第86話 街の観察と見世物
「……と。彼女のことも気になるけれど、それよりも先に仕事を探さないとね。このままだったらせっかく街の中に入れたのに、外と同じ野宿になっちゃいそうだ」
残念なことに、全てが自給自足可能な外の自然とは違い、街中には勝手に使っていいものはどこにもない。衣食住、その全てが都市の中では金を基準に動いている。
それを手に入れられなければ、街の外で過ごすよりもひもじい夜を迎える羽目になる。
故に、なんとしてでもラストは日のある内に働き口を見つけなければならなかった。
「どうせ働くのなら出来るだけ割りのいい仕事をしたいところだけど、そんな都合の良い条件がそこらに転がってるわけもないし。なにをするにしても、まずはもう少しこの街を知った方が良いかな」
オーレリーのことについては、街中で人助けに精を出しているらしき彼女の様子から追いかけずともまたいずれ会えるだろうと考えていったん置いておく。
そうして、今日の方針を見定めた彼はすぐさま隠れていた露店の影から出てこのヴェルジネアの街並みを改めてじっくりと眺め始めた。
「へぇ、これは中々……」
オーレリーは昔の面影が見る目もないと言っていたが、ラストの目にはそうでもなかった。
古びつつもしっかりと原型を保っている建物の数々。
基礎となる素材や建法が確かなものであるからこそ、彼らはろくな手入れがされなくなっても今日も人々の生活の中に姿を残しているのだ。
崩れた煉瓦の隙間を見れば余計な混ぜ物や隙間のない丁寧な職人技が見て取れるし、足元に敷かれた石畳も壊れないように出来る限り規則正しく敷き詰められている。
かつてこの街が豊かだったころの歴史の積み重ねは、確かに人々の生活の隙間に見て取れる。このヴェルジネアの優雅な歴史が、この街の人々の気骨を見えない手で支えているかのようだ――。
「――って、そうじゃない! 僕は仕事先を探してて、この街の観光をしてる暇はないんだってば!」
ついついそちらの方面に目が行ってしまう自身を叱咤し、ラストは気を取り直してヴェルジネアの人々の営みそのものに目を向ける。
目に見える場所で働いている人々は、誰も彼もが懸命に己の仕事をこなしている。
しかし、そこには仕事への誇りや余裕と言ったものはあまり見られない。
「ちょっとお客さん、勝手に品に触らないでおくれよ。汚れた分のお金は払ってくれるのかい?」
「なによ、ちょっとくらい持って見なきゃ分かんないじゃないのさ。見るだけだなんて、怖くて買えやしないわよ!」
「おい、そこに使う石はそいつじゃねぇぞ! きちんと振られた番号見とけ! 元は掘ってきただけでも無料じゃないんだからな!」
「見ましたよ、ちゃんと三ってここに……え、この三は別の三? なんで同じ番号を振ってるんですか、全部通してくださいよ!」
「ねぇ、お兄さん。暇ならウチで仕事をしないかい? 楽で短時間で、それで高収入。きっとあんたならがっぽり稼げ――ああっ!? 待っておくれよ!」
それよりも人々の顔に見えるのは苛立ちや焦り、そして金への執着だ。
仕事が誇りではなく、単なる金を稼ぐ手段にしか見えていない。もちろん誰もが望んだ仕事についたとは限らないのだが、それにしても個人個人の効率を突き詰めようとし過ぎて、返って全体の効率を阻害しているようにも見えた。
最後のどう考えても怪しげな仕事の誘いを振り切って、ラストは足を速める。
その際に聞こえてくる人々の世間話もまた、大半が他人への愚痴に占められていた。
中でも特に多いのが、次々に税を追加する領主への不満である。
「ねぇ、聞いた? 今度は空気に税金を導入するって話。こんなのどうやったって逃げらないじゃない」
「ええ? この間は包丁税だったかを追加したばかりなのに?」
