第89話 宣伝と戒釘


「その思い上がり――叩き潰してやる!」


 ラストの誘いに乗せられて、正面にいた不良騎士が両手で構えた剣を振りかぶる。

 騎士から見て、目前の少年は余裕ぶっているように見えてもそこまで強そうではなかった。どうやら荒事に自信があるようだが、明らかに体格は劣っている。

 相手の挑発に乗せられる形になったのは彼らにとって癪だったが、そのままラストの思い通りになるつもりはなかった。どれだけ舌が回っても、これまで通りに力を見せつけてやれば最後には泣いて許しを請うに違いないのだから……と、一人目の騎士は鞘から解き放った抜き身の刃を堂々と振るう。


「はっはぁ! 相手はそっちだけじゃねぇぞ!」


 ラストが正面の騎士だけに集中することを許さず、右斜め後方に構えていた二人目もまた同時に迫りだす。

 騎士道をかなぐり捨てるようなニ対一の戦いを笑って行う彼らに、市民たちは非難の目を向ける。しかしラストからしてみれば、その程度は卑怯でも何でもなかった。

 ――故に、後方からの斬撃も不意打ちにはなり得ない。

 ラストの目の届かない後頭部へ向けて、正面と同じく銀に輝く鉄の刃が振るわれる。

 その後に続くであろう、ラストの頭が地面に落ちたザクロのように弾ける様を幻視して大半の観客たちが目を伏せる。


「失礼」


 そして、残る観客たちはラストの曲芸染みた体術を目にすることになる。

 騎士の刃が彼の肌に触れるか触れないかといったところで、ゆらりとラストの身体が掻き消える。

 もはや完全に振り抜く体勢となっていた彼らは、ラストが幽体のように視界から突如離脱したとしても剣を止めることなど出来ず――。


「うごっ!?」

「むごっ!?」


 その鉄剣で互いの右肩を殴りつけるような形で、彼らは相打ちとなった。

 肩当てを着けていたために腕を落としてしまうような事態にはならなかったが、強い衝撃を受けて騎士たちは弾きあうように尻餅をついてしまう。

 それを見下ろすように、二人の頭上から陰が差す。


「おや、ご無事ですか?」

「なっ、てめぇっ! ふざけ――」

「こなくそっ! 待ってろ、今ぶっ飛ばして――え?」


 余裕ぶった表情のラストに見下ろされ、騎士たちはすぐさま落としてしまった剣を拾って切りかかろうとする。

 しかし、彼らがいくら腰の近くを探しても剣の見つかる感触はない。

 そんな相手に見せつけるように、ラストがその両手に握っていたものを前に出す。


「お探し物はこちらですか?」


 彼の手の中にいつの間にか握られていたのは、騎士たちの物だった長剣だ。


「失礼ながら、こちらの刃物はお食事には少々大きすぎるようですね、こちらで預からせていただきます」

「お前っ、返せぇっ!」


 再び立ち上がった情けない姿の騎士たちは、今度は殴るか、もしくは掴みかかろうと両手を構えてラストとの距離を詰めようとする。

 しかし彼は剣を握った腕を背中側に下げて、二人の騎士の間をひらりひらりと縫うようにして迫る暴力を回避する。

 あえて手に入れた剣を使うことなく、さらにそれを握る両腕までも封印するという劣位性を観客に対し明確にしたうえで、彼は二人の騎士を弄んで見せる。

 顔を真っ赤にして襲い来る騎士たちの腕を身体を捻って避け、皿には時折身体の一部を押し当てて攻撃の軌道を誘導し、互いの騎士へ向けて降りかかるようにする。


「ぐおっ!? なんだ、お前俺を殴るんじゃねっ!」

「そっちこそ、さっきから鬱陶しいんだよっ!」


