一太刀入れるのは僕だっ……せやぁっ!」


 長さも太さも歪な、剣に見立てられた三者三様の木の棒を構えた男の子たちが威勢よく切りかかる。彼らの目線の先にいるのは、孤児の男の子たちが全員で作った輪っかの中に一人悠々と佇んでいる強敵ことラストだ。

 三人が全力全開で振り回す、後のことなど一つも考えていない荒れ狂う波のような連撃。

 それらをラストは一つずつ危なげなく躱し、受け、流す。

 そうして彼らが攻撃を終えた後に足を捻ったり転んだりしないよう注意を払いながら、彼は周囲で見ているばかりの残る子供たちに手招きをする。


「ほら、いつまで見てるんだい? 本当に騎士を倒せるだけの腕前はあるのかって聞いてきたのは君たちだよね。寝ている・・・・だけじゃあ分からないんじゃないかな?」

「よそ見すんなっての!」


 外れたのなら次を当てれば良いと言わんばかりに、三人は子どもながらの柔らかい身体のばねを用いてすぐさま切り返す。

 反撃を試みた彼らの剣をもう一度いなしてのけながら、ラストは周囲を睥睨するが――。


「いや、もう十分ですって……はぁ、はぁっ……」

「なんでっ、見てもない後ろからの攻撃を避けられるんだよっ……わけわかんねえっ……」

「僕たち皆がそこの三人みたいな体力お化けじゃないんですよっ……ふぅ。それに、彼らが汗だくになってるのにお兄さんが汗かいてない時点でもう、お兄さんの凄さはよく分かりましたって……」


 あいにくと、既にやれる限りを尽くして足掻きに足掻き、体力の限界を迎えていた子供たちは起き上がろうにも起き上がれなかった。彼らはぐったりと地面に寝っ転がったまま、傍に取り落とした剣を握ろうともしなかった。

 汗でびっしょりと地面を濡らしながら風にあたる彼らを見ながら、残っていた三人組が互いに檄を飛ばそうとする。


「おいおい、まだまだ俺たちは諦めねーぞ! 絶対にぶっとばして……うおっ?」

「……他に目を向けてる、今が好機だよっ……あれっ?」

「もう限界なの、二人とも? 僕はまだやれ――なっ?」


 しかし、彼らも口だけは元気だが、身体は正直なようだ。

 他の子供たちの二倍近く暴れ続ければ流石に体力が尽きたのか、言葉とは裏腹に身体が自然と膝をついてしまった。

 若い者は疲れ知らずだと言えど、それは精神に限った話だ。酷使すればその分だけ、身体にはきちんと疲労が積み重なっていく。それを無視して動き続けようとしても、石の力だけではどうしようもない限界が訪れるのは避けられない。

 それを乗り越えようとするなら、それこそ命を賭けてでも立ち上がらなければならないのだが――今はそんな雰囲気でもない、ただの練習だ。


「はいはい、それ以上無理をすると身体を壊しちゃうからね。今日はもう止めておこうか」


 ついに立つ者がいなくなった子供たちを前に、ラストは微笑んで強者の余裕を示す。

 彼は最初から最後まで、焦る様子を一つも子供たちに見せることはなかった。

 孤児たちから借りていた木剣を軽く血糊を落とす要領で左右に切り払うと、それを側にあった壁に立てかけて、仲良く倒れ伏す三人組のところへと近づく。

 ラストの騎士を倒したという腕前を試そうとした張本人である彼らを見下ろしながら、問う。


「それで、これで分かってくれたかな?」

「……ちぇっ、仕方ないなー」

「騎士を四人も相手したって言われても、ここまで圧倒的なら出来てもおかしくないですね……」

「……今度は負けねえからなぁっ!」


 ラストの身体で出来た影に覆われながら、彼らは身体はともかく口だけは達者に動かして反応した。

 それを気に入ったように彼らの汗まみれの頭をくしゃくしゃと撫でながら、彼は先を歩く者として彼らの向ける意欲ある瞳に頷いた。


「うん、挑戦ならいつだって大歓迎さ。また来た時にでも言ってくれれば付き合うよ。でも、その代わりに今日はもうしっかりと休むように。無理をすれば明日は筋肉痛で大変なことになるよ。仕事も手につかないとなると、他の子供たちに迷惑が掛かるからね――さ、お水もちゃんと飲んで」


 男の子たちはひぃひぃと息を整えながら、あらかじめ傍に置いてあった水桶に手酌を突っ込んでがぶがぶと喉を潤していく。もちろん、もう一つ用意してあった桶で先に手の汚れを落としておくことも忘れない。

