第102話 新たな厄介ごと


 【怪盗淑女ファントレス】によるヴェルジネアのちょっとしたお祭り気分も、数日経てばやがて収まってくる。

 人々が元のろくでもない領主の政策への愚痴に再び花を咲かせ始めた頃、ラストは今日も店員として明るい笑顔で接客に精を出していた。


「ふぅ、食った食った! ごちそうさん、また明日来るぜ」


 老爺シュルマの料理を腹いっぱい平らげて、満足そうな男性客たちが退店する。

 それを見送って、


「ありがとうございました。またのお越しを、心よりお待ちしています。――大変お待たせしました。次のお客様、どうぞこちらへ」


 彼は速やかに外に待たせていた次の客を涼しい店内に案内する。

 先頭に立っていたのは、二人組の若い女性たちだ。


「はーい。ほら、行きましょ。早くしないとお昼終わっちゃうわ」

「分かってるわよ。今日もよろしくね、ラスト君っ」

「はい、よろしくお願いいたします。いらっしゃいませ、お嬢様がた」


 躊躇なしに腕を組んでこようとしてきた女性を傷つけないようにさらりと躱して、ラストは二人の女性を誘うために良い匂いの漂う【デーツィロス】の扉を開く。

 それと同時に、彼はさりげなく店の外に並ぶ残りの客に目を走らせる。

 その先には、三軒隣まで続くほどの大行列が出来上がっていた。

 この食堂を訪れた客が新たな顧客を呼んで、今や昼頃になると【デーツィロス】は常に満員御礼となるほどの盛況ぶりとなっていた。

 もはや、完全に需要に供給が追い付いていない。

 彼らを待たせていることを心苦しく思いながらも、ラストたちは出来る限り丁重にもてなすという接客の基本を忘れずに店を回していた。


「どうぞ、ゆるりとお過ごしくださいませ」

「そうね。そこまでのんびりしていられなそうだけど、出来るだけ楽しませてもらうわ」

「早く変わってあげなきゃ、他の人がかわいそうだもんね。本当はずっとラスト君を見ていたいけど、こんな美味しいお料理なら皆に味わってほしいもの」

「……ご協力、本当に感謝いたします」


 幸いなのは、入ってしまえばこっちのものだと居座り続けるような客がいないところだろうか。

 外で味わう嫌な空気から隔絶された空間の中では、オーレリーの見ていたようなヴェルジネアの人々の本来の気質が見て取れる。

 次の客のためになるべく早く、それでいて十全に楽しもうとする彼らの心意気もまた、この店を支えるのに重要な役だった。

 ――もし、それを妨げるような人間が来たら、たまったものではない。


「お願いします、エルマさん。女性がお二人です」

「承りました。それではお客様、どうぞこちらへ。ご注文はもうお決まりでしょうか――」


 ラストが嫌な想像を考えながら女性たちを店内の老婆エルマに預け、店の扉を閉じた瞬間。

 からからから……と、木の車輪が地面を踏み鳴らす音が遠くから彼の耳に届いた。


「……これは」


 安さと頑強さを重視した庶民の使う荷車とは違う、なるべく音の鳴らないように快適性が追求された高級馬車の奏でる音だ。

 普段聞き慣れたものとは違う音に気付いた街の人々は、自然とその発生源へと目を向けた。

 街の中央、高級街の方角から近づいてくる音の正体は、一つの馬車だった。

 立派な体格を持った三頭の馬に引かれ、これまた目立つ金色に塗装されている、見るからに触れててはならない雰囲気を醸し出している馬車だ。

 更には周囲に計十人の騎士たちが、馬車を守るように足並みを揃えて行進している。

 そう来たものだから、彼らはすぐさま自分たちに迫りつつある危険性に気がついた。


「――おい、あれって……もしかして領主のところのか?」

「こっちに近づいてきてるぜ? 目をつけられるなんてごめんだ、残念だけど今日は止めとこうぜっ」


 明らかな厄介ごとの匂いに、行列を作っていた客が瞬く間に逃げていく。

 それだけでなく、辺りを歩いていた街の人々も同様に蜘蛛の子を散らすように姿を消していった。

 とはいえラストは接客業務をさぼるつもりもなく、変わらない様子で【デーツィロス】の前に立ち続けている。

