第108話 少年少女のお礼


 てきぱきと手際よく、ラストはチャルヴァートンの四騎士を縛りあげていく。

 糸の切れた絡繰人形のように動かなくなった彼らを一ヶ所に纏め、まずは両腕を後ろに回して親指を括る。続けて手首を引っくり返した状態で締め付け、更に股を広げられないように足首をきつめに拘束する。そこを起点として伸ばした縄を腕の結び目に絡めた上で首まで引っ張り上げ、喉元に引っ掛けるように輪っかを作って結ぶ。


「――よし、これで完成だ」


 縄を解こうとしても指が届くことはなく、逃げようと藻掻けば藻掻くほどに自動的に首が絞めつけられる。

 彼ら四蛇騎士が解放されるには、必ず誰かの手助けが不可欠となる――散々人々に迷惑をかけてきた彼らを助ける相手がいるかはラストにも分からない。

 だが、彼らが誠心誠意込めて謝罪を続けていれば、許そうと思う人も一人くらいは出てくるだろう。

 ここまで来て反省の様子を一欠けらも見せないのであれば、もはやどうしようもない。

 最後に【戒罰血釘カズィクル】を発動させて自分の仕事を終えたラストは軽く手を打ち払って、やり切ったように両腕を上に伸ばした。


「ふぅ、誰かをこうして縛るのは久しぶりだよ。縄の結び方も忘れてなかったし、復習出来て良かった」


 ラストは芋虫のように縛られた四人の男たちを見下ろしながら、かつてエスの屋敷で縄術を練習していた時の光景を思い出す。

 もちろん、彼の縄術の練習台となっていたのは他ならぬエスだ。

 慣れないうちは無理に関節を締め上げ過ぎるために人形を使っていたこともあったのだが、彼女曰く――。


「やっぱり実際の相手を縛らなければ分からないこともあるんだぞ? ふははっ、さあ存分にこの美貌を縛り上げてみろ!」


 とのことで、彼は断ることも出来ずにエスの四肢を無抵抗のままに何度も縛り上げた。

 縄による拘束術は彼が思っていたよりも奥が深く、用途によって様々な手法が存在した。その中には彼女の豊満な肢体を強調するようなものもあり、そういった縛り方を試すたびに妙な背徳感が付きまとっていたことを覚えている。

 しかも、ラストの記憶の中では、自分で縛り方を指示しながら弟子の手で拘束されていくエスは愉しそうに顔を赤らめていた――数年遅れて悟りかけた事実を、ラストはぶんぶんと首を振って追い出した。

