第110話 貴族権益の売買


「薄々そうじゃないかとは思ってたけど、まさか本当にそうだったとはね。それにしては不自然なところもあるけれど」


 ラストは自分の目が捉えた違和感を確かめるように、オーレリーに問う。


「さっき洗濯物を干していた時、おかしいと思ったんだ。子供用の服はたくさんあっても、大人の物は一つもなかった。子供の数は合計で十七人もいる、だからなにかしらの特別な事情を持った子が集まっていることまでは推測できたよ。でも、保護者の影が一つも見えないのはいささか変じゃないかな?」

「……確かに、ここの子たちは十七人ですが。ここに来るのは初めてなのですよね、どうしてそれが分かるのですか?」

「服の数を合わせて数えてただけだよ、大したことじゃないさ。それよりも、ここの管理者はいないのかな。これだけ大きな……教会で良いんだよね? だとしたら、司祭くらいはいると思うんだけど」


 オーレリーも口走っていたように、この建物は元々教会だったようだ。

 しかし屋上に吊るされた鐘楼は錆びて苔むしており、壁には蔦と罅割れがひしめいている。

 宗教の象徴が張られていたらしき表の入り口上部はそこだけ色が変わっていることから、剥がされてどこかへ持っていかれたようだ。


「司祭ならば、今頃父に与えられた高級街の新教会でぐうたらしていますわ。献上された乾燥果物を齧りながら、修道女の膝の上でお休みになられている頃合いでしょうね。ここはそのような方が古臭いからと管理を放棄した、廃教会です」


 ため息交じりに、やたらと具体的な行動予測を告げるオーレリー。


「詳しいね」

「前にここの教会を使って良いかと訪ねた際に、そのような態度で出迎えられましたから」

「……それ、本当に司祭なのかい?」

「知りませんし、どうでも良いですわ。私はあれ・・が聖なる人間だとは断じて認めませんけれど」


 彼女は忌々しそうに目を細める。

 よほど今のヴェルジネアの司祭は彼女の不興を買ったようだ。

 単に横になって相手を出迎えただけではないのだろうな、とラストは朧気に推測した。

 だが悲しいことに、高位の人間が実は腐敗しているという話はこの街ではよくあることだと彼は理解していた。

 そちらよりも、ここに肩を寄せ合って住んでいる子供たちへの理解を深める方が重要度が高い。


「オーレリーさん。司祭のことは素直に建物を譲ってくれただけ良いとしよう。それよりも、彼らのご両親が君のお父さんのせいでいなくなったってどういうことなんだい?」

「……そうですね。今更ですから、そちらも早めにお話しする方がよろしいでしょう」


 彼女はさっと周囲に目を走らせてから、ラストに顔をそっと近づける。

 まるで、これからの話をここの子供たちの誰にも聞かれたくないかのように。


「予定より早く終わりましたから、あの子たちも探しには来ませんわ。あと、約束していただきたいのですが、これから話すことを彼らに話さないで下さいますか?」

「分かったよ。約束する」

「感謝しますわ。ですが、念には念を入れて。――風よ、静寂の導きをここに。覆い隠すは隠者の理、【風鎮結界ヴェン・サイレンセス】」


 彼女が詠唱を唱え終わると、ラストとオーレリーの周囲から音が消えた。

 人々の生活音が何一つ聞こえなくなり、耳が痛くなるような静けさが一帯を満たす。


「音を遮断する結界を張りました。これなら誰にも聞かれることはありません」

「随分な念の入れようだね。そこまで聞かれたくないのかい?」

「知れば、これまでの生活には戻れなくなるかもしれませんから。これはそれほどに残酷なお話なのです……ラスト君、貴方から見れば今のヴェルジネアも相当酷いのでしょうが、実はこれでも以前と比べて落ち着いた方なのですよ」

「……と、いうと?」

「今でこそ収束していますが、お爺様が急逝なされて父に領主の座が譲られた当初は大変な変革の時期でした。あの人は己の欲望を満たすため、金策として様々な政治改悪を行ったのです。その内の一つに、由緒ある取引先を切り捨てるというものがありました。歴史ある商会との取引を無駄に金がかかると取り止めて、質が悪しかろうとも安さ第一の新興商会と手を組んだのです」


