第88話 集客のために


 老夫婦がラストを雇い入れることを決めた次の日から、彼は善は急げと言わんばかりにさっそく仕事を始めていた。

 一刻も早く店に客足を取り戻すべく彼が選んだ手段とは――。


「こんにちは。今日のお昼は決まっていますか? もし悩んでおられるようでしたら、是非こちらのお店をお試しください」


 店の外に立ったラストが、満ち行く人々に片っ端から声をかけていく。

 大半の人間はもちろん、そんな彼のことを必死に金を稼ごうとする哀れな店員としか見ていない。

 だが、少しでも注意を引ければそれで十分だった。

 彼らは店員であるラストに目をやった後に、彼の立っている店の入り口へと目を向ける。

 そうして、気づく。気づいてしまう。


「うおっ、なんだこの匂い……じゅるり」

「……おいしそう。お肉の焦げる匂い、くんかくんか」


 あえて僅かに隙間の開けられた店の扉から漂う、老爺の作る料理の香り。

 ラストは昨日の時点で、それがこの店の強い武器になると確信していた。嗅覚というものはスピカ村での【裂爪熊ラセルウルサ】もそうであったように、生き物であれば遮断することの出来ない非常に重要な感覚だ。

 目を閉じようと、耳を覆おうと、息を止めない限り香りは人を襲う。そして呼吸をいつまでも我慢していることが出来ない以上、彼らは匂いから逃れられない。

 ちょっとでも気づいてしまったがゆえに、彼らは老夫婦の店により大きな興味を抱いてしまう。


「……くそぉ、ただでさえ金欠だってのに。いや、最近は我慢でパン齧ってばっかりだったんだ。たまにはご褒美も、ありか……?」

「ねぇ、ここ良いんじゃない? いつものところは人がいっぱいだし、並ばなきゃなんないし。匂い的には絶対に外れじゃなさそうだし。それにあの子可愛くない? あの店員と話せるなら、ありよりのありみたいな?」


 そうして期待を寄せ始める客たちの姿に、ラストはまず一段階目が成功したことを悟った。

 ――しかし。


「でもよ、俺知ってるぜ。ここは騎士の奴らも良く来るんだ。俺たちなんかが目をつけられちゃたまらないぞ」

「そういえば昨日もなんか騒いでたな。やっぱり止めておこうかな……」


 散々騎士たちがツケを溜めた挙句問題行動ばかりを起こしていたせいか、その事情を知る者たちからは敬遠されてしまう。

 せっかく興味を持った人々も、それを聞いて足を一歩後ろに引いてしまった。

 そう、そこが老夫婦だけでは解決できない唯一の問題だった。

 だからこそ、ラストは新たな見込み客たちに強く示す必要があった――この店では誰であろうと乱暴沙汰が許されず、人々が落ち着いて食事の出来るのだと。


「――だからよ、俺は言ってやったんだ!」


 そして幸いなことに、人々の目が良くも悪くも集中している最中に彼ら・・はやってきた。


「妹の盗みを見逃されたいのなら金か、姉のお前がそこを開いて見せてみろってな!」

「なるほど、小さいのよりも大っきい方が恥じらってる方が良いに決まってるからなー。まったく羨ましいぜ。なんで俺はその時見回りになんか行ってたんだ? でっかい尻の女を見つけて狙ってたんだが、結局逃げられたしよ……」

「……俺、ちっこいの、好き」

「おいおい嘘だろ? お前業が深すぎだろ!?」

「違いないな、はっはっは!」


 公然の場で平気で品の蒸発した会話をする、鎧を着た三人の男たち。

 この町に住む者ならば誰もが知らざるを得ない、悪名高い騎士もどきたちだ。

 彼らががしゃがしゃと足音を鳴らして歩く度に、人々は自然と道の端へ避けていく。

 なんとも視界に入れるのも嫌になってくる汚らわしい存在だが、その力だけは領主のお墨付きだ。

 その暴力に晒されまいと身を縮める市民を見ながら悦に浸る彼らに、ラストは逆に遮るように前に立った。


「――ん? なんだお前。見かけない顔だな」

「こんにちは、騎士の皆様。お腹は空いておられますか? もしよろしければ、当店でお食事はいかがですか?」


 自ら虎の興味を誘うラストの行動に、周囲の人間たちがぎょっと目を見張る。

 そんな彼らを気に留めないような素振りで、彼は笑顔で騎士たちに話しかけ続ける。


「当店の料理人は、元々領主さまの御台所にて腕を振るっておりました。その味は実に素晴らしく、騎士様の舌もきっと満足できるものと確信しております。どうでしょうか?」

「……ほお。言うな、お前。良いだろう。それなら俺たちを案内しろ。ただし、まずかったらそこで殺してやるからな?」


 ぎらりと睨みつける騎士に、ラストは自信たっぷりに微笑む。


「ええ、構いませんよ。どうせ杞憂に終わりますから」

「ちっ、面白くないやつだ。分かってるのか? 少しでもまずかったらそこで叩き斬ってやるんだぜ」

「どうぞ、出来るものなら。さあどうぞ、いらっしゃいませ」


 ラストは丁寧にお辞儀をした後、店の入り口へと手を添えて案内する。

 そのあまりに堂々とした態度に、彼らは怒りよりも先に興味が湧いてきた。命を賭けても惜しくはないほどの料理がいったいどれほどのものか――なに、大したものでなかったならばその時はその時だと、彼らは気楽にラストの誘いに乗った。