 今は、そんなことよりも気にかけなければならない子供たちがいるのだから。


「待たせてごめんね。さ、君たちを苛めていたお兄さんたちはもう倒したよ。まずはその傷を治して、どこか休めそうなところで落ち着こうか」


 そうしてラストが治療目的で近づこうとすると、二人の子供たちはひっと悲鳴を上げて後退った。

 そこに浮かんでいた表情に気づいて、ラストは思わず足を止めてしまう。

 彼らの眼に映る感情は少し前に見覚えのあるものだった――初めて自分の知らない力を見せつけられ、怖れを抱いた時のルークの目だ。

 どうやらラストが騎士たちを平然となぎ倒していく光景は、彼が思っていたよりも子供たちの純粋な心に響き過ぎたようだ。

 彼がなんとか彼らの誤解を解こうと思考を巡らせると、それが纏まりきるよりも先に、彼らは逃げるようにして駆け出して行ってしまった。

 その背中が裏路地に消えていったのを見送ることしか出来なかったラストに、傍で様子を見守っていた水割り酒を売る男性がふき出した。


「ぶっ、はははっ! あ、いや、悪い。あの騎士どもをぶっ倒したあんたでも、子供たちに逃げられてそんな情けねぇ顔を浮かべるなんて思うと、ついな」


 その情けない顔を浮かべたまま、ラストはぼそりと呟いた。


「……仕方ないですよ。僕もちょっとやりすぎたかなと反省していますし。子供の目からしてみれば、引かれるのも無理はなかったと思います」

「そうかねえ。俺はあれくらいで十分、いや、まだ足りないと思うがな。おっと、自己紹介が遅れたな。俺はヴィーノだ。普段はここいらで水割りを売ってる」

「僕はラスト・ドロップスです。ヴェルジネアには最近来たばかりで、いつもはここからちょっと離れた南の方の【デーツィロス】という食堂で働かせてもらっています」

「ラストだぁ?」


 店主は顎に生やした髭を軽く引っ張りながら、ラストの顔をじろじろと眺める。


「……ああ、そういや聞いたことがあるな。騎士どもを簡単に半殺しにしてのける赤目白髪の店員がいるって話。眉唾もんだと思ってたんだが、まさかお前さんのことか?」

「そうでしょうね。その色の組み合わせの人は、ヴェルジネアでは他に見たことがありませんから」

「かっかっか、そうかそうか! 随分手馴れてると思ったらやり慣れてるクチだったか! そんなのとこうして話が出来るどころか、それを実際に見られたなんてこいつは運がいいぜ!」


 ヴィーノは楽しそうに笑いながら、しょぼくれた雰囲気のラストの肩を励ますようにバンバンと叩く。


「それで、その食堂の店員がなんでこんなところにいるんだ?」

「この街のことをもっとよく知りたくて。情報収集、みたいなものです。実は最近騎士に任じられたので、この街のために働くためにはもっと街のことを知らなければならない……というわけです」

「ああ? 騎士だって……お前さんがか?」


 感心していた店主の朗らかな瞳に、剣呑な光が交じる。

 そこにはこれまでの騎士に対する強い警戒と侮蔑が垣間見えた。

 だが、ラストにとってそれらは心当たりのない罪だ。

 彼は無実を証明するべく、しっかりとヴィーノに胸を張って答えた。


「ええ。オーレリー・ヴェルジネアの騎士です。僕は彼女のために、この街を元気にするべく働きたいと考えています。決して誰かを傷つけたり、それで笑ったりするような、騎士の誇りに背くようなことをするつもりはありません」


 顔を下に向けず、相手の視線を真っ向から受けて言い切ったラストにヴィーノはぴくりと敵愾心を引っ込めた。


「ああ、なんだあの嬢ちゃんのか。びっくりさせんなよ、まずはそいつを先に言ってくれればよかったんだ」

「オーレリーさんをご存じなんですか?」

「もちろん知ってるぜ。あんたの主はここにもよく来て、困ってる奴らに炊き出しなんかやってたりするからな。俺も少し前には世話になったんだ、前いた店を競争相手に潰された時にな。まったく貴族らしくねえ、良い娘だよ」


 一転して最初の笑顔に戻った店主は、謝罪のつもりかさらに距離を縮めてラストと肩を組んだ。

 どうやらヴィーノはオーレリーのことを知っているどころか、恩人として信奉しているようだ。

 彼女の名はラストの予想以上に彼の信頼を勝ち取るのに有効だったらしい。


「なるほど、あの子と関係があるならさっきみたいなのも納得できるぜ。武器を持った奴らに立ち向かうなんてよ、普通の根性じゃ無理だ。情けねえが俺たちには出来ねえ。周りの奴らの冷たい目に晒されても、声をかけることを諦めなかったオーレリー嬢ちゃんと同じだ。……それで、この街のことを知りたいんだったな? だったら俺が案内してやるよ」


 袖を捲りながら、ヴィーノはラストに思いがけない提案をする。


「良いんですか? お店もあるんじゃ……」

「おう。それでもどうせ後で取り返せるからよ。騎士を張っ倒した噂の男が一気に三杯も飲んだ魔法の水割り――なんて言えば、誰だって飲みたくなるだろ? 色んな奴らがそこかしこで見てたみたいだし、こいつはきっとうまく行くに違いねえ」