「そのうち、お皿やスプーンにまで、着ている下着にまで税金がふっかけられたりして」
「止めなさいよ、それ聞いてなるほどって本当にやるかもしれないじゃない」
そんな風に乗って聞こえてきた話をラストは思わず真実か否かと疑ってしまうが、彼女らの声の抑揚からして嘘を言っているわけではないようだ。
とにかく税を追加できる概念には税を追加しようとする現在の領主の姿勢に、彼はその内税金を払うことへの税金でも追加されるのではないかと冗談のような話を考えてしまう。
しかし、そうして搾り取った金を民の暮らしのために使うならともかく、自身の館を贅沢に改装することに費やしているようなのだから笑い話では済まされない。
税金の役割というものを全く理解していない領主のありように、彼は頭が痛くなってしまった。
「税は民を守るための経費だろうに、それで人々を疲弊させるだなんて本末転倒も良い所じゃないか……」
ラストがエスの書庫で学んだ人間側の歴史によれば、暴君の支配に耐えかねた人民はやがて反乱を起こすという。
そして彼が歴史を学ぶ際、彼女が口を酸っぱくして言っていたのが過去は繰り返されるということだった。
人は自分の人生の中で起きた失敗を学んで、次に同じことが起きないように注意する。その失敗によって舐めた苦渋の味を強く覚えているからだ。
しかし、人類という種全体で見れば話は異なる。過去の失敗を直接味わっていない子孫はその苦味を知らず、軽んじて、結局同じ過ちを繰り返す。
過去に学ばない一部の権力者の都合によって他の人間の生活が虐げられている、その事実がこのヴェルジネアの人々の中に浮き彫りになっていた。
「……あれは?」
そして、視線の先にはまた一つ、彼が憂いた事例の一つが繰り広げられていた。
呼び止めようと縋る老夫婦を、鎧を着た男が振り払おうとしている。しかも、そこにはラストに見覚えのある王国の刻印がうっすらと顔を覗かせている。
「お待ちください騎士様、いい加減ツケを払っていただかなければ私たちは死んでしまいます!」
「ええい、うっとうしい! 次の給料が入ったら払うと言ってるだろうが!」
「もうそれは三年も前から言われて、我慢してきたわい! だが、一回もお金をいただけた覚えはないし、このままでは儂らは飢えて死んでしまうのじゃ!」
「そんなの俺の知ったことか! うざったらしい、いい加減にしないとその首叩き斬るぞ!」
そうして騎士らしき男が腰に帯びていた剣に手を添える。
しかし、老夫婦は引こうとはしない。
「っ……それでも構いやしませんわい、お金を貰えなければどのみち死んでしまいますからの!」
「言ったな? ならば俺の剣のさびとなるが良い!」
そう啖呵を切った老夫婦に、ならばと騎士はなんの躊躇いもなしに老夫婦を力任せに突き飛ばした。
「きゃっ!?」
「うわっ! って、おい婆さんや無事か!?」
「はん、今更心配したとしてももう遅い! 殺されても良いと言ったのはお前らだからな! こいつでツケはチャラだ!」
更に男は自由になった両手で剣を抜いて、他の市民がいる往来であるにも関わらず、その凶器を老人たちへと振り下ろそうとした。
人を殺すことを道端の石ころを蹴り飛ばすこととなんら変わらないと考えている、どう考えても騎士以前に人間として失格の振る舞いをする男。
だが、その見た目だけはやたらがっしりとしており、周囲にいる人々も非難の目は向けるものの、老夫婦を救おうと身を差し出そうとする者はいない。
――ただ一人、ラストを除いては。
「ぐえっ!?」
蛙の潰れたような呻き声をあげて、男がなにもないというのに唐突に身体を転ばせた。
ずでんっ、とまるで喜劇のように足を滑らせた騎士が頭から地面に倒れてしまう。
「……は?」
「くそがっ、なんだってんだ――うおっ!?」