 そこまでならば、ヴェルジネアの治安が悪化するほどの影響はない。

 ラストは顎に手を当てて、彼女の話の続きを待つ。


「父は選んだ彼らに様々な特権を与えて、その代わりに値切り交渉を行ったのです……まあ、自分さえよければ他がどれだけ割を食おうと構わないという人ですから。相手が損をした分をどこで取り戻そうとするかなんて眼中にないのです。それで、与えられた特権についてですが。例えば貴方に倒された四蛇騎士もその一つです。実は彼らは適当にそう名乗っているのではなく、正式な騎士として認められているのですよ」

「……ちょっと待って。チャルヴァートンは彼らを自分の忠実な下僕と称したはずだ。でも彼に騎士の任命権なんてないだろう?」


 彼の疑問に、オーレリーは頷きを以て返した。


「ええ。本来なら正式な騎士の任命権は貴族に委ねられたもの。ですが、父はその権利を自分の周囲にいる者たちに売り払ったのです。もちろんそのままそっくりというわけにはいきませんから、販売相手が勝手に認めた騎士を自動的に追認するという形の契約ですが」

「金さえ払えば騎士の誇りも買えてしまうなんてね。確かに箔付けとして欲しがる人間は多いだろうけど、それを本当にやっちゃうのか。ええっと、法律で禁止はしてないんだっけ?」

「されていませんわ。そもそもそんなことを実際にやらかす者を想定していなかったのでしょう」


 彼女は遠くを見つめながら、はっきりと大きく嘆息を漏らす。

 ところが、彼女の父の為し続ける愚行はそれだけにはとどまらない。


「それだけではなく、徴税や都市開発計画の業務委託……ここには中抜きや乱暴な地上げなどが蔓延っていますね。更には裏取引や密造酒の黙認などなど、とにかく、色々と相手の悪行を庇う代わりにお金をいただいているのです」


 家族のやらかしを全て語り切ろうと思えば、時間がまだまだ足りない。

 オーレリーはそれが嫌になって、残りを端的に纏めて切り上げた。


「……それらは真っ当にやった方が利益が出ると思うけれど、そうは思わなかったのかな」

「長期的に見ればそうでしょうね。ですが、未来に得られるお金よりも今消費できるお金の方が魅力的ですから。ラスト君にはそのような経験はありませんか?」

「なるほど。でも個人的なことならともかく、他の人たちの生活にも関わることだよ?」

「先ほど言ったでしょう、あの人にとって他人なぞどうでも良いのだと。姉によれば、民衆は貴族の所有物だそうですよ。あの人たちにとって、個人の懐事情と街の財政は同一なのですわ。須らく、自分の思い通りにして良いものだと思い込んでいるのです……」


 彼女ははっきりと、ラストの目の前で家族のことを憎々し気に話した。

 そこに込められた感情が彼女の本心であると強く読み取れて、彼は咄嗟にオーレリーの手を握る。

 その手から広がる冷たさを和らげるように揉み解すと、彼女はいつの間にか強張っていた自身の態度に気づいてさっと感情を心の奥に引っ込めた。


「ごめんなさい、つい愚痴をもらしてしまいまして……」

「良いよ、それで君の心が少しでも軽くなるのなら」

「申し訳ありませんでした。話を戻しますね。それで、その売買された権利の中には犯罪行為の黙認もあるのです。彼らがいくら罪を犯そうと、咎められることはありません。それを良いことに、彼らは商売敵を手っ取り早い方法で潰し始めました。特定業務、特に生活必需品を競争相手のいない独占状態に出来ればそれがなにをもたらすか。聡明な私の騎士様にはもうお分かりでしょう?」

「……人々はいくら値上げされようと、そこからしか買えないのなら買うしかない。いくら高値で売りつけて暴利を貪ろうとも、彼らには他に選択肢がないから文句も言えない。だよね?」

「はい。その魅力につられた各勢力は、それぞれにとって邪魔な相手を消し去ろうと最も原始的な手段を選択しました――暗殺です」


 彼女は一際小さな声で、怖れるようにその手段をラストの耳元に囁いた。


「恐喝、詐欺……それらよりも安易で、かつ罪に問われないのです。父が領主になって二年目、その一年の間に吹いた粛清の嵐はこのヴェルジネアを蹂躙し尽くしました。知っていますか? 【ヴィンデミア一家の惨劇】という忌まわしき事件の名を」


