第113話 少女セレステの渇望


「こ、恋人だなんてそのようなことっ……あり得ませんよっ」


 急に早口になったオーレリーが、何とか元の冷静な表情を取り繕いながらまくし立てる。


「私とラスト君はそのようなはしたない関係ではありませんよ、断じて、ええ違いますとも。私たちが男女の関係にあるだなんて、つまらない冗談を口にしてはいけませんわよ、セレステさん」


 一見して普段通りの微笑みをたたえたまま、彼女は疑問を発した子供の思い違いを嗜めようとする。

 しかし、その紅葉色に染まった顔の変化までは隠せていない。

 そのあからさまな変化を咎めるように、話を聞きつけた他の子供たちもラストとオーレリーの恋人説にやんややんやと騒ぎ出す。


「えー? でも、お兄ちゃんが食べてるとき、お姉ちゃんすっごい嬉しそうだったよ? そーいうのって好きだからなんじゃないの?」

「違いますわ。それはその、ラスト君の舌に合うかどうか気になってただけですからっ」

「でも好きじゃない男の子にそんなこと気にしないよね?」

「やっぱり好きな子には美味しいって言ってもらいたくて、気になっちゃうよね? ねーっ?」


 顔を見合わせてきゃっきゃと楽しそうに話す女の子たちばかりでなく、男の子たちも口を挟んでくる。


「そういやさっきも手を繋いでたよな。俺たちがいないのを良いことにいちゃいちゃしてたんじゃねぇのか?」

「していませんよ。あの時はちょっと、大切なお話をしていまして……そう、相手の言葉を聞き漏らさないよう、注意して耳をそばだてていただけですわ」

「じゃあなに言ってたのかなー? かなー?」

「そ、それはですね……ええっと……」


 どうやら姉に立ち向かっていた時とは違い、子供たち相手には彼女の明晰さも咄嗟には発揮できないようだ。

 熱くなった頭では彼らを納得させられそうな言い訳が出て来なくて、彼女はつい口籠ってしまう。

 その反応が、彼らの推測を裏付けるもののように捉えられてしまう。

 邪推した彼らはいっそう大きな声で自分たちの想像を好き勝手に話しだし、やっぱりそうだったんだとオーレリーをその小さな口で攻めていく。


「ほらやっぱり! 言えないようなことしてたんだー!」

「もしかしてもうキスとかしちゃったのかしら? きゃっ!」

「駄目よ、キスなんてしたら子供が出来ちゃうわっ! コウノトリさんが運んできちゃう!」

「お庭のキャベツに子供がいるのー? だったらこれからちゃんと毎朝、一個ずつ見ないとねー?」


 既に恋人であることが決定事項のように囃し立てる子供たちは、もはや収まりようがない。

 食事などそっちのけで、色々な大人のお付き合いの感想について彼らは無遠慮に尋ねだす。


「あはは……キャベツにコウノトリだなんて、君たちよくそんなことを知ってるね」


 一方、ラストはさほど慌てることはなかった。

 心の中に深く根付いているエスが揺るぎない芯となって、彼の理性を支えているからだ。しょせんは子供たちが聞き慣れない話題にはしゃいでいるだけだと、呑気に笑っていられる余裕が彼にはあった。

 しかし、貴族令嬢のオーレリーはこのような恋愛についての話は少々刺激が強すぎたようで、徐々に頬の赤らみが増してきている。

 最初は変わらぬ立派な表情を保っていられたものの、徐々に彼らの言葉に脳の処理が追い付かなくなってきたのか、羞恥心が抑えられなくなって淑女の笑顔が崩れ始めてしまう。


「あっ、えっと、そのう……私たちはですね、決して皆さんの想像しているような関係じゃありません、からっ……!」


 オーレリーは耐え切れないように、膝の上で重ねた手をぷるぷると震えさせながらぼそぼそと呟く。


「そもそもですね、私みたいなのが彼のような立派な方とお付き合いするだんて相応しくないというかっ、失礼というか……」


 が、わいわいと声を張り上げる子供たちには彼女の発した小声など聞こえやしない。


「わー、顔真っ赤にしてらー!」

「ねえねえキスして見せてよ! 恋人なんでしょ?」


 ついには席を立って直接二人詰め寄ろうとする子供たちも出る。

 そのような中、我慢の限界を超えた彼女が普段のおしとやかな態度とは逆に勢いよく立ち上がった。

 これでもかというほど真っ赤だった顔から血の気がすっと引いていって、いっそ青くなるほどにまで顔色を変化させた彼女が、すぅっと胸を膨らませて――。


「いい加減にしてください! そもそも、私みたいな罪深い女が――っ」


 理性のたがが外れかけたオーレリーが、言おうとした言葉。

 それが完全に吐き出されてしまう前に、その口を横から伸びた手がそっと塞いだ。

 その動きに子供たちが急に息を潜めてじっと様子を見守ろうとする中、彼女の口に手を当てたラストは宥めるような声でゆっくりと語り掛けた。


「ごめんね。僕たちは、君たちが期待してるような関係じゃないよ。良いかい、よく聞いて。僕はね、彼女の騎士なんだ」

「……えっ?」

「騎士だって?」


 子どもたちが再び顔を見合わせ、ラストの言ったことを互いに確かめる。

 彼らが疑いを持つのも無理はない。なにせアズロとローザが襲われたように、この街の騎士はとんでもないろくでなしたちばかりで、こうして貧しい子供たちと食事を楽しむようなお兄さんという印象は露ほどもなかったのだから。