唖然とする老爺を前に気を取り直して立ち上がろうとする騎士だったが、再び彼はつるんと足を滑らせて、今度は後頭部から綺麗に倒れてしまう。
「い、いったいなにが……」
「さあ、爺さんや。私にもさっぱりです……」
先ほどまで凶悪な面構えを晒していた騎士の見せる奇行に、身を抱き寄せ合った老夫婦が顔を見合わせる。そうしている間にも、騎士はなんども立ち上がろうとしてはすっ転んでしまう。
どたんばたん、ずったんばったんどんがらり。
そんな擬音が相応しいほどに、騎士は何度も何度も間抜けな体勢でひっくり返ってしまう。
「ちぃっ、くそっ。今日は運が悪いのか?」
そう悪態をつく騎士の足には、ラストにしか見えない細い魔力が結び付けられていた。ついで騎士が立ち上がろうと足先に力を入れた一瞬、その力の起点となる地面に魔法陣が浮かぶ。
彼は魔力糸による操術に加えて名もなき小規模の土魔法で巧みに地面の凹凸を変化させ、騎士の踏ん張りを地面とは別の方向に変えさせているのだ。
しかし、そのタネが見えない一般人には、立つことすらままならない騎士が生まれたての赤子にしか見えないような醜態を晒しているようにしか思えない。
実際、騎士もラストのことなど気にも留めようとはしていなかった。これならば後に逆恨みで粘着されるようなこともないだろう。
やがて周囲で様子を窺っていた人々からは、小さな忍び笑いが漏れ出る。
「なによあれ、いつも威張り腐ってるのに今日は調子が悪いみたいね」
「あんなのに怯えてたなんて馬鹿みたいだ。あれじゃ俺の子どもの方がまともだぜ」
「爺さんたち相手に腰が抜けたんじゃないのか?」
「騎士ってのは本当は馬に乗るものだろ。きっと馬に任せっぱなしで、自分で歩くやり方を忘れたんだろ。ざまあないぜ」
そんな嘲笑がいたるところから聞こえてきて、騎士は顔を真っ赤に染める。
「っ、くそがぁっ! 今日は都合が悪い、覚えておけよ! 貴様らもだ、後で必ず後悔させてやる!」
そう三流の悪役のような言葉を吐いて、結局立ち上がることを諦めた騎士はずるずると這うようにして裏路地へ姿を消していってしまった。
「はっ、どうやら逃げ足だけは一人前みたいだな。さすがは騎士様だ」
そんな野次馬の一言が最後になって、人々は気分が晴れる爽快な見世物から元の生活へと戻っていった。
そうして誰もが自分の生活にかかりきりになる中、ラストは地べたに座り込んでしまっていた老夫婦の下へと近づいた。
「あの、お二人とも大丈夫ですか?」
声をかけてきたラストに一瞬驚いた素振りを見せた彼らは、すぐに二人揃って頭を下げた。
「あ、ああ。すまんの。助かったよ、お若いの」
「え? そんなことをされるような覚えはないんですけれど。どうして頭を下げられるんですか?」
「他の者たちの場所からは見えなかったようだけど、私たちには見えていましたよ。あなただけが笑わずに、あの騎士のことをじぃっと見つめていたのがね。きっと君がなにかしてくれたんじゃないのかい?」
「……さて、気のせいだと思いますけれど」
ここで明言してしまってはまた面倒ごとに繋がりかねないと考えたラストだったが、はっきりと否定するべきか適当に誤魔化すべきかの判断に一瞬まごついてしまう。
その前半に生まれたちょっとの躊躇いが、老夫婦の直感した真実の正当性を後押ししたようだった。
「さあさ、ともかくひとまず店へ入ってくれんか。ここで話すのもなんじゃからな」
「そうだわ。ほら、入って入って」
「いや、ちょっと……分かりましたから、押さないでくださいっ」
そうしてラストは偶然にも、老夫婦の営む店を訪れることになるのだった。
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