第109話 歩けば出くわす領主の業


 ラストが助けた少年少女――アズロとローザと言うらしい――は、彼女と一言二言話してから建物の裏側へと走り去っていってしまった。


「ごめん兄ちゃん、俺たちまだやんなきゃならないことがあって!」

「後で必ずお礼しますから、待っててくださーい!」


 去り際にもきちんと頭を下げていくあたり、よく躾けられているらしい。

 だだだっ、と手を振りながら元気よく走っていく彼らを見届けてから、ラストは改めてオーレリーを見た。

 今日の彼女は普段とは異なり、貴族ではなく屋敷の下女のような服装をしている。

 亜麻色の下地にくすんだ緑色の生地を重ねた、素朴な下働き用のワンピース。そこに使い古された無地の頭巾を被って、後ろから三つ編みにした髪を垂らしている。

 肘まで捲った袖といい、オーレリーはその服を慣れたように着こなしていた。

 真っ白な腕に残る水仕事の残り雫が、彼女の活力を示すようにきらりと輝く。


「始めて見るけど、その服装のオーレリーさんも綺麗だよ」

「ありがとうございます。……それにしても、まさかあの子たちが騎士に襲われていたとは想像していませんでした。てっきりどこかで遊んでいるものかと。いえ、彼らなら老若男女問わず難癖をつけそうなものですが、それでも本当に小さな子供たちに手を出すなんて……」

「僕が【デーツィロス】で働くことになった経緯を考えれば、それくらい不思議じゃなかったけどね。チャルヴァートン氏も、一財産築けるほどの人間ならもう少し雇う人間を選んでも良かっただろうに」


 ラストの一言に、彼女はぴくりと片眉を上げた。


「チャルヴァートン? まさか、あそこの四蛇騎士をやっつけたのですか? 大変、彼らは街の外でも悪名高い傭兵集団なのですよ。色々な街で暴力を振るっては出禁を言い渡されている、野党崩れの危険人物たちです。お怪我などはされて……いないようですね」


 オーレリーは慌ててラストの全身を眺めるが、どこにも傷らしきものは見当たらない。


「うん。あれくらいに後れを取るような柔な鍛え方はしていないからね。一撃も貰ってないから、気にしなくて良いよ」

「……本当にラスト君はお強いのですね。あの怪盗でさえ、彼らとの直接対決は避けて上空から避けて通ったというのに」

「師匠はもっと強いからね。僕なんてまだまださ」


 それに、もし彼らに一矢でも報いられていれば、エスの修行の成果が出ていないと証明してしまうことになる。そうなれば彼女はきっと大きく失望するに違いない。

 【英雄】を目指す身としては当然のこと、彼女を悲しませないためにも彼はそこらの暴れ者程度に後れをとるつもりはなかった。

 そのことよりも、ラストは彼女の言い方が気になった。


「それよりも、よく知ってるね。怪盗が出た時は家にいたんだろう?」

「……街を歩いていれば怪盗の活躍は自然と耳に入ってきますから、この程度は。それよりも、子供たちを助けていただいたのですからお礼をしませんと。申し訳ありませんが、先に教会の中に入って待っていていただけますか。洗濯物は早く干さないと皺が出来てしまいますので」


 彼の質問に対して若干顔を俯かせながら、オーレリーはぐっと手に抱えていた洗濯物の籠を見せつけた。

 それを見て、ラストは彼女と同じように腕を捲る。


「おっと、そう言えばそうだったね。それじゃあ、僕も手伝うよ。二人でやった方が早く終わるだろ?」

「え? ですが、今日のラスト君はお客様ですから。それに四人も騎士を相手したのですから、中でゆっくりと休む方がよろしいかと」

「言ったよね、あれくらいならなにも問題はないって。まだまだ元気いっぱいだから気にしなくていいよ。むしろ準備運動にも足りないくらいだし、洗濯物を干すくらい手伝わせてよ」


