第104話 姉と妹、二人のヴェルジネア
辺り一帯に散らばる剣の残骸と、その中に倒れ伏す十人の騎士。
市民の住まう街の光景にはまったく相応しくない惨状を目の当たりにして、乱入してきた少女はその原因である馬車の中に居座る姉に向けて叫んだ。
彼女――オーレリーの琥珀色の髪が、内に秘めた魔力の揺らぎにつられて静かにさざめく。
「このような街の中で魔法を使おうとするなんて……それに、この騒動を引き起こしたのもお姉さまでしょう。いったい、どういうつもりなのですか。お答えください、グレイセスお姉さま!」
「ああ、これまた鬱陶しい声ね。なにか問題でもあるかしら、オーレリー?」
厳しい目で詰問する妹に、姉グレイセス・ヴェルジネアはため息交じりの適当な声で返す。
その僅かな応酬だけで、ラストはこの二人の姉妹の関係があまりよろしくないことを察した。
自己に厳しいオーレリーと、自己中心的なグレイセス。性格の真逆な彼女たちは、どうやら普段から口論を行っているようだ。
「自覚がないのですか、人々の平穏を自分勝手に搔き乱しておいて!」
「自分勝手? 何を言っているの。ここにいるのはあたくしたちの民、所有物。それをどうしようと持ち主が責められるいわれはないのよ」
「っ、またそのようなことを……」
オーレリーは内心の怒りを込めて重い声で呟くが、グレイセスは悠々と受け流す。
「あなたもいい加減、物に必要以上に構うのは止めなさいな。道具は使える者だけを選んで、残りは使い潰せば良いじゃない。どうせ、いくら痛めつけても勝手に増えるのだから」
「ふざけないでください! 彼らは私たちと同じ、大切な一つの命なのですよ! 貴族は民に、上に立つことを認め
そうして彼女らの祖父のことが話に出た途端、姉の顔が苦々しく歪んだ。
その醜く変化した顔の下部分を扇を広げて隠しながら、彼女は嫌悪と同時にどこか哀れみを込めた瞳をオーレリーに向ける。
「知らないわ、そんなの。ええ、そうね。あなたは昔っから祖父につきっきりだったもの。あの小難しいお説教ばかりのにくっついてばかりで、余計な知恵ばかりつけて。政治に口を出す頭でっかちの女の子なんて、嫁ぎ先がなくなってしまうだけなのよ?」
「結構です。民のことも顧みない殿方など、こちらからお断りいたします!」
「愚かな妹を持ってあたくしは悲しいわ。お母さまも、きっとそうよ。民をどう支配するかは男の仕事。女は子どもを適当に産んで、後は優雅に暮らしているだけで幸せなのに。あまりに平民と交わり過ぎて、頭の中が狂ってしまったのかしら?」
「勝手に決めつけないでください! 私の幸せは、民が幸福であり、このヴェルジネアの全てが平穏であること。私の幸せは、私だけが決められるものです!」
諭すように上辺だけは優しい声で話すグレイセス。
しかし、その内側にははっきりと皮肉的な嘲笑が聞き取れた。
それでもなお弱音を見せずに己の意見を主張をする妹に、彼女は眉間に皺を寄せながら視線をその隣にいたラストに戻した。
「ああ言えばこう言う、本当に面倒な妹だこと。良いからそこを退きなさい。今、あたくしは大切な話をしているの。そこの愚かな犬にね」
グレイセスの澱んだ視線が再度ラストのものと衝突する。
「あたくしの誘いを無下にした挙句、傲慢に堕落だったかしら? よくもそんなことを言えたものね。せっかく騎士にしてあげると言ったのに、好機をふいにするなんて。絶対に許さないわ」
それを聞いたオーレリーは、驚きとともにラストの方を向いた。
「騎士ですって? ラスト君、そんなことを言われたのですか」
「うん。もちろん断ったけどね。生憎と僕の信念と君のお姉さんの考え方は真逆みたいだから」
彼の返答にほっと胸を撫でおろし、彼女は呆れながら確認を取る。
「そうでしょうね。それで怒った姉が彼らを嗾けた、という理解で間違いありませんか?」
「いや、そっちは別件だよ。断ったら今度は彼女が直々に魔法を使ってこようとしてて、そこに君が来たんだ」
「そこまでするなんて……もし使われていたら、魔法使いではない貴方では防ぎきれなかったでしょう。間に合って本当に良かったですわ」
ラストはオーレリーの言葉にきょとんとする。
