第97話 老婆のお節介


 ヴェルジネアの女怪盗の活躍を始めて見届けたラストは、興奮に語り明かそうとする街の人々とは異なり、速やかに帰宅して眠りについていた。

 それからしばらくして紛れ込んできた子猫・・の気配にも熟睡を決め込み、そうして迎えた翌日。

 元気に振る舞うラストとは対照的に、店を訪れた人々は誰もが一様に寝不足のようで足をふらつかせていた。

 彼らは昨晩のアルセーナを見ていたようで、ラストの耳には営業中ずっと彼女についての話が聞こえていた。彼女の鮮やかな盗みぶりを称賛し、チャルヴァートンの失態を笑い、最後に自分のところに月はなにも落としてはくれなかったとぼやく。

 時折満月の落とし物――【月の憂雫ルナ・テイア】があったと語る人間もいたが、ラストは仕事が忙しいために彼らから詳しい話を聞くことが出来なかった。

 やがて午前の営業が終わった頃、ラストは店の床を箒で吐きながら同じく接客担当の老婆エルマにふと尋ねた。


「あの、エルマさん。一つお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「良いですよ、今はお客様もいらっしゃいませんからね。それで、この老婆になにをお聞きになりたいので?」

「怪盗アルセーナについてです」


 そうラストが切り出すと、老婆はグラスを磨く手を止めて彼を見上げた。


「彼女について、ですか。そう言えばラスト君は昨晩、例の怪盗の活躍を見に行かれたのでしたね。もしや見惚れてしまいましたか?」

「あ……いえ。そういった邪な考えによるものではなくて、ですね」

「冗談です。貴方には他の殿方のような、浮ついた様子がありませんでした。てっきり気を抜かれて仕事に支障が出ると予想していたのですが、そのような心配も無用でしたね。きっと、一途に想っているお相手がいらっしゃるからでしょうね」


 どきん、とラストは胸が掴まれたような感触を覚えた。

 彼はエスについて何一つ口にしたことはないのに、どうしてか目の前の老婆に見透かされているように思えたからだ。

 とはいえ、彼はその存在そのものをあえて隠す理由を見出さなかった。


「……ええ。よく分かりましたね」

「これでも、元々女性使用人の取りまとめをしている立場にいましたからね。人を見る目というものは自然と鍛えられるものなのです。もっとも、今のご領主さまはそのような者よりも麗しい見た目の方を重視なされているようですが」


 彼女は嘆息しながら、傍に置かれていた椅子にゆっくりと腰を下ろした。

 ラストの想いを寄せる女性について深く尋ねる様子もなく、彼は胸を撫でおろした。

 しかし、次の老婆の一言に彼の安心はたちまち吹き飛ばされることになった。


「それにしても、残念です。貴方が心に決めている人がいないのであれば、お嬢様と一緒になっていただきたかったのですが」

「えっ?」

「今のこの街に抗えるような生粋のヴェルジネア人は、どこにもいません。誰もが不満を抱えながらも、それを普段は胸の内に秘めたまま生きているのです。ですが、お嬢様はあのように実際の行動で異を唱えている。それを隣で支えられるような同じような気骨を備えた方がいらっしゃれば、この街もかつての輝きを取り戻す……そう考えていたのですが、お節介だったようですね」

「……ご期待に沿えず、申し訳ありません」

「いえ、いいのよ。これはお嬢様の意見も聞いていない、私の自分勝手なのですからね。ラスト君が好きな人がいるのであれば、そちらを素直に応援しますよ」


 彼女はそのまま休憩に入るようで、客の残したポットの冷えた紅茶を自分のカップに注ぎ、そこに牛乳を注いで喉を潤す。


「ごめんなさいね、老体には長い労働は辛くて。昔ほど無理が聞かないのです、情けない……それで、聞きたいことというのはなんですか?」

「はい。実は、先ほどまでのお客様の話を聞いていて、疑問に思ったのです。【月の憂雫ルナ・テイア】に選ばれる基準とはなんであるのか、というのを」

「【月の憂雫ルナ・テイア】の基準? なぜそのようなことを知りたくなったのですか?」

「怪盗の行動原理を知りたいからです」


 ラストの言葉に、老婆は怪訝な表情を浮かべた。

 そんな彼女の疑惑の視線を払拭すべく、彼は彼なりの怪盗に対しての考えをはっきりと伝えることにした。


「間違えていただきたくないのは、僕はあの【怪盗淑女ファントレス】を捕まえようとしているのではないということです。間違いなく、彼女の行動はこの街に良い風を吹かせていると信じている。……だからこそ、知りたいんです」


 掃除を続けながらも、ラストは顔だけは老婆から逸らさずに語りかける。


「アルセーナは魔法使いです。それも、ものすごく腕が立つ。きっと王都へ行っても引っ張りだこでしょう。それがどうして私利私欲を滅した怪盗業に勤しむようになったのか、彼女がこの街にどのような思いを抱いているのか。それが知りたいんです。ほんの僅かな時間でもこのヴェルジネアに住んでいる者として、彼女のことを見極めるために」


 そんな彼を見て、エルマは意外にも悩む時間を持たずに頷いた。


「真面目ですね。良いでしょう。それを知って貴方がなにをしたいのかは分かりませんが、恐らく変な行動を起こすことはないと思いますから」

「……ありがとうございます」


 彼女は音を立てずカップを小皿に戻し、鋭い目で己の記憶を整理しながら語った。


「そうですね。私の知る限りだと、怪盗が盗んだ物を贈る人間の多くは今の領主様の被害を被って困窮していたということですね。基本的にこの街の住民は誰もが領主からの圧迫を受けていますが、その中でも特に騎士による暴行で怪我を負ったり、不当な罪状を突きつけられて生活に支障をきたして早急にお金を必要としている……そういった方々に【月の憂雫ルナ・テイア】が集中していると思います」

「……本当に必要にしている人のところにこそ、怪盗はお金を落としていくということなのでしょうか?」

「さて、確かな調査をしたわけではありませんからね。単に私の記憶にそういった事例が多いだけなのかもしれません。きちんと把握したければ、ご自分で他の方々にお聞きなさいまし」

「はい……そうですね。貴重な情報を下さって、感謝します」

「お気になさらず。それに、この街にきて早二週間、お客様方も貴方のことは好意的に見ておられるようですからね。……特に女性の方が」


 ぎろり、と突如謎の気迫を伴った老爺の睨みにラストは射すくめられた。


「心に決めた方がおられるのでしたら、あまり寄り道をしないように。遊んでばかりいると、いずれ愛想をつかれますよ。これは多くの殿方を見てきた女としての忠告です」

「はい、それはもちろんです!」

「よろしい。くれぐれもお嬢様には手を出さないように。良いですね?」

「分かっています! 絶対に自分から手を出すようなことは致しません!」


 特に心配するようなこともないはずなのに、何故かラストはびしりと背筋を伸ばしてエルマに宣誓していた。

 そうしていると、閉店の表示に変えたはずの店の入り口が開く音が幽かに響いた。

 そこから顔を出したのは、ちょうど話題に出ていたオーレリーだった。


「こんにちは。エルマさん、今はよろしいでしょうか?」

「お嬢様! はい、ちょうど例の件について彼と話していた所でして……」


 休憩を止めて駆け寄った老婆の影から、ラストに気づいた彼女がくすりと微笑みかける。

 しかし彼はエルマに言われたばかりというのもあって、それを素直に笑って受け取るのが控えられて、咄嗟に顔を背けて床掃除に精を出すのだった。

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