 ね、と優し気に微笑みながら手を差し伸べたラストを、彼女は断り切ることが出来なかった。


「……そこまでおっしゃるなら、お言葉に甘えてお願いしますわ」

「任された。それじゃ、それは僕が持っていくよ。物干し竿はどこにあるんだい?」


 そう言って、ラストはオーレリーの持っていた籠をさらりと自分の腕に抱え込む。

 そのあまりの手際の良さに、彼女はすぐには自分の腕が空っぽになったことに気づかなかった。

 いつの間にか相手の腕の中に移っていた籠を見て、目を見開りながら自分の手を二度見する。

 手癖の悪い――そう評すべきかはともかく、乙女に荷物を持たせない紳士らしい気遣いに、彼女は驚きながらも礼を言う。


「あ、ありがとうございます。干す所なら、あちらの壁の方にありますわ」

「ん。あれが物干しだね。よし、そうと決まればさっさと干しちゃおう。今日はいい天気だし、きっとすぐに乾いちゃうだろうね」


 ラストはそこまですたすたと籠を運んでいくと、次々に洗濯物を取り出しては竿にかけていく。

 積まれていた服の山から一つを手に取って、ぱんっと一度はたいてから袖を竿に通していく。

 それが終われば次の服を手に取って、他のものと重ならないように引っ掛けていく。

 放っておけば一人で全て済ませてしまいそうな彼の勢いに、オーレリーも慌てて洗濯物に手を伸ばした。


「早い、それに慣れていますのね。男の人は洗濯なんてしないと思っていたのですが」

「そんなことはないよ。自分の生活に必要なことだから教わったんだ」


 ブレイブス家にいた頃は他人に任せっきりだったが、エスの屋敷ではあらゆる家事を二人で分担して行っていた。料理はもちろんのこと、掃除や洗濯もそのうちの一つだ。

 そこには、エスが打ち立てた教育方針も影響している。

 ――【英雄】たる者は、常に見た目にも気を配らなければならない。

 人の第一印象は外見で決まり、それはその後の判断にも大きく影響を及ぼす。実際に触れ合うことが少ない人々にも一目見ただけで信用に値すると思われたいのなら、外面を整えることも非常に重要なのだ。

 武器の整備はもちろんのこと、整髪などの身だしなみや服の手入れも一人で出来ないようでは話にならない。

 そもそも自分の身に纏うものについて知らない者に、それを使いこなせる――着こなせる道理はないのだから。


「そういう君こそ、洗濯は貴族の淑女の嗜みでもないと思うけれど」

「私も同じですわ。必要だから勉強しただけです。ここの子どもたちをお世話するためには、あらゆる生活の知識が必要でした。洗濯もお料理もまずは自分が一通り出来るようにならなければ、彼らに教えることは出来ません。そうして導いて、彼らがここから巣立っていけるようにするのが私の責務なのです」


 籠の底で潰れていた最後の服を手に取って、ラストと同じようにして皺を伸ばす。

 山のようにあった洗濯物も、二人でかかればあっという間に終わってしまった。

 全てをかけ終えた竿を高い所に掲げると、綺麗になった服たちが涼しげにたなびいていく。

 その向こう側、子供たちがいるであろう建物の反対側に視線を向けながら、彼女は語る。


「ここにいるのは皆、親を失った孤児なのです。彼らもまた、父の敷いた悪政の犠牲者……私が責任を持って育て上げなければ、かつてのヴェルジネアを築き上げた彼らのご両親に顔が立ちません」


 染み一つない衣類のはためく隙間から、ラストは見慣れてしまったオーレリーの悔恨を覗く。

 どうやらこの光景もまた、彼女の背負うべき血の業の一つであるようだ。

 彼女が背負い過ぎのような気もするのだが、それにしても、まさかこうして出歩く先で次から次へと彼女の父が為した悪行に出くわすことになろうとは。

 いったい現ヴェルジネア家当主とは、どれほど悪辣な人物なのだろうか――ラストは、まだ顔を知らないオーレリーの父を想像して自然と拳を握りしめるのだった。

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