第107話 邪蛇討伐


 魔力を漲らせた脚で駆けだしたラストは交差路を曲がった先で、屈強な男たちが子供たちを脅している現状を遠目に捉えた。

 未だ十軒ほどの距離があれど、騒ぎを避けようと人々が道を開けているおかげで様子をはっきりと確認することが出来る。

 たった二人の小さな男女を取り囲んでいる、鎧を着込んだ四人の男たち。一人が子どもの身体を押さえつけ、もう一人が鋼色に輝く得物でその身体をつついている。

 体格の差を存分に利用した、恐るべき虐待行為だ。

 その光景を脳が認識した瞬間、彼はその手に持っていた先ほどの焼肉の串を全力で投擲していた。

 魔力の燐光を纏った三本の串が、子どもを捕まえていた男たちの腕に寸分違わず突き刺さる。


「――ぎゃっ!?」

「ぐっ!? なんだっ!?」


 鋼鉄の腕甲を真上から貫いた痛みに、男たちは驚愕のあまり、捕まえていた子どもたちを手放した。

 そんな相方の悲鳴にもう一方の騎士たちも驚いて腕を止める。

 ラストは走る速度を緩めることなく彼らの隙を潜り抜け、子供たちがこれ以上傷つかないように優しく抱き上げ、そのまま少し離れたところで制止した。


「……え?」

「なに、が……?」


 状況が呑み込めていない子どもたちは、ラストの腕の中で茫然と彼のことを見上げる。


「安心して。もう大丈夫だから。これ以上君たちを傷つけるようなことは、僕が許さない」 


 彼らをそっと地面へ下ろすと、そのままへたり込んでしまう。

 その身体には、うなじや脇腹など、様々な所に薄皮を切り裂いた傷跡が残っていた。うっすらと浮かんだ血の跡が、彼らを抱き上げたラストの腕の中に残っている。

 言葉を駆けると同時に頭を撫でると、彼らは安心したのか瞬く間に目元に涙を浮かべて、身体を抱き合わせて泣き出した。

 本当なら彼らにそのまま付き添ってあげたいところなのだが――それよりも先に、片付けなければならない相手がいる。


「……幼気な子供をいい大人が寄って集って痛めつけるなんて、いったいどういうつもりだ」

「つつ……なんだこりゃ、食い物の串じゃねぇか。なんでこんなので鎧に穴が空くんだよ?」


 痛そうに引き抜いた串を放り捨てて、それぞれ攻撃を受けた男たちはそれを踏み躙りながらラストを睨んだ。

 他の子どもたちを直接傷つけていた二人もまた、揃ってラストを見る。


「面白い手品だが、俺たちをチャルヴァートン商会の四蛇騎士と知ってのことだろうな?」

「チャルヴァートン? ……そう言えば、確かにそうみたいだね」


 ラストが彼らの魂を観察すれば、確かに先の満月の晩に見たチャルヴァートンお抱えの四騎士と一致する。

 どれもこれもが、どぶを煮詰めに煮詰めたような汚い色だ。

 この街の一般的な騎士の魂も大概汚い色をしていたが、それらに輪をかけて彼らの魂の光は澱んでいた。


「それで、その商会の騎士がなんで子供たちを苛めるんだ。まさかろくに稼ぎもない子供からも金を脅し取るよう、君たちの主に命令されたのか?」

「違ぇよ。ガキの金なんざ奪ったって酒代にもなりゃしねぇ。それよりも夜のお供として使った方が何倍もましだ。緩い娼婦よりよっぽど使いもんになるからな」

「ははっ、違いねぇ! 良いねぇ、今度久々にやってみるか? この辺りのガキが少し減ったところで問題になりゃしねぇ!」


 その吐き捨てるような下卑た笑いに、ラストは顔を顰めて拳を握りしめる。

 騎士たちの口にしていることの中身について、その方面の知識もまた身につけていた彼はある程度予想がついていた。

 それが趣味として頭の中の妄想のままに終わるなら構わなかった――それでも、目前の騎士たちは四人とも、その実際の感触を確かめたかのような口調で笑いあっている。

 更には白昼堂々、その実行を公言している。

 弱い相手を力づくでねじ伏せ、意に沿わないことを強要する。その自分勝手な理屈を振り回す彼らに、ラストは明確な怒りを抱いていた。


「そう言った類の冗談は嫌いだ。早く答えるんだ……その口が開かなくなる前に」

「あ? そんなことを言って良いのか? ったく、これだから正義の味方って奴は。力もねぇのに弱い奴らを庇いたがる。あーあー、お偉いことで」

「もう見飽きたぜ、お前みたいなのはよ。へへっ、その身なり、あの女怪盗みてぇな貴族の血を引く魔法使いじゃねぇんだろ? だったらしょせんは戦いも知らねぇ普通の街のガキだ。なんてことはねぇ」