 オーレリーの出した具体的な事件のことを、ラストは聞いたことが無かった。


「……いえ、僕はまだ聞いたことは」

「でしょうね。こんなもの、誰も好んで他人に話したくはないでしょうから。……ヴィンデミアとは、代々我が家が宝飾品を任せていた一族です。ですが、そこへ当時父から新たに任命された宝石商ベヌッチ一家が襲撃をかけ、ヴィンデミアの家族を皆殺しにしたのです。それも白昼堂々、人々の耳目を集める中で」


 彼女の口から語られたその内容に、これまでは些細な表情の変化で済ませることの出来ていたラストも唖然とするほかなかった。

 数ある犯罪の中でも、殺人は最も重い罪として扱われている。

 しかし、それすらもこの街では金を積めば許される――その現状に、彼は信じられないような目でオーレリーを見た。


「……なんだい、それは。そんなことまでもが許されると?」

「人の命すらもどうでも良いのでしょう、父の価値基準からすれば。既に切り捨てた元取引先がどうなろうが、我が家の商取引には関係ないとでも考えているのでは?」


 そんなわけがない、とラストは声にならない声で叫んだ。

 治安の悪化はその街の悪評を招く。特に法の支配がろくに及ばない地域と知れば、まともな人間はまず近寄らなくなってしまう。そうなれば今のヴェルジネアそのものと関係を結ぼうとする者も減少し、街外との交流が完全に断たれてしまう。

 そうなれば今の取引先も街外での交渉が難しくなり、結果として自分の首を絞めることになるというのに。


「私は街外からやって来られる方々と直接お話していますから知っていますが、彼らもこのままでは早々にここを交易路から外すだろうと仰っていました。ですが父は周りの人間の言葉にしか耳を傾けませんから……」


 それを分かっていても、彼女にはどうする事も出来ない。

 彼女は当主ではないがゆえに、政治的な決定権など何一つとして持たないのだから。

 オーレリー・ヴェルジネアは、ただ自分の愛した街が滅びゆく様を見ていくことしか許されない。

 どれだけ街の人々を助けようとしても、終わりは変わらない。

 彼女がかつて【デーツィロス】で見せた、内に秘めた悲しみ――底知れない絶望の一端を、ラストはここにきてようやく理解することが出来た。


「ちなみに、先ほどお話したヴィンデミア一家の忘れ形見が貴方が先ほど話した男の子です。アズロという偽名に隠された本名は、サファエル・ヴィンデミア。彼だけは当時、病気で他の家に預けられていたので難を逃れたのです。私は医者と相談して彼をそのまま熱で死亡したことにして、密かにこちらに匿うことにしました。他の子供たちの過去も、大抵そのようなものです」

「彼はそのことを……?」

「知りませんわ。彼は当時赤子でしたから、両親の顔も覚えてはいないでしょう。――そして、これからも」


 彼女の悲嘆に満ちた瞳に、決意の光が宿る。 

 だが、その輝きはどこまでも孤独で、夜空に輝く月のように一人だけ別の場所にいるような錯覚をラストは覚えた。


「かつての悲劇に囚われるよりも、あの子には未来を向いて笑っていて欲しい。彼らには知る権利がありますし、これは私の我儘に過ぎませんわ。ですが、知らないままでいられるのなら、その方が良い……ラスト君は、そうは思いませんか?」

「どうだろう。過去を乗り越えるかどうかを決められるのは、結局のところ彼ら自身しかいないんだ。今はともかく、いつかは教えなきゃならないんだと思うよ。それに、君が教えなくてもきっと自分で気づくことになると思うから……この社会が変わらないままじゃ、そう言った話は嫌でも耳に入ってくるだろうしね」

「そう、ですね。ですから、このような暗闇の時代は一刻も早く終わらせなければなりません。……他ならぬ、私の手で」


 オーレリーはラストに包まれていない方の手を固く、爪が食い込むほど握りしめて、悲壮な決意を露わにする。

 ここまで傍に寄り添っていても、その言葉の主語は未だ私たち・・ではない。

 彼女はケリをつけるにしても、あくまでも自分一人で行うつもりなのだ――それが、ヴェルジネアとして生まれた者の宿命なのだから、と。

 その置かれていく感触がとてつもなく悲しいことに思えて、ラストは一際強く彼女の手を握り直した。

 遠く風の彼方に消えて行ってしまいそうな少女の手を、この街の人々に繋ぎとめられるように。

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