第114話 彼女の秘めたものとお礼の品々


 他の子供たちのところへ行ってしまった白髪の少女セレステに言われたことが、ラストとオーレリーの中で反響する。


「……やっぱり、あの子たちにとっては辛いんだろうね。たとえ顔も存在も知らなくても、無条件に愛情を注いで守ってくれる大人が欲しくてたまらないんだ」

「……私も、常日頃から子供たちの傍にいられるわけではありませんから。よくて三日に一度でしょうか。いざというときに頼れる大人がいないのは、常に彼らの心に落ちる不安の影になってしまうのは否めません。一応近隣の方々にも最低限の手助けはしてくださるよう頼んであるのですが……それでも、やはり彼らにとっては自分の家庭が第一ですから」


 ただでさえこの街の人々は上からの重圧に耐えながら生活しているのだ。

 ラストが騎士たちを成敗して多少は空気の明るくなった街の南側に比べ、北側はまだまだ素行の悪い騎士たちが幅を利かせている。

 そのような灰色の空気の中では、血の繋がった家族や親しい友人には気を許せても、あまり関係のない子供たちにまで気を配るのは難しいのだろう。

 ――そもそも自分に余裕のない者に、他者に余裕を分け与えるという考えが思い浮かぶはずもないのだから。


「やはり、この街そのものの根幹が変わりでもしない限りは……彼らが心から救われる時は永遠に訪れないのでしょうね」


 恐らくは誰よりもこの街そのものを愛しているであろうオーレリーの言葉は、ラストの頭の中にすっと染み通るように受け入れられた。

 だが、その響きは妙に冷涼に過ぎるようで、彼は教会の空気が少しばかり冷え込んだように錯覚した。

 彼女の言葉に込められた確信的な想いには、なにかに対する諦めと達観が極限まで研ぎ澄まされているように見えた。

 ――オーレリーの見通しているヴェルジネアの良き・・未来には、なにか大切なものが欠けているような気がして、ラストは身震いすると共にその直感の正体を知りたくなる。

 だが、彼女はまだ、彼にそれを話す段階には至っていない。


「……なら、その未来がやってくるまでの間が少しでも彼らにとって良い時間になるように頑張らないとね」

「それはその通りですわ。最近はラスト君のおかげで南側に余裕が出来てきましたから、子供たちに割ける時間もその分だけ増やせそうです」

「それは重畳だよ。それに、僕もこの孤児院に通うから」


 ラストのその提案に、オーレリーは大して驚く素振りは見せなかった。

 彼のこれまでの言動を受けて、薄々手助けを申し出ることは予測がついていたからだ。

 代わりに、彼女は気の毒そうに確かめる。


「……良いのですか? 盛況な【デーツィロス】から解放されたせっかくのお休みを使ってしまうことになるのではありませんか?」

「そんなの大したことじゃないよ。子供たちが困っているのなら、助けたくなるのが人情ってものだろ? それに、頼れるお姉ちゃんに加えてお兄さんも加われば、両親がいない寂しさをもうちょっと和らげてあげられると思うんだ」


 ラストは両親がいない寂しさというものを、その身に沁みて分かっている。

 愛情を向けられたこともある実の親に捨てられた彼自身の味わった孤独と、ここの子供たちの感じている寂しさのどちらが辛いかは答えられない。答えの出る問題ではないのかもしれない。

 だが、きっと側にいてくれる人間の暖かさが心の安らぎをもたらしてくれるというのは、彼にも子供たちにも共通している正解に違いない。


「それに、君にばかり負担をかけさせたりはするつもりはないからね。僕は君の騎士で友人なんだから、もっと遠慮なく頼ってくれて良いんだよ? これだって、僕の心配をするくらいなら、素直にありがとうって言ってくれればそれだけで十分報われるってものさ。君は君の信じた道をまっすぐに行けばいい、僕はそれを支えていくからさ」


 そして、その正解は恐らくオーレリーにも通じることだ。

 例え彼女が心を完全に開いてくれなくても、その志は間違っていない。

 だからこそ、彼女が折れてしまわないように傍にいる――隣に立って、子供たちや街の人々の笑顔を導く。

 それが彼の目指したい【英雄】なのだから。


「……本当に、貴方という人はつくづく、私には相応しくない方ですわね」

「えっ。いきなりそう言われると、傷ついちゃうんだけど」

「ふふっ、違いますわ。貴方があまりにも魅力的で、私などのような騎士の枠に収まる方ではないと改めて思い知らされただけです。まったく、ラスト君と一緒にいると私まで高尚な人間であるかのように思えてきてしまいますから、困ったものですわ」


 ――この広いヴェルジネアの街を走り回って、困っている人々に手を差し伸べ続ける彼女のどこが交渉という言葉に相応しくないのだろうか。

 疑問を全身に浮かべたラストに、オーレリーは改めて彼に告げる。


「いいえ、いいえ。私はどこまで行ってもよろしくない家の人間ですから。どれほど善行に見えるものを積んだとしても、この身についた汚れを拭うことは、誰よりも私自身が認められないのです。父が、母が、兄が、姉が。私の家族が今もなお、人々の生気を吸って笑っていますわ」

