第112話 お嬢様の手料理
かつては人々が心の寄る辺として祈りを捧げる場であった聖堂も、きちんと管理する者がいなくなれば見る影もない。
床の赤い敷物にはいくつも穴が空いており、周囲の白い石壁はところどころ塗装が剥がれている。正面のステンドグラスは、罅の入ったところを泥か粘土を詰めて補修されているというありさまだ。
それでもどこか清廉な気配が漂っているのは、子供たちが懸命に掃除しているからだろう。ラストが適当に目の届かなそうな場所を指でなぞってみても、埃一つつかなかった。
そのまま彼は、聖堂の右隅に置かれた長机へと案内される。座らされたのは、入り口から向かって奥の方にある席だ。どうやら元々使われていた長椅子と机を利用した簡易な食卓のようだ。
そこに彼が座っていると、他の子供たちがてきぱきと炊事場から持ってきた皿を配っていく。
ラストが手伝いを申し出る間もなく、彼らは速やかに食事の準備を終えた。
そして、最初に提供されたラストの器から湯気がまだ立っている内に、最後に自分の分を持ってやってきたオーレリーが彼らを見渡せる一番奥の席――つまり、ラストの隣の席に座る。
子供たちを見渡して食事が行き届いているのを確認してから、彼女は胸の前で両手を組んで静かに目を閉じた。
「では皆さん、お食事の前にお祈りを捧げましょう。手を組んで……私たちに命を捧げてくださったお野菜さんたちと、恵みをもたらす神様に感謝を込めて。いただきます」
――いただきます! と彼女に続いて子供たちが大きな声で一斉に唱和する。
その様子を見よう見まねで真似しながら、ラストも同じように祈りを捧げる。前置きの言葉こそ異なるものの、そこに込められた基本的な観念は彼の持つものと変わらなかったため、ラストは違和感を出すことなく彼らの動作に合わせることが出来た。
子どもたちはすぐさま、目の前に置かれたオーレリーの料理を口に放り込んでいく。
「やっぱ姉ちゃんの料理が一番だぜ!」
「うん、うん……美味しい!」
「なによ、あたしたちの料理に文句でもあるの! 確かにこっちの方が美味しいけれど……でも、いつものだって美味しいでしょうが!」
「……次は、負けないもん」
少々騒がしいのが玉に瑕だが、正式な場でもない以上それを求めるのは無粋だろう。
興奮しながらわいわいがやがやと食べていく彼らを微笑ましく見守りながら、ラストもまた配られた木の匙を手に取って彼女お手製の料理を観察する。
底が深めの器に盛られているのは、数々の野菜を一緒に纏めて煮込んだ単純な汁物だ。見る限りだと、主に二種類の根菜から成り立っているらしい。葉っぱから根っこまで全てが余すところなく入っており、そこに薄い塩気が香る。
「あむっ」
たっぷりとすくった中身をこぼれないように口の中に運び入れると、野菜特有の優しい甘みが口いっぱいに広がる。加えて、引き締めるような小さな酸味がラストの舌を刺激した。
見た目からは想像していなかった酸味の正体は、根菜の隙間に紛れ込んだ青みがかった謎の果肉だ。そこから染み出した酸味が、飢えた子供たちの食欲を更に増進させる役割を担っているのだ。
その旨味を確かめるように何度か転がしてから、ごくんと飲み干す。
「……美味しいよ」
「それなら良かったですわ。シュルマさんに舌を肥えさせられたラスト君がそう言ってくださるなら、なおのこと自信を持てますから」
ラストが感想を述べるまで料理に手を付けず、じっと彼の様子を見守っていたオーレリーが安心したように改めて自分の分け前を口に運んだ。
彼女の食事の邪魔にならないように機を計りながら、ラストは味付けについて尋ねる。
「この酸味の正体は干し梅かな? そう言えば庭に植えてあったのを見たけれど」
「今は花が咲いてもいないのに、どうしてお分かりに……いえ、ラスト君ならおかしくもないですわね。貴方の推察通り、元は庭に観賞用として植えてあったものなのです。ですが、後に図鑑で調べるとどうやら実が食用になる類のものだと判明しましたので、乾燥させて保存したものを少しずつ風味付けに使っているのです。特に夏場などは、食欲の減衰が大きいから重宝しているのですよ?」
「確かに、いつでも酸味が加えられるのは便利だよね。それに梅は滋養強壮なんかの効果もあるから、育ち盛りの子供たちの身体に良い食材だと思うよ」
「ええ。今の司祭が引っ越す際に持っていかなくて本当に助かりましたわ」
そう言いながら、彼女は教会の内装の一部に目を向ける。
無理やり剥いだような痕跡は、どうやら新たな司祭が外して持っていったもののようだ。
その再利用の精神は褒めるべきかもしれないが、元あった内装の一部が千切れた状態で残されている所もあり、作業した者の雑な手際が伺える。恐らくは芸術的な感性によるものではなく、単に金への執着のような俗物的な感情が成したことなのだろうとラストは肩を竦めた。
そんな情けない人の欲棒について考えるよりも、残るもう一つの主役を確かめることの方がよっぽど心を躍らせる。
机に置かれた籠の中に詰められていたのは、小さく丸い黒パンだった。一人当たり二つが割り当てられており、子供たちはそれを素手で掴んで食べている。
「これは?」
「街のパン屋さんが庶民向けに売っているものですわ。一番安いものですが、様々な雑穀が混ぜられているから栄養は悪くないのですよ? 味は、その、賛否両論なのですが……」
ラストがそれを手に取って千切ってみると、中からほとんど黒か茶色の粒々が顔を見せる。見立てによれば九割弱が適当な粉の寄せ集めであり、残り一割がつなぎ代わりの小麦のようだ。
