第99話 祖父の書斎と彼女の学び


「それにしたって、まさかこんな買取業までしているとは想像していませんでしたよ。言われてみれば確かに必要な仕事ではありますが、そもそも怪盗が盗んだ貨幣ではない財産を全て換金できるほどのお金となれば……お小遣い程度では到底賄えないですよね?」

「ええ。父からは毎月使い切れないほどのお金を貰っています」


 ラストの疑問に、彼女は心の底から苦々しい顔をしながら答えた。

 それが父親から娘へ向けられた愛情なのだとしても、オーレリーには余計なお世話だった。

 彼女の父はその形ある愛を形成するために、彼女の本当に愛してやまないヴェルジネアの衰退を加速させているのだから。

 彼女はラストと話していることをすぐに思い出して、その家族への痛烈な非難の想いを隠すように話の流れを本来のものに戻した。


「しかし、それでもこの街で幅を利かせる方々の財に比べれば蟻のようなものです。ですから、私は決めました。足りないのならば、自分から手に入れればいい。そのために磨いたのが、この目なのですわ」


 彼女は自分の目を大きく開いて、美しい緑の瞳を指さした。

 その瞳孔の奥に輝く光に、ラストは思わず見惚れそうになった。様々な感情が秘められながらも、それに惑わされずに力強く輝く翡翠――だが、彼女と話しているのはそのようなことではない。


「……宝石の鑑定、審美眼のことですよね?」

「ええ、貴方の考えた通りです。私はこれで、回収した怪盗の宝物を相応の価値で街の外からやってくる商人の方々に売却しています。そうすることで、一度ヴェルジネアから出ていったお金をこの街に戻しているのですわ」


 オーレリーから明かされた彼女なりの金策の正体に、ラストはたいそう驚かされた。

 確かに彼女はたおやかな見た目によらず騎士を相手にしても一歩も引かない女傑だが、商人というものはこの街の似非騎士に比べれば遥かに厄介な相手だ。

 特に、街から街へ渡り歩くような海千山千の旅商人はその分商人としての経験が鍛えられている。

 それを相手に本来貨幣価値などの生臭い話とは縁遠いはずの令嬢が立ち向かうというのは、これまたラストの予想を超える話だった。


「領主の娘自らが、歴戦の商人を相手に? それは、さぞ苦労されましたよね」

「もちろん。最初は皆様、貴族のご令嬢だからと侮られて。適当な値段で買い叩かれることがほとんどでしたわ。――ですが、決してそのようなことがあってはならないのです」


 彼女は歴戦の商人を相手どっても負けるつもりのない気の強い瞳を輝かせる。


「私はヴェルジネア。そして、この手にある者は全て民の血税……そう思えば、ただ言われるがままの値段で売りさばくなんて以ての外ですわ。宝石鑑定の抑えるべき点、美術品の歴史などを一から勉強して、最近になってようやく正しい価値を見定められるようになりました。屋敷を訪れる彼らは今や、私を見ると生意気な子猫がやってきたぞと噂しますのよ?」


 彼女は打って変わって覇気を収め、くすくすと楽しそうに笑う。

 商人たちから嫌味半分でつけられたあだ名のようだが、彼女は存外その呼び名を嫌がっていないようだった。

 商人たちから疎まれる――それはつまり、彼らに一目置かれるようになってきたということなのだから。


「凄いよ、オーレリーさん。商売に本腰を入れている人たちに警戒されるなんて、生半可な覚悟の勉強で出来ることじゃない」


 称賛するラストだが、彼女は笑いながら控えめな態度で首を振った。


「いえ。お爺様に比べればまだまだですわ。私の知識も、もとは全てあの方のものですから。祖父の書斎には今も、教材として役に立つ蔵書が多く眠っています。私にはもったいないくらいに……そう言えば、この間お話した作家ルブリスの怪盗物語も、そこで初めて手にしたんですよ?」

「なるほど。ちなみにこの国の騎士法について知っていたのもお爺さんのおかげかな? だったら僕も君のお爺様に感謝しないとね。彼がいなければ、僕がオーレリーさんに助け出されることもなかったかもしれないから」