「よく見たら顔だって悪くはねぇ。今謝ったら許してやらんこともないぜ? ちょっと手足の二、三本へし折って、一晩使ったら解放してやるよ」


 彼の激情をたたえた瞳を見てもなお、四人の商会の騎士たちはせせら笑うばかりだ。

 あの夜にアルセーナを相手にしていた時は無言を貫いていたが、それも雇い主の前で体裁を整えていただけなのだろう。

 これが彼らの本性なのだ。恐喝王と呼ばれたチャルヴァートンと、その下に集った騎士たちは中身まで似たり寄ったりだ。

 類は友を呼ぶとはこのようなことなのだろうと適当に考えながら、ラストは煮え滾る心の荒波を少しでも静めるように気を紛らわせる。

 そうしなければ、感情を乗せた魔力の昂りが彼らを殺してしまいそうだったから。


「そうかい。答えるつもりがないのなら、もう良いよ」

「あ? なんだ、自分の立場がようやく――」

「僕が【怪盗淑女ファントレス】じゃなくて不運だったのは君たちだよ。僕は君たちを見逃してあげられるほど優しくはない。きっかり全員、再起不能にさせてもらう」

「はっ、口だけは達者だな! だけどそういう奴らを俺たちは何人も――」


 叩き潰してきたんだ、そう言おうとした騎士を待たずにラストは前へと倒れ込むように駆け出した。

 踏み込みの一瞬だけ強化を駆ける歩法で、ほんの三歩で彼らの下へラストは飛び込む。


「――しゃぁっ!」


 それに真っ先に気づいた槍使いが、前方へと鋭い突きを放つ。

 しかし、その狙いをラストは彼の腕が動くよりも先に視線から見抜いていた。

 ラストは身体を傾けて、槍が彼の正面を通り過ぎていくように回避する。

 そして、槍が次の行動へと移るより早く、彼は男の懐へ侵入して槍の長柄を押さえるように上から拳を叩きつける。その反動に地面を強く踏みしめた力と体重を乗せ、ラストは肩背面からの体当たりを男の分厚い胸鎧めがけて叩き込んだ。


「ごへっ!?」


 魔力を乗せた彼の体当たりは、鎧を着た男の身体を紙きれのように容易く吹っ飛ばした。

 ごぉんっ! と大鐘を鳴らしたような音が響いて、男は家五軒分くらいの距離を足が地面から離れた状態で飛んで行った。

 更にそこから何度か地面にぶつかって跳ねるように転がっていき、加えて三軒分ほど進んでようやく止まった。

 その顔は白目を剥いた挙句、衝撃で吐き出した血でどっぷりと赤に染められていた。

 ぴくぴくと指先がかろうじて息があることを示しているが、男は起き上がる気配を見せなかった。


「ふっ!」


 衝突の際に男が手放して足元に転がっていた槍を、ラストの脚が躊躇なく踏み砕く。

 持ち手まで強固な鉄で出来ていたようだが、それがばきりと真っ二つに砕けてしまう。


「――なっ」

「なにぃっ!?」

「くそっ、ウヌの野郎をよくも!」


 それを受けて、残る三人も今更ながら動き出そうとする。


「こいつらがどうなっても良いのか、ええ!?」


 弓を持っていた騎士が、ラストが距離を詰めたことで逆にがら空きになった子供たちへと矢を射かけようとする。

 しかし、それを彼が許容するはずもない。

 ラストは一瞬のうちに少年たちの前へと戻り、突然彼が戻ってきたことに驚いた騎士が放った矢を前にして、素早く腕を振るう。

 ――その動きが止まった手の中には、放たれたばかりの騎士の矢が握られていた。


「馬鹿なっ!」


 騎士は信じられないような目でラストを見るが、偶然だと思ったのかさらに続けて矢を射かける。

 それでも、彼はその全てを素手でつかみ取って見せつけるように突き出した。


「魔法も使わずに素手で矢を掴むなんてっ、馬鹿げてやがる!」

「これくらい出来て当たり前さ。君の眼は子供たちに向いていたから、どうせこんなことをするんじゃないかと思ったよ。そして、次に君たちがしようとしていることも想像がつく」