「……」

「その家名を持つ以上、私が私を許すことは不可能なのです。もしそのような時が来るとしたら、それはきっと――」


 彼女はそれ以上先を口にしなかった。

 ラストはその先をこそ知りたいのに、彼女は己の騎士にすら、秘めたなにかを明かす気配を見せない。

 オーレリーは食事に入る前、確かに彼女自身の手でこの現状を終わらせると言っていた。

 ――その秘密の先に待つ未来のヴェルジネアに、果たして何が待っているのだろうか。

 すっかり元の笑顔に戻った彼女はそれをラストに考えさせる暇も与えず、これまた普段と同じように手早く話題を目の前に戻した。 


「いえ、ありえないお話を続けることは時間の無駄ですわね。それよりもまずは目前の問題を頑張って片付けませんと。お料理の汚れは早いうちに洗わないと大変なことになりますから」

「そういえばそうだったね。よし、それじゃあ僕も手伝うよ。少しでもここに馴染むために、出来ることはやっていかないとね」


 ラストはなかなか心の深淵を明かさないオーレリーにじれったさを感じながらも、それでも少しでも心の距離を近づけられるように彼女を手伝おうとする。

 彼女も、もう断ろうとはしなかった。


「ありがとうございます。それでは器を纏めて裏庭の井戸まで運んできてくださいな。私は先に籠を片付けてきますから、先に水を出して中を軽く濯いでおいていただけると助かりますわ」

「分かったよ。……でも、君が来る前に全て洗い終えてしまっても良いのかな?」


 そう挑戦的に笑いながら立ち上がったラストに、オーレリーは面白そうに笑い返す。


「出来るものなら。ですが、一つでも洗い残した汚れがあったらお仕置きですからね」

「それは怖いな。自分に厳しい君のことだから、きっと僕に恐ろしい罰を言い渡すに決まってる」

「ええ、それはもう。そうですね、先ほど貴方が仰ったように、子供たちのためにお肉でも持ってきてもらいましょうか。――嘘ですわよ?」


 冗談を交わしながら、二人は笑顔で次の仕事に向かおうとする。

 そうして食卓の上を片付け始めたラストとオーレリーの前に、外へ行ったはずのアズロとローザが戻ってきた。


「あら、どうかしましたか? 今日はお皿洗いは私たちがしますから、遊んできて良いのですよ。……もしかして、誰か怪我でもしたのですか?」

「違うよ。そうじゃなくて、ほら、これ。兄ちゃんにあげる」

「私も、はいどうぞ。私たちからのお礼だよ?」


 小さな手の中に握っていたお礼の品々を、二人はそれぞれ順番にラストへ手渡した。

 少年アズロからは、きらきらと白く輝く謎の金属の欠片を。

 少女ローザからは爽やかな香りの漂う小袋と、綺麗な絵柄の刻まれた木の板を。


「こいつ、俺たちの部屋の床下に転がってたんだぜ。綺麗な石だろ? なんかその辺のとは違うなって思ってとっといたんだけど、やるよ。なんかかっこいいし、兄ちゃんにぴったりだ」

「こっちの袋は、庭の梅のお花を集めて作ったの。良い匂いがするから、疲れた時に嗅いでみたら元気になるの。あと、そっちは綺麗に咲いてた時の絵だから。飾ってくれると嬉しいな」


 それだけ告げて、子供たちは再び教会の外へと去っていった。

 ラストは与えられた三つのお礼を手元に抱えて、オーレリーを見る。


「これは凄いな。オーレリーさん、ひとまずどこかに置いておけないかな? さすがに水仕事に持っていくわけにはいかないし……」

「……あ、はい。その前に、ちょっとそれらを見せてもらってもよろしいでしょうか」

「別に良いけれど」


 ラストは受け取ったものを机に置くと、彼女はそれらを一つずつ眺めて呟く。


「これは、【真銀ミスリル】でしょうか。……いえ、僅かに通常の物より白く発光しています。まさか、教会の秘蹟金属と呼ばれる【真聖銀ミスティリオン】……? それと、ローザさんのこの香り袋……これはよく出来ていますね。しかし、こちらの写生画は……なるほど、これほどの出来栄えならいっそ……」


 やがてそれらを見定め終えたオーレリーが、ラストに問う。


「ラスト君、これらの内二つを私に預けていただけませんか? 貴方にとって持ち運びやすい形に加工してさしあげましょう」

「それは願ったり叶ったりだけど、どうしてなのかくらいは教えてもらえないのかな?」

「それは秘密ですわ。ですが、絶対に悪いようにはいたしませんので」

「そこは心配していないけれど……うん、分かったよ。そこまで言うなら君に任せてみるよ。よろしくね」

「はい。また後日に完成したものをお渡ししますわ」


 彼女は子供たちの渡したものから金属と絵を手に取って、集めたパンの入っていた籠と共に颯爽と教会の奥へ歩いていった。

 なんだかよく分からないながらも、彼女のことだからラストのためを思ってのことに違いない。

 彼女の秘めた真意は見えずともそのくらいは分かっているからと、彼は自分の引き受けた仕事に取り掛かるのだった。

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