 二人はラストが巧みに彼らの動きを操っていることにも気づかず、互いに憎しみを向け合いだす。

 ただし、二人が気づかなくとも、周囲の観客たちには確かに見えていた。

 ラストが接触するたびに、騎士たちが相手を殴りつけているのだ。

 その細かい所までは見えなくとも、彼と騎士の同士討ちの因果関係だけははっきりとしていた。


「……すごいわ。あんなに一方的に出来るものなの普通?」

「ひえっ、俺だったらびびって出来ないわあんなの。見ているだけで怖いっての」


 そして、それを理解していたのは観客たちだけではない。

 介入する機会を見失っていた最後の騎士も、同僚たちがそこらの一般人に良いようにやられるのを黙って見ていることは出来なかった。


「――勝手、させない!」


 他の二人と比べて一際図体の大きい騎士が、どたどたと身の丈ほどの大剣を抜いて迫りくる。

 それを視界の端にきっちり捉えていたラストは、そろそろ観客たちの興味を誘うのも十分だろうとこの劇の終わりへ向けて狙いをつける。


「うおっ!?」

「ぐえっ!?」


 覆い被さろうとしてきた騎士の腕の間をすり抜け、彼はその背後に回ってがら空きの背中を蹴り飛ばす。

 すると、残るもう一人へと抱き着くような形で彼らは一緒になって倒れてしまった。


「ど、どけっ!」

「うるせぇ、お前こそ離れ――」


 近づいた相手の顔に唾を飛ばしながら、騎士たちがいがみ合う。

 しかし、彼らにはそのようにして相手を睨みつけている暇などなかった。


「っ、うおおっ!? 退けっ!」


 迫りくる三人目の騎士が、叫ぶ。

 ラストの背後からの急襲だったはずなのに、いつの間にか当人は消えて目の前には仲間の騎士たちが仲良く道を塞いでいるのだから。

 彼は慌てて剣を止めようとする。もちろん、今の時点ではすんでのところで止められるはずだった――しかし、その身体が突如不思議な力に押されてしまい、彼はその意に反して剣を同僚たちへ振り下ろさざるを得なかった。


「なんでだぁっ!? くそ、退けっ、退いてくれぇっ――!」


 もしこの場に魔法使いがいれば、その騎士の身体に不自然な魔力の糸が纏わりついているのが見えただろう。

 だが、彼の叫びも空しく、肉厚の剣はその重量で折り重なっていた騎士たちを真上から殴りつけてしまった。


「がっ――」

「ぐあ゛っ――」


 鎧を着用しているだけあって、即死には至らなかった。

 しかし強い衝撃ががつんと頭にまで響いて、彼らは悲鳴を上げる暇もなく意識を手放してしまった。


「あ、あああっ!」


 大変なことをしてしまったと、唯一無事な騎士が慌てた声を上げる。

 そして、それとは対照的に悠々と佇むラスト。彼は傷一つ負うことなく、汗すら流さない顔でぬけぬけと言い放つ。


「おや、これは残念でしたね、まさかお仲間の攻撃に晒されるとは、なんともおいたわしい」


 自分たちはこんなに屈辱を感じているのに、目の前の相手は楽しそうにも見える。

 それが憎くて、最後に残った騎士は怒りに目を血走らせながら彼の方へ向く。

 ――それが、これまで自分たちが虐げてきた者たちの抱かされていた感情だとは気づいていない。


「全部、お前、やってた……俺、悪くないっ」

「さて、どうでしょうか。無手の相手に軽々しく切りかかるような貴方たちは、罪人とどこが違うのです? 今まで問われなかったその咎が報われる時が来た、貴方が積み上げてきた悪行が貴方に帰ってきている。それだけのことです」