 そうして話につられた騎士たちが店に入ろうと足を踏み出した時――。


「おっと。そういえば聞き忘れておりました。お客様方、財布はお持ちでしょうか」


 ラストが立った今思い出したかのように、問いかける。


「あ? なんでそんなことを聞く?」

「当店では前払い制となっておりまして。お偉い騎士の方々ですから、さぞ懐も温かいだろうと存じ上げてはおりますが……いちおう、お確認をさせていただきたいのです」


 鬱陶しそうな顔を三者三様に見せる彼らは、互いに顔を見合わせて首を振る。


「ああ、あいにくと家に忘れてきたんでな。ツケで良いだろ? 騎士の信用にかけてな」


 そう、いつものように彼らは適当に手を振って後日払い――踏み倒しを宣言した。

 だが、それが許されるのは本当にその信用が働いている時だけだ。そして、彼らに騎士の高潔さ故の信用など微塵もない。

 彼らが不条理な踏み倒しを遂行できているのは、その常人では叶わない暴力への信用があるからだ。

 しかしラストにそれは通じない。


「申し訳ありません。お伝えするのを忘れていましたが――本日より当店は、ツケ払いの扱いは取りやめさせていただいております。お客様には完全前払いのみのご利用とさせていただいております」

「……あ? なに言ってんだお前」


 顔色一つ変えずに騎士の要求を否定して見せたラストに、彼と話していた騎士が声の色を変えた。

 脅すように怪訝な顔つきで睨みつけてくる相手に、それでも彼は同じ言葉を笑顔で繰り返した。


「なにを、と申されましても。当店はお支払いの為されないお客様はお断りだと、そう申し上げているのです」 


 その笑顔は、先ほどまでの接客用のものと何も変わらない。

 だが、騎士たちにとってそれは歓迎するようなものではなく、むしろ彼らへ向けた挑発のように見えた。

 何一つ撤回することなく先ほどと同じことを言い放ったラストに、騎士たちがおもむろに殺気立つ。


「……お前、俺たちに逆らおうってのか」

「そんな滅相もない。ただ、子供でも出来るようなことを求めているだけですよ」


 それは暗に、それが出来ないのならお前たちは子ども以下だと言っているも同然である。

 そこまで侮られては、騎士たちも笑って済ますわけには行かなかった。

 軽く痛めつけてやろうと剣の柄尻に手を乗せながら、彼らは今ならまだ軽く済むぞと警告する。


「どうやら立場ってもんが分かってないらしいな。いいか、平民は俺たち騎士様に従ってれば良いんだよ。俺たちが食いたいって言ったら、素直に飯を出せよ」

「分かりました。それではどうぞ」


 そう言ってラストが腕で指し示したのは、地面である。


「お金を払わないのでしたら、そこいらの土でも食されてはいかがでしょう? 私たちは地面に値段は付けませんので、どうぞ心行くまで召し上がってください」

「――分かった。もう良い、死にたいんだろお前」


 警告を鼻で笑うようにして踏み越えたラストに、騎士がついに剣を抜いた。

 それを見た残りの二人もまた、剣を抜いてラストを取り囲むように移動する。


「今更後悔したって遅いぜ。あれだけ生意気言ったんだ、お前は侮辱罪で死刑だ死刑。それも、楽に死ねると思うなよ」

「俺たちはこれでも人を殺すのに慣れてんだ。甘く見たことを死んでから後悔するんだな」

「殺す、ころす。めった刺し」

「ええ、ええ。構いませんよ、それでも……」


 剣の鋭い輝きを見せつけるようにする騎士たちに、ラストはゆっくりと着用していた制服の上を脱いで、傍にあった店の看板の上に柔らかくかける。

 騎士たちの三人がかりの威圧もまるでそよ風のようだと言わんばかりの態度をまずは身体で示して、それから彼は改めて言葉で語る。


「どうせ、杞憂に終わりますから」

「ぬかせクソ餓鬼、いつまでもその顔を保ってられると思うなよ」


 じりじりと隙を伺う騎士たちの気配を捉えながら、ラストは素早く周囲に目を走らせる。

 そこにはラストに声をかけられ、店を訪れようか迷っていた人々がはらはらしながら成り行きを見守っている。

 ――それでいい。

 ここで騎士たちを負かせてみせれば、この上ない宣伝になる。

 いつ暴力を受けるかも分からないこの街で安心して寛げる場所というのは遥かに高い価値を有する。その存在を知らしめるきっかけとして、目の前の彼らに一つ泥を被ってもらう。それがラストの立てた作戦の二段階目だった。

 そもそも、騎士というのは本当に大切な名誉のためならば多少の汚名を被ることを選ぶことの出来る存在だ。

 彼らも曲りなりに騎士を自称するのならば、これまで散々甘い蜜を吸ってきた分、この辺りで一度清算がわりに損な役回りを担ってもらうのも問題はないだろう。

 そう考えて、ラストは彼らを使って観客の度肝を抜くべく、まずは挨拶代わりに手招きして先行を譲るのだった。

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