彼女には自身が魔法を使えるのを教えていなかったことを、ラストは今更ながら思い出した。
【
とはいえ今それを告げれば話がややこしくなりそうで、彼はひとまず「そうなのか」と頷くだけに留めた。
「ほら、早くそこを退いてちょうだい。いくら不出来な妹でも、巻き添えにすると心苦しいのよ?」
グレイセスが、露ほども思っていないであろう言葉でオーレリーに警告する。
それでも、ラストが魔法が使えないのだと考えている彼女は引く様子を見せなかった。
――自分が退けばラストが傷つく、それも身内の我がままによって。
それがオーレリーには許せなかった。
「そう言われたら、なおさら引けませんわお姉さま。彼は私の友人なのですから」
「友人、友人ですって? ふ、ふふふっ、おほほほっ! オーレリー、青と赤は決して交われないものなのよ。冗談もいい加減にしなさい」
「冗談などではありませんわ。ラスト君を傷つけさせるわけには参りません」
「それは駄目よ。そこの男は我がヴェルジネア家の顔に泥を塗ったの。お父様の認めた騎士たちに逆らい、あたくしの騎士の誘いを断るどころか侮辱まで投げつけた。ただの平民にこんなことをされて引き下がるなんて、認められないわ」
頑としてラストに誅罰という名の暴力を振るうことを譲らない姉に、オーレリーは密やかに呟く。
「……自分から泥を塗りたくっているくせに、よくもそんなことを」
僅かに俯いた彼女の口元から漏れ出たその言葉は、どろりと溶けた鉄のような熱を帯びていた。
「……オーレリーさん」
「すみません、聞き苦しいことを。大丈夫ですよラスト君。……分かりました。では、ただの平民でなければお姉さまは納得していただけるのですね」
「はあ? なにを言っているのかしら」
オーレリーの言ったことの真意を掴めずに、グレイセスは首を傾げる。
姉の疑問に答えることなく、彼女はラストへと向き直った。
「ラスト君。姉のはた迷惑な行為に巻き込んでしまって申し訳ありません。ですが、このままではこの街での立場が更に悪くなってしまいます。いずれ旅立つにしても、この街で過ごす時間が悪くなり続けるのは忍びありません。そこでもう一つだけ、心苦しいのですが、迷惑を被ってはいただけませんか?」
「……まあ、君の言うことなら」
彼もオーレリーが何を考えているのかはよく分かっていなかったが、姉とは違い無茶苦茶なことを言い出さないであろうことは分かっていた。
受け入れる様子を見せたラスト。オーレリーは真面目な表情で、その手を取って自身のものと重ね合わせた。
「ありがとうございます。それでは、率直に提案させていただきますね。――ラスト君、私の騎士になってくださいませんか?」
「なっ!? なんですって!?」
驚愕の声を上げる姉を放っておきながら、オーレリーはその突拍子もない提案について説明する。
「もちろん、一生束縛するつもりはありません。この街にいる間だけの短期契約です。無理な命令もいたしませんし、これまで通り自由に過ごしていただいて結構です。基本的な生活は何も変わりませんが、私という後ろ盾があれば今回のような面倒ごとは避けられるようになると思いますわ」
「この、オーレリー! なにを勝手にあたくしの話に割り込んで――」
「どうでしょうか? 嫌なら嫌と断わってくださって構いませんわ。貴方はこの街の人々に幸せの風を吹かせてくれた恩人ですもの、それでも私に出来る限りの助力をさせていただくつもりです」
あまり勧められはしない提案をしていることは、彼女も承知の上だった。
今のヴェルジネアの騎士という称号は、不名誉な呼び名に他ならないのだから。
それでも、ラストの足を引っ張ろうとするグレイセスのような厄介な相手にとっては令嬢の騎士という立場は便利な手札となる。
オーレリーは、今後も愛するヴェルジネアにとって良い変化をもたらすであろうラストの助けになろうとしていたのだ。
ただ、それでも自分に着いてきてくれるかは半信半疑で、オーレリーは恐る恐るラストを見上げる。
その助けを求める子供のような顔に、ラストは先日の店内でのやり取りを思い出していた。
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