第105話 騎士と友誼の誓い
「……君という人間の信条は、前に聞かせてもらってる。それが口先だけのものじゃないってことも、僕は知っている」
牢屋に踏み込んだオーレリーの努力によって、ラストは冤罪に問われることなく街の中に入ることが出来た。
その他にも、彼女は【
彼女の掲げる理想は、ラストのエスに誓った目標と相反することではない。
そして、その苦労が報われるようになって欲しいと思う彼にとって、オーレリーから騎士の称号を受け取ることは重荷でも何でもなかった。
「それに、この間言っただろ? 君が民を守るなら、僕が君を守ろうって。そこにきちんとした肩書が一つ追加されるくらいなら、むしろ喜んで承るよ」
辛そうな表情を浮かべる彼女の頭を軽く撫でてから、ラストはその場に跪いて頭を垂れる。
彼は手を心臓の上に置いて、明朗な声で宣言した。
「――これより我が剣と誇りは貴女と共にある。ユースティティア騎士法全十条の下に、我、ラスト・ドロップスはオーレリー・ヴェルジネアの騎士にならんと誓いを捧ぐ。その歩みが堕ちぬ限りにおいて、我が剣は千邪万悪を穿つ雫となりて、貴女の士刃となろう」
それは、彼の記憶に幽かに残る実家の騎士物語の一節から取ったものだ。
ラストの宣誓を受けたオーレリーの瞳が潤み、一筋の雫がそっと頬を伝う。
まさか本当に騎士となることを受け入れてくれるとは、自分のことを否定的に見ることが習慣になっていた彼女にとって心のどこかでは信じられないことだった。
だが、ラストは確かに言ったのだ。
貴女の刃となる――オーレリーの行いが正しいものであると、自分が裏付けると。
今にも嬉しさに泣きじゃくりたくなるのを抑えつつ、彼女は淑女らしい微笑みを浮かべ、静かにその誓いを受け取った。
「――ラスト君。いえ、ラスト・ドロップス。その誓い、私オーレリー・ヴェルジネアが受けましょう。正義を秤る女神の名の下に、貴方という剣を担います。この胸に抱く破強扶弱の信念を以て、私は汝の忠誠に応えましょう」
彼女はそのまま、何も持たない右手をラストへと向ける。
「風よ、ここに無貌の利刃を。【
その手の中に渦巻いた風が、三日月形の剣となる。
不可視の風の魔剣で、オーレリーは新たな己の騎士の誕生を賞賛すべく彼の肩を叩いた。
「騎士ラスト。貴方のこれからに、祝福があらんことを。――これにて誓いの儀は完了しましたわ。さあ、これでよろしいでしょうお姉さま」
騎士の宣誓式を終えた彼女が、蚊帳の外に置かれていた姉を見る。
その傍に、たった今騎士となったばかりのラストが控えるように立つ。
彼の存在感に支えられるように、何倍にも強くなった二つの翡翠の光がグレイセスへと向けられる。
「ラスト君は私の騎士です。彼の行為はヴェルジネアに泥を塗るものではなく、むしろ拭うものであるとこのオーレリー・ヴェルジネアが保障いたします。それでもまだ、納得がいかないと仰いますか?」
「もちろんに決まっているでしょう! その場しのぎの急ごしらえの騎士なんて、認められると思っているのかしら!?」
グレイセスが金切り声を上げて、己の意に従わない眼下の二人を糾弾する。
しかし生憎と、その声も馬車に空いた小さな窓からしか漏れないために迫力に欠けていた。
「では、仕方がありませんね。私も己の騎士が不当に罰せられる様を黙ってみているわけには参りませんから。――風よ」
一方、オーレリーの声は風のように明瞭に、この一帯に響き渡る。
決定を覆そうとはしないグレイセスに向けて、彼女は開いた右手を突き出した。
その先に、強き風を導く魔法陣が構築され始める。
「っ、なによ。あなた、私の意向に逆らうつもり!? 妹のくせに!」
「家族だからと言って間違いを正さない理由にはなりませんわ、お姉さま。――ここにアストレアの威光を示せ。其は女神の山脈に吹きすさぶ、悪禍を祓う翠風なり」
組み立てられる魔法陣の光が、徐々に強まっていく。
それが自身に向けられていると知るグレイセスだが、対抗するには既に遅すぎた。
今から彼女が詠唱を始めようと、それより先にオーレリーの放つ暴風が馬車を丸ごと吹き飛ばすだろう。