 ずっと暴力で押し通していた道理なら、その上から同じ力で押し通されるのも道理だ。

 彼らは今、自分たちが虐げてきた相手と同じ痛みを味わっている――それだけなのに、そのことが納得できていなかった。


「うるさいっ……うおおおおーっ!」


 せめて仇を取らんとして、騎士が大声を上げてラストへと切りかかる。

 その見た目は確かに恐ろしいが、彼にとってはこけおどしに過ぎなかった。


「失礼」


 振り上げられた剣の、握り手の下から覗く柄尻をラストはまっすぐに蹴りあげる。


「あ?」


 すっぽ抜けるようにして天へと飛んで行った剣を思わず騎士が見上げ――その剥き出しになった顎の先を、ラストは続く上段逆回し蹴りで勢いよく打ち据えた。

 傷つけないほどには手加減された踵によって、騎士は脳を揺らされ立っていられなくなってしまう。

 そして、膝を崩して倒れてしまった騎士。

 その眼と鼻の先に、くるくると回転しながら落ちてきた大剣の切っ先がずしんと突き立った。


「ひっ……」


 鼻先に伝わる、刃の纏う冷たい空気。それがあと僅かでもズレていれば――それを想像して、騎士の全身を冷たい感覚が走り抜けて。


「……うううっ」


 想定外のことが立て続けに起きて混乱していた思考にとどめを刺され、三人目の騎士は自ら意識を手放した。

 そんな彼らを見下ろして、ラストは握っていた剣をそこらへほうり捨てる。

 がらんがらんと持ち主を失った剣の奏でる寂しい音が、この場における勝者を歴然と示していた。

 茫然と成り行きを見守っていた観客たちが想定外の結果に声を出せないでいる中、ラストは彼らへと向き直って優雅に一礼する。


「このように、当店はいかなる暴漢であろうとお断りさせていただいております。日々の暮らしの中に安らぎを得たい方、そうでなくともお腹を空かせた方は、ぜひとも当店【デーツィロス】をお試しくださいませ。あなた方の想像を超えるような一時を、ご提供させていただきます」


 看板にかけていた制服を羽織り直して宣伝用の文句をさらりと述べたラストに、意識を現実に引き戻された周囲の人々は思わず拍手喝采を向けた。


「おおおーっ! こいつは凄いぞ、あいつらをやっちまったぞ!」

「いっつも私たちを脅してたんだもの、いい気味だわ。ありがとうね店員さん!」

「良いものを見せてもらったな、これなら礼として食べて行ってもいいかもな!」


 ただでさえ、彼らは生活の至る所で領主による圧迫感を受けていたのだ。

 その領主の手先がこうも無様に打ち倒されたとなっては、清々しさに酔いしれるのも無理はなかった。


「ええと、それじゃあ試してみてもいいかしら? あの、元々領主さまの料理人って言ったけど、値段はどれほど? あまり高いと、その……ね?」

「高いものであれば銀貨でのお支払いが必要となりますが、大銅貨でも七枚ほどあれば、十分満足していただけるかと」

「あの匂いで銀貨要らないの? わぁ、だったらなんとかなりそう! 店員さん、入っても良い?」

「もちろんです。それではお嬢様、どうぞこちらへ」


 第一号のお客となった女性に頭を下げ、ラストは店内へと誘う。

 扉を開ければ、一際強くなった料理の香りが更に食欲を湧き立たせる。

 

「おい、ちょっと待ってくれ。俺たちも食べるぞ!」

「ありがとうございます。それではどうぞご一緒に、こちらへお進みください」


 そうしてラストと香りに惹かれて入ってきた客は、合計で五人だった。

 さすがに満席には至らなかったが、それで十分だとラストは考えていた。あとは期待を寄せる彼らを満足させれば、乗算的に噂が広がって客が集まってくるに違いない。

 そして、老爺の料理にはそれが出来るほどの価値があることをラストは昨日の一皿で知っていた。


「お願いします、お婆さん」

「はい。お客様、お席へご案内させていただきますね」


 客用の見栄えの良い笑顔の裏でそんな計算をしながら、ラストは新たなお客たちのおもてなしを元々屋敷の使用人だったという老婆に任せて店の前を見る。


「……さて、僕はこっちの後始末をしないとね」


 そこには、騎士たちが情けない顔を晒しながらぐったりと倒れ伏している。

 店員としての思考を一度止めて、ラストは人々の平穏を守るために己が内の魔力を解き放った。

 即興で編み上げられる魔法陣――その力の指向先は騎士たちの体内にある。

 ラストが見据えるのは彼らの肩、股関節、そして膝だ。

 暴力を振るおうとすれば必ず力をかけざるを得ない場所、そこへ向けてラストは魔法を放った。


「【戒罰血釘カズィクル】」


 魔力を受けて変質し、固形化した血液が関節の隙間へと侵入して骨と骨の間に食い込む。

 もし今後、一定以上の暴力を振るおうとすれば、彼らは関節を貫かれるような激痛に身を捩じらせることになるだろう。

 ただ、普通に生活を送る分には問題はない。

 ――これから悔い改めて真面目な労働に精を出すか、それとも暴力を忘れられずに落ちぶれるところまで落ちぶれるか。

 彼らに良心が残っていることを信じて、ラストは自身も店員として請け負った仕事に励むべく道行く人々に笑顔を向けるのだった。

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