 そうしてニコニコと接客用の笑顔を浮かべていると、先ほどの悪い想像が現実に影響を及ぼしたのか。

 金ぴかの馬車と騎士たちの一団は、ちょうど彼の目の前で足を止めるのだった。


「おい、そこの」

「はい。いったいどのようなご用件でしょうか?」


 尊大な態度で、馬車を囲っていた一人の騎士がラストに声をかけた。

 その見た目は彼がこれまでに打ち倒してきた者たちと特に変わりなく、中身と同じで粗野な性格がにじみ出ていた。


「気味の悪い白髪に赤い瞳、それに生意気な面構え……お前がラストとかいう奴だな」

「確かに僕はラストですが、それがどうかしましたか」


 前半を適当に聞き流したラストが態度を変えずに用を問うと、傍にいた別の騎士がそれだけでまなじりを吊り上げた。


「こいつ、騎士の俺たちになんて態度だ。苛々するぜ、ここは一回痛い目を見させた方が良いんじゃねぇか?」


 髪を逆立てた騎士が、そう息巻くと同時に背負っていた剣に乱雑に手をかける。

 いきなり騒ぎを起こすつもりかとラストは心の中でため息をつく。

 ――この街で騎士と名乗る連中は、本当に面倒ごとしか連れてこない。もう、ヴェルジネアの辞書に載っている【騎士】の意味は、一般的な【騎士】のそれと違うんじゃないだろうか。

 そんなことを考えていると、実際に切りかかられるよりも先に、騎士の手を馬車内から響いた声が制止した。


「――お止めなさい。ただでさえ汚らしい所に来ているのに、騒ぎを起こして更に不快にさせるつもりかしら? お前は自分がどういったものなのか、分かってるの?」


 馬車の中から放たれたせいか、妙に変にくぐもって聞こえる声は辛うじて女性のものだと判別がつく。

 それを受けて、男は嫌々ながらも剣の柄から手を離して答えた。


「……自分は、貴女様の忠実な騎士です」

「そう。あたくしはこの街そのもの。あたくしたちこそ、栄えあるヴェルジネア・・・・・・。この心を不愉快にさせるのなら、この街で生きていく資格はなくってよ」

「……うす。じゃなかった、はいっ」


 剣から手を離しつつも睨みつけてくる相手のことを気に留めず、ラストはたった今聞こえた女の言葉を心の中で確認する。

 ――ヴェルジネア、だって?

 彼がその単語に囚われているのをよそに、馬車の窓を覆っていた分厚い日除け布が取り払われる。

 たらこ唇のように分厚い金縁の窓から覗く、オーレリーと同じ翡翠の瞳が彼を射抜いた。

 いや、正確には彼女と比べるのは失礼のように思えた。

 馬車の中からラストを見下ろす、分厚い瞼と頬肉の隙間から見えるその瞳の光は、溢れ出る欲望の色に澱んでいたからだ。


「あら、中々可愛いじゃない。お父様の決定に逆らった愚かな男がいるなんて聞いていたから、不細工なら吊るしてカラスの餌にでもしてやろうと思っていたけれど。良いわね……こんなのたちとは違う、お上品な感じがするわ」


 彼女は弛んだ頬をガマガエルのように揺らしながら、ラストを好き勝手に見定める。

 じゅるりと舌なめずりをする彼女の生々しい水音が、彼はガラス越しであっても聞こえたような気がした。


「平民の中でもとびっきりの逸材だわ……ゴミの中にも、探せば磨けば光るものが落ちているものなのね。お父様には悪いけれど、欲しくなっちゃったわ」


 彼女は大窓とは別の小さな窓を開けて、ラストに直接肉声で語り掛ける。

 よりはっきりと聞き取れるようになった声はキンキンと無駄に甲高く、高慢ちきで、まるで固いものを爪で引っ掻いたようなものだった。


「ラスト、と言ったかしら。最近お父様の認めた騎士たちを痛めつけてくれたのは、お前で間違いないわね」

「申し訳ありません、平民ゆえの無知をお許しください。貴女様のお父様のお認めになった騎士というのが何を指すのか、教えていただいてもよろしいでしょうか。もしも、もしもですよ? この街に蔓延る頭のおかしな鎧の連中を騎士と呼ぶのなら、それらによく絡まれて迷惑をこうむっていたのは事実ですけれど」