物は試しとそのまま齧ってみれば、ぼそぼそとした触感が瞬く間に口内の水分を吸いつくす。ぼろぼろと崩れたパンの欠片が口の中に張り付くようで、飲み込むのも一苦労だ。
「馬鹿だなー兄ちゃん、パンってのは汁に浸して食うもんなんだぜ?」
「ああ、どうやらそうみたいだね。教えてくれてありがとう」
わざわざ知っていたと言うこともなく、ラストは素直に感謝を告げてから子供たちと同じようにパンを汁につけ、ふやかして食べてみる。
すると、今度は簡単にほぐれた上に柔らかさが増して噛みやすくなる。そこに加えてよく噛んだパンからは濃厚な穀物の甘みがにじみ出てきて、それがまた酸味のある汁物とよく合う。
ラストはその調和を楽しみながら食べ進めていくが、残念なことに一部の子供たちからは少々物足りなく感じられるようだ。
「でもよー、やっぱりお肉が食べたいよなー」
「姉ちゃんの料理もおいしいけどよ、お肉かあ……僕も食べたいかも」
「たまにしか食べられないもん。でも、今日はお客さんがいるからってちょっと期待してたんだけどなー」
「……ここしばらく、お肉は高騰が続いているのです。家畜を襲う野生動物や魔物の活性化の影響で、街の外の牧場が襲撃されることが多くなっていまして。最近は落ち着いてきたようですが、いくら牛や豚と言えどすぐに増えたりはしませんから、なかなか下がらなくて……」
その原因は、魔物を人工的に作り出していた羊頭の魔族シェラタンらの一派の影響だろう。
段々と鎮静の方向へ向かっているという彼女の言葉を聞いて、どうやら最後にかけておいた脅しが功を奏していたようだとラストは心の中で頷いた。
とはいえそれを正直に言うこともなく、彼は内心の喜びをおくびにも出さずにぱくぱくと彼女の料理を食べ続ける。
「お肉か……」
「なによ、お姉さんのお料理が嫌なの? こんなにおいしいのに」
「毎日似たり寄ったりの中身だもんなあ」
「仕方ないじゃない、そんなにいっぱい育てられないんだもの」
一方、段々と子供たちの間でも不穏な空気が流れ始める。
不満を語る子供と、それに抵抗を覚える子供の間で見えない火花が散り始める。
――その流れを断ち切るように、ラストは少々行儀が悪いと思いつつも、多少大き目の声を上げながら食べだした。
「ぱくっ、もぐもぐっ、ごくん。あーんっ、もぐもぐ……うん、本当に美味しいよオーレリーさん!」
「えっと、ラスト君? どうしたのですか?」
突然の変化に困惑する彼女をよそに、彼は大げさに感想を述べ始める。
「根菜の旨味がこれでもかというほど滲み出てる、甘くて優しい料理だよ、これは。これを作った人の想いがひしひしと感じられて、心まで暖かくなってくるみたいだ。少ない素材でこれほどの工夫を凝らせるなんて、食べてくれる相手への想いがたっぷりと込められてるからこそだよね。――もぐっ、あーんっ、ごっくん」
パンと野菜と汁を纏めて一挙に頬張って、ラストは頬をリスのように膨らませながら料理を平らげていく。
「ふう、ご馳走様でした。いやあ、こんな料理が食べられて僕は幸せ者に違いない。――それで、君たち。オーレリーさんの料理が要らないのなら、僕が貰おうか? こんなに美味しいんだから、まだまだ食べたくって仕方がないんだ」
空っぽになった皿を一瞬寂しげな眼で見つめてから、剣呑な雰囲気を漂わせていた子供たちの皿を見つめてラストは語り掛ける。
突然変化した彼の食べっぷりを見ていた子供たちは、唐突なラストからの提案に慌てて自分の皿の中身を頬張り始める。
「……い、いらねぇなんて一言も言ってないだろ! 俺は食べるからな!」
「うまい! うまい! だからあげないもん!」
ラストの食べる様子につられて、彼らはオーレリーの食事を褒めながら食べていく。
そこにはもはや、不満を抱えながらちまちまと食べるような様子は見られない。
「こら、ちゃんとよく噛んで食べなさい! ……凄いですね、ラスト君が言うと皆争いを止めて食べだしてしまいました」
一応きちんと叱るながら感心した表情の彼女に、ラストは顔を寄せてこっそりと突然の態度を変化させた理由を説明する。
「美味しいと言われながら目の前で食べられてたら、誰だって文句をつけるより自分も食べたくなるからね」
「そういうことだったのですか。いきなり褒められだしたから何か裏があるとは思っていましたが、子供たちのためでしたのね。そこまでおっしゃられるほどとは私自身思っていませんでしたから、つい疑ってしまいました」
「いや、これは君の料理の美味しさが真実だったから出来たんだよ。不味いものを美味しそうにしても、子供たちの舌はすぐに見抜いちゃうから。慣れない貴族のお嬢様が子供たちのために頑張った、その努力が胸の奥まで真っ直ぐに伝わってくる素晴らしい出来だと僕は思うよ」
「あ、ありがとうございます。そこまで言われると、なんだか頬の辺りが熱くなってしまいますわ……」
耳の傍から放たれる混じりっけなしの称賛に、オーレリーはつい顔を赤く染めてしまった。
そうして努力を褒められて恥ずかしそうにする彼女の様子に、美味しい手料理に舌と気分を弾ませていた子供の一人がなんとなしに食いつく。
「ねえ、そう言えば、お兄ちゃんとお姉ちゃんって恋人なの?」
不意に投げ込まれた爆弾に、オーレリーは一瞬の硬直を見せる。
そして、――ぼふん! と、顔を紅梅のように真っ赤に染め上げてしまうのだった。
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