 ラストがそう言って顔の知らないオーレリーの祖父に感謝を捧げると、オーレリーはそれを受け入れながらも疑わし気な眼で彼を見る。


「そうかもしれませんね。ですがラスト君なら、あとでこっそり目を盗んで脱出することも出来たのでは? なにせ騎士を複数人相手にしても圧勝出来るんですもの」

「あははっ。それが出来るとしても、力ずくでやるよりはこの間のようなやり方の方がずっといいよ。無理やり逃げ出してたら、今頃僕はお尋ね者だっただろうからね。それだったらこの店で働くことも出来なかったかもしれないし」

「それでは困りますわ。ラスト君がいなければ、シュルマさんもエルマさんもお店を続けられなかったかもしれませんもの」

「そうなるね。つまりは、こうして僕たちがお話しできているのはオーレリーさんのお爺様あってこそというわけだ」


 そうしてオーレリーの祖父に良い所を持っていく形で話を締めくくると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「あら、確かにそうですわね。ふふっ、それでは今度お墓に行ったときは改めて感謝の祈りを捧げませんとね」


 彼女はふと、目を食堂の壁へと向けた。ラストの記憶によれば、その向こう側の先に存在するのは領主の屋敷だ。

 恐らくオーレリーの祖父は、あの屋敷のどこか片隅にて眠っているのだろうとラストは推測した。

 間近で孫娘の成長を見られるのは楽しいだろうが、片や息子が屋敷を悪趣味に改造していくのを見れば失望を隠せないのは間違いない。

 とはいえ、話に聞くような今の領主はわざわざお墓参りするかどうかも怪しく、墓に眠る父が息子を叱る声も聞こえやしないだろうが。


「それにしても、法律から娯楽まで収めているなんて随分と多彩な方だったんだろうね。そんな多種多様な本の収納された書斎が身近にあるなんて、羨ましい限りだよ」


 修行中のラストはエスの屋敷という巨大な知恵の収蔵庫の中で生活していた。

 しかし既にユースティティアに出てきてしまった以上、そこには当面の間戻ることが出来ない。

 自由に本を読んでいていいほど世界が甘くないのは知っているが、ラストはその皆の自由な読書の時を守りたいと思う一方で、彼自身その緩やかな生活をエスと共に過ごすことも望んでいた。

 本に囲まれた生活の心地よさを思い出して、彼はついつい懐かしさを口に出した。

 それを見たオーレリーが、提案する。


「よろしければ、お爺様の書斎をご案内いたしましょうか?」

「えっ、それは嬉しい申し出だけど、良いのかな。僕なんかが大切なお爺様の書斎に足を踏み入れるなんて、恐れ多いような気がするんだけど」

「大丈夫ですわ、本は読む人がいてこそ財産足り得るのです。それに、私の家族は誰一人来やしませんもの。見つかることもありませんから、どうか気兼ねなさらずに」

「……考えておくよ。お誘いをどうもありがとう」

「いえいえ。いつでもおっしゃってくださいね」


 彼女はそこで、目の前のシュルマが換金のやり取りを終えたまま立ちっぱなしだったことに気づいた。


「ああ、申し訳ありませんでしたシュルマさん。ついラスト君と話し込んでしまって」


 そうオーレリーに話しかけられ、老爺ははっと身震いをして彼女に向き直る。

 どうやら彼はただラストたちのやり取りを眺めていたわけではないようで、彼なりになんらかの思考の海に沈んでいたようだ。


「いえ、若者の楽しみを邪魔するほど老いぶれてはおりませんじゃ。それに、儂にとっても考えを纏めるのに良い時間になりましたからの」


 彼は改めて机の上を見つめ直した。

 そこには青く輝く【月の憂雫ルナ・テイア】と、オーレリーの差し出した金貨の袋が何一つ動かされないままに置かれている。


「あら、どうしてまだお金をお取りになられていないのでしょう。それはもう貴方たちのものですから、片付けてしまって構いませんのに」


 人目につく前に大金を隠してしまうように促したオーレリーだが、老爺は意を決した表情で机の上の黄金色から目を逸らした。

 そうして彼は金貨の袋に手を伸ばしたかと思うと、その口をしっかりと縛り直して、彼女の下へとずいっと押し出した。


「……そのことですが、お嬢様。儂らにこれは必要ありませんですじゃ」


 そういってシュルマは、もう一つの宝石の方も要らないというようにオーレリーの方へと押しやった。

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