 そんな彼らに言い聞かせるように、ラストは落ち着いた笑顔で子供たちを見回した。


「そうさ。僕は彼女の、オーレリーさんの騎士だ。だから、騎士がご主人様と仲良くするのは当然のことだと思わないかな?」

「……それは、そうだけど」


 子どもたちの一人が、ぽつんと呟く。

 その僅かに生まれた納得の感覚を後押しするように、ラストが彼女に代わって適当にそれらしい言葉を紡ぐ。


「それに、さっきお話していたのはね、君たちについてなんだ」

「私たちのこと?」

「うん。どうにかして君たちにお肉をあげられないかって相談してたんだ。お肉も安くなってきてはいるみたいだし、どこかから手に入れてこられないか、ってね」

「そうだったの!?」


 驚きの目で見てくる子供にオーレリーは少々戸惑いの素振りを見せるが、ラストと目を合わせて、すぐにこくんと頷いた。


「お姉さんは君たちのことが本当に大切だからね……ぽっと出の僕なんかよりも、ずっとずーっと。分かってくれたかな? それなら、ほら。なにかお姉さんに言うことがあるんじゃないかな?」


 そう言われつつも、どこかラストの言葉を信じ切れない子がオーレリーに問う。

 最初に彼女に恋人かどうかを問うた、そのセレステという名の通りの髪を持つ女の子だ。


「ねえ本当なの、お姉ちゃん?」

「けほっ……そ、そうですよ。ラスト君はあくまでも私の騎士なのです。恋人ではありませんわ」


 ラストの手を外し、オーレリーは冷静さを取り戻した顔で一言一句はっきりと告げた。

 それを受けて、子供たちもようやく二人の関係を受け入れたようで興奮が水面を打ったように沈静化していく。


「そっかー……ごめん姉ちゃん、つい信じちゃったぜ」

「あたしも、嫌がるようなこと言っちゃってごめんなさい!」


 次々に頭を下げる彼らの頭を、許しを与えるようにオーレリーは優しく撫でた。


「良いですよ、間違いに気づいてくれたのなら。これからはもう少し落ち着いて物事を判断しましょうね。さあ、戻ってお食事を続けましょう? 早くしないと冷めてしまいますし、お遊びの時間も少なくなってしまいますよ」

「げっ、そうだった! やっべ、早く食べないと!」

「はむっ、もぐもぐごっくんっ! ごくごくっ……ごちそうさまでした! 一番乗りっ!」

「あっ、ちょっと待ってよー!」


 慌てて食事を再開する子供たちだが、その皿には既にほとんど中身が残っていない者がほとんどだった。

 彼らは最後に器の内側をパンで綺麗に拭って、それを口に放り込んで次から次へと外へと飛び出していく。

 その様子を見送りながら、今度は疑われないようにきちんと身体を離しつつ、ラストとオーレリーはこっそりと小さな声で会話する。


「……申し訳ありません、つい彼らには言わない方が良いことを話してしまおうとしてしまって」

「結局口に出さなかったんだから、言わなかったのと同じことだよ。そう気にすることはないさ」

「ラスト君にも、余計な気を使わせてしまいました。これではあの人たちと同じ……周囲に迷惑をかけるだけの駄目な人間ですわ」

「まあまあ。いつまでも自分一人で抱え込んでたら、つい爆発しそうになることがあったって仕方ないよ。僕で良ければいつでも愚痴くらい聞くからさ」


 落ち込みを見せる彼女をひっそりと慰めながら、ラストは寄り添おうとする。

 やはり表面は気丈な麗しのご令嬢に見えても、中は辛い思いを抱えて必死なのだ。

 その苦しみを分けてもらえるように、彼は言葉をかけ続ける。


「――いえ、大丈夫です。これは私の償うべきことなのですから」


 それでもなお、彼女はラストに対して一線を譲ろうとしない。


「オーレリーさん……」


 いつまでもラストを名目上の騎士としてしか扱おうとしない彼女に、彼は悲し気な声を向ける。

 ――やはり、彼女を一人きりにしておかない為には、もう少し強めに踏み込んだ方が良いのだろうか。

 そう考えながら、彼が先ほどと同じように凍てついた心の氷檻を溶かそうと手を伸ばそうとすると、


「……やっぱり距離が近いような気がするなー?」


 未だ疑いを拭いきれていなかった子供の声が、びくんと二人の身体を揺らした。

 よく見れば、まだ教会の中に残って彼らに怪訝な眼を向け続ける子供がいた――セレステだ。


「はははっ、距離が近いのも当然だろう? だって僕たちは――」

「そうだけど、そうじゃないというか……ううん、なんでもない」


 そう言って、彼女は最後の一口をぱくっと食べてしまって席を立つ。


「でも、残念だなー。お姉ちゃんとお兄さんが恋人だったら……私たちのお母さんとお父さんになってくれてたら良かったのに」


 それだけ言い残して、彼女は自分の髪――ラストと同じ真っ白の髪をくるくると指に巻きつけながら、他の子供たちと同じように外へと駆け出していった。

 ささやかな一言に込められた、少女の何処までも深い家族愛への渇望。

 それが、残された二人の心をぎゅっと握り潰してしまいそうなほどに締め付けた。

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