 彼らは水に触れて少しばかり冷えた頭で、先ほどのラストとの戦い――戦いにもなっていなかったお遊びを思い返しながら口々に感想を言い合う。


「にしてもまだ信じらんねえよ……十人で襲い掛かっても一発も当たらねえなんて」

「どうしたらあんなに強くなれるんだろうね。僕たちにもなれるかなあ?」

「分かんねーよそんなの。でも、確かに気になるな。よし、聞いてみようぜ……おーい、兄ちゃん!」

「ん、なんだい?」


 叫んだ男の子に、いつのまにか木陰に移動していたラストが顔を向ける。

 その手には本を持っており、そこに寄り添うように女の子たちが身を乗り出している。彼が握っているのは、オーレリーが持ってきたという王都で流行りの恋愛小説だ。

 男子の相手をしたのなら次は自分たちにと乞われたラストは、小説の朗読を任せられていたのだった――なお、その中身は彼にしてみれば、十歳前後の少女たちに読み聞かせるには随分とませた内容であった。

 それはともかく、せっかくの朗読劇を中断されたことに少女たちから非難の目線が飛び交う。

 だが、それに僅かにたじろぐ様子を見せながらも、少年たちを代表して前に出た一人が質問した。


「なあ、どうしたら兄ちゃんみたいに強くなれるんだよ? あいつら……兄ちゃん以外の騎士たちみたいに強そうにも見えねえのにそんなに強いのには、なにか秘密があるのかよ?」

「秘密かい? 秘密……まあ、そうだね。あるといえばあるけれど」


 本に指を栞がわりに挟んでぱたんと閉じ、ラストは目を閉じて己の心内に潜る。

 彼が強さを追い求める源泉――それを自分自身に問うと、自然と脳裏に浮かぶのは一人の女性の姿だ。


「大切な人がいるから、だね」


 その姿は顔をあわせなくなって数年経とうとも色褪せることはない。

 鮮明に描くことの出来る、夜明けの明星を思わせる緩やかな長髪。一風変わった蠱惑的な褐色の肌に浮かぶ左右の紅と藍の双瞳。

 彼女のことを想えば、ラスト・ドロップスはどれほど遠い目標だろうと歩み続けていける。


「彼女の隣に並び立ちたい、彼女の笑顔を守りたい、彼女の叶えようとする夢を支えたい。その想いがあるから、僕はどれだけ先が険しくても進んで行けるんだ。……ごめん、君たちの欲しいような答えにはなってなかったかな?」


 申し訳なさそうにしながら、彼は周囲の子供たちの反応を確かめる。

 すると、彼らは一様にぽけーっと呆けたような顔をしながら、己なりの強くなる理由を語ったラストのことをきらきらとした目で見つめていた。


「……凄いですわ」


 最初に反応したのはなぜか、先ほどまで男子たちに怨みの視線をぶつけていた女の子だった。


「そこまでオーレリーお姉さま・・・・・・・・・のことを想われているなんて、これが大人の関係、いえお姫様と騎士様の関係なんだわっ」

「え?」

「良いなあ、お姉ちゃん。こんなにも真剣に愛してくれるなんて……これが、大人の愛情なのねっ!」


 彼女たちは揃って熱に浮かれたように顔を朱く染め、頬に両手を当てて照れるように首を振る。

 その様子になにか致命的な勘違いが起きていることをラストは悟ったものの、もはや手遅れだった。


「……そっか、好きな人のためか。これはこれでかっこいいな!」

「姉ちゃんを守りたいから……僕も、ちょっとだけ分かる。そう思ったら、なんだか力が湧いてくる……」


 恐らくは求めていた答えとは違うものが返ってきていた男子たちも、なぜか恥ずかしそうにそっぽを向きながらラストの言葉に感心しているようだ。


「あ、えっとだね……」


 確かに、ラストの語った偶像にはオーレリーも当てはまる。

 しかし実際に彼が想像していた相手はまったく異なるのだが――ざわざわと騒ぎ始める子供たちの中に、ラスト・ドロップスの大切な人とはオーレリー・ヴェルジネアであるという噂が広まっていく。

 彼女を信奉している子供たちの思い込みを今更訂正出来る気がしなくて、ラストは敢えて黙ってそれを見逃すことにした。

 ――どうせそこまで致命的な勘違いにはならないだろう、と。


「と、とにかく。そうだね。なにかしらのやりたいこと、目指したい目標があれば、どれだけだって強くなれるんだと僕は思う。君たちにはそういったものはあるのかな?」

「そうだねー。やっぱり強いってなると……アルセーナかなあ? 女性だけど、騎士なんかいくらいても問題ないくらい強いし。お兄さんには悪いけれど、きっと怪盗さんの方が強いんじゃないかな?」