 他の二人は子どもたちではなく、近くで物陰に息を潜めて恐る恐る様子を窺っていた街の人々へとその魔の手を伸ばそうとしていた。

 恐らくは子どもを助けようとするようなラストの性格を見据えた人質にするつもりだろう、と彼は予想していた。

 それを差し止めるために、ラストはちょうど敵から貰った矢を再び魔力を纏わせて投げ放つ。


「がっ!?」

「ぐっ!?」

「ぎゃっ!?」


 ラストの射出した矢は的確に目標を射抜いた。

 騎士たちの足の甲を貫いた矢が、地面にまで深く突き刺さる。これでは縫い付けられているようで、動こうにも動けない。


「いくよ。ちゃんとその黄ばんだ歯で自分の罪を食いしばるんだ。じゃないと、死んじゃうかもしれないよ? 今の僕は、つい手加減を忘れてしまうかもしれないから」


 二人目――剣を持った騎士へと、ラストは歩み寄る。

 足を貫かれた痛みを無視して剣を振り下ろそうとしてくるが、彼は魔力を一点集中させた拳でそれを正面から叩き折った。

 そのまま伸ばした腕で相手の首元を掴み、前へと引っ張り倒す。

 足に走る痛みに堪えることも出来ず、男は簡単に倒れた。

 その頭を、ラストは死なない程度に全力で踏み抜いた。

 ――がこんっ、と地面に蜘蛛の巣状の罅が刻まれた。


「次」

「このっ、バケモンが!」


 三人目の敵は弓を持った、子供たちを人質にしようとした騎士だ。

 屋をつがえても遅いと判断したのか、彼はラストに対して弓で殴りかかろうとする。

 しかし、ラストが伸ばした魔力糸に絡められた弓は空中に固定されたように動かなくなってしまう。

 その信じられない光景に狼狽える相手の顔を、ラストは鼻のてっぺんの上から殴りつけた。

 そのまま前歯も何本か折って吹っ飛んでいった彼は、一人目の騎士と同じ所まで飛んで行った。そして起き上がる気配を見せないそれに引っ掛かって、地面に身体を打ち付けて止まった。


「最後」


 沈黙した三人を放って、残る戦斧を携えた四人目へとラストは近づいていく。

 彼はラストが最後に己のところに来ると分かっており、他の仲間たちが簡単に倒されてしまったことから、それを全力で迎え撃とうと斧を頭上に高く振りかぶった。

 そこから唸りを上げて流星のように襲い落ちる斧――しかし、それでもまだラストに抗するには足りなかった。

 たとえ相手の身の丈を超えるような重厚な斧だろうと、【深淵樹海アビッサル】の中では赤子の一撃にも劣る。一太刀でこの街の建物ならば十は簡単に吹き飛ばしてしまうような魔物たちを相手にしてきたラストからしてみれば、まだまだだった。

 ラストは斧の下から、先ほどと同じように魔力を込めた腕で受ける。

 ――どんっ、とラストの足元が衝撃を受けて沈み込む。

 しかし、彼は圧砕されることなく五体満足で斧を制止させていた。


「この、潰れろぉっ……!」


 そのまま体重をかけてラストの身体を半分に裂こうとするとする騎士だが、戦斧はまったく動く素振りを見せなかった。

 対してラストはゆっくりと魔力を込めた五指を斧の刃へと食い込ませ――そのまま握り潰した。

 ぴしぴしと全体に罅が走って砕け散っていく己の武器を、男は絶望的な眼で見つめていた。


「分かったよね、積み重ねてきた自分の罪の苦しさが。もっとも、これだけじゃ君たちの振りまいていた不幸にはまだ遠く及ばないだろうけれど」


 ラストは斧を握り潰した拳をそのまま握りしめる。手の中に残っていた刃の欠片が、塵のように砕けて拳の隙間から噴き出した。

 その強く握りしめた拳で、彼は男の顎を真下から殴りつけた。

 騎士の巨体が、宙に浮く。

 そのまま二階まで打ちあがった男は、最後に太陽を背に自分よりも高く飛び上がったラストの影を見た。


「終わりだよ」


 彼が断頭台の刃のように振り下ろす踵下ろしを、男はそのまま受け入れるしかなく――どごんっ!

 男の首が、半ば埋まるような形で地面にめり込んだ。

 その上に立っていたラストは、残っていた斧の持ち手部分を拾い上げてもう二度と使い物にならないように完全に砕いて捨て去った。

 そのまま彼は、周囲にいた人々に声をかけた。


「申し訳ありませんが、どなたか丈夫な縄を持っている方はいらっしゃいませんか! 彼らを縛り上げたいのですけれど――もちろん代価は支払います!」


 開いた口が塞がらぬといった様子で茫然と目の前の惨劇を見ていた住民たちは、その声にびくりと身体を震わせた。

 自分もあの白髪赤目の男を傷つければ同じようにされてしまうのではないか、と考えているのだ。

 だが、その中の一人がラストに縄を投げ渡してくれた。


「ほらよ、こいつを使いな」

「ありがとうございます。――貴方は、先ほどの……」


 そこにいたのは、ラストに水割りをじゃんじゃん飲ませた店主だった。


「おいくらですか?」

「代はいらねえよ、そいつらをぶった押してくれた礼だ。金も払わねぇのにぐびぐびウチのを飲んではまずいとか言う糞野郎どもだったからな。でも、お前はそういうことを言わずに金も払った。そんな立派な客に、今後も御贔屓にってやつだ」


 そう笑いながら話す店主に、ラストはすっと怒りが引いていくのを感じた。

 つられて笑いながら、彼は貰った縄で四人のチャルヴァートンの手下たちの身体を暴れられないようにきっちりと縛り上げるのだった。

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