「……い、良いわ。姉として、今日のところは妹の我儘を見逃してあげる。喜びなさい、オーレリー。ほら、お前たち早く馬を動かしなさい! こんな薄汚い所の空気をいつまであたくしに吸わせるつもりなの!?」
「は、はい姫様っ……」
「ううっ、承知しましたっ……」
ラストにやられた体の痛みも引いてきていた騎士たちが、命令を受けて急ぎ彼女の馬車を動かす。
慌てて鞭を打った馬が半ば暴れるように急発進し、落ちていた石を踏んだ馬車ががたんと揺れた。
「きゃっーーぐげぇっ!?」
ごとんっ、となにか重いものが転げ落ちたような音を立てて、グレイセスと彼女の騎士たちは高級街の方へと逃げるように去っていった。
バタバタと騒がしくしながら遠ざかっていくその姿は、到底民の支配者を名乗るには相応しくないものだった。
その姿が遠く豆粒ほどの大きさになるまで見送ってから、二人は揃って肩を竦めた。
「ごめんなさいね、ラスト君。流れとは言え、旅人である貴方に騎士の称号を負わせてしまうなんて」
「そうなんでもかんでも自分を卑下して考えるのは止めてください。場の流れもあったのは確かですが、僕は強制されたのではありません。僕の意思で、貴女の騎士になると決めたのですから」
ラストは食堂の店員らしい、騎士に任じられた者とは思えない姿でオーレリーを慰める。
しかしその真っ直ぐな立ち振る舞いは、形だけそれらしく整えた者たちよりもよほど騎士らしいと彼女は見ていた。
その外見と発言の差にくすりと笑みをこぼし、彼女は目元にハンカチを当てつつ、静寂を取り戻した街並みを見る。
「そう、ですか。それは本当に喜ばしいことです。たとえ一時と言えど、ちゃんとした騎士がこのヴェルジネアに再び現れたのですから」
とは言え、まだまだヴェルジネアに問題が山積みであることは変わらない。
「これからもこの街がより良い姿を取り戻していけるように、頑張りませんとね」
涙の跡を完全に拭き取って未来を見据えるオーレリーに、ラストも頷く。
「僕も微力ながらお手伝いさせていただきます。貴女の誇りと希望が、この街の隅々まで照らせるように」
「そう言っていただけると心強いですわ。このお店が守られていることで、私も安心して頑張れます」
そう頬を綻ばせた彼女に、ラストは内心唸る。
彼女にとって今の儀式はあくまでも名目上のもので、実際にはこれまで通り一人で街のために働き続けるつもりなのだろう。
オーレリーの血の宿命の背負い方は、何も変わっていない。
まずはそちらに踏み込んで行かなければ、彼女が救われない。
彼が今後の方針を固めたところで、オーレリーが不意に問う。
「……それで、その口調はなんなのですか?」
「口調? ああ、騎士になったのですから、それらしい話し方を心がけようかと思いまして」
「そのようなものは必要ありませんわ。私たちの主従関係なんて名ばかりで、本質は対等な友人なのですから。……そう言えば先ほどはつい姉にそう説明していましたが、それで良かったのですよね? 私と貴方はお友達ということで、よろしかったでしょうか?」
急に不安そうに早口になる彼女に、ラストは目を瞬かせた。
「えっと、僕はもうとっくにそんなものだと思ってたけれど……」
「そうでしたか。でしたら良かったですわ。実は私、お友達を持つのは初めてでしたので。本当にこの関係性を友人と呼称してよいのか、分からなくて心配だったのです。ーーそれでは、改めてこれからよろしくお願いしますねラスト君。私の友人、そして私の騎士」
「よろしく、オーレリーさん。騎士としても友達としても、仲よくしよう」
差し出された手をとって、ラストは彼女と友誼の誓いを交わす。
一般の騎士と主の関係とは一風変わった関係性かもしれないが、それでもその内に結ばれた絆だけは本職にも決して負けるものではない。
この先のヴェルジネアの未来を切り開くであろう主従の一歩を、青空に浮かぶ幽げな昼月がひっそりと祝福していた。
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