 【怪盗淑女ファントレス】アルセーナを具体例として挙げた子供に、周囲の子供たちが続く。

 いくら実際に実力差を知ることになったと言えど、やはりこの街の出身ではないぽっと出のラストでは彼女への根強い人気には勝てなかったようだ。

 彼らの話題はラストとオーレリーの関係から、瞬く間に怪盗の噂話に変わっていく。


「だよなー。どうせならあの怪盗みたいになりたいよな。あっ、女になりたいって意味じゃなくてよ。厄介で悪い奴らをばったばったと倒してくんだろ?」

「どんな怖い大人たちも華麗に倒してみせる……見てみたいよね」

「え、君は【怪盗淑女ファントレス】を見たことがないのかい?」


 先日目の当たりにした人々の熱狂ぶりから、ラストはてっきり子供たちもその中に紛れて怪盗の活躍を見得ていたと思っていたのだが、どうやら実際は違うようだ。

 彼の問いかけに、子供たちが不満を押し殺したむすっとした顔で頷く。


「だって、怪盗が出るのは深夜だろ? 姉ちゃんがそんな時間に外に出るのは危ないって言うからさ」

「見に行こうと思っても見に行けないよねー?」

「もし黙って見てきたりしたらお姉さん悲しんじゃいますし、怒らせたくもありませんから……」

「――あら、どうかしましたか? 私がなにか?」


 ちょうどそこに、少しばかり席を外していたオーレリーが戻ってくる。


「いや、子供たちと話していたら例の怪盗の話になっちゃたんだ。それで、彼らがどうしても怪盗の活躍を見たいんだってさ」

「駄目ですわ。ただでさえ夜の街は危険だというのに、怪盗が出た日には皆さん更に興奮していらっしゃいますから。小さい貴方たちだけで外出するのは危険です、踏まれるだけで大怪我になりかねないのですよ」

「えー、でも見に行きたいよお姉ちゃん!」

「俺も怪盗の凄いところ見てみたいぜ! 頼むってば姉さん!」


 子供たちにせがまれ、彼女は困ったようにラストを見た。


「仕方ないんじゃないかな。それなら、僕が責任を持って守るってことでどうだろう?」

「……確かに、貴方に任せれば大丈夫かもしれませんけれど」


 渋い顔をしながらも、オーレリーは彼の意見に納得した。

 それを見て、子供たちは喜びの声をあげてはしゃぎ出す。


「やったー! 怪盗を見に行けるってよ!」

「本当!?」

「落ち着いて。でも、一つ条件があるよ。いくら僕でも君たち全員を連れていくことは難しいからね、連れて行けるのは二人までさ。……そうだね、次の満月までにいい子だった二人だけを特別に連れてってあげようか」

「えー? そんなあ……」

「嫌ならこのお話は無しだよ」


 そう言われては、子供たちは仕方なしに受け入れるほかなかった。

 文句を言うよりもむしろ、早速ラストに選ばれるべく良い子らしくあろうと心掛け始めた。


「……分かったわ。私、お兄さんの言うこと聞いていい子にする」

「うん。それじゃあ皆、もっと色んな仕事をお互いに手伝いあって、いい子でいようね」


 ――はーい! と、中庭に子どもたちの良い返事が響き渡った。

 それから彼らは文句を一つも垂らさずに、楽しそうに次の満月のことを予想して怪盗の活躍に期待し始める。


「やった、きっと凄いのが見られるぜ!」

「みんな怪盗のこと褒めてたもん、私も絶対に見るんだー!」


 その様子を見ながら、ラストはオーレリーと目を合わせて苦笑する。


「ははっ、怪盗も彼らに期待されてることなんて知らないだろうね。次にどんな計画を立てているのかは知らないけれど、彼らの期待に応えてくれるようお月様にでも願っておこうかな」

「まったく、もう……ですが、ここまで話が進んで今更取り消すのも子供たちを悲しませるだけですわね。――貴方の心配事については大丈夫でしょう、きっと今回も例の怪盗とやらの素晴らしい活躍が見られると思いますわ。怪盗は神出鬼没にして快刀乱麻、そしてなにより民衆の期待に応える味方なのですから。そちらよりも、子供たちの安全の方がよほど気がかりです。頼みますよ、ラスト君」

「君は次も屋敷にいなきゃならないからね。任せておいてよ、二人は傷一つなくここまで連れ帰ってみせるから」

「本当に、お願いしますわ。あの子たちが傷つけば、それこそ本末転倒なのですから――」


 ――そして、月は巡る。

 過ぎ行く時が欠けた顔を埋め、真なる月の瞬く夜がヴェルジネアに訪れる。

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