「貴様、なんという口の利き方を! この方をいったいどなただと――」

「黙りなさい。あたくしの話に勝手に入ってくるなんて、許可した覚えはないわ」


 ちょっとした皮肉を交えながら答えたラストに、話を聞いていた騎士の一人が声を荒げて彼に詰め寄ろうとした。

 しかし、他ならぬ馬車の主がそれを叱りつける。


「お前たち、そこのそいつを適度に痛めつけてやりなさい。主の命令に逆らう奴隷にはお仕置きよ」

「はい、我が姫君」


 それどころか彼女は体罰を命じ、それを受けた騎士たちはがちゃがちゃと揃って剣を鞘から抜き始めた。


「なっ、待てお前ら――いえ、待ってください姫様、俺はっ……」

「やかましいわね。――炎よ。我らが青き血に服従せよ。我が意に逆らう愚かな者を縛り上げ、万人の見せしめにするが良い。【炎鎖フラマ・カテナ】」


 馬車内から魔力が迸り、男の身体を魔法陣から伸びた炎の鎖が縛り上げる。

 それに囚われて身動きの出来なくなった彼に向けて、残る男たちが剣を振りかぶる。


「仕方ない、借りさせてもらうよ」


 しかし、そのような処刑染みた劇をラストは放っておくことを良しとしなかった。

 彼は腕を押さえつけられて動かせない騎士から剣を拝借し、今にも仲間の身体に傷をつけようとしていた男の腕を、その腹で強く打ち据えた。


「ぐっ! なにをしやがる!」

「悪いね、弱い者いじめは嫌いなんだ」


 割り込んだラストに、打たれた腕を抑えた騎士が唾を飛ばす。


「なにを言ってる、これはあのお方の命令なんだぞ!」

「だとしても、やって良いことが悪いことがある。言われたことしか出来ないのなら、騎士なんてたいそうな身分を貰わらなくても、犬にだって出来るさ」

「俺たちが犬以下だとぉ!」

「ふざけるんじゃねえ! やるぞお前ら!」


 ラストの挑発に憤る騎士たちだが、その前に彼らの中の一人が声を落ち着けて主に問う。


「……っと、その前にお嬢様。こいつは貴女様の命令に逆らいました。一緒に痛めつけて構いませんよね?」

「……そうね。ここで噂が真実か確かめるのも一興かしら。良いわ、許可してあげる。ついでに、そこのラストとやらを打ち倒したらご褒美をあげる。やっておしまいなさい、お前たち」

「しゃあ、許可が出たぞお前ら!」


 そうして、騎士たちは抜身の刃を構えてラストを取り囲む。

 以前は三対一だったが、今回は九対一だ。とはいえ、彼にとって数はさほど問題ではなかった。

 前回のような曲芸染みたお遊びを交えて叩きのめすことも一考したが、今回は彼の後ろには守らなければならない対象がいる。

 この騎士も恐らくは弱者を苛めることに躊躇しない似非騎士なのだろうが、それでも私刑による残虐な光景を目の前で黙って見ていることは出来なかった。

 彼の身の安全を確かなものにするために、ラストは今回は正当な剣の型で彼らに立ち向かうことに決めた。

 両手で握った剣で正眼の構えを取り、顔を引き締めたラストに騎士たちはせせら笑う。


「無理するな、怖いだろ? 多人数が相手だって今更泣き言を言ったって遅いぜ。我らが姫の許可が出たんだ、お前はそいつの分までたっぷり痛めつけてやる。指の一本や二本、取れるかもな」

「やれるものならやってみれば良いさ。君達みたいな犬、いや獣以下のいくじなし程度、いくらで相手したって遅れを取るつもりはないよ」


 いくら頭数を揃えたところで、エスとの修行を思い出せばそよ風のようなものだ。

 常に四方八方から迫りくる彼女の【雷珠ライジュ】の嵐に比べれば、たった九本の腕力だよりの剣など脅威とは思えなかった。

 そんなラストの余裕が侮りに見えたのか、騎士たちは血気盛んに犬歯を剥き出しにしながら次々に剣を振りかぶった――。

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