「……そ、そうですか」


 事実ではあるのだが、彼の水割り酒はラストの発揮した力になんの関係もない。

 むしろ、それを思い出したことにつられて、戦闘前の飲み過ぎによる吐き気すら戻ってきたような気分に彼は襲われた。

 とはいえこの辺りの地理をよく知る人間が自ら案内してくれるというのだから、彼は素直にその行為に甘えるためにも本音を心の底にしまいこんだ。


「それじゃ、よろしくお願いします」


 そう申し訳なさそうに思いながら頭を下げたラストだが、ヴィーノは唐突に彼と組んでいた腕を離した。


「いや、やっぱり止めだ」

「え?」

「どうやら、先にあんたに用がある奴らがいるみたいだからな」


 ヴィーノに言われて彼の視線の先に目を向けると、そこには先ほど逃げていった二人の少年少女の姿があった。

 彼らはどちらも気まずそうな顔を浮かべてもじもじとしていたが、やがてラストに見られて決心がついたのか、勢いよく腰を折る。

 そのまま頭を膝につきそうになるほどに下げた状態で、彼らは叫ぶように大声を出した。


「あ、あの! ごめんなさい! せっかく助けてもらったのに、逃げちゃって……」

「悪い! お兄さんは俺たちをあいつらから助けてくれたのに、お礼も言わなくて……ありがとうございました!」

「私も、ありがとうございましたっ!」


 素直に自分の過ちに気づいて戻ってきてくれた彼らに、ラストはそっと手を伸ばす。

 その手の先に、細い光が魔法陣を描いた。


「いいよ、そんなに頭を下げなくても。君たちの謝罪はきちんと受け取ったから。それよりも、早くその傷を治しておかないとね。放っておくと病気になっちゃうから」


 ラストが発動させたのは、目前の子ども二人を対象とした回復魔法だ。

 騎士たちは子どもたちを出来る限り長く甚振ろうとしていたのか、彼らに刻まれていた傷はどれも浅いものばかりだった。中には既にかさぶたで塞がっているものも見受けられた。

 それ以外のところを、ラストは魔法の効能を集中させて塞いでいく。

 そうしてすぐに綺麗になった傷のあった場所を見て、彼らは喜びながら顔を見合わせた。


「すっげー、これって魔法かよ!? 兄ちゃん魔法使いだったのか?」

「でもお姉ちゃんみたいになにも言わなかったよ?」

「お姉ちゃん?」


 ラストは彼らの口にした姉という存在を聞き咎める。

 どうやら二人の姉も魔法を使えるようだが、平民出身で魔法使いが生まれる確率は万に一人と非常に限られている。しかも魔力操作だけならいざ知らず、魔法となればどこかから魔法陣の知識を手に入れなければ扱えない。

 魔法に関する知識を収集することが可能であり、一般人に癒しの魔法を施すことを厭わないヴェルジネア内の人物となると、もはやその答えは一人しか見当たらなかった。


「そうだ、俺たちの家へ来てくれよ! お礼しないとな!」

「そうね、お姉ちゃんには助けてもらった相手にはきちんとお礼をしなきゃって言われたもん!」


 彼らの言う姉についてもう少し聞こうとしたところで、ラストは願ってもない提案を受けた。

 彼らに着いていけば、そのお姉ちゃんについて色々な話が聞けるだろう。

 この街について知りたいのも山々だが、ラストはどうせならば彼女・・についての情報も手に入れておきたかった。


「ええと、すみませんヴィーノさん。案内はまた今度、ということで」

「良いってことよ、気にすんな。代わりに今日からしばらく名前を使わせてもらうけどいいよな?」

「はい。それはもちろん、やり過ぎない程度ならご自由にどうぞ。……ありがとう、君たち。それじゃ、お家まで連れて行ってくれるかな?」

「うん、こっちだよ!」

「早く来ないと置いてっちまうぞ!」


 ヴィーノに軽く頭を下げてから、ラストは手をつないだ二人に引っ張られて裏路地の中を小走りに進んでいく。

 表の整然とした通りとは異なる、蛇のように曲がりくねって蟻の巣のように入り組んでいる道を歩いていくと、少しして大きく開けた場所が見える。

 そこに立っていたのは、周りと比べて少々大き目の建物だった。暗い雰囲気の裏街には似つかわしくない、日の光を受けた神聖な雰囲気の建築だ。

 ――そしてラストはその中庭に、見慣れた琥珀色の透き通った髪が揺れるのを見た。


「姉ちゃん! すげえ人を連れてきたぜ!」

「私たちを怖い騎士たちから助けてくれたの! お礼になにか出来ないかしら?」


 彼らの呼び声に応えて、洗濯物らしき布の山が入った籠を抱えた彼女が振り返る。

 その髪の奥に見えたのは、彼が予想した通りの少女の顔だった。


「……ラスト君? どうしてここに?」

「やあオーレリーさん。ちょっと色々あってね、彼らにお礼をと言われて来たんだ」


 ヴェルジネアは領主が住まうだけあって、地方都市とは言えそこそこの規模を誇る。

 まさかその中で偶然に邂逅するとは思っておらず、二人はその運命の奇妙さに視線を交わして苦笑